人類学の「消費」から「政治的想像力」へ──人類学者・森田敦郎【連載:デザインと人類学のフィールドノート】

エスコバルらが提唱するデザイン人類学は、「異なる社会」を目指す政治的想像力の中にデザイナーたちを招き入れようとしています。

Design and Anthropology

以前からデザインと人類学は互いの知を交換し、刺激を与え合ってきた。デザインが機会発見として人類学の手法を用いれば、人類学はデザイン実践を対象とする調査を行う。また近年では、人類学者がデザインの現場に参画する「デザイン人類学」の可能性も耳にするようになっている。

両者がともに幅広い対象を持つからこそ、多様な接点が生まれている。そう考えれば、上述したものにとどまらない、多様な実践と学びが繰り広げられているのかもしれない。

連載「デザインと人類学のフィールドノート」では、デザインと人類学が接近する領域で実践や研究に取り組む人々が、そこをどのように歩み、なにを感得したのかを探索する。「フィールドノート」と称したように、明確な結論を出すことが目的ではなく、この領域が持つ可能性を広く取り上げていく。

第2回に寄稿してもらったのは、大阪大学教授で人類学者の森田敦郎氏。「クラフト(モノづくりの技法)」と「システム的な見方」というデザインの二つの側面を切り口に、デザイン、人類学、コンピュータ科学の三者関係について前後編でお届けする。

前編ではルーシー・サッチマンの仕事を例に、コンピュータと人間の相互作用の人類学的研究がシステム・アプローチの限界を指摘したことを紹介しました。

人類学はいかにしてデザインと協働するようになったのか?ゼロックスPARC、IDEOから紐解く──人類学者・森田敦郎【連載:デザインと人類学のフィールドノート】
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後編では、人類学のこのような批判的な知見がクラフトとしてのデザインの再登場にどのように繋がっていったのかを見ていきます。また、この再登場を、システム的な見方とクラフト的な実践が拮抗してきた近代化の歴史の中で捉え直していきます。

前編で取り上げたシステム的なアプローチは、かつてはクラフト的な技法に基づいて組織されていた生産活動や組織を計算論的にデザインし直すことを目指していました。サイモンのデザイン科学はその代表です。一方、サッチマンの研究で見てきたように、人類学はこうした運動を批判し、日常的な実践の原理は計算論的なモデルに還元できないことを示してきました。後編では、人類学によるクラフト的実践の擁護の中から、デザインと人類学の深い結びつきが生まれてきたことを見ていきましょう。

UXデザインの登場

デザインと人類学の結びつきのきっかけになったのは、人類学的なシステム批判をデザインの手法と結び付けようとする「人間中心デザイン」の登場でした。このアプローチの提唱者で認知心理学者のドン・ノーマン(1990)は、人類学的な研究も参照しながら当時支配的だったシステム的なデザインへの見方を大きく修正し、人間の日常的な行為の性質に合わせたデザインを提唱しました。ノーマンが認知心理学者だったことからも分かるように、人間中心デザインのもととなった1990年代の研究の主役は認知心理学者、コンピュータ科学者、人類学者、社会学者などで、専門的な美術教育を受けたデザイナーはほとんど関わっていませんでした。

美術大学で訓練されたデザイナーが表舞台に登場するのは、こうした学際的研究の知見を実際のインターフェイスのデザインに応用しようとする段階になってからでした。同時代的な観点からこのプロセスを生き生きと描き出している本に、ユーザー経験デザイン(UX)の教科書である Sketching User Experiences があります。この本の著者のビル・バクストンは、音楽の学位をとった後、電子音楽の研究を通してコンピュータ科学を学び、アートをベースにしてインターフェイスの研究を行ってきた研究者です。主にタッチパネルなどの技術に関して顕著な研究業績があり、マイクロソフトなどのIT企業経営にも携わってきました。

「野生の認知」から「野生のデザイン」へ

Sketching User Experiences の出発点は、まさにサッチマンが行ったような職場での実践の人類学的研究でした。バクストンが特に大きな影響を受けたのは、人類学者のエドウィン・ハッチンズによるアメリカ海の軍艦の操舵室の研究 Cognition in the Wild (Hutchins 1995)でした。この本でハッチンズは大型艦船のナヴィゲーションのような高度な認知的な作業は、個々人が「頭の中で」行うものではなく、一緒に働くチームの共同作業とそこで用いられる道具(コンピュータではなく海図やコンパスのような古典的な道具)の中に分散していることを示しました。大型艦船のナヴィゲーションは、周辺のランドマークを観測し、それとの位置関係で船の現在位置を特定する作業です。これは形式的に分析すると角度や距離から現在位置を特定するための高度な計算を含んでいます。しかし、実際の作業で紙と鉛筆や電卓によって計算が行われることはありません。計算は、ランドマークを観測し進行方向からの角度をはかる観測係、その報告を受けて台帳にランドマークとの角度を記録する記録係、それらの記録をもとに海図上に線を引いて現在位置を特定する作図係などの間の共同作業の中で行われます(ハッチンズ 1992)。ここでは、腕時計を使った時間の計測、対象物の角度を測る特殊な望遠鏡、地図、コンパス、鉛筆といった古典的な道具がチームの共同作業の中で効果的に組み合わさることで、複雑な計算がスムースに実行されます。さらにハッチンズは、このような物理的な道具の長所を指摘します。これらの道具を使った実践では、身体的な共同作業の中で情報が幾重にも共有されます。そのため、エラーを事前に検出することが容易く、事故や突発事態に対しても復元力があるのです。ハッチンズは、この安定性は、現在の航海術が大航海時代から長い年月をかけて発展してきた事実に根ざしていると指摘しています。

バクストンはこの様子に強い印象を受けました。彼は、真の意味で使いやすく安全なシステムは、この航海術のような社会的で歴史に根ざしたものでなければならないと主張します。そのためには、コンピュータは身体を持った人間が具体的な空間の中で行う活動の中の一部になる必要があります。Sketching User Experiences でバクストンは、デザインの本来の対象は個別のデバイスではなく、ハッチンズが描いたような共同作業のエコロジーそのものであると考えました。そしてこのようなデザインを「野生のデザイン」と呼びました。

プロダクトデザインとユーザー経験

 「野生のデザイン」を実践するためには、コンピュータとインターフェイスについての考え方を全面的に改める必要があります。それまでのコンピュータは画面の表示を通して人間と情報のやり取りをしてきました。そのため、インターフェイスやソフトウェアのデザインでは画面を超える広がり──例えば職場の組織や共同作業のエコロジー──を念頭に置くことはありませんでした。これに対して、ハッチンズが描き出した野生のシステムは望遠鏡やコンパス、定規のような道具の物質性を通して人々の身体と相互作用し、職場の空間と社会組織の中に位置づけられています。このような共同作業のエコロジーをデザインする第一歩として、バクストンはハッチンズが取り上げたようなフィジカルな道具が古典的なプロダクトデザインの対象だということに注目します。優れたプロダクトデザイナーは、ユーザーがその製品をどのような目的と文脈の中でどのように使うのかを理解した上で、この作業の経験が豊かになるように道具をデザインします。つまり、プロダクトデザインは、ハッチンズが述べたような人々の活動のエコロジーを昔から考慮に入れてきたと言えます。

こうした視点から、バクストンはソフトウェアのデザインの基盤をコンピュータ科学からプロダクトデザインへと転換させることを主張します。本書の興味深い点は、自身もアーティストであるバクストンが、プロダクトデザインの手法の内側に入り込んで、それが工学的な手法とどのように違うのかを詳細に検討しているところです。その際に彼はデザインの実践において中心的な位置を占める視覚的な思考に注目します。ここでいう視覚的な思考とは、主にスケッチを描くことによって対象を非言語的な方法で分析し、操作する独特の技法です。スケッチや図面、製図が持つ知的な側面に関する研究は、1970〜90年代に心理学者、人類学者、技術論の研究者によって進められてきました(Goody 1977; ファーガソン1995)。バクストンはこうした知見を活用しつつ、デザインのアイデアをまとめるにあたってスケッチがいかに有効であるかを豊かな具体例を通して論じています。

サッチマンやハッチンズといった人類学者たちがデザインにおけるシステム工学的なアプローチの限界を指摘したとするならば、バクストンはこの批判を乗り越えるためにクラフトとしてのデザインが果たす役割を提示したと言えるでしょう。サッチマンは日常的な行為が高度にスキルフルなものであることを示し、ハッチンズはそれが人工物と組織、行為の間の関係のエコロジーの中にあることを描きました。バクストンはそれを踏まえて、日常生活の中で人々がこなす高度なチームワークとそれを支えるテクノロジーや組織の総体を作り出すのがデザインの目的だと主張しました。そして、そのための方法としてプロダクトデザインとそれに固有な視覚的な思考を全面に押し出しました。システムとしての見方に基づくコンピュータのデザインとそれに対する人類学的批判を経て、ついにクラフトとしてのデザインが主役に躍り出ることになったのです。

クラフトをめぐる攻防

ここまでみてきた流れは、戦後のデザインの歴史的な展開の中で考えることもできます。この視点から見ると、ユーザー経験デザインにおけるクラフトとしてのデザインの再評価は、戦後一貫して続いてきたシステム的な見方とクラフト的な実践の間の相克の一局面として捉えることができます。1960年代以降のアメリカの大学では、工学、建築、デザイン、医学、看護などの専門職教育課程が急激に科学を中心としたカリキュラムへと再編されていきました。それまでこれらの課程では現場の実践の技法(クラフト)を体得することに比重が置かれていました。戦後主流になった科学主義的なアプローチは、これらを科学的知識の学習や実験、合理的な計画法などに置き換えていったのです。サイモン(1999)のデザインの科学は、計算論的な方法を援用することで科学化をさらに進めるものでした。

1980年代になると、専門職教育の急激な科学化への懸念はさらに高まってきます。これに対して哲学者で都市デザイナーのドナルド・ショーン(2007)は、科学化のトレンドがアメリカの専門職の基盤を掘り崩していると警告し、専門職のクラフト的なスキルの重要性を擁護しようとしました。彼はデザイン、建築、精神分析、都市計画などのエスノグラフィックな研究に基づいて、専門職の実践の持つ独自の原理を明らかにしました。ショーンによれば、一般的な法則を当てはめる科学とは対照的に、専門的な実践は目の前の事例や状況の固有性を重視する性質を持っています。それぞれの職業は理論やルール、デザインパターンなどのツールを蓄積しています。しかし、こうしたツールはそのまま課題に押し付けられるのではなく、常に個別の課題の状況に合わせて変化させられます。例えば斜面に建物を建てるという課題に直面して、建築家はいくつかある手持ちの建物配置のパターンを具体的な斜面に仮説的に適用してみます。その結果、斜面の状況は変化します。建築家はこうして生じた変化がデザインの視点から好ましいかどうかを判断し、そのパターンをさらに変化させたり、破棄したりします。ここでは建築家の手持ちのデザインパターンと斜面は相互作用の中でともに変容していきます。

ショーンの専門職論は、サッチマンやハッチンズの研究と重要な点で共通しています。これらの研究はともに、日常生活や専門的な課題達成のための実践が柔軟で状況適応的な性格を持つことを強調しています。この適応的な性格はシステムアプローチがなぜうまくいかないかを説明しています。状況に合わせて即興的に適応する実践は、システムアプローチが依拠する事前に決められたルールや計算方式によっては捉えることができません。つまり、日常生活が即興的で適応的だとするならば、日常生活で用いられる道具やコンピュータを純粋にシステム論的な視点からデザインすることはできないと考えられます。

再帰的なクラフトの価値

ショーンの議論はさらに、クラフトをめぐって19世紀から続く一連の論争の中に位置付けることもできます。産業革命から現代に至るまでクラフト的な実践は一貫して合理的な計画や機械によって置き換えられてきました。デザイン史でもお馴染みのラスキンやモリスはともにこうした動きが始まったばかりの時代に合理化の趨勢に逆らってクラフトの再評価を試みました。20世紀の人類学も、農業や工芸、先住民の技術のようなクラフト的な実践に関心を持ち、そこから産業社会を批判的に捉えていました(ボアズ 2013; マリノフスキ 2017)。

サッチマンやショーンによるシステムアプローチの批判は、こうした長い伝統の中に位置付けることができます。彼らは、クラフト的な実践が建築やデザイン、看護といった近代的な専門職にとって不可欠であり、オフィスや工場での日常的な仕事の特徴でもあることを指摘しました。このように近代社会の中にクラフトを再発見する姿勢は、1980年代になると人類学で支配的になっていきます。例えば、ブルーノ・ラトゥール(2007)らは近代的な制度の典型である科学の中にもクラフト的な実践を見出していきました。実験室の科学者もまた様々なスキルや状況的判断を駆使して、研究対象のサンプル、試薬、測定機器、ノート、グラフなど多数の道具類を活用しながら科学的知識を生み出しています。実験室の科学はまさにクラフト的な実践そのものです。

さらに、このようなクラフトへの関心と並行して、同時期の人類学は自らの実践をクラフト的な実践として捉え直すようになっていきます。1980年代半ばに人類学で高まった民族誌批判は、人類学者がフィールドワークをし、フィールドノートに記録をつけ、データを整理し、論文を執筆するという過程に光を当て、人類学の研究自体をクラフト的な実践として捉え直しました(マーカス&クリフォード 1999)。クラフト的実践としての人類学という視点は、のちに人類学がデザインや建築との間に関係を深めていく際に中心的な役割を果たします。例えば、インゴルド(2017)はアート、建築、人類学、考古学が、クラフト的な実践として多くの共通点を持つことを指摘しています。この視点はデザイン人類学の登場に大きな影響を与えました(Gunn and Donovan 2012)。

ここに見られるように、クラフト的な見方の一つの特徴は、その再帰性・反省性(reflexivity)です。ラトゥールをはじめとする人類学者たちは専門職や科学をクラフト的な実践として描き出すと同時に、こうした知識を生み出した自らの実践もまたクラフト的なものと考え、それに基づいて新たな人類学のあり方を構想しました。ショーンによれば、このように自らの実践を反省的に振り返り再調整する能力こそがクラフト的な専門職実践の最大の特徴です。そのため、医療、看護、教育などの分野では、人類学(や社会学)がもたらした職業実践のクラフト的側面の知識が専門職教育に取り入れられてきました。例えば、文部科学省が指定する「医学教育モデル・コア・カリキュラム」には2017年から文化人類学(医療人類学)が付け加えられています。

バクストンが行ったようなUXデザインにおける人類学への注目やそれに基づくクラフト的な実践の再評価は、このような専門職全体におけるクラフトの再評価の中で理解することができます。しかしながら、デザインと他の専門職との間にはクラフトの再評価の受け止め方に大きな違いがあるようです。医療、看護、教育などの分野では免許制度との関連もあり、クラフト的な見方は専門職教育の一環として捉えられてきました。一方、デザイン業界では、人類学がもたらしたクラフト的な視点はビジネスツールとして理解されてきました。バクストンの著作や「デザイン思考」はその最たるものと言えるでしょう。

デジタル化とクラフト

とはいうものの、2000年代以降のデザインを取り巻く言説においてクラフトへの回帰は、単なるビジネスツールにとどまらない流れになりつつあります(Adamson 2009)。これらの言説は、クラフトを現代のテクノロジー環境の中心的な特徴のひとつとみなすとともに、デジタル化がもたらすテクノロジーと人々の関係の未来を探る鍵とみなしています。こうした見方はデザインをめぐる今日の批判的な思考の中で大きな影響力を持っています。

例えば、建築家のラーズ・スパウブルークは、近代デザインの祖と言われるラスキンの「ゴシックの本質」を、デジタル時代の視点に立って再評価しています(Spuybroek 2016)。ラスキンの建築論のひとつである『ヴェネチアの石』(2019)のひとつの章である「ゴシックの本質」は、それまで中世的で野蛮なものと捉えられてきたゴシック様式の美点と力強さを強調しています。ここでラスキンは、特にゴシックの素朴さと、共通性を持ちつつも多様なパターンを生み出すダイナミズムに注目します。ラスキンは、ゴシック様式の美点である多様性や素朴さは、状況に応じて構造と意匠の原則を柔軟に当てはめバリエーションを生み出していく職人たちの能力、さらにその背後にある職人たちの指導者に対する自律性の高さに依拠していると述べます。ここでラスキンが強調するのは、自律的に仕事をすることができる職人が生み出す適応的なデザインの美的価値です。スパウブルークは、ラスキンの描き出すゴシック建築のボトムアップの論理が、共通の手続きを様々な状況に適応的に当てはめることで多様なパターンを生み出すという点で、極めてアルゴリズム的であることを指摘します。その上で、デジタル時代のゴシック的なクラフトの可能性を考察しています。

このようにデジタル技術とクラフトを結びつける見方は、後述するメーカー・ムーヴメントにも共通しています。2000年代に入るとデジタル技術への見方は一転し、工学的なシステム化を体現するものから、クラフトの復活をもたらすものへと変化していきました。ここに共通するのは、デジタル技術が個々の作り手や生活者の自律性の再獲得に寄与するという主張と、この自律性がもたらすデザインの多様性が高く評価されている点です。この視点は、人類学の主張とも一致しています。2000年代に入ると人類学とデザインはともに、外的な基準で作られた計算的な合理性に対して、クラフト的な価値— 現場の状況に適応的な振る舞いの中で育まれる「自律性」 —を擁護するようになったのです。さらに、ここではクラフト的な自律性は産業化以前の過去に属するものではなく、デジタル技術がもたらす未来を指し示すものとみなされるようになりました。

消費される人類学

スパウブルークが再評価したラスキン的な自律性の価値は、しかしながら、デザイン思考をはじめとするデザイン理論の中では両義的な位置を占めています。例えば、クラフト的なアプローチを強調したバクストンの著作では、プロダクト・デザインがデジタルデバイスの開発に持ち込む価値は、あくまでも企業の収益性を維持するためのイノベーション戦略の一部とされています。冒頭の人類学の紹介の直後にアップルのデザイン経営の事例分析が続く本書の構成は、本書がビジネス戦略とデザインを結びつける書であることを示しています。このようにビジネスとデザインをタイトに結びつける構成は、デザイナーのほとんどがビジネスのために仕事をしている現実を考慮すれば優れた構成と言えるでしょう。一方で、この構成の中では、人類学が主張してきたクラフト的な価値──外部から押し付けられたプランによってコントロールされることのない人々の日常的な行為の自律性の意義──はビジネス上の目的に従属させられています。

かつてサッチマンは、シリコンバレーにおける人類学のビジネス活用の中にこのような道具主義的な傾向性を見てとり、「人類学を消費する」という論文を書いています(Suchman 2013)。そこでは、ビジネスに活用可能な人類学の一部分だけを企業が採用し、本来のメッセージが大幅に失われることが批判的に描かれています。バクストンの著作だけでなく、デザイン思考をはじめとする多くの「実務家向け」のデザイン理論はまさにこうした意味で人類学を消費してきたと言えるでしょう。さらに、ラスキンと人類学の共通点に注目すると、こうしたデザイン理論は、クラフトとしてのデザインの伝統も人類学と同じように消費してきたことがわかります。多くのデザイン論は、ビジネスのロジックのもとにデザインの実践を従属させることを疑問視していないようです。ラスキンらデザインの古典は、クラフト的な仕事の価値はその作り手の自律性にあるととらえてきましたが、こうした価値観はデザインをビジネスの高収益化の手段と考えるUXデザインやデザイン思考においては取り上げられませんでした。

デザインと人類学の未来

前編の冒頭でデザイン人類学は「新しい流行」ではなくむしろ現在のデザイン実践の背後にある歴史の一部だと述べました。コンピュータ科学と人類学の間の対抗的な関係は、デザイン思考やUXデザインに始まる一連の「デザインの拡張」をもたらした原動力となっていました。こうした視点をとると、デザイン人類学の第一波はUXデザインとデザイン思考が登場した2000年代ごろにピークを迎えたといえます。その特徴は、人類学が提起したデザインの自律性についての問いを、ビジネスのために消費することだったと言えるでしょう。

一方、第一波が生み出したUXデザインやデザイン思考が当たり前のものになった今日、再びデザインから人類学への関心が高まっています。それはなぜなのでしょうか?この新たな関心の中でデザインと人類学の関係はどのように転換しようとしているのでしょうか?

政治的想像力としてのクラフト

現在「デザイン人類学」というキーワードが指し示す関心は、調査手法としてのエスノグラフィやインターフェイスのデザインを超えて広がっています。この点は、IT産業におけるイノベーションと不可分だったデザイン人類学の第一波と大きく異なる点です。新たな関心の中では、第一波が見落としてきた自律性をめぐる問題により注目が集まっているように見えます。例えば、2018年に原著が出版されるや否や日本でも注目を集めたアルトゥーロ・エスコバル(2024)の『多元世界へ向けたデザイン』は、現在の持続不可能な世界を再デザインするために、人類学に導かれたデザインの方向転換を主張しています。ここでは、地域、コミュニティ、人々と環境との関係における「自律性」が、デザインが目指すべき新たな価値として提示されています。ここで提示される自律性は、外的な合理性や計画を押し付ける開発至上主義に抗して、自らの生存環境と社会的伝統、自治を守ろうとするラテンアメリカの先住民運動、都市社会運動の価値観にインスパイアされています。

 『多元世界へ向けたデザイン』への関心に象徴される近年の関心は、デザインのゆっくりではあるが確実な「脱ビジネス化」を反映しているように見えます。2000年代から現在にかけて、デザインはビジネス以外の領域へも進出してきました。例えば、過去10年の間にデザインを行政や公共部門に活用する動きが広まり、NPOや社会企業もふくむ公共セクターにおけるデザインの実践が広がっていきました(公共とデザイン 2023)。エツィオ・マンズィーニ(2020)のような社会変革を提唱するデザイン理論家への注目が日本でも高まり、公共的な価値を掲げるデザイン組織が数多く登場してきています。『多元世界に向けたデザイン』はこうしたデザインの新展開と人類学を結びつける著作であり、コンピュータ科学との協働と論争に彩られた2000年代までのデザイン人類学とは大きく趣を変えています。

同時に、社会運動の側でもデザインへの注目が高まってきました。メーカー・ムーヴメントやFabLabのような「つくること」を通して社会を変革しようとする運動は、まさにデザインのクラフト的な価値に注目してきました。メーカー・ムーヴメントの主導者の一人であるクリス・アンダーソン(2012: 90)は、FabLabはものづくりを大企業による中央集権的な工業の手から市民のもとに奪い返し、民主的で地域的な産業をもたらすと主張しました。その中で彼はクラフト的な工業を研究した政治経済学者のマイケル・ピオリとチャールズ・セーブルの次のような言葉を引用しています(1993: 7)。

歴史的条件がもう少し異なっていたら、クラフト的技術と柔軟な設備を組み合わせ、それを生産体制の基盤とした企業こそが、現代の経済社会の中で中心的な役割を果たしたことであろう。〈中略〉もしこの機械化されたクラフト的生産体制が普及していたとすれば、今日隣人たちとは何の関係も持たずに存在している大量生産の企業が独立の組織をなすのではなく、特定のコミュニティと深い関係を持つ製造業が一般的に成立しているはずである。

クラフト的生産体制とは、少量で多様な製品を汎用的なテクノロジー(例えば、汎用的な旋盤や3Dプリンター)を用いて生産する中小企業中心の製造業のあり方です。この体制は19世紀終わりまでの産業では主流であり、現在も特殊な機械や部品(列車や航空機、特注の産業用ロボットや金型など)、高級品やニッチな製品、地場産業や伝統産業などでは一般的な生産システムです。ピオリとセーブルはこうした少量多品種生産に適したクラフト的な技術と生産システムは、中小企業中心で地域に根ざした経済のあり方と結びついていると主張しました。彼らがこうしたクラフト的な地域経済の例として注目したのは、伝統的な製品と高いデザイン性を結びつけたイタリアや、ハイテク企業向けに高度な部品や機械を製造する日本の中小企業です。彼らは、こうした地域的な中小企業経済と、同じ製品を大量に生産して販売する大企業中心の大量生産体制を対比的に捉え、産業経済のふたつの可能な類型と考えました。

ピオリとセーブルのこの主張は、クラフトという価値が経済や政治のあり方と密接に関係していることを示しています。この著者たちによれば、職人的なクラフト工業は単に技術的に異なる(もしくは遅れている)だけでなく、現代の大企業中心で消費者と生産者がはっきりと分断された世界とは異なる社会的・経済的秩序が可能であることを示しているのです。アンダーソン(2012)がはっきりと述べているように、メーカー・ムーヴメントはこのビジョンをデジタル技術を通して成し遂げようとしているのです。

これらの議論は、クラフトを産業社会とは「異なる社会」を実現する鍵のひとつとみる一連の見方の一角を占めています(Adamson 2010)。このような見方は、ラスキンやモリスに始まり現代のメーカー・ムーヴメントに至るまで繰り返し提起されてきました。特にそこで擁護されてきたのは、クラフト的な実践を特徴づける作り手の自律性です。大企業が支配する大量生産体制と異なり、クラフト的な体制ではさまざまな作り手や経済主体が自律的なコミュニティを形成して経済活動やイノベーションを行います。デザインの視点からは、スパウブルークが述べるように作り手の自律性はデザインの多様性とダイナミズムにとって必要な条件とみなされてきました。一方、ピオリとセーブルの政治経済学は、産業社会をより地域的で分散的、つまり民主的なものに変えるために、クラフト的なモノづくりが作り手に与える自律性が重要だと強調しています。ここに見るように、クラフトに注目する社会ビジョンにおいては、デザイン的価値と政治経済的な価値が一致するものとして捉えられています。

デザインの再定位と人類学

前後編に渡って検討してきたデザインと人類学の歴史は、この政治的想像力としてのクラフトが両者の今後の関係の核心に位置することを示しています。自律的で多元的な世界のためのデザインを主張するエスコバルに代表されるように、多くの人類学者はデザインが資本主義や営利企業のツールに留まらず、作り手や生活者の自律性を擁護する実践となることを求めています。デザインの側でも同様に自律性への関心は高まっています。公共セクターのデザインからメーカー・ムーブメントまで、デザインから発した様々な運動が作り手や地域の自律性を擁護しているのはその証左です。この政治的なビジョンは、クラフト的な実践としてのデザインに内在するものだと考えられます。クラフトとしてのデザインがビジネスからの従属を脱し、自律性を高める中で自らのモノづくりの価値にふさわしい社会を求めつつあるのです。このような自律の機運が、根本的にはビジネスの一部であるデザインの主流にどのような影響を与えていくのかはまだはっきりとしません。しかし、今高まりつつある人類学への関心には、かつてのように人類学とデザイン自身を消費するのにとどまらない熱量が感じられます。果たしてデザインは、この好機を活かして自律を獲得していけるのでしょうか?

本稿では、デザインと人類学の関係を入り口にしながら、現代のデザインを規定しているクラフトとシステムの政治の見取り図を描いてきました。本稿では初期のコンピュータにおけるユーザーインターフェイスの開発という比較的狭義でビジネス的な文脈から出発し、デザインと人類学の関係を次第に広い文脈の中に位置付け直してきました。こうした視点をとることで、デザインと人類学の間の関係のコアにある政治的な想像力としてのクラフトを炙り出してきました。そこでは、クラフトが体現する自律性は、「異なる社会」を目指すビジョンの中心的な要素となっています。誰もがモノづくりをしたり修理をしたりする社会を目指すメーカー・ムーヴメントや中小企業中心の分散した経済を構想する政治経済学者たちはともに、クラフトの自律性に大量生産社会のオルタナティヴを見出してきました。エスコバルらが提唱するデザイン人類学は、「異なる社会」を目指すこのような政治的想像力の中にデザイナーたちを招き入れようとしています。

ラスキンやモリスの時代から、つくることに直接携わるデザインはクラフト的な価値を共有する諸実践の中でも特に中心的な存在でした。それゆえ、デザインの行末は持続可能性の危機を迎えている社会全体にとっても大きな意味を持ちます。クラフト的価値をめぐる問題は、デザインを実践する様々な個々人が、「つくる」という行為が孕む社会的、倫理的、技術的な問題をどう捉えていくかに関わっています。と同時にそれは、我々がどのような社会に住みたいのかという問題と密接に結びついています。デザイン人類学は、デザインの実践をこのような政治的な問いかけの中に位置づけ直す試みなのです。

【参照文献】

Adamson, Glenn(2010) The Craft Reader. Berg Pub Ltd.

アンダーソン、クリス(2012) 『MAKERS』NHK出版

ボアズ、フランツ(2013) 『北米インディアンの神話文化』(前野佳彦編・監訳)中央公論新社

Buxton, Bill(2007) Sketching User Experiences. Morgan Kaufmann.

エスコバル、アルトゥーロ(2024)『多元世界へ向けたデザイン』(水野大二郎ほか監訳),BNN新社

ファーガソン、E. S.(1995) 『エンジニアの心眼』平凡社

Goody, Jack(1977) The Domestication of the Savage Mind. Cambridge University Press.

Gunn, Wendy and Jared Donovan(2012) Design and Anthropology. Routledge.

ハッチンズ、エドウィン. 1992. 「チーム航行のテクノロジー」『認知科学ハンドブック』

Hutchins, Edwin(1995) Cognition in the Wild. MIT Press.

公共とデザイン(2023) 『クリエイティブデモクラシー』BNN新社

ラトゥール、ブルーノ(2007) 『科学論の実在』産業図書

マリノフスキ、ブラニスワフ(2010) 『西太平洋の遠洋航海者』(増田義郎訳)講談社

マンズィーニ、エツィオ(2020) 『日々の政治』(安西洋之・八重樫文訳)BNN新社

マーカス、ジョージ&ジェームズ・クリフォード編『文化を書く』(春日直樹ほか訳)紀伊国屋書店

ノーマン、ドン. 1990.『誰のためのデザイン』新曜社

ピオリ、マイケル&チャールズ・セーブル 1993 『第二の産業分水嶺』筑摩書房

ラスキン、ジョン(2019)「ゴシックの本質」『ベネチアの石』(井上義夫編訳),みすゞ書房.

ショーン、ドナルド(2007)『省察的実践とは何か』(柳沢昌一,三輪建二監訳),鳳書房.

サイモン、ハーバート(1999= 1969)『システムの科学』(稲葉元吉,吉原英樹訳)パーソナルメディア.

Spuybroek, Lars(2020) The Sympathy of Things, 2nd edition. Ava Pub Sa.

Suchman, Lucy(2013) Consuming Anthropology. In Interdisciplinarity, edited by Andrew Barry and Georgina Born. Routledge.

森田敦郎(もりた・あつろう)
大阪大学人間科学研究科で科学技術の人類学を担当。また、大阪大学の100%子会社である大阪大学フォーサイトで取締役およびリサーチ技法の講師を務めている。専門は、大規模技術システムであるインフラストラクチャーと環境の関係についての研究。現在は、気候変動と日常生活をエネルギーや物流のインフラストラクチャーがどのように媒介しているのかを研究している。また、インフラストラクチャーと社会の関係を作り替える手法としてのデザイン人類学の研究も行なっている。

Credit
企画
中塚大貴

空間デザイナー、リサーチャー。株式会社ツクルバにて空間デザインと不動産事業企画に携わる傍ら、webメディアでの企画や執筆を行う。デザインのなかの無意識、デザインの外側の可能性に興味があります。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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