危機感が駆動する、変化し続けるデザイン会社——アクアリング副社長・藤井英一
僕が考えるのは『デザイン会社としてどうすべき』ではなく、『うちのメンバーが成長し生き残っていくためにはなにをすべきか?』。そこから考えると、目の前の変化や成果に安住することはできないんです。
「このビジネスはいつかなくなる。そんな危機感が常に頭にあるんです」
アクアリング取締役副社長の藤井英一は、入社以来抱き続けている感覚値をこう言葉にする。名古屋を拠点とするデザインファームで、Webデザインを主業として創業から20年以上。従業員は80名を超え、3年前には東海圏を代表するテレビ局・中京テレビのグループに参画。デザインファームとしては“盤石”と言って差し支えない規模・体力を有する企業だ。
だが、藤井の言葉の端々にはそうした“現状”を表す事象への慢心は感じられず、寧ろ「なぜそこまで大丈夫だと思えるのか」と問うてくるかのような温度感を垣間見せる。その上で、未来を見据えた手を打ち続ける。だからこそ、こうした盤石に見える現状があるのかもしれない。
無論、経営者として捉えれば正しい姿勢ではあるが、藤井のその首尾一貫しているように見える姿勢は、デザインファームという領域では珍しくもうつる。この経営者としてのあり方はいかに生まれたのか。そして、今同社が目指すものとは。
複合的な強みと、変化を続ける姿勢
藤井の背景を紐解く前に、アクアリングという企業について少々補足したい。
上述の通り、名古屋発で創業から20年以上。Webデザインが祖業ではあるが、現在では広範なデザインを扱い、多くのデザインファームと同様領域を縦横に拡張している。
ここまでは、Web系の企業では決して珍しくはないかもしれない。同社がユニークなのは、中京圏を軸にビジネスを展開し、拠点も名古屋のみ。クライアントも中京圏の割合が高いこと。そして、地域に特化しながらも80名以上の規模を有していることだ。
中京圏に数多くある大企業のニーズに応えられるよう拡大してきた経緯があるというが、地域を越えて仕事をするのが当たり前になって久しい中でも、規模を維持・拡大し続けているのには、相応の高いパフォーマンスがあるはず。
藤井も「大企業の仕事に多い、多様なステークホルダー間での合意形成や、利害調整などは、確かに我々が期待される要素の一つ」という。
実際、クライアントにはブラザー工業、トヨタ自動車、デンソー、東邦ガス、中部国際空港、朝日インテック……と中京圏の大企業が名を連ねている。無論それに加えて日本各地の大手案件を手がけている。細かくは実績を見てもらうのがわかりやすいだろう。
だが、そうした地域性や大企業への対応力だけで企業・事業が伸び続けることはない。藤井も要因は複合的と分析する。
藤井「例えば案件相談数ひとつをとっても、アクアリングは基本的にずっと仕事が途切れないんです。これは僕が一社員として入社した当初からずっと。特別なことはしていないのですが、これまでの仕事でしっかりと成果やパフォーマンスを出すことに向き合ってきた結果が積み重なり、今に至っているんです」
他にも、組織面を見れば東京では獲得に苦戦するであろうシニア人材の定着率が高い。人は入れ替わっているが、10年以上在籍しているようなメンバーも相対的には多い。事業内容も拡張を続けてきているが、ニーズや相談も自然と増え続けているという。
藤井「僕がWebの仕事をはじめた20年ほど前と比べれば、Webの使われ方も着実に変わりました。よりビジネスへの貢献がわかりやすく求められ、あり方からゴール設定、評価指標も難しくなってきています。だからこそ、単純にサイトだけを考えてつくるのでは通用しないのが今。役割・目的に対して最適な形は何か、といったところから落とし込むプロセスが重要になっている。我々が担うパートも比重も変わってきています」
だが、そうした成長・変化を続ける現状も、藤井はあくまでドライに見る。
藤井「僕はあくまで危機感を持っていて。このビジネス自体、この先ずっと続くようなものではないと認識しているんです。激しい世の中の変化に合わせ、我々も全力で変化していかなければならないのは必然。アセットや経験は活かしつつも、新しいビジネスや提供価値を生み出し続けなければいけません。
その中では、僕が考えるのは『デザイン会社としてどうすべき』ではなく、『うちのメンバーが成長し生き残っていくためにはなにをすべきか?』。そこから考えると、目の前の変化や成果に安住することはできないんです」
入社直後からの急拡大、変わりゆく組織
このように、20年以上にわたりアセットを積み上げ、事業成長・変化を重ねて来た同社。やはりその経緯やアウトプットだけを見れば、盤石という印象はあまり変化がないだろう。しかし、藤井の経験値は、それに安住すべきではないと強く訴えている。
藤井がアクアリングに入社したのは2011年のこと。創業から10年弱で、当時はWebデザインの色が強く、創業者の田中雄一郎、吉田英生が率いていたころだ。きっかけは前職時代、“クライアント側”としてアクアリングへ発注をしていた藤井に、当時代表だった田中は「うちに来ないか」と声をかけてきたという。
藤井「僕はずっと制作畑の人間で。制作会社を数社経験した後、同僚数人で独立して10人ほどの制作会社を経営。会社を解散した後、フリーランスとして電力会社に出向し、Webサイトのリニューアルを(発注側として)取り仕切る役割を数年やっていました。アクアリングと出会ったのはその時。猛烈に、とてもいい仕事をする会社として印象的でした。
入社したのには二つ理由があります。一つは、優秀で面白い人たちと仕事できること。もう一つは、それまで“上の人”が居る環境で働く機会が少なかったので、アクアリングであればいい機会が得られるのではないかと思ったからです」
藤井が入社した当時、アクアリングはすでに40名程度。2013年に代表が田中から吉田に交代してからはより拡大を志向し、数年で60名前後まで人も増えていった。
もちろん、拡大には変化が不可欠。その過程をこう振り返る。
藤井「僕が入社した当時のアクアリングはWebサイトに“いいモノをつくる”と大きく書いてあったのが今でも記憶に残っていて。その言葉通り、“いいモノをつくるためには、なんとでもする”ような会社でもありました。わかりやすく言うなら、今では怒られてしまうような働き方も辞さないような姿勢です。
自分はそうしたあり方に惹かれた人間の一人でしたが、会社を拡大させ社会的責任を果たしていくには、そのままではいけません。徐々に“なんとでもする”ような空気・文化一辺倒ではなくなるように変わっていったんです」
昔から居た人からすると“もっとやろうよ”という気持ちがある一方、新しい人からすれば“そんなに無茶にはついていけない”となる。変化の過程では軋轢が生じるシーンもあった。そんな変化を藤井は、少々意外なまなざしで捉えていた。
藤井「僕は性格上、だいたい何でも一歩引いて見ながら“楽しもう”ぐらいの感覚なので、ポジでもネガでもなかったんです。寧ろ、自分自身まがりなりにも会社をやっていたこともあり、『経営的にはこういうことに悩んでいるんだろうな』『もうちょっとこうしたらいいのに』と思いを巡らす部分もありました」
その後徐々に組織が新たな方向性となり、事業としてもWebデザインからインタラクティブ領域などへ幅を広げていったり、自社プロダクト開発にも取り組んだり、意図的に賞をとりにいったり……。会社として成果も徐々についてきた。
組織の次なる山と副社長就任
そうした山を越えた後、再び大きな変化が訪れる。2019年の社長交代——創業者の二人が退任し、茂森仙直が代表取締役に、藤井が取締役副社長になるタイミングだ。ここでも、組織は大きな変化が求められていた。
藤井「当時は、いわゆる組織崩壊寸前のような状況でした。端的に言うと経営が現場を見えておらず、スタッフは皆不満を抱えている。間に挟まるマネジメントは皆疲弊……といった状態。離職率も高まり、新卒で入社した人も抜けるなど厳しい状況にありました」
この状況を打破するべく実施したのが、トップの世代交代と組織のフラット化だった。
トップの交代に関しては、わかりやすい施策だ。茂森も藤井もいわゆる生え抜き。創業者二人よりは、たしかにメンバーとの距離は近い。かつ、人が変わることの効果は大きいように映る。
一方、組織のフラット化はなかなかの難題だろう。マネジメント職を廃止し、当時のマネージャーが担っていた機能を分散、構造上はフラット化するというドラスティックな挑戦だ。少人数の組織ならまだしも、70名を超える規模でやるにはドラスティック過ぎる変化だろう。実際、主導した藤井と茂森にとっても「チャレンジ」という感覚が大きかったと振り返る。
藤井「今だから言えますが、正直“一定の退職者が出ても仕方ない”と思いつつ強行した施策でした。当時はメンバーもマネジメントも疲弊していましたし、経営からのメッセージが全然伝わらないような状況。さまざまな検討やインプットを重ねましたが、組織構造から抜本的に変えないと難しいだろうと腹をくくりました。
実際当時のマネジメント陣の一部からは反発もありましたし、一時は離職率も高まりました。ですが、結果ここ数年はマネジメントラインも機能するようになり、経営からメンバーへのコミュニケーションも通るようになり、離職率も大分低下してきた。良かったと胸を張っていえる状態には持ってこれたと思います」
組織変革と並行したM&A
さらに、こうした組織変革の裏では、同時並行で中京テレビグループへの参画という挑戦も行われていた。
このM&Aは、代表交代に当たって創業者二人の株式を買い取るというファイナンス上の事情から生まれたもの。詳細は茂森が記したnoteが詳しいが、従業員からすればこれも火種になりかねないだろう。
- 社長になって、はじめての大仕事は「自分の会社を売る」ことだった
- https://note.com/shigemoring_/n/n7618a753a3e2
言うまでもないが、M&AからPMIプロセスで大量離職が起こる例は枚挙にいとまがない。この事象に、藤井はどのように向き合ってきたのか。企業の未来を見据える上では「シナジーがあり、尊重しあえる関係であること」といった観点は当然あったというが、組織側を見る上では「正直やれることには限りがあったんです」と回顧する。
藤井「今回のM&Aは、社員であっても世の中に広く知らされる直前まで公表できないもの。ですから、いくら伝え方を考えたところで、『もっと早く言って欲しかった』と言われてしまうのは明らかでした。
ですから、僕たちにできたのは“事実を正直に伝えること”のみ。意思決定をするに至った背景、中京テレビとご一緒すると決めた理由など、一つ一つちゃんと考え抜いたことを伝えるほかなかったんです。そのプロセスや意思決定には一定確信があったからこそ、ちゃんと伝えるしかないと考えていました」
無論反応はさまざまだった。
「もうあまり記憶がないですね……」と藤井は苦笑するが、相応の苦労があったことが伺える。それでも、現在の状況を問うと、「コロナ禍があり難しい期間が続いたが、やっと徐々に距離を縮める機会が生まれてきている」と前向きに語る。歩みはゆっくりだが前向きな変化が生まれているのだろう。
藤井「中京テレビのWebなどをうちがリニューアルするプロジェクトや新規事業の伴走など、その過程で相互理解が進んだり、関係性が生まれたりしている段階です。もちろん、本質的にはより深い形での協業を目指しているのですが、歩み始めとしての印象は悪くないかなと感じています」
生き残る、そして成長できる環境へ
ここまでを振り返ると、藤井はアクアリングの実績、成果の裏側にある大きな挑戦や変化、苦労の数々を時にフラットに、時に当事者として見続けてきた人物でもあるといえる。だからこそ、変わることへの必然性、良い意味での危機感が常に頭の中にあるのではないか。
同時に、アクアリングという企業は実績や事業領域という意味ではわかりやすく見えるが、それを80名超という規模で実現できているのには、相応の挑戦と苦労を重ねてきているからだということもわかる。
そうした足場の上で、藤井が“危機感”を抱きながら見据えるのは、いかなる展望か。氏は二つの観点で答えを用意してくれた。
一つは、一定短期的な目線。特に先ほど話題に上がった、中京テレビグループへの参画に伴う変化について。相乗効果を生み出すなど通り一辺倒のことはもちろん見据えるが、それに加え「自分たちの挑戦」についても言及する。
藤井「今回のM&Aによって、アクアリング自身もより大きな挑戦をしやすくなっているのは事実です。グループのアセットがあるので、資本体力という意味でも影響力という意味でも、挑戦余地は広がった。だからこそ、今までの延長では起こせない変化や挑戦を増やしていきたいと考えています。
例えば我々に不足している領域の会社をM&Aするといった選択肢もあるかもしれませんし、新たな事業領域を始めるといった打ち手も考えうるかもしれない。具体はまだ検討段階ですが、我々の事業が大きくなることはグループとしてもプラスですから。より視野を広く挑戦していくべきだとは考えています」
もう一つは、中長期での企業のあり方について。冒頭でも「デザイン会社としてどうすべきではなく、うちのメンバーが成長し生き残っていくためにはなにをすべきか?」といった言葉を述べていたが、この言葉こそが氏の描くアクアリングという企業の未来図を端的に表している。
藤井「僕と茂森に代替わりしたタイミングで、大きな方針を定めているんです。それは、会社に向けては“生き残る”こと、社員に向けては“成長できる”ことです。
社会が劇的に変化する中、生き残るために柔軟に変化し続ける。その結果、サービス内容だったりが変わっていくのは、社会の変化を踏まえれば必然でしょう。一方の成長は、テクニカルスキルではなくポータブルスキルを重視。さまざまな変化が起こったり転職や職種の変化があったりしても活躍し続けられるような能力を高く持ってほしいと考えています。自己申告型の給与制度やフラットな構造など自律性の高い組織構造・文化はそれを目指すためのものです」
方針自体はとてもシンプル、だがある意味とてもフラットで良い意味でエゴが感じられないような印象も受ける。そう伝えてみると、藤井は少し考えた後、次のような言葉を続けた。
藤井「僕の場合、優秀な人が集まり刺激を貰える環境で働けるという状況に楽しさを覚えているので、極論仕事内容にこだわりはないんです。その状況をいかに続けられるかと考えるし、その場に集う人が力を発揮し楽しく働けるようにしたい。このニーズは先ほどの大方針とも繋がっているので、あまり自分としての我を出さなくとも成立している。良い意味で、僕と茂森は“必ずこうせねば”みたいなものが弱いのかもしれません。その結果として、会社にとっての最適を模索しながら変化できているように感じます」
生き残るためとにかく変化を重ねる。藤井が率いる前から、アクアリングはそうした変化の連続だった。ただ、それには痛みを伴うことも前述の通り。その中、より変化が激しくなる社会と、組織として変化できる速度とのバランスを見据え「会社にとっての最適を模索」と藤井は語る。
“必ずこうせねば”がない——は、決して意志がないわけではない。変化と組織、両面を見据えた、バランス感覚を持った生存戦略ではないだろうか。