透明をまとい、味覚を解放するデザイン — 松徳硝子 うすはり

空間のノイズにならず、どんな飲み物やシーンにも寄り添う普遍性を持ちながら、その存在に触れた瞬間、使い手の五感に微細な驚きをもたらすような、研ぎ澄まされた存在感。

WHY THIS MATTER?

建築・編集の視点を土台に、国内外のさまざまなプロダクトを見渡し独自の視点・美意識のもとセレクトする岡田 和路による連載『WHY THIS MATTER?』——氏の愛用品からモノの物語を紡いでもらう。

岡田 和路|Kazuyuki Okada
CXディレクター&編集者。建築学を土台に「作り手と使い手の架け橋」を探求。メディアで言葉を編む技術を培い、大手メーカーでは世界市場に向けたブランド戦略を担う。事業とクリエイティブを接続する視点を体得し、現在はIT企業にてデータを起点としたCXディレクションで企業の事業成長を支援する。

モノを選ぶことは、自らの生活を編集することだ。

椅子一脚、アプリのアイコンひとつ──小さな決断が私たちの日常のレイアウトを静かに書き換えている。WHY THIS MATTER? は、選択の裏側に宿る思想を解剖し、つくり手の哲学をユーザーの感覚と言葉へ翻訳する試みだ。

味覚、触感、重量感といった五感のシグナルを入り口に、素材や工程、そしてブランドストーリーを掘り下げることで、衣食住を横断する「価値の構造」を可視化する。読者には暮らしを編集するヒントを、企業には次のプロダクトやブランドシナリオを描くための手掛かりを届けたい。

もうひとつの会議室、食卓

私の仕事は、多様なステークホルダーとの対話の中から、新たな価値を見出し、事業として実装していくことにある。そのプロセスで何より大切にしているのは、個々が心理的な安全性の中で、本質的な議論に集中できる環境をデザインすることだ。

このアプローチは公私の別なく、私自身の生活にも深く根ざしている。『同じ釜の飯を食う』という言葉が示す通り、リラックスした環境での食事は、会議室では決して生まれない種類の信頼関係を育んでくれる。それは、肩書きを脱ぎ捨てた個人と個人が向き合う、貴重な時間だ。

それゆえ、ゲストを迎える空間の設えには、細心の注意を払う。料理や酒はもちろん、それらを受け止める器のひとつひとつが、おもてなしの意思を伝える重要なメディアになる。中でもグラスは、会話の傍らで常に手に触れ、口に運ばれる、極めてパーソナルなインターフェースだ。

完成されたジャンルに、解を求める

グラスというプロダクトは、すでに完成の域に達したジャンルと言えるだろう。長い歴史の中で無数の名作が生まれ、機能もデザインも、あらゆる可能性が探求し尽くされているように思える。その中で、新たな個性を打ち出すのは至難の業だ。

私がグラスに求めたのは、一見すると矛盾するような二つの要素の両立だった。それは『究極のシンプルさ』と、使い手の記憶に刻まれるような『静かなる個性』。空間のノイズにならず、どんな飲み物やシーンにも寄り添う普遍性を持ちながら、その存在に触れた瞬間、使い手の五感に微細な驚きをもたらすような、研ぎ澄まされた存在感。

数多の選択肢を検討し、試行錯誤を重ねる中で、ようやくひとつの解に辿り着いた。華美な装飾とは無縁の、ミニマルな佇まいの中に、圧倒的な思想と技術を秘めたプロダクト『松徳硝子 うすはり』である。

気がつけば、我が家の食器棚には、サイズや用途の異なる『うすはり』が50脚ほど、静かにその出番を待っている。それは、私の暮らしにおける、ひとつの“解”の証明でもある。

松徳硝子 うすはり

電球の灯火から生まれた、用の美

このグラスの背景を知ることは、プロダクトへの理解を一層深めてくれる。

『松徳硝子』は、1922年(大正11年)に電球用ガラスの生産工場として創業した。まだ多くのものが手仕事で作られていた時代、職人たちは『口吹き』と呼ばれる伝統的な技法で、生活を照らす電球の薄いガラスを、ひとつひとつ丁寧に吹き上げていた。

やがて安価で大量生産が可能な機械製法が主流となり、手仕事の電球はその役目を終える。多くの工場がその技術を手放す中、『松徳硝子』は異なる道を選んだ。それは、自らの最も価値ある資産、すなわち長年の経験によって培われた職人たちの繊細な技術と思想を、新たなキャンバスで活かすという決断だった。彼らの卓越した技術の矛先は、ガラス食器の分野へと向けられたのだ。

その技術の結晶が平成元年(1989年)に発表した『うすはり』だ。その名の通り、約0.9mmという、ガラス製品としては常識外れの薄さを誇る。これは、かつて電球を製造していた頃のノウハウそのもの。均一な厚みと高い精度が求められた電球づくりのDNAが、現代の職人たちに脈々と受け継がれている。企業の歴史と技術的背景が、これほどまでにプロダクトの個性と純粋な形で直結している例は、そう多くはないだろう。

しかし、このプロダクトの本質は、単なる技術の誇示ではない。その薄さは、明確な目的を持つ設計思想の結果だ。ガラスという素材の存在感を極限まで消し去り、使い手と中身である飲み物との境界線を限りなく曖昧にする。グラスはあくまで黒子に徹し、主役である飲み物の味、香り、舌触りを一切邪魔することなく、むしろそのポテンシャルを最大限に引き出す。つくり手の哲学が、プロダクトの輪郭そのものを規定している。この機能の羅列を超えた価値を求める姿勢は、私の心に強く響くものだった。

体験の解像度を上げる、一枚の膜

『うすはり』がもたらす体験は、実に多層的だ。

まず、その佇まい。複数重ねて収納できるモデルの存在は、数を揃えて使う者にとって、考え抜かれた設計思想の表れでもある。棚に収められたグラスの重なりは、まるで“空気を重ねている”かのような軽やかさで、視覚的な圧迫感がない。

そして、手に取った瞬間の驚き。見た目から想像する重さを裏切る、羽のような軽さ。極薄のガラスを介して、注がれた飲み物の温度が繊細に指先へと伝わる。この感覚は、ゲストとの会話のきっかけになることも少なくない。

圧巻は、飲み物が口に流れ込む、その瞬間にある。グラスの存在が限りなく希薄になり、液体そのものが、すっと喉の奥へ滑り込んでくるようだ。あたかも「空気ごと飲む」ような、得難い体験だ。そしてこの感覚は、注ぐ飲み物によってその表情を多彩に変える。

例えば、炭酸水は泡が舌に触れる瞬間が早まって清涼感を増し、フレッシュジュースはその鮮やかな色彩が膜を通して輝き、果実本来の甘みを舌に届ける。純米吟醸は香りがグラスの縁で豊かに立ち、味覚と嗅覚を絡み合わせ、クラフトビールの繊細な泡は美しい層となって苦みと香りのグラデーションを際立たせる。そしてクラフトジンは、幾層にも重なるボタニカルの香りが知的好奇心をくすぐり、一口ごとの発見を約束してくれるかのようだ。

これは単に飲み物の味を邪魔しない、という消極的な配慮に留まらない。むしろ、飲み物本来の風味や喉越しを、より鮮明に、よりダイレクトに届けるための、極めて積極的なデザインなのである。体験の解像度を、一枚のガラス膜が飛躍的に引き上げている。

日常の“当たり前”を、再定義するということ

どんなに優れたプロダクトも、日常に溶け込み、繰り返し使われなければ意味をなさない。毎日使うもの、毎日触れるものだからこそ、その品質は自らの“当たり前”の基準を静かに底上げしてくれる。

このグラスは、決して高級レストランで使われるような、緊張感を強いるものではない。むしろ、その究極のシンプルさゆえに、日常のあらゆるシーンに溶け込む懐の深さを持っている。それでいて、手に取るたびに微細な喜びと、つくり手への敬意を感じさせてくれる。

それは、未来の自分、そして我が家を訪れる大切なゲストが過ごす時間の質を高めるための、静かなる投資だ。この透明なパートナーは、単なる器の枠を超え、コミュニケーションを円滑にし、人と人との関係性をより豊かに映し出してくれる、信頼すべきメディアなのである。

Credit
執筆
岡田和路

CXディレクター&編集者
建築学を土台に、「作り手と使い手」の間に横たわる溝を思考の出発点とする。メディアの編集者として言葉を編み、大手メーカーでは事業開発からグローバル規模でのブランド戦略までを横断。リサーチ組織のメディア立ち上げや、事業構想をブランドの物語として紡ぐプロジェクトを通じ、スケールの異なる「価値の翻訳」を実践してきた。現在はIT企業にて、データを起点としたCXディレクションに従事。デジタルとリアル、戦略と実行を往復しながら、新たな体験価値を創造し続けている。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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