批評性から生まれる「物議を醸す」デザイン──京都工芸繊維大学・水野大二郎:連載『デザイン教育の現在地』

「価値観が書き換わった人生」を学生にもたらすこと──それが本来の教育の目的であるはずだ、と水野は語る。

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「デザインが簡単ではなくなった世界にいかに応答するか。それが、いま僕たちが向き合っている問いだと思います」

国内の第一線で活躍するデザイン研究者・水野大二郎は、そう口にする。

デザインとは何か、デザイナーはどうあるべきか。対象領域が拡大し、身につけるべきと言われるスキルも加速度的に増えている中、デザイン教育の現状と展望を問う連載「デザイン教育の現在地」。

今回話を伺ったのは、京都工芸繊維大学教授、未来デザイン・工学機構副機構長の水野大二郎だ。

直近3年間だけでも、水野は『サーキュラーデザイン』(2022年)『サステナブル・ファッション』(同年)『フードデザイン』(同年)『多元世界に向けたデザイン』(2024年)と、サステナビリティに関係する重要な書籍の出版や監訳に携わった。同時に、ファッションテックのスタートアップ「Synflux」との協業や、循環のデザインを研究・実践する団体「Circular Design Praxis」の立ち上げなど、大学外での活動にも積極的に取り組むなど、次々に活動を展開している。

また、2008年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートで博士号を取得した水野は、「クリティカルデザイン」や「スペキュラティヴ・デザイン」といった概念を日本国内でも早い時期から論じてきた、“批判的な問いを投げかけるデザイン”の先駆者でもある。

そんな水野は、現在のデザイン教育とこれからのデザイナーが向かうべき先をどのように考えているのだろうか。

ありうる世界を複数化する、思考訓練としてのデザイン教育

京都府左京区・鴨川の源流、高野川のほとりに一風変わった国立大学がある。

「学生の街」と呼ばれる京都は、人口の約10%を学生が占める。そして、決して広いとは言えない範囲に美術大学がひしめき活発に交流しあう。そんな界隈で、近年卒業生の活躍を耳にする機会が多くなったのが京都工芸繊維大学だ。

特筆すべきは、同大学内に2014年にデザインと建築を柱とする領域横断型の教育研究拠点として設立された「KYOTO Design Lab」。世界中からデザイン研究者や著名デザイナーを招聘した研究活動や、大学外との積極的な協業も交わすプラットフォームとして設立されている。

その中で存在感を放っているのが、KYOTO Design Labが所属する「未来デザイン工学機構」の副機構長・デザイン学者の水野大二郎だ。

サステナビリティとデザインに関連する数々の書籍刊行や活動を展開する水野の影響もあってか、KYOTO Design Labの活動内容にも全体的にサステナビリティに関連するものが目立つ。

だが、こうした現状について「“サーキュラーエコノミー”といった概念が本質ではないと思っている」と前置きしながら、同大学院が掲げるデザイン教育の意図について水野は語る。

水野「僕たちが研究しているのは、『デザインが簡単ではなくなった今の世界にどう応答するか?』という問いです。そのひとつの論点が、資源の有限性を無視したデザインが良しとされなくなったことだ、と言えるでしょう。

たとえば現代のパラダイムでは、単に機械を設計するだけでなく、原材料の循環可能性やそのフロー、工程といった“時間軸のスケール”も考慮しなければなりません。さらに、顧客や民間企業、行政など複雑な社会のインタラクションの中で製品の循環をデザインする必要もある。こうしたデザインに向ける視点を時間的・空間的に複数化することが、僕たちが取り組んでいる研究だと言えます」

水野大二郎/京都工芸繊維大学 未来デザイン・工学機構 副機構長
デザイン研究者。1979年、東京都生まれ。2008年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート博士課程後期修了(ファッションデザイン)。19年より京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab特任教授として着任。ほかに慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特別招聘教授などを兼任。デジタルファブリケーションやスペキュラティブデザインをはじめ、情報環境の著しい発展や地球規模の自然環境変動など複雑な社会・技術的課題を前提にしたデザインの理論、手法、実践に取り組み、数多くのプロジェクトに携わる。

また、設立当初のKYOTO Design Labは「多様な活動を受け止めるプラットフォーム」という位置づけで、研究と実践双方を追求する場として生まれた。

理論と方法、あるいは研究と教育を追求する場として、大学に蓄積された知をいかに社会へと還元していくか──その「実行部隊」として、2019年に水野は同大学院に招聘されることになった。

こうした背景からも、水野は現代社会の実際的な課題を取り扱うことが多い。例えば、ワコール人間科学研究開発センターとの共同研究においては、キノコの菌糸やコンブチャを原材料とする革で服をつくってみる。また、大学院の研究室ではUnreal Engineを使って住民と開発業者が闘争を繰り広げる仮想空間の「団地」をつくり、望ましい都市開発のあり方をシミュレーション体験しながら考える……。こうした実験的な試みについて、研究者であり教育者の立場から素朴な意見を水野は語る。

水野「僕はデザインの最終成果物を、デザイン業界のためだけに創出することにあまり興味がないといいますか……。たしかに一般的なデザイナーにとっては、最終的に完成度の高い成果物を生み出すことは重要です。しかし、僕にとっての教育は最終成果物の完成度を高めるための技能を教えることではありません。

それよりも学生と一緒に制作のプロセスを通じて、『どんな未来が望ましいか?』『どうやってその目的地に到達するか?』を考えること、すなわち問いをデザインし、その問いに応答できるプロセスをつくり、そうして成果物をあらゆるメディアを駆使してデザインすることがより重要じゃないかと思ってるんです」

2010年代、先端領域・学際的なデザインはいかに花咲いたか?

こうした学際性や実社会志向を打ち出すデザイン教育は、なにもKYOTO Design Labの専売特許ではない。むしろ、過去にも先端領域や学際性を重視するデザイン教育の学部・大学院は数多く生まれてきた経緯がある。

1990年に開設された慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)もその先駆けとしてあがる教育機関のひとつだ。中でも2008年にSFCに新設された「x-Design(エクス・デザイン)」コースは、「複雑化するデザインを理解し、新たな価値創造に迫る人材の育成を目指す場」として、先端領域や学際性、統合的なデザインを重視した研究や教育カリキュラムを掲げてきた。

他にも、日本では2000年代に学際的なデザインの取り組みが次々に深められていった。2000年には東京大学大学院情報学環・学際情報学府、2001年には情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が開設されるなど、工学やアート、デザインなどの領域を越境した教育がいくつも誕生してきている。

こうした取り組みが現代のデザイン教育にも脈々と受け継がれているように見えるが、現代にいたるまでの大きな潮流を水野は概観する。

水野「『研究であり、実践でもある』という学際的・総合的なデザインの知の探索は、もともと建築分野が最も得意としていたと思います。それは展覧会(ギャラリー間やLIXILギャラリーなど)、シンポジウムや学会、出版(鹿島出版会や10+1など)に顕著でしたが、1990-2000年代に建築分野から情報技術分野へと探索の場が拡張したと見ています。

建築と同様に展覧会(ICCなど)、シンポジウムや学会、出版(InterCommunicationsなど)があり、この流れをいち早く掴んで試行錯誤していたプレイヤーが、2010年代に花開いて活躍していったように思います。

そして、2010年代以降はその潮流がさらに変わりました。建築や情報技術を中心にしていたプレイヤーが、さらに総合格闘技的な学術領域である生命科学や環境学、人類学などに結節していった。その先駆者たちが、2020年代に先頭に立って活躍しているのではないかと僕は見ています」

何よりも、水野自身がこうした潮流を先頭で観測し、切り拓いてきたひとりだと言える。水野は2012年にSFCに着任・2019年までの7年間教鞭を執っていたほか、エクス・デザインコースの活動や成果についてまとめた書籍『x-Design』(2013年)の共同著者にも名を連ねている。

この時期には、デジタルファブリケーションを軸とした個性的なビジョンを持つ教授陣がSFCに集まり、学生を巻き込んで喧々諤々の議論を交わしながら先端領域や学際性を重視するデザイン領域を成熟させていったという。

たとえば、デザインエンジニアの田中浩也、HCI研究者の中西泰人や筧康明、アーティストとして活動する脇田玲、アルゴリズミックデザインを専門とする松川昌平、社会学者の加藤文俊、ランドスケープデザインを専門とする石川初、構造家の鳴川肇……。

こうした実験的な活動を繰り広げる素晴らしい教授陣がいたこと。それに触発された学生たちが少しずつ自律的に活動を始めたことが、VUILD代表の秋吉浩気や、Synflux代表の川崎和也、アーティスト・デザイナーの木原共など、2010年代に才能あるプレイヤーが数多く輩出された一因だったのではないかと振り返る。

「デザイン思考」と「スペキュレーション」、「批判的な問いを投げかけるデザイン」のパラレルな発展

また、2010年代はデザインの拡張やビジネスへの応用など、さまざまな考え方やメソッドが日本で普及浸透した時期でもある。

アメリカのIDEOを端緒とする「デザイン思考」、イギリスの学際的な研究からはじまった「デザインリサーチ」、背景の起源にマーケティングやマネジメントを持つ「サービスデザイン」……こうした実社会の課題を志向するデザインのあり方は、大学や企業、行政などの垣根を超えて検討が重ねられてきた。

他方で、この時代において同時に議論されていたのが、「スペキュラティブデザイン」や「クリティカルデザイン」の概念を中心とした望ましい未来を考えるデザインと、世の中に対して批判的な問いを投げかけるデザインだ。

たとえば、2012年、水野はファッション研究者の蘆田裕史とともにファッション批評紙『vanitas』を創刊。こうした一連の活動を間近で見ていた水野研究室の学生も影響を受けて、その後に続いていく。『SPECULATIONS 人間中心主義のデザインをこえて』(2019年)の監修を務めた川崎和也、『クリティカル・デザインとはなにか?』(2019年)の翻訳監修を手がけた太田知也、『スマート・イナフ・シティ』(2022年)の翻訳を手がけた中村健太郎、『Food Design』(2022年)著者の緒方胤浩、『行政Xデザイン 実践ガイド』(2023年)著者の中山郁英、そして『多元世界に向けたデザイン』(2024年)翻訳を担当した研究室院生らなど、同領域の議論を発展、継承するプレイヤーたちが生まれていった。

2010年代は「デザイン思考」を中心とする実社会に役立つデザインと、「スペキュレーション」を中心とする未来志向のデザイン、さらに「批判的な問いを投げかけるデザイン」がパラレルに発展した時代だった。そして、2020年代は従来のデザインだけでは解決できないと思われる領域が、生命科学や環境学、人類学などと領域横断する形でデザインのフロンティアになってきているのではないか、というのが水野の見立てだ。

そして、水野の研究室ではそうした異なる潮流から生まれたデザインの間に通底する、「そもそもデザインにおける人間理解はどのようにあるべきか」といった論点について学生と議論を深めていたという。

水野「たとえば、『人間や生活空間をいかに見るか』『人間と共存する人工物はいかなる形であるべきか』という視点が建築学における調査・研究にはあります。僕の研究室では、こうした発想とデザインリサーチの手法を組み合わせつつさまざまな地域を巡り、沖縄の共同売店にはじまり、金沢のクラフトツーリズムから香川のセルフうどん屋まで幅広くフィールドワークをデザインの文脈でしていました。

そうした活動を通じて、当時支配的だったデザイン思考をただ無批判に応用して何かをつくり出そうとするのではなく、『人間理解を徹底する』という、人間中心設計の基盤について学生たちと喧々諤々の議論を交わしていました」

こうしてエスノグラフィックな人間理解から、当時先端領域だったデジタルファブリケーションのような技術まで、幅広いトピックが扱われる空間がSFCに存在していた。それが、当時の研究室から数多くのプレイヤーを輩出する大きな要因になったのではないか、と当時を振り返る。

教育者としての姿勢と“デザイン版MBA”の可能性

こうした水野の経験は、現在の京都工芸繊維大学での活動にも引き継がれている。

水野「SFCの優れた点は、学部のフレームワークが意図的に緩く設計されていること、研究会が専門的な学びのプラットフォームとして作用するようにできていたことです。この体制によって、個々の研究室単位で非常に効果的に専門性と多様性が同時に生まれ、新しい活動領域の創出につながることがわかったんです。

研究室単位で実験して成功したことをアップデートして京都に持ち込み、大学全体を巻き込むような形でやれないだろうか。そう考えて、現在の主務校である京都工芸繊維大学ではさまざまな取り組みをしています。とはいえ、建築は建築、デザインはデザインと、分野ごとに隔てられた大学の教育方針を横断する取り組みは簡単にはいかないので、試行錯誤の連続です」

水野によれば、SFCと京都工芸繊維大学での水野研究室には、いくつか共通する教育のモデルがあるという。

そのひとつは、先進的な論文や実験的なデザインの活動事例を「シャワーのように浴びせる」ことだ。水野は自分が見聞きした、未来の兆しを感じる社会や技術の動向、気になる書籍や論文、記事などをよもやま話や無駄話として意図的に延々と語りつつ、学生に意見を求めたり対話したりする時間を大切にしている。「これは毎回学生とアンカンファレンスを開催しているのと一緒で、教育効果があると感じます」と手応えを語る。

他方で、豊富な知識を持つ教授を学生が絶対視してしまう風潮に対して、大学外に非公式の「セカンドメンター」を持つことを学生に強く推奨しているという。水野研究室の学生たちは、大学外でアーティストやアクティビスト、他大学の教授、アルバイトやインターン先の有識者などに師事し、共に活動するなかで大学で受けた教育を相対化しながら実践に繋げていく。最近だと大阪大学大学院人間科学研究科教授の森田敦郎、Code for Japanの東健二郎、Ecological Memeの小林泰紘、Deep Care Labの川地真史、都市機能計画室の榊原充大、for Citiesの杉田真理子など、「セカンドメンター」は多岐にわたる。

こうした教育者としてのスタンスは、SFCからも京都工芸繊維大学からも優秀な卒業生を輩出することに繋がったという。

さらに、こうした学びは大学を卒業した人々にも開放されているべきではないか──そんな企図を込めて、現在水野が肝いりで進めているのが、京都大学・京都市立芸術大学・京都工芸繊維大学が提携した社会人教育プログラム「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ(Kyoto Creative Assemblage)」だ。

同プログラムでは、水野はいわば社会人向けハードコアデザイン研修を担当。集っているのは、大手広告企業やコンサルティングファームで働く人々から、京都の老舗企業の経営者まで、幅広い層の社会人たちだという。

半年間のこのプログラムでは、日本国内でも海外トップ校の大学院にデザイン留学をしたのと同等以上の学びが得られる水準を目指して京都大学・京都市立芸術大学の先生らと共に設計。デザインだけでなく、アートや人文・社会科学まで、先端研究の内容を幅広く詰め込んだ濃密なカリキュラムによって、「社会を読み解き、新しい時代を表現するための考え方や方法を学ぶ」ことを目指している。

ポイントは、学生の研究室と同様に、先進的な論文や実験的なデザインの活動事例を「シャワーのように浴びせる」こと。本講義は事前に参考図書や論文、記事、講義動画を数十本読んでもらいスタートし、かつ、高度な身体知を要求する「LARP(ライブ・アクション・ロールプレイング)としてのデザインフィクション」演習課題にも取り組んでもらう。

時に受講者から「無茶振り」と評されながらも、概ね好意的な反応を得られていると水野は語る。

水野「課題図書や記事を大量に事前インプットはしてもらいますが、これはあくまで前提知識ですので、実際にやってもらう演習課題内では本の内容については一切触れません。『アンソニー・ダンとフィオナ・レイビーはスペキュラティヴ・デザインの提唱者ですが、現在はデザインド・リアリティという概念を掲げていて、スペキュラティヴ・デザインはやっていません』といった感じで、どんどん進めていきます。

たしかに最初社会人の受講生は専門用語や概念が乱立するので混乱しますが、わからないなりにわかろうとします。その上で演習課題を出します。受講生はさらに戸惑いながらも試行錯誤して実践し、身体知として理解していきます。

そうして演習課題をどうにかやり遂げたあと、最初の講義動画を見直してもらうと『ああ、そういうことか』と、ようやくなります。初見でわかった気になっていたものを、実践を通して理解が身体化していく過程をみるのはいち教育者として大変興味深いです」

こうした教育方法は、既にパッケージ化されたデザイナーとしての思考方法や技術、ツールを学ぶものではない。あくまで目的は、既存のイデオロギーや意味の体系からこぼれたものに視点を向けて、新しい世界観を構築することなのだと水野は言葉を加える。

何よりも、一度企業に就職した人であっても「学びたい」という欲求を持つ人は少なくない。そうした人々が学びたいと思ったときに、その時点での最先端の知──形式知ばかりではなく、実践知や身体知を含む──を取り入れられる環境が存在する意義は大きいと言えるだろう。

「物議を醸すデザイン」の時代へ

ここまで見てきたように、課題解決を志向するデザイン思考のような概念が浸透する裏で、未来志向のデザインや批判的な問いを投げかけるデザインは、問題設定そのものの質を高めたり、これまで不確かだったり無価値とされてきた事象に光を当ててきた。

そして、2020年代も折り返しに差し掛かろうとする現在、むしろ議論の主役は後者へと移行していると言えるのかもしれない。Kyoto Creative Assemblageのような新しい時代に向けたデザインのあり方を考え直す試みは、それを象徴しているとも捉えられる。

この大きな流れについて、「自分の原点は2010年前後からそこまで変わっていない」と口にする水野は、その言葉を裏付けるように一枚の紙を取り出した。そこに書かれていたのは、2009年にUMA/design farmの原田祐馬、dot architectsの家成俊勝、TERUHIRO YANAGIHARA STUDIOの柳原照弘、Muesumの多田智美とともに立ち上げたデザインシンポジウムや展示、ワークショップなどからなるプロジェクト「DESIGNEAST」の第3回(2011年開催)開催時のステートメントだ。

近年、特権階級による支配的構造から生み出されたデザインが過去のものとなり、不特定多数による日常の豊かさを見直したデザインが協働・協力によって形になりつつあります。建築家やデザイナーはもはや中心、周縁にとどまる存在ではなく、周縁と中心とをつなぐ新たな社会的立場を作り出していくことでしょう。

所有する喜びから共有する喜びへ
コンシューマーからプロシューマーへ
消費型社会から循環型で維持可能な社会へ

東京から遠く離れ、東北からもさらに遠く離れた大阪ではなく、世界の東にある日本でローカルでも、グローバルでもない、開放系ローカリティについて考えてみようと思います。

2011年ごろに自ら書いたステートメントを読み上げる水野は、「先取りしすぎた文言だったけど、よくデザインイベントのテーマとしてチラシに掲載できたなあ(笑)」と振り返る。そして、これからのデザイナーは問題設定の規模感を従来から変えていく必要があると言葉を続ける。

ある特定の「誰でもデザインができる」方法論やフレームワークを拡大していく時代を経て、デザイナーは次の時代において何をすべきかを考える。製品やサービス、システム……形は何であれ、スペキュレーションが現実になると信じられる完成度、それだけの“強度”があるものをつくりだすのが、これからのデザイナーの役割ではないかと。

そして、その先に変えていく必要があるのはデザインに対する社会からの認識だ、と水野は続ける。現代日本の一般社会では、デザインは社会をより良くする便利なツール、あるいは「見た目がかっこいい何か」程度でしか認識されていないのではないか。

「そのような見方では永遠に認識できないデザインの価値があると思っているんですよね」。そう語る水野は、自らが卒業したロイヤル・カレッジ・オブ・アートのそばに立つ「ヴィクトリア&アルバート博物館」の事例を挙げながら、これからのあるべきデザイン像を語る。

水野「この博物館は、『日本でやったら大ごとになるんじゃないか?』と心配してしまうような展示を時折することでお馴染みでして。たとえば、ある時期からパーマネントコレクションに入ったのが、英国の新聞紙『The Guardian』の記者が所有していた、破壊されたMacBookです。

この記者は米国の強権的な情報監視活動の内部告発者である元CIA職員エドワード・スノーデンを取材することになったのですが、彼から情報漏洩防止の観点で『新品のMacBookを買って、それを使って取材してください』と指示されました。記者はそのMacBookを持ち込んで香港で取材をし、そこに機密情報が一時的に記録されたわけです。

取材後に英国に持ち帰ったあと、MacBookは英国政府に極秘ファイルを渡すことを避けるために社内で破壊されました。この一連の話はドキュメンタリー映画『シチズンフォー スノーデンの暴露』でも知ることができますが、破壊されたMacBookは展示物として何を意味するかが重要です。国家権力とセキュリティといった大きな話が誰しもがもち得るPCに起きた点、そしてもちろんPCの破壊は象徴にすぎず、デジタルデータとはコピー可能である点を考えさせるという点は、デザインの展示として面白いと思います」

かっこいい見た目た便利な道具、といった次元だけでデザインを理解するような視点では、この展示の価値はわからないと水野は強調する。

前代未聞の事件の取材に使われた道具が、デザインとして展示の対象になる。言いかえれば、問題提起のためのデザイン、「物議を醸すデザイン」をつくりだし、評価する姿勢が日本には足りていないという主張だとも言える。

水野「あり得る未来のデザインは、批判的なデザインと表裏一体です。ですので、必ずしも今支配的な世界観に則ったものであるとは限らない。さまざまな問題を提起するものであって然るべきです。その良悪や是非を議論し、我々が社会全体でより良いデザインをどの方向に定めていくかというコンセンサスを生むことが重要だと思うんですね。

だから発表先であるメディア──美術館、博物館、雑誌、ウェブサイト、ソーシャルメディアなど、様々ありますが──において、そのデザインがいかに見られるべきかを同時に考えていく必要があるはずです。

つまり、これからの『デザイン教育』は、編集やキュレーション、批評までも含めて広範に説明されなければならない。そうしなければ、ポピュリスト的で現状強化型、あるいは楽観主義的なデザインしか世の中に出回らなくなってしまう。売れたものばかりを評価しても世界はよくならないのではないか、という危機感を持っています」

こうして学生はデザインに対する考え方や世界観を問い直し、人生をデザインすることになる。「価値観が書き換わった人生」を学生にもたらすこと──それが本来の教育の目的であるはずだ、と水野は主張する。

水野「僕が学生に求め続けるのは、デザインの背後にある特定の世界観やイデオロギー、無意識的に刷り込まれてきた常識を疑って、より望ましい世界観をリ・デザインする方法を模索すること。僕が自分の見ている世界の情報を『シャワーのように浴びせる』のも、結局はそのためです。

思考や価値観が書き換わると、学生は教員が思ってもいなかった方向へと進む。研究室から飛び出して留学したり、起業したり、どこかの企業に就職していたりして、休学したまま帰ってこない学生もいます(笑)。だとしても、後から『あれが人生の転機だった』と振り返るほどの学びがなければ、一体なにが教育なんでしょうか?」

Credit
執筆・編集
石田哲大

ライター/編集者。国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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