“デザイナー”を切り拓く——Basecamp坪田朋氏が挑み続けるキャリア #Designship2018

2018年12月1日、2日の2日間にわたり、デザインカンファレンス「Designship2018」が開催された。あらゆる業界から第一線で活躍するデザイナーが集い、2日間でのべ20名以上のデザイナーによるセッションがおこなわれた。

2日目、ゲストスピーカーとして『エクスペリエンスデザイナーとしてチャレンジしてきた俺の屍を越えてゆけ』と題したセッションに登壇したのは、Basecamp代表の坪田朋氏だ。

様々な規模の組織でプレイヤーからマネージャー、経営者までを経験してきた同氏のキャリアを振り返りながら、サービスづくりへの想い、そしてデザイナーがプレイヤーで居続けることの難しさと挑戦について語られた。

坪田 朋
株式会社Basecamp / 代表取締役
Onedot株式会社 / CCO
livedoor, DeNAなどで多くの新規事業立ち上げやUI/UXデザイン領域を専門とするデザイン組織の立ち上げを手掛ける。現在は、BCG Digital Venturesにてデザインシンキングを使って立ち上げた新規事業開発業務「Onedot」にCCOで参画しつつ、兼業でデザインファーム「Basecamp」を立ち上げてスタートアップの事業創出やデザインコンサルティングを支援。

ロールモデル不在のなか、デザイナーとしてのキャリアを歩み始める

坪田氏は現在、新規事業や新規サービスの立ち上げ時のUI/UXデザインや、プロダクトマネジメント、デザイン組織の立ち上げにおけるコンサルティングなど、幅広い役割を担っている。

セッションの始まりは、坪田氏自身がどのような思いで、デザインに取り組んでいるかが語られた。

坪田

「僕には『ユニコーン企業』を創出したいという夢があります。日本から、自分がゼロから携わったサービスでユニコーンになる企業を生み出したい。そのために日々仕事と向き合っています」

この想いは、どのような経験によってうまれたのか。本セッションではその経緯と同氏のキャリアが紐解かれていった。

物語の始まりは20代半ば頃。ロールモデル不在の中キャリアを積み上げていた坪田氏は、理想と自らの実力のギャップに苦心した日々を送っていた。

坪田

「自分が正しいと思うサービスを作りたいと、強く思っていたんです。しかし20代半ばの頃は、誰を見習えば良いか、相談する相手もわからずとても悩んでいました。一方、アメリカの西海岸では触った瞬間に感動するような憧れのサービスが次々と生まれている。——当時の自分は、デザインと言うにはおこがましいくらいの仕事しかできていませんでした。自分が作りたいモノに対して技術が足りず、悔しい日々を過ごしていましたね」

転機となったのは2008年、iPhone3Gの登場だ。その頃からUIデザインという言葉も耳にするようになり、坪田氏は、スマートフォンの時代を強く意識。スマホシフトに取り組むためDeNAへの転職を決意した。

坪田

「質感や特徴など、現実世界のモチーフを模倣しユーザーの理解を促進する、スキューモーフィズムデザインに、一瞬で魅了されました。当時モバイルビジネスといえば、モバゲーを運営するDeNAでした。DeNAは資本もあり、優秀な人も多い。モバイル市場を伸ばしてきたDeNAでスマホシフトを進めようと考えました」

作り手がサービス開発をリードする、デザイン組織づくり

坪田氏は2011年にDeNAに入社。当時DeNAは「スマートフォン」と「グローバル」で戦うと宣言していたが、“作り手”にとって理想的なものづくり環境が未整備の状態だったという。

デザイナーは10人ほどで社内での立場も決して強くなかった。これでは戦えないと考え、坪田氏はデザイン組織づくりに着手。デザイン組織を作った際のノウハウは、坪田氏のnoteやSperker Deckで具体的な取組内容が公開されている。

坪田

「2012年くらいからデザイン組織づくりを始めました。はじめはUIデザイナーと呼ばれるような人も社内には少なく、人集め、環境整備、予算確保…やるべきことはなんでもやりましたね。メガベンチャーの中にデザイン会社を作る感覚です。権限を確保し、仕組みを作り、想いを発信し続ける日々でした」

デザイン組織を作るにあたっては、匿名のデザイナーを世の中から減らし、デザイナー、そしてデザインのプレゼンスを上げたいとも考えた。デザインイベント『UI Crunch』を立ち上げたのも、その施策のひとつだ。

坪田

「スタッフロールを公開するなど、匿名のデザイナーを減らすことは常に意識しています。『UI Crunch』では南場さんにデザインを語ってもらったり、メディアに取り上げてもらったり、デザインに注目が集まり、プレゼンスが高まるよう努力を重ねました。そういった活動の結果、デザイナー以外の人にもリーチし、組織の内部にも変化が起きていきました」

プレイヤーとして挑戦し続けられる場を

権限の確保や仕組み化、マネジメント手法の探求、プレゼンス向上など、さまざまな取り組みを行った結果、DeNAは200人規模のデザイン組織へと成長。それに伴い坪田氏の立場も変化していった。ただ、それと共にマネジメントとプレイヤーとしてのロールの違いも考える用になっていった。

坪田「2012年、僕がマネジメントや評価をする人数は200人いました。仲間が増えて、デザイン組織ができたことを実感する一方、自身の役割に対して本当にこれでいいのかと悩んだ時期でもあったんです。もともと僕はデザイナーです。このままではデザイナーとしての死が待っているのではないかと、不安に襲われていました。そこから、評価をする人数比や立場を変え、2014年には80人、2016年が5人、そして2018年は0人に変えていきました」

マネジメントに回れば、直接的に企業価値を引きあげる仕事はできたかもしれない。しかし、自身が深く関わってサービスを作る機会はもう無くなってしまうのではないかと感じた。同時期に、デザイナーとしてのあり方を刺激されたことも重なり、坪田氏は再び転職を決意する。

坪田

「きっかけは、2015年にDeNAと任天堂が業務提携し、任天堂と仕事をした経験でした。任天堂の人と話してみると、とてもクリエイティブで、ものづくりに没頭している。その姿勢に感銘を受けたんです。それを機に、場を変えることを決意しました」

ここで坪田氏は、マネジメントかプレイヤーかを考えるとき、報酬の話がついて回るだろうと切り出す。一般的には、プレイヤーよりマネジメント側の方が報酬は高い。それでも坪田氏は、現在はマネジメント時代の3倍の報酬を得られるようになっているという。

坪田

「日本ではまだまだ、プレイヤーとして報酬が上がり続けるフィールドは多く無いと思います。僕自身不安な中でのチャレンジをしてきましたが、道を切り開き、プレイヤーが挑戦し続けられる場を作っていきたい。そう考え挑戦を続けています」

中国の熱量を感じる日々と、Basecampの立ち上げ

プレイヤーに戻ろうと考えた坪田氏の次なるフィールドは、BCG Digital Ventures(以下、BCGDV) 東京オフィスの立ち上げだった。

坪田

「BCGDV選んだ背景には、先ほどお話しした任天堂とDeNAの業務提携での経験があります。大企業との業務提携によって、グローバルにインパクトを与えるゲームやプラットフォームができあがった。その経験を通して、大企業とイノベーションを起こすことに興味をもったんです」

BCGDVでは、ユニ・チャームとBCGDVのジョイントベンチャーで、中国向けの育児動画サービス『Babily』を提供するOnedotの立ち上げに参画。2年ほどかけてOnedotを立ち上げた後、坪田氏はOnedotを引き続き伸ばすか、BCGDVに戻り次のプロジェクトに関わるかの選択に迫られた。

そこで彼が選んだのは、Onedotというスタートアップを経営層として育てることだった。ただ、単に経営者としてマネジメントに回るのではなく、自身でデザイン会社を立ち上げ現場に居続けるという新たな選択肢を生み出した。

坪田

「Basecampは、“スタートアップ生産工場”を作りたいと思って立ち上げた会社です。いつかユニコーンになる企業のサービスを作りたいと考え『作る』ことを仕事にしています」

“作ること”を続けるために選択した、自分自身の会社を持つという手段。実際Basecampは2018年だけで、SNSで募集を呼びかけるサービス『bosyu』やVtuberプラットフォーム『IRIAM』等の事業立ち上げに携わった。特に『bosyu』は2018年4月にリリースし、8月にはリモートワークの事業を展開するキャスターに事業譲渡するなど、圧倒的な速度で成果も残している。

単にマネジメントに終始するのでもなく、プレイヤーとしてがむしゃらに働くのでもない。適切な成果を生み出すことにもコミットしつつ、“作ること”にフォーカスし続ける環境を自ら作り上げたのだ。

プレイヤーで居続けることの難しさと挑戦

セッションの最後、坪田氏はキャリアを振り返りながら、プレイヤーで居続けることの難しさを「山」にたとえ考察した。

坪田

「2012年、僕は会社の一部門の中で、もちろん悩みも抱えつつ、着々と山を登ってきました。それが2016年頃、特に35歳を超えると、異なるスキルの掛け合わせ必要だったり、期待値が高くなったりする。求められるものが多くなり、逆斜面を登るような感じで必死に仕事をしています。ただ『作り続けたい』という思いが強いため、今も必死で登っているんです」

37歳の現在については「登れるか分からない、経験したことのない”岩山”に飛びついている段階」と表現した。岩山を登りきり成果が出た時の景色を見たいと力強く語る一方、危機感をより身近に感じるようになっているという。

坪田

「30歳を超えた頃から、生活環境や体力的に気を抜くと、あっという間にデザイナーとしての死が訪れるなと感じるようになりました。今はその危機感が増している。デザイナーとして、自らのクリエイティビティや経験値を高いレベルでアウトプットするために、デザイン領域だけでなくビジネスやテクノロジーなど近傍領域の挑戦の必要性も感じています」

坪田氏は、今後サービスを作り続けるにあたり、積極的にプロセスやナレッジを記録に残していきたいと考えている。それは後に続く若手のデザイナーが、一人ではなく、さまざまな人のノウハウによってデザインができるようにするためだという。

坪田

「海外ではデザイナーが上流プロセスに入り込んでいる話をよく聞きます。それは誰かがキャリアを切り開いてきた結果の表れだと思うんです。これからも、僕は1年で最低ひとつはサービスを立ち上げたいと思っていますが、実際にはいつまでプレイヤーで居られるかわからない。だから可能な限り、誰かの参考になる“レコード”を業界に残していきたいと考えています」

Credit
写真
小山和之

designing編集長・事業責任者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサルでの編集ディレクター/PjMを経て独立。2017年designingを創刊。2021年、事業譲渡を経て、事業責任者。

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