人類学はいかにしてデザインと協働するようになったのか?ゼロックスPARC、IDEOから紐解く──人類学者・森田敦郎【連載:デザインと人類学のフィールドノート】

デザイン思考に見られるようなデザインと人類学の今日的な関係は、「クラフト」と「システム」という二つのアプローチがコンピュータのデザインという舞台の上で交錯した1980年代にルーツを持っています。この際に人類学が行ったデザインの再定義は、2000年代にはプロダクトデザインなどの伝統的なデザイン分野がデジタル分野に参入し、デザイン思考が発展する際の礎になりました。

Design and Anthropology

以前からデザインと人類学は互いの知を交換し、刺激を与え合ってきた。デザインが機会発見として人類学の手法を用いれば、人類学はデザイン実践を対象とする調査を行う。また近年では、人類学者がデザインの現場に参画する「デザイン人類学」の可能性も耳にするようになっている。

両者がともに幅広い対象を持つからこそ、多様な接点が生まれている。そう考えれば、上述したものにとどまらない、多様な実践と学びが繰り広げられているのかもしれない。

連載「デザインと人類学のフィールドノート」では、デザインと人類学が接近する領域で実践や研究に取り組む人々が、そこをどのように歩み、なにを感得したのかを探索する。「フィールドノート」と称したように、明確な結論を出すことが目的ではなく、この領域が持つ可能性を広く取り上げていく。

第2回に寄稿してもらったのは、大阪大学教員で人類学者の森田敦郎氏。「クラフト(モノづくりの技法)」と「システム的な見方」というデザインの二つの側面を切り口に、デザイン、人類学、コンピュータ科学の三者関係について前後編でお届けする。

はじめに

ここ数年、デザインの世界では人類学への関心が高まっています。エスノグラフィや人類学は、もはやデザインにとって主要なリサーチ方法として広く受け入れられています。また、人類学においても自らの方法論を刷新するためにデザインと連携する動きが盛んになってきています(エスコバル 2024)。こうした中、デザインと人類学の関係を振り返り、整理することはますます重要になっています。

両者の関係は学術知である人類学をデザインの実務に応用するという関係にはとどまらない複雑なものです。また、あまり知られていないことですが、この関係はすでに40年近くの長い歴史を持っています。デザイン人類学は新しい流行というよりは、現在のデザインのあり方を形作っている歴史の一部なのです。

このエッセイでは、前後編にわたってこのデザインと人類学の歴史を紹介していきます。そこに不可欠な第三の登場人物はコンピュータ科学です。1980年代から始まるコンピュータ科学、デザイン、人類学の関係は、デザインがインタラクションや社会課題へと「拡張」していくにあたって決定的な役割を果たしました。ここでは、日本ではあまり知られていないこの物語を、主要な研究書を紹介しながら紐解いていきます。紹介する文献は、古いものから順に掲げると、ジョン・ラスキン(2019=原著初版1853)の「ゴシックの本質」(『ヴェネチアの石』の中の一章)、ハーバート・サイモン(1999=1969)の『システムの科学』、ドナルド・ショーン(2007=1984)の『省察的実践とは何か』、ルーシー・サッチマン(1999=初版1987)の『プランと状況的行為』、Edwin HutchinsのCognition in the Wild(1996)、トム・ケリーとジョナサン・リットマン(2006=2005)の『イノベーションの達人!』、Bill Buxton(2007)のSketching User Experiences、Lars Spuybroek(2011)のThe Sympathy of Thingsの五冊です。ただし、字数の制約のため、それぞれの文献の紹介はごく簡単なものにとどめています。

これらの著作を整理する際に、このエッセイでは「クラフト(モノづくりの技法)」と「システム・アプローチ」というデザインの二つの側面に注目します。「クラフト」としてのデザインという見方は、19世紀中頃に近代的なデザインの登場とともに現れた見方です。一方システム・アプローチは冷戦時代のアメリカに登場し、コンピュータの登場とともに産業界へと広がっていきました。デザイン思考に見られるようなデザインと人類学の今日的な関係は、「クラフト」と「システム」という二つのアプローチがコンピュータのデザインという舞台の上で交錯した1980年代にルーツを持っています。この際に人類学が行ったデザインの再定義は、2000年代にはプロダクトデザインなどの伝統的なデザイン分野がデジタル分野に参入し、デザイン思考が発展する際の礎になりました。

このエッセイの構成

このエッセイで描き出される人類学、デザイン、コンピュータ科学の歴史は複雑に入り組んでいます。筆者の目的は、この錯綜する関係を解きほぐし、それぞれの専門知識がなぜ今あるような形で混じり合っているのかをわかりやすく示すことです。このことを通して、デザインの実務家の方々が今日の状況の背景にある歴史的な事情を理解し、人類学やコンピュータ科学との間により良い関係を構想できる一助になれば幸いです。

このエッセイでは現在からスタートしつつ適宜過去へと遡っていく形でデザインと人類学の関係を見ていきます。現在、デザインと呼ばれる活動は多岐にわたっており、それに携わる人たちのバックグラウンドは多様化しています。そこで最初に、デザインとは何かについて、上記に述べた「クラフト」と「システム」という二つの視点から考えてみます。ここでは後者を説明するために、サイモンの『システムの科学』を簡単に紹介します。

その上で本稿では、現在デザインと言われている活動がどのようなもので、その中で人類学がどのような役割を果たしているのかをデザイン思考の教科書とも言える『イノベーションの達人!』(ケリー&リットマン 2006)を入り口に考えていきます。ここでは、人類学はデザイン思考の一連のプロセスの最初の段階、デザインが解くべき問題を発見・設定するという役割を担っています。このような分業は、1980年代にゼロックス社のパロアルト研究センター(Palo Alto Research Center: PARC)で誕生しました。そこで次にそのきっかけとなった研究を行ったルーシー・サッチマン(1999)の主著『プランと状況的行為』を取り上げて、なぜ人類学がデザインの課題を提起するに至ったのかを紹介します。

『プランと状況的行為』は、システム的な視点に基づく工学的なデザインが、人々の日常的な活動の場の現実と一致しないという問題を鋭く抉り出しました。そこでつぎに、Sketching User Experiences(Buxton 2007)と取り上げて、人類学によるシステムアプローチの批判がいかにしてビジネスとデザインに受け継がれていったのかを見ていきます。ユーザー経験デザイン(UX)を最初に定義した一冊である本書をよく読むと、従来システム的な見方が支配的であったコンピュータとソフトウェアのデザインの領域に、プロダクトデザインのようなクラフト的な手法が進出するにあたって、人類学による問題の転換が大きな役割を果たしたことがわかります。このことは、人々の日常的な行為のロジックを紐解く人類学の実践とクラフト的なモノづくりの間には密接な関係があることを示しています。

最後の節では、ショーン(2007)の『省察的実践者とは何か』を紹介しながら、クラフトという概念を通した人類学とデザインのつながりを再考します。ここでは、19世紀半ばにラスキン(2019)が執筆した「ゴシックの本質」にまで遡りながら、クラフトという概念を通して人類学とデザインが密接に結びついていることを明らかにします。さらに現代のデザインにおけるビジネス、クラフト、システムの三者関係を批判的に問い直し、人類学から見たデザインと人類学の未来について考えます。

「クラフト」と「システム」という視点

導入で述べたように、デザインと人類学の関係を考えるためには、デザインとは何かという問いを避けて通ることはできません。このエッセイでは、現在のデザインへのアプローチは、19世紀の半ばから後半にかけて形をとるようになってきた「クラフト(モノづくりの技法)としてのデザイン」と20世紀半ばに登場した「システム的な見方に基づいた問題解決」の二つの拮抗の中から生まれてきたと考えてみます。

クラフト:モノづくりの技法としてのデザイン

デザインの登場は、一般に産業革命と結び付けられています。産業革命によって機械による生産が確立すると、これまで手作業で作られてきた道具、衣服、家具などの多様な製品は次第に機械によって作られたものに取って代わられていきます。デザインの歴史でよく言及されるウィリアム・モリス(William Morris)は、こうした時代背景の中で手仕事によるモノづくりを再評価した一人です。彼は、伝統的な手仕事に見られる芸術と生活の融合を高く評価するアーツ・アンド・クラフツ運動を創始しました。ここから影響を受けて20世紀初頭に誕生したのが、工芸品の持つ生活に馴染んだクオリティを工業製品にも実現しようとする近代的なデザインでした。第二次世界大戦前に確立したデザインの専門教育の主なコンセプトは、芸術や建築の技法を産業生産に応用するというものでした。

モリスが提起したクラフトの見方は工芸品を超えた広がりを持っていました。モリスは、人々が生活の中で作り、修理し、伝えてきた工芸品は、それを使ったり作ったりする社会生活と密接に結びついていることに注目しました。こうした見方は、モリスと並んで近代デザインの父と呼ばれるジョン・ラスキンの思想から影響を受けています。両者の見方は、のちに伝統社会を研究する人類学によって再確認されることになります。19世紀末から20世紀にかけて社会科学が発達してくると、当時の非西洋社会(植民地)や農村で研究を行なった人類学者や社会学者たちは、まさに生活と結びついたモノづくりや農業の研究を行うようになります。その後、これらの研究は人間の行為に関する理論の発展に影響を与えていきます(後述)。つまり、概念としてのクラフトは、工芸品のような人工物だけでなく、それを使ったり作ったりする人間行為の理論とも結びくようになるのです。

システム:問題解決としての/の中のデザイン

一方、1960年代には、デザインを科学的な問題解決の方法と考える見方が登場してきます。その鍵になるのは、社会や組織を相互作用する諸要素が結びついたシステムとして捉え、そのパターンを数理的に解析しようとするシステム理論です。この見方を最初に提起したのは、認知科学者で組織論の研究者であるハーバート・サイモンでした(1999)。サイモンは、「現在の状態をより好ましいものに変えるべく行為の道筋を考案する」というデザインの定義によっても広く知られています(1999: 133)。ただし、サイモンが想定していたデザインの担い手はエンジニアでした。

彼にとってデザインとは新たな事業や製品を計画的に創出することでした。これは、デザインという語の本来の意味に近い解釈です。例えば、Oxford English Dictionary は、デザインという語の第一の意味として「その後実行されることを意図されて考案された計画やスキーム」をあげています。サイモンはその著書『システムの科学』で、この計画立案に当時発展目覚ましかったコンピュータをモデルとしたシステム論的な枠組みを応用しました。そのアイデアは本質的には数学的で、サイモンは普遍的な手続きによって複雑な状況を考慮した新たな計画を合理的に作り出すことができると主張しました。これが、本稿でいうところの「システムとしての見方」に基づくデザインの原点です。

この見方は現在広く受け入れられている「デザイン思考」に受け継がれています。デザイン思考は、システム的思考を用いた問題解決という視点を産業デザインの手法と結びつけたものです。それが目指しているのは、ユーザーや社会が抱える潜在的な課題を発見し、製品やサービスという形で解決することで、企業に収益をもたらすことです。

二つの側面の共存と拮抗

現在のデザインにおいて「クラフト」と「システム」は、一定の緊張関係の中で共存しています。前者は、「手を動かす」仕事であり、デザイナーが実際にプロトタイプをつくったり、ワークショップを組織したり、問題を視覚化したりすることに関わっています。その意味で現代でもデザインは、実際に何かを作ったり考案したりするクラフト的な実践を中心にしています。一方、システム・アプローチは、デザインを「問題解決」として捉えるデザイン思考の要になっています。デザイナーは、社会課題を解決しようとしたり、組織を変革しようとしたりするときしばしばサイモンが提案したようなシステム論的な見方を用います。つまり、「システム」という概念は、デザイナーがデザインの現場を超える広い問題を理解する際の理論的な道具となっています。

しかし、ややこしいことに学術研究の文脈では、システムとクラフトは対立するものと考えられてきました。社会科学では「モノづくりの技法」としてのクラフトは、日常生活の中での人々の創意工夫を強調する行為のモデルと見なされてきました。一方、社会科学でも自然科学でもシステムは、情報やエネルギーなどを互いにやりとりする要素が結びついたものと定義されます。特にこの分野で支配的な工学的、自然科学的な理解では、システムは数理モデルによってシミュレーションしたりすることができるものです。サイモンのデザイン論は徹頭徹尾こうした考え方に基づいていました。この見方では、具体的な状況に左右される人々の行為や情動などはうまく捉えられません。つまり、クラフトとしてのデザインが強調してきた美的な経験や印象、モノづくりの技法などは、システムとは相入れないものなのです。では、どのようにしてこのように相入れない見方が、デザインの実践の中で共存するようになったのでしょうか?

実は、デザイン思考の成立の背後には、クラフト的な立場に立つ人類学によるシステム批判があります。皮肉なことですが、この批判によって、クラフト的な技法であるデザインが、情報システムやインターフェイス、組織のデザインに導入されるようになったのです。次に、デザイン思考を出発点としてこの関係を見ていきましょう。

現代デザインにおける人類学との協働

デザイン思考

クラフトとシステムというデザインの二つのオリエンテーションを、人類学がどのように媒介しているのかを考える上で、デザイン思考は格好の出発点です。デザイン思考は、デザイン会社 IDEO によって開発された手法で、その共同創業者であるトム・ケリーはデザイン思考を世に広めた著述家でもあります。デザイン思考は、デザインを課題解決の過程として最大限に広く捉え、その射程は、1)課題を探し出す探索的なリサーチ、2)プロトタイピング、3)組織内での障害の克服、4)組織文化の変革にまで及びます。ケリーが共著した『イノベーションの達人』(ケリー&リットマン 2006)は、十人のペルソナを通してこの過程をわかりやすく説明しています。

本書の最初の章に登場するのが人類学者です。ここでは人類学者は、日常生活を観察し、そこに隠された課題を発見してくるエクスパートとして描かれています。人類学者による問題の発見と、この問題をデザイナーがさらに深く探求するプロトタイピングについて次の章は、リサーチに基づいて現実社会の問題を掘り起こし、それにクリエイティヴな方法でアプローチするというデザイン思考のエッセンスを集約していると言えます。そこでは実際にフィールドに赴いて人々と対話し、それに共感することで問題を発見する人類学者の能力と、手を動かしながら解決策のアイデア考案するデザイナーの能力の間に強力なシナジーがあることが示されています。

この二つの章は、IDEOがシステム論的な問題解決というサイモン的なアプローチをいかに独自の方法へと翻訳したかを物語っています。『システムの科学』は、新たな製品や生産プロセスの設計といった明示的ですでに合意された課題を想定し、それを計算論的に解決することを目指していました。一方、デザイン思考においては、問題はまず人類学者という特殊なエキスパートによって日常生活の中から発見されます。さらにこれらの問題は、「空港のそばの地下鉄の改札口が狭くてスーツケースが通れない」といった日常的でありふれたものです。ケリーらは、このようなささやかな問題が実は大きなビジネスとつながっていること、それらの問題を解くには、大規模な計算に基づく合理的計画より、素早くインフォーマルなプロトタイピング—クラフトとしてのデザインの技法—が適していることを示しました。ここでは、人類学という特殊な手法が発見する課題と、デザイン的な手法による解決はセットになっています。

ゼロックスPARC:システムデザインと人類学の活用

では、なぜ人類学なのでしょうか?『イノベーションの達人』の書き振りからも明らかなように、人類学をデザインのためのリサーチに活用する方法は、IDEOのオリジナルではありません。すでに当時のカリフォルニアのIT産業では、このような人類学とデザインのコラボレーションは広く行われていました。デザイン思考は、情報システムのデザインですでに一般化していた人類学との協働を社会的な課題解決という枠の中に取り込んだのです。ではなぜ、人類学が情報技術のデザインに活用されるようになったのか?この背景を見ていくと、デザイン、人類学、そしてコンピュータ科学との間の複雑な関係が見えてきます。その舞台となったのは、人類学を最初にデザインに活用したと言われるゼロックスPARCです。

PARCは現在のパソコンの基本アーキテクチャやユビキタス・コンピューティングの概念を生み出した重要な研究所です。その中でも、PARCで始められたコンピュータ科学と人類学のコラボレーションは、システム的なアプローチに基づいて考案されたコンピュータが、人々の日々の実践の中にどのように入り込むのかというデザインにとって重要な問いを提起するものでした。

道具としてのコンピュータ

従来、大規模な工学系の研究室で用いられる道具だったコンピュータは、1970年代末になると次第に一般のオフィス等に進出するようになっていきます。こうした中、これまでの道具にはなかった問題が生じてきます。コンピュータは独特の二重構造を持つ機械です。それは、基層的なレベルでは電子計算機であり、単純な論理演算を高速で繰り返す機械です。一方、こうした情報処理を英語に似せて作ったプログラミング言語と結びつけることによって、人間からの指示を受けて様々な作業を行う汎用的な道具となります。この二つのレベルは互いに独立しており、プログラマーは電子工学的な知識がなくても機械に指示を与えることができます。さらに、プログラマーが作成したアプリケーションを用いる人は、プログラミング言語を知らなくても、プログラマーが作成したユーザーインターフェイスを通して機械に作業を命じることができます(カーニハン 2020)。このようにコンピュータは独特の階層的な構造を持っており、ユーザーの視点から見ると道具が実際に動く技術的なプロセスは隠されています(Dourish 2001)。

ローテクな機械、例えば自転車と比べてみるとコンピュータの特徴はさらに際立ってきます。ほとんどの人にとって、自転車がどのように作動するのかはそれを外からよく観察すれば理解することができます。その点で、自転車のような古典的な機械は、ノコギリや鍋のような基本的な道具とそれほど違いがありません。一方、コンピュータが作動するプロセスを外から理解することは不可能です。また、ノコギリや鍋といった単純な道具の場合、道具と人の相互作用のあり方は、例えば柄の形状や刃先と柄のバランスのような道具全体の形と密接に結びついています。一方、コンピュータの場合、道具としての形は単なる四角い箱なのでユーザーに対して特定の使い方を指定するわけではありません。ユーザーとの相互作用は画面上のグラフィック・インターフェイス、入力機器であるマウスとキーボードという限られたチャンネルを通して起こります。このことは、コンピュータと人間の相互作用は他の道具と比べると限定的で高度に人工的な形でしか生じないことを意味しています(Dourish 2001)。

コンピュータと職場の混乱

コンピュータがオフィスに登場するとコンピュータの持つこうした性格は様々な問題を生じさせます。通常の道具とは異なり、その内側での動作が隠されたコンピュータを、人々はこれまでの道具のように扱うことができなかったのです。1980年代に、その中でも特に有名な問題がゼロックスのコピー機を巡って生じました。ゼロックスが当時開発した最新型のコピー機は、ユーザーに操作の仕方を教えるコンピュータによるインストラクション機能を備えていました。最もユーザーフレンドリーな機械であるはずのこのコピー機は、しかしながら最もユーザーとの間にトラブルを引き起こしたコピー機でもありました。ユーザーはしばしばコピー機が出す指示の意味を理解できず、複雑なコピーを行うための手順を最後までやり通すことができなかったのです(Suchman 2007)。

この問題を解明する役割は PARCに課せられることになります。そのための特別チームが編成され、コンピュータ科学者とともに当時PARCでインターンとしてフィールドワークをしていた人類学者のルーシー・サッチマンがそこに加わることになりました。サッチマンは同僚と協力しながらコピー機とユーザーの相互作用を観察するためのビデオ分析の方法を編み出しました。現在、YouTubeで視聴することができるこのビデオでは、PARCの著名なコンピュータ科学者が二名ひとチームになってコピー機が提示するインストラクションに従って本を丸々一冊コピーしようとしています(そして失敗します)。サッチマンは、二人一組のチームでコピーをとってもらうことによって、一人であれば表に出ることのない人々の考えが二人の間の会話という形で観察可能になると考えました。この会話とビデオの分析に基づいて執筆されたのが『プランと状況的行為』です。

『プランと状況的行為』

この本は、コンピュータと人間の相互作用についての考え方に大きな転換をもたらしました。ゼロックスのコピー機のインストラクション機能は、ユーザーをコピー機の内部機構と同じく、他のコンポーネントとインプットとアウトプットで繋がれたシステムの一要素とみなしていました。ここではユーザーは、コピーを取るという目的を、パネルを操作したり、本をコピー機の適切な場所に置いたりする一連の段階を経て達成しようとすると想定されています。このように最終的な目的につながる一連の段階をサッチマンは「プラン」と呼んでいます。コピー機のインストラクション・システムは、ユーザーがプランのどの段階にいるのかを、ユーザの行為(ボタンを押すことなど)から察知し、適切な情報を画面に表示してユーザーをガイドします。

一見すると極めて単純な仕組みに見えますが、ユーザーにとっては、インストラクション・システムが何を伝えようとしているかを理解することは極めて困難でした。サッチマンは人間同士の会話と人間とインストラクション・システムとのやりとりの比較を通して何が問題かを描き出していきます。人間同士の会話では、会話のパートナーたちは今話題になっていることが何に関わる問題なのかを、視線や指差しなどを通して繰り返し示しています。つまり、「原稿を置いてください」というような言葉による指示の意味は、原稿を置く場所を見る視線などによって現場の周辺環境と結びつけられ明確化されるわけです。このような明確化が必要なのは、言葉による指示が具体的な場面で何を意味するのかはしばしば曖昧で、それだけでは特定化できないからです。

一方、コピー機はこうした周辺環境に関わる情報にアクセスすることができません。コピー機はユーザーの行動についての情報を、キー(ボタン)による入力や扉の開閉といったコピー機自体のパーツの動きを介して入手します。これらの情報は、事前にデザイナーが用意したコピー機操作のプランと比較され、ユーザーがその中のどの段階にいるか判断され、適切な画面表示が出力されます。しかし、システムは、ユーザーがボタン操作した順番といった自らへの入力に係る情報しか入手できないため、一旦ユーザーが操作を間違えたり別の操作を行ったりすると、しばしばユーザーがプランのどの段階にいるのかを誤って推定してしまいます。また、コピー機は、ディスプレイに表示したメッセージが、その直前にユーザーが行なった行為とどう関連するのかを柔軟に伝えることもできません。その結果、コピー機が与えるメッセージはしばしば混乱を招く元となり、ユーザーは指示に従ってコピーを終了することに失敗してしまいます。

日常的行為のロジックとコンピュータ

サッチマンの研究は、インプットとアウトプットによって要素間の関係を制御するというシステム工学的な視点ではユーザーと相互作用する機械を設計することはできないことを示していました。システムのロジックと人々の日常的な行為のロジックは本質的に異なっており、前者に従ってデザインされた人工物は後者に基づく人間の行為と噛み合うことができないのです。人と人の相互作用では、その行為が何なのかということがしばしば視線や身振りなどの形で相手に伝えられます。例えば、朝一番で同僚に話しかけようとする場合、「おはよう」と声をかけると同時に、手振りや相手の視線を捉えようとする目の動きによって、「今私はあなたに話しかけようとしている」ことを表示し、注意を引きます。つまり、人間の行為(例えばあいさつ)の場合、その行為の目的や性格が何なのかが、行為そのもののプロセスの中に見える形で表示されています(Dourish 2001)。

一方、システム・アプローチでは、人間と機械はキーの入力や扉の開閉といった一義的で明確に定義された入出力関係によって相互作用すると考えられています。この狭いチャンネルでは、上記のような行為(「おはよう」という発話)に付随する形で発せられ、それがあいさつであることを示す周辺的な情報は捉えることができません。システム・アプローチは人間の相互作用を考える上では根本的に不適切なのです。

さらに、コンピュータ科学者でエスノグラファーの Paul Dourish(2001)はこの問題をデジタル技術の根本的な問題と考えています。人間の行為と同じことは古典的な道具にもある程度言えます。先に述べたように自転車の動作が何をしているかは、チェーンやギアやペダルの回転という見た目を通して表示されているわけです。一方、コンピュータの場合、コンピュータが実際に行っている行為とそれについての見た目(インターフェイス)は基本的に分離されています。コンピュータが今何をしているかは、それをわざわざ表示する特別なインターフェイスの変化がなければユーザーには伝わりません。このことがコンピュータに特有のデザイン上の問題を引き起こします。コンピュータは、普通の道具や人間の相互作用のように「それが今何をしようとしているのか」についての情報を自然に(付随的に)発信することができないのです。コンピュータが「何をしようとしているか」という情報は、特別にデザインされたインターフェイスを通して発信する必要があります。

1990年代になると、サッチマンが提起した問題に関する研究が人類学、認知科学、コンピュータ科学の境界領域で盛んに行われるようになります。これらの研究は共通して、人間の社会的な行為を工学的なシステムとして記述したりデザインしたりすることはできないことを示していました。人は、常に変化する状況に合わせて柔軟に行為を変化させたり、特に事前の計画がなくても互いの行動を調整して協働したりすることができます。これらは、事前に設定されたプランのもとでインプットとアウトプットを判断して作業を進行する工学的なシステムモデルとは大きく異なっています。このような両者の違いによって、日々の実践の中にコンピュータを導入することがさまざまな困難を引き起こされてきたのです。

その後登場したインタラクション・デザインやUXデザインは、これら人類学的な研究が提起した問題をクラフトとしてのデザインの手法を用いて解決しようとする中から生まれてきました。後編ではUXデザインの黎明期を取り上げて、クラフトとしてのデザインと人類学の関係をさらに深掘りしていきましょう。


謝辞
本稿の基本的な視点であるクラフトとシステムという視点は、中野佳裕さん(立教大学)と水内智英さん(京都工芸繊維大学)との会話から着想を得ました。ここに記して感謝します。

【参照文献】

Buxton, Bill(2007)Sketching User Experiences. Morgan Kaufmann.

カーニハン,ブライアン(2022)『教養としてのコンピュータサイエンス講義 第2版』(酒匂寛ほか訳)日経BP.

Dourish, Paul(2001)Where the Action is. MIT Press.

エスコバル、アルトゥーロ(2024)『多元世界へ向けたデザイン』(水野大二郎ほか監訳),BNN.

Hutchins, Edwin(1995)Cognition in the Wild. MIT Press.

ラスキン、ジョン(2019)「ゴシックの本質」『ベネチアの石』(井上義夫編訳),みすゞ書房. 

ショーン、ドナルド(2007)『省察的実践とは何か』(柳沢昌一,三輪建二監訳),鳳書房. 

サイモン、ハーバート(1999= 1969)『システムの科学』(稲葉元吉,吉原英樹訳)パーソナルメディア.

Suchman, Lucy(2007)Chapter 1: Readings and Responses. In Human-Machine Reconfigurations. Cambridge University Press.

サッチマン、ルーシー・A(1999)『プランと状況的行為』(上野直樹ほか訳),産業図書. 

ケリー、トム&ジョナサン・リットマン(2006)『イノベーションの達人!』(鈴木主悦訳),早川書房.

Spuybroek, Lars(2020)The Sympathy of Things, 2nd edition. Ava Pub Sa.

森田敦郎(もりた・あつろう)
大阪大学人間科学研究科で科学技術の人類学を担当。また、大阪大学の100%子会社である大阪大学フォーサイトで取締役およびリサーチ技法の講師を務めている。専門は、大規模技術システムであるインフラストラクチャーと環境の関係についての研究。現在は、気候変動と日常生活をエネルギーや物流のインフラストラクチャーがどのように媒介しているのかを研究している。また、インフラストラクチャーと社会の関係を作り替える手法としてのデザイン人類学の研究も行なっている。

Credit
企画
中塚大貴

空間デザイナー、リサーチャー。株式会社ツクルバにて空間デザインと不動産事業企画に携わる傍ら、webメディアでの企画や執筆を行う。デザインのなかの無意識、デザインの外側の可能性に興味があります。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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