ブランドの核は「血の根底」に宿っている。マツダの再生から紐解く、「100→1」のデザイン──マツダ・前田育男×Ridgelinez・田中培仁

私が思うブランドとは、生き様や人格そのもの。マツダの最も優れているところ、根付いているところ、いわば「血の根底」にあるようなところを探ろうというのが「魂動デザイン」に至る私の出発点でした。

Creative Intelligence

単なる創造性ではなく、創造的知性を——。

Creative Intelligence(創造的知性)という言葉をスローガンに掲げる、クリエイティブ集団がある。富士通発の総合プロフェッショナルファームRidgelinezの「Creative Hub」だ。クリエイティブとビジネスの交点ともいえる分野で活動するCreative Hubは、「論理」と「感性」を統合し価値を生む。そのスキルを、“創造的知性”という言葉で表現する。“創造的知性”とは果たしてどのように機能するのか。ビジネスシーンでクリエイティブが担う新たな価値発揮の可能性を紐解く。

カーデザイナー・前田育男。

マツダが経営危機に陥っていた2009年、デザイン部門のトップに就任し、ブランドの再生を牽引した立役者である。前田は全車種のデザインプロセスを一新し、マツダのモノづくりの根底にある「魂動(こどう)デザイン」というコンセプトに結実させる。新ラインナップは欧州を中心にグローバルで人気を博し、新たな「マツダブランド」を確立させた。

マツダの再生のカギは何だったのか?
その背景で「デザイン」はいかなる価値を発揮していたのか?

これらの問いについての示唆を得るべく、数多の重厚長大な大企業の変革に尽力してきたRidgelinezのChief Creative Director ・田中培仁は、広島のマツダ本社を訪問。前田へのインタビューを通じてマツダの再生の要諦、さらには、いまデザインが追求すべき価値に迫った。

ブランドは「ポジショニング」からは生まれない

田中

私は近年、デザイナーやクリエイターが社会に与えるインパクトが弱くなりつつあるのではないか、という問題意識を持っています。一時期は「デザイン思考」や「デザイン経営」といった概念がトレンドになったものの、結果的にはその潮流も下火になりつつあり、デザイナーの役割や行く末が見えづらくなってしまいました。だからこそ今一度、社会でデザイナーが果たすべきロールについて考えてみたい。

私がリードしているRidgelinezの「Creative Hub」では、無から新たなものを生む「0→1」でも、既にある事業を躍進させる「1→10」でもない、「100→1」というコンセプトを標榜しています。つまり、成熟企業がすでに有する100のアセットから、中核となる“1"を生み出すアプローチです。そのためにクリエイターがビジネスの上流から入り、企業全体を変革するうねりをつくり出そうとしているんです。

そして、我々の目指すものを体現されているロールモデルとして、以前から前田さんの取り組みに注目していました。前田さんが主導して打ち出し、企業の中核を形づくった「魂動デザイン」「ご神体」「ビジョンモデル」といった取り組みは、「100→1」を象徴する一つのベストプラクティスだと考えています。今日は前田さんがいかなる困難を乗り越えながら、このコンセプトを練り上げ、浸透させていったのか、詳しくお伺いしたいです。

経営・事業・組織を動かすクリエイティブの鍵は「創造的知性」——Ridgelinez・田中培仁
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前田

ありがとうございます。「魂動デザイン」というコンセプトを最初に打ち出したのは2010年。私がデザイン部門のリーダーになった2009年から1年かけてつくり上げたものです。当時のマツダは、ブランドが消えるかもしれないという瀬戸際に立たされていました。米国の大手自動車企業の傘下に入り、自分たちのポジション、ひいてはブランドが存続の危機に立たされ、優秀なデザイナー含め、デザイン部門の多くのメンバーが辞めてしまったんです。

しかし、私にとってマツダは子供のような存在。親会社にぶら下がる極東の一企業として、マツダのブランドが「最もカジュアルなハイブランドであるべき」だと一方的に位置付けられ、矮小化されつつあることに怒りを覚えていました。その憤りが、私のモチベーションの源泉だったと言えるかもしれません。

マツダ株式会社 エグゼクティブフェロー ブランドデザイン 前田育男

田中

怒りが原動力だったのですね。

前田

今だから言えることですが、親会社の米自動車メーカーから派遣されていた当時のデザインヘッドとは散々喧嘩をしました。彼らは「ブランドドリブン」の方針を採っていましたが、そこで言う「ブランド」とは戦略からトップダウンで導き出されたものでした。多くの自動車メーカーを傘下に収め、それぞれのブランドのポジションを決め、チャートにマッピングすることでポートフォリオを築こうとしていた。

しかし、私はそうした考えに違和感を持っていました。なぜなら、ブランドはポジショニングから導き出せるものではないと思うからです。私が思うブランドとは、生き様や人格そのもの。他人がマッピングで決めるものではない。マツダの最も優れているところ、根付いているところ、いわば「血の根底」にあるようなところを探ろうというのが「魂動デザイン」に至る私の出発点でした。

田中

そうした危機感を出発点に、どのようにブランドを再構築していったのでしょうか?

前田

主導したのは、経営サイドではなくデザインチームでした。もちろん、CIやVIなどを担当し、ブランディングを司る部門は昔からマツダにもありましたが、提案は外部の代理店が主導し、自分たちの意図が反映されない事が多かった。そこで、デザイン本部の中にブランドスタイルを統括する部門を設置し、デザイン部門の中でブランドに関わる業務を行うようにしました。そうして表層的な接点のデザインにとどまらず、ブランド戦略を動かすところからデザイナーが担える体制を整えていったのです。

田中

ブランドと経営は切っても切り離せないですよね。私の経験上、経営起点のブランドと事業活動が分断されている大企業がほとんどで、相乗効果が出せないどころか対立構造にあることも多い。だからこそクリエイティブがそのハブとなり、ブランドを一貫して見ないといけないと思うのです。

前田

マツダで言えば、ブランドの柱になるのは商品であり、商品デザインの責任を持っているのはデザイナーです。だとすれば、我々がブランド全体のスタイルも一緒に見ないことには、統一感は絶対に生み出せません。

歴史を紐解き、「タイムレス」なブランドを生み出す

Ridgelinez株式会社 Chief Creative Director 田中培仁

田中

そうして再構築されたマツダのブランドの核と なっているコンセプトが、強い生命感としなやかな動きの表現を目指した「魂動デザイン」ですよね。

前田

はい。「魂動デザイン」の原点は自然界にあります。我々は自然界の中で動くもの、すなわち生き物にヒントを求めました。野生のアスリートたる生き物の走る姿、その美しさのエレメントを抽出し、それを車に置き換えようとした。表面だけではなく骨格などの中身を含んだプロポーション全体の形を、自然界の摂理に基づいた形でつくろうとしたのです。

RX-VISION(写真提供:マツダ株式会社)

田中

「魂動」という言葉はどのように生み出されたのでしょう?

前田

もちろん一発で生まれたわけではなくて、探り探りの七転八倒を経ました。この言葉にたどり着くのは容易ではなく、自分の思いを一言で全て言い当てる言葉がどうしても生まれてきませんでした。延々と悩んで、何百とアイデアをノートに書いて、書いて、書き続けました。

田中

ご著書の中でも触れられていましたが、「魂動デザイン」のコンセプトを練り上げるうえで、マツダが歩んできた歴史の中に突破口を見出されたのですよね?

前田

そうですね。改めてマツダの歴史、ひいては広島、日本そのものについて学び直しました。さらにエンジニアたちが口にする言葉の中にもヒントを探していきました。その抽出作業を繰り返し、最終的に行き着いたのが「魂動デザイン」なのです。

実は日本の自動車会社で日本語のデザインテーマをつけている会社は一社もありません。英語であることが多い。それでも私は日本語にこだわりました。なぜなら日本語しか持ち得ない精神性があると信じているからです。

さらに「魂動デザイン」というコンセプトにおいて、私が特に重視している考え方が、「タイムレス(=時代を超えた、不朽の)」です。時流に流されず、いつの時代でも戻ってこられる拠り所を定めておくことを大切にしているのです。

田中

先ほどミュージアムで見せていただきましたが、60年代のマツダのデザインは今でも通用するような洗練されたものばかりで、まさに「タイムレス」を感じましたね。

マツダ本社工場に併設されている「マツダミュージアム」。マツダの歴史や往年のデザイン、工場見学などが行え、観光客や地元の人々が数多く訪れるという

AI時代に見落とされる「プロセス」こそが、“生命感”の源泉

前田

重要なご指摘です。というのも、我々はまだ60年代を一切超えられていない。大きな背景として、自動車の大量生産への移行がありました。大量生産により一つの車種を数十万、あるいは数百万台売らなければならなくなり、自動車が固有で持っていた純粋さが失われてしまった。

50〜60年代の車のカーブは、職人が鉄板を叩くことから生まれていたものであり、それが愛すべき形となっていた。しかし、技術革新によってプラスチックが普及したことで、以前は難しかった形が簡単につくれるようになった。と同時に、そうした人の手によって時間をかけて練り込まれたフォルムも失われていき、効率化優先のデザイン開発が主流となりました。もちろん、その責任の一端は我々カーデザイナーの怠慢にあります。

田中

ある種、厳しい条件下の方が、デザインをする立場としては魂が込めやすいのかもしれないですね。

前田

足し算ができない時代だったからこそ、あれだけピュアで美しいものがつくれていたのかもしれません。変化球が投げられず、小細工もできないからこそ、引き算のデザインで、プロポーションの美しさで勝負するしかなかった。

対して、今のデザインはライン(編注:車体側面に付けられた、凹凸で基本的形状を構成する線)で構成されたものが多く、フォルムの煮詰めが甘い。デザイナーはすぐにラインを入れたがる傾向にあり、結果、この描きやすいテーマがトレンドをリードしています。

田中

私の出自でもある建築業界でも似た話があります。仮に「砂漠の真ん中で、無条件に好きな家を建てていいよ」と言われても、想像力が働かず、何をつくっていいのかわからなくなる。むしろ、気候や地形、あるいはそこに住む人やカルチャーなど厳しい条件を与えられた方が、名建築は生み出される。何でもできるなら、何にも生まれない、というパラドックスといいますか。

前田

その点で言えば、デザインツールの進化も、実は弊害の一つになっているように感じます。なんでもインスタントにつくれるから、深みが出ない。
最近、私が特に気になっているのはAIです。たしかにAIを使えば、誰でもそれらしきものをつくり出すことができるし、いろいろなメリットも生まれるでしょう。ただ、そうしたことを積み重ねていくと、結果、グローバルであらゆるクリエイションがすべて同じものへ結実してしまうリスクもあります。

田中

AIのアウトプットは生成過程の大半がブラックボックスであることが大きな意味を持っていると思っています。アウトプットはそれらしくても、その中身を理解できないことは少なくありません。

前田

本来はブラックボックスの過程にこそヒントがあるはずです。そこをスルーすることが当たり前になってしまうと、定型的なアウトプットしか出せなくなってしまうでしょう。“結果”だけしか知らないデザイナーは“プロセス”を知らないから、知見に幅がなくなり、条件が変わったときに対応できなくなってしまうのではないでしょうか。

田中

AIにデータを与えて、どれほどそれらしき解が出力されても、その結果の中から最後に選ぶのは本質をわかっている人間です。今後どれだけAIが発展しても、まだ誰も気づいていない本質的な価値を見つけるという営みは、人間の仕事として残り続けていくのではないでしょうか。

前田

人間は無駄もするし、失敗もする。例えば、職人が何千時間もかけて道具に魂を込める作業がありますよね。これはAIからすれば、意味がわからないプロセスかもしれないし、AIが効率的につくったものと、職人が魂を込めてつくったもの両者を並べ、俯瞰の写真で比較するだけでは違いはわからないかもしれない。

それでも、その作品を目の当たりにすると深みの違いに気づかされる。何かを生み出すために時間を惜しまず精神を乗り移らせていく感覚、そしてその延長線上に、確かに魂らしきもの、ある種の“生命感”が生まれると思うのです。古典的だけど、それを生み出せるのは唯一人間だと思います。

無駄を厭わない、時間を惜しまない。まさにそれこそ「魂動デザイン」の真髄だと考えています。

田中

AIがどれほど完璧なアウトプットを出そうと、共感はしづらいですよね。結局のところ、AIが人を動かすものをつくることはとても難しい。つくり手が注いだ膨大な時間や、そもそもの歴史から立ち上がってくるものからしか、人を動かすような感動は生まれないと思うんです。

前田

結局、デザインにおける基礎をおろそかにしてはいけないのです。誰がやっても同じ仕事はAIが補完するとしても、人間が担わなければならないクリエイティブの領域は必ず残り続けるはずです。

いくらAIが普及しても、我々デザイナーとしては、美に対する基準を普通の人が想定するレベルに置くのではなく、圧倒的に高い基準で自らを律する必要があると思います。誰が何と言おうと、絶対に妥協しない意識を持つことが大切ですね。

「共創」の隘路。リーダーが責任を持ってこそ、強いブランドが生まれる

田中

「プロセス」という観点では、「魂動デザイン」を実現するデザインプロセスも特徴的ですよね。とりわけ「ご神体」と呼んでいる、自動車でもプロダクトでもない、まるでオブジェのような造形をデザイン段階で制作しているのはユニークです。

前田

まさしくこの「ご神体」により、生み出される車に躍動感、生命感が付与されるのです。

デザイナーのスケッチの前に制作される、自動車でもプロダクトでもない、まるでオブジェのような造形「ご神体」(写真提供:マツダ株式会社)

田中

「ご神体」を今の形まで昇華させていくプロセスはどのように進めていったのですか?

前田

もちろん、この「ご神体」も度重なる試行錯誤の末に生み出されたもので、あの形に至る過程では七転八倒しましたし、ご神体の形も駄作があったり、間違った作品もありました。

ただ、「ご神体」を洗練させていくうえで私がラッキーだったのは、自分がデザインのリーダーにアサインされ、マツダのブランドやクオリティに責任を持てる立場になれたことです。やはり、どれだけ担当者が頑張ろうが、リーダーの覚悟抜きにしてブランドは築かれません。自らの意思を持って車の形を決めないことには、理想の形は周囲の雑音によって実現されなくなってしまうからです。

田中

近年では「共創」という言葉がよく聞かれるように、場合によってはプロジェクトにユーザーを交えるケースもあります。ただし、共創のアイデアをまとめるだけで、ブランドやプロジェクトを牽引するような軸が生まれることはありません。企業の歴史やカルチャー、これまでの企業の営みを掛け合わせる中から見えてくる「一つの本質」にディープダイブしていくことで、様々なステークホルダーを感動させるコンセプトやビジョンを導き出せる。それには数多ある情報からデザイナーの本質を導き出す“引き算”のスキルセットと、それを形にしていく力が重要になってきます。

前田

何百時間、何千時間もブランドのことを考えることで、その中核となる言葉や、最終的には形そのものが力を持ち始めるので、私が何かを説明せずとも、感動してもらえる。だからこそ、そのスタイルで仲間を増やしながら、牽引していこうと決め、今までやってきました。

一般的に、一台の車をつくるためには、デザイナーだけでも30人程度のチームが必要とされます。しかし、デザインのビジョンを描くのはリーダーの仕事。それをカタチに置き換えるのも、集団作業ではなく私と数名の匠(トップランクのクリエイター)の精鋭チームだけで行いました。アングラ活動でしたね。自信が持てるまでは、ともかく雑音が入らない集中できる環境が必要でした。

マツダを牽引するビジョンを追求するには、誰よりもそのことに心血を注いで、考え続けられるクリエイターでなければ務まりません。その重責を担えるプロフェッショナルこそがブランドを牽引できるのだと思います。

「人を動かす」ために、現場や経営と繰り返した対話

田中

私たちは自社のブランディングも行っているのですが、経験上、デザイン部門だけでなく、多岐にわたる部門を巻き込んで一つのうねりとなるブランドをつくることは非常に難易度が高い。「魂動デザイン」や「ご神体」などのコンセプトが定まった後、実際にブランドを築き上げていくうえで、現場ではどんな困難がありましたか?

前田

壁しかなかったですね。一番大きな壁が立ちはだかったのは、旧来までの車両デザインの開発プロセスを一新させたときです。以前までは車種ごとにデザインのチーフがいて、それぞれの意思によって車の形が決まるやり方を採っていました。その方式をやめ、マツダのブランドスタイル(様式)の方向性を規定し、その一つのエレメントとして個別のクルマを描くことにしたのです。

同時に、マーケティングのあり方にも変革を起こしました。以前はまず市場でサーベイするやり方でした。お客様のレスポンスによって、デザインの方針を決めていたわけです。しかし、こうした方法ではなく、自分たちが信じる方向性、つまりブランドに沿って全ての車をつくり上げることにした。何よりも大変だったのは、経営陣にこうしたやり方の理解を得ることで、粘り強く説得を続け、実際合意まで2年近くかかりましたね。

田中

打ち立てたビジョンやコンセプトを対立が起きない形で現場に浸透させていくために、具体的にはどのようなプロセスで進めていったのですか?

前田

時間をかけて丁寧に進めました。デザイナーとエンジニア、あるいは生産系の人たちは一般的には“水と油”と言われます。多くの場合、デザイナーが考案したデータやアウトプットに対し、「そんなものできるか」とツッコミが入ります。実際、私が若かった頃も、しばしば工場に呼び出され、何度も叱られたものです。

しかし、実際のアウトプットのクオリティを左右するのは現場の人たちにほかなりません。だからこそ、私がどんな気持ちでマツダをリスペクトされるブランドにしようと考えているのかを理解してもらう必要がありました。そこで、経営陣にすらまだ見せていないモデルを現場に持っていき、「最初にこのモデルを見せるのは皆さんです。私はこれがつくりたいんです」と説得しました。

田中

通常であれば未公開のデザインはトップシークレットなので、途中経過を現場に見せるなんて御法度ですよね。

前田

普通ならあり得ない。でも、現場で担当される方々がモチベートされることの方が、我々にとっては武器になるはずだと考えました。実際、それまでは設計図面しか見たことがない現場の人たちにモデルを見せると、感動してくれました。

もちろん、経営陣も川の向こう岸に立ってもらっては困ります。「魂動デザイン」のフィロソフィーについては、当時の社長に何度説明したか数え切れないくらいです。一対一で延々と対話を重ね、それこそ、デザインの見方を一から説明しました。結局、人を動かすことが一番大変なのです。

そしてもう一つ心がけていたのは、一瞬で仕留めること。モデルをお披露目するその瞬間に命をかけ、ぐうの音も出ない状況をつくり込む。そうしないことには、いろんな角度からコメントが出始めて収拾がつかなくなる。しかし、一瞬で全体の方向を束ねることができれば、意思決定もコンパクトかつスムーズになります。

田中

「魂が動く」と書いて【こどう】と読むわけですが、ある意味でデザイナーがビジョンに込めた魂を経営からものづくりの現場まで多岐にわたるチームに共鳴させることで、マーケットの人たちの魂が動かされる製品が生まれ、共鳴の輪が広がるわけですね。

前田

ご指摘の通り、「魂動デザイン」というワードにはそういった思いが込められています。形に魂を感じてもらうだけではなく、魂そのものも動かしたい。一つの言葉によって現場の人、設計者、マネジメント、あるいはセールス、全員の魂を震わせたい。そのためにはまずは自分自身が感動できなくてはなりません。そのうえで、いかにその思いを伝えていくか。そのためにプロセスも体制も変えてきました。

デザイナーは「危機感」と「原点」を見失ってはいけない

田中

デザイナーがあらゆるステークホルダーを感動させるレベルまで本質を研ぎ澄ませたコンセプトやビジョンモデルを中核にすることによって、デザインプロセスだけでなくブランドやマーケティングのプロセス、組織構造をもあるべき姿に変えたのですね。この取り組みはまさに「100→1」の変革とも言える、今後のデザイナーやクリエイティブに求められる役割ではないかと私は考えています。最後に前田さんに、これからのデザイナーやクリエイターが目指すべき像についてお伺いしたいです。

前田

冒頭で田中さんが「デザイン思考」や「デザイン経営」への問題意識について言及されていましたが、私も同じく思うところがあります。特に日本では、「デザイン」という言葉だけが実態なく先行してしまった状況が顕著なように感じます。

しかし、デザイナーの本分に立ち返ると、我々はやはり形をつくっている人であるということが核にあるはず。人を感動させる何かをつくれて、初めてそれがビジネスにも生きる。さらにいえば、人、環境、究極的には日本という国を強くする一つのイネーブラーにだってなれるはずです。だからこそ、まずはデザイナーとしての原点に立ち返り、モノのカタチを研ぎ澄ませるところからスタートしてもらいたいというのが私の思いです。

田中

デザイナーが人々の心を震わせられる源泉を忘れてはいけないということですね。いくら理屈をこねたところで、感動させられる何かモノがなければうねりは生み出せない。

前田

正直なところ、世界に知られる日本のプロダクトは年々少なくなっているのが実情です。かつてグローバルで競争力を持っていた各業種のメーカーもプレゼンスを失いつつあります。自動車産業も例外ではありません。特にデザインに関しては、世界から取り残されつつある。その危機感を、我々クリエイターは失ってはいけないはずです。

田中

世界に対して日本がデザインの価値を打ち出せるとすれば、日本が時間をかけて培ってきた「らしさ」を研ぎ澄ませたその先にしかないのではないかと思います。特に成熟社会や企業においては、これまでの歴史や取り組みの中に世界が気づいていない本質的な価値が埋もれてしまっている。

機能性やビジネス性に重きを置くことで分散してしまった日本企業のエネルギーを一つにしていく「100→1」の取り組みをクリエイティブ組織が牽引することで、成熟企業ならではの本来の強さを蘇らせることができる。前田さんのように、組織の垣根を越えて一つのうねりを形づくっていくことが、今後のクリエイティブ人材に求められているのではないでしょうか。

Credit
執筆
長谷川リョー

文章構成/言語化のお手伝いをしています。テクノロジー・経営・ビジネス関連のテキストコンテンツを軸に、個人や企業・メディアの発信支援。主な編集協力:『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文、落合陽一)『日本進化論』(落合陽一)『THE TEAM』(麻野耕司)『転職と副業のかけ算』(moto)等。東大情報学環→リクルートHD→独立→アフリカで3年間ポーカー生活を経て現在。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

取材・編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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