なぜ私はつくるのか? “そうぞう”の原点から眺める感性と思考の往復──工藤桃子×吉泉聡×伊藤亜紗

ものづくりは「楽しい」「苦しい」「嬉しい」。いろいろな感情が混ざり合いながらも、まだないものへの想像力を働かせ、創造性を発揮しようと挑む人は多い。なぜ、人はつくり続けるのだろう。何に心を動かされ、“つくる人”として生きているのか。

多様なデザイナーが一堂に会するデザインフェスティバル「Featured Projects 2024」のテーマは、「“そうぞう”からはじまる」。3日間・計12種のトークイベントのなかで、2日目の後半におこなわれたのが「なぜあの人はつくるのか:そうぞうの原点」だ。

登壇者は、MMA Inc.代表で一級建築士の工藤桃子、TAKT PROJECT代表でデザイナーの吉泉聡。モデレーターを東京工業大学の美学者・伊藤亜紗が務めた。本記事では、美術や芸術、工学まで幅広く“そうぞう”に触れてきた3名による、つくることの動機や、つくり続けるモチベーションのありかを巡るセッションの内容をお届けする。

工学と美術の往復でたどり着いた“編集”っぽい設計

3名のトークは、これまでの経歴や仕事内容を交えた自己紹介から始まった。

モデレーターを務めた伊藤は、東京工業大学で芸術を教える研究者であり、中でも美学を専門とする。伊藤いわく、美学は「哲学のきょうだい」とも呼ばれる分野で、現象を細かく言葉で分析しながらも、一方でうまく言葉にならない部分まで取り扱う。言い表せない感情や身体感覚を表現することは、今回のテーマでもある“そうぞう”に重なる部分があるのでは、と語った。

伊藤

最初のトークテーマは「自身に強い影響を与えたものづくりや人、原点について」です。おふたりにはそれぞれ自己紹介いただいたあと、まずは現在のような“そうぞう”をするようになった背景を教えていただきたいと思っています。

東京工業大学、美学者 伊藤亜紗

促されて、一級建築設計事務所であるMMA Inc.の代表、工藤がマイクを握った。自身も建築士として活躍している工藤だが、もともとは多摩美術大学の出身だ。卒業後、構造設計の計画から建築まで取り組む組織設計事務所に勤務。工学院大学院に進学した後に独立という道を歩んでいる。

工藤

MMAでは「身体から感じる設計」という表現を用いて、言葉では表せない感覚を身体から感じる設計をしていくことを意識しています。手掛けるプロジェクトは、大きく分けて展覧会などの会場構成、商業インテリア設計、建築設計の3つです。どんな設計でも空間に対しての“最適解”を提案するところは共通していて、理論で詰めていく言葉の部分と、体感で詰めていく感覚の部分の両方が必要です。

工藤の元には最初から「こういう設計をしてください」と依頼が来るのは稀で、大体は「何かを立ち上げたい、変えたいがどうすればいいのか」という形での相談が多い。その場合、設計を始める前に、コンセプトを立てるところから彼女の仕事は始まるという。

事例として、2024年のKYOTO GRAPHIE(京都国際写真祭)KG+での会場構成や、サントリー白州蒸溜所 TASTING LOUNGEのリニューアル、さまざまな角度から移り変わる光を取り込める住宅建築を紹介した。ガラスなどの材料も自ら選び、直接工房まで足を運んで注文内容を相談することもあるという。

インテリアを担当したTASTING LOUNGE(当日のスライドより)

工藤

さまざまな立場の人たちの間に入り、物事を進めていくやり方に「“編集”っぽい設計してるね」と言われることも多いですね。カタログの中から「これをください」と選んで職人さんに発注するわけではないので、意図がなかなか通じないときもあります。制作パートナーの表現をどう引き出せるのかも、仕事の大事な部分です。

そしてこの、多様な他者とどうコミュニケーションを取ってものづくりを進めていくかという点において、自身の歩んできた道が生かされていると工藤は話す。アート好きな母に連れられて幼少期から美術作品や舞台芸術に触れる機会の多かった氏は、一方で科学者の父にも影響を受け、数学や物理学に惹かれた。美術に触れながら、実験道具でも遊ぶ。2つの道を並走するような形の末、高校卒業後の進路先には美大を選んだが、就職を経て後に工学も学び直した。

MMAInc.代表、設計士 工藤桃子

工藤

工学と美術を行ったり来たりしながら今に至っているんですよね。でも、その視点で改めて現在の活動を眺めたとき、両方あってよかったなと感じます。両方を知っているからこそ、お互いの分野で足りていないものを補えているな、と。美大では、いいデザインをしていてもロジカルに説明できなければダメだと学びましたし、逆に工学部ではもう少し「感覚で捉える」ことの重要性を感じました。

複数人のチームで進めることが多いものづくりの世界において、2つの視点を持つ工藤のキャリアは強みとなる。相手や場面によって、言葉と感覚を使い分けながらコミュニケーションを取っていく工藤の原点が垣間見えるエピソードだ。

ロジックと感性はどちらも人間らしい知性である

伊藤

美大から工学系に移られた工藤さんに対して、吉泉さんは工学系の経歴からデザイナーになられています。工業大学で芸術を教えて、両方の業界を見ている立場の私からすると、おふたりの経歴は一見真逆なようにも感じていたのですが、いかがですか?

次に伊藤が話を振ったのは、TAKT PROJECT代表を務めるデザイナーの吉泉。氏はデザイナーになる前は、東北大学工学部機械知能工学科で「最適設計学」と呼ばれる分野の機械工学を学んでおり、目的に対していかに最適に機械を設計するか、それに伴いどう評価していくのかの研究をしていた。

吉泉

もともとは、すごく物欲がある少年だったんですよね(笑)。ものの魅力に取り憑かれるところがあって、自分でもつくりたいと思ったのが最初です。ただ、学んでいくにつれて、「機械の中で起こること」を知れても、自分の心が動いたものに辿り着くには足りないんじゃないかと考えるようになりました。

吉泉が心惹かれたのは、人間を捉え、人間の心を動かすこと。専門としていた最適設計の領域には、そういった観点の繋がりは見えづらかったと話す。そこで方向転換をして、卒業後はデザイン業界へと進み、2013年に会社を立ち上げた。もともとは興味の深かったプロダクトデザインを主に手掛けていたが、現在は空間デザインやデザインを通したR&D、ブランドアイディンティティーの構築に至るまで領域を広げ続けている。

吉泉が展示ディレクターを務めた、21_21 DESIGN SIGHTの企画展『Material, or』(当日のスライドより)

吉泉

何かに触れたり感じたりしながら作ることが好きですね。こうやって振り返ってみると、結果的に身体性を持ってつくられたもの、もしくは受け手側にもそれを感じていただけるものに広がっているかなとは思っています。

その軸はクライアントワークだけでなく、TAKT PROJECT主体のものづくりやリサーチプロジェクトにも通じている。吉泉にとっては、頭で考えることの限界を超えるためにまず“触れる”行為があり、触れることを通して自分自身が何かを感じ、リアクションしていく。そこに、自分の行動とは違う次元に導いてくれるような感覚があると語る。

TAKT PROJECT代表、デザイナー 吉泉聡

また吉泉は原点をたどるトークの中で、工学からデザインに転向する際、「そんな“見てくれ”みたいなことがやりたいのか」と言われたエピソードを明かした。ショックを受けつつも、いざデザイン業界に入ってみると、物事の進め方や考え方が違うことを実感したという。工学とデザイン、両方に触れてきた吉泉に、伊藤からは「今、“見てくれ”だと言った人に反論するとしたら?」という問いが。

吉泉

反論ではないですが、「技術をどう使うかは誰が考えるんですか」と問い直すかもしれないですね。そもそも“技術”って無色透明なもので、今までできなかったことができるようになることと思ったほうがいい。そして、工学の世界では、そのできるようになったことを「何に? どう? 使っていくか」という方向付けの議論がほとんどなかったと感じています。だから、哲学と工学を結びつける人がもっといるんじゃないかと。

工学の世界では最先端なものが価値基準として強いが、必ずしも「使い方は最先端じゃない」ことがあると頷く伊藤。応答するように吉泉は、工学だけの世界を飛び出し「感じること」を大事にしてきた一方で、やはり「頭で考える」ことも大切だと思うようになってきたと話す。

吉泉

「感じてください」と言っても意外と何も感じれない場合があって、知識として知っているからこそ解像度を高く感じることができたりします。この両方を持ってるとすごくいいんじゃないかなとか、最近は考えたりしていますね。

伊藤

大学の授業で、工学系の学生に絵画などを見せて感想を言葉にしてもらうと、最初の方は「やばい」とか「すごい」とかしか出てこないんです。そこから、自分の中にある、“知ってるけど使っていなかった言葉”を使い出すと、言葉にだんだんと実態が伴ってきて、自分の感情の高まりともリンクし始める。細かい差異をもっと感じられるようになるんですよね。

目的を決めて計画に沿って実行するロジカルな思考と、まずは感じたうえで、考えながら形を探るまなざし。どちらがいい、どちらが上だという話ではなく、どちらも人間らしい知性の形だからこそ、平等に評価し合えることがいい世界を作るのではないか。工学とデザインを混ぜ合わせることの意義を語る吉泉と伊藤の視点は、工藤の話にも通じると言えるだろう。

ものづくりの「動機」は探る?生まれる?

続いて伊藤から投げかけられたトークテーマは「“そうぞう”を続けるモチベーションやものをつくるときに大切にしていること」。哲学的な問いかけに、まずは工藤が「可能性を広げること」だと答えた。

工藤

会社をつくったときに「文化的なことをやろう」と決めていました。成長していく社会の中で、次に人を豊かにするのは、文化的な強度だと思っているので。その可能性を広げるために、まずは空間をつくることを主題としましたが、必ずしも建築や空間に落とし込まなければいけないとも思っていないんです。

実際に工藤のものづくりは、「なぜつくる必要があるのか」という問いを、クライアントとともに詰めていくことから始まる。特に建築は、動機が曖昧なままつくり進めるとその存在の意味合いを失うことも少なくない。先ほどの吉泉の話に出た2つのプロセスのうち、まずは問いを立てる考え方を工藤も大切にしていることが伺える。

工藤

議論の末に「つくらなくていい」という結論になることもある。その場合、かかるコストを違う方面に移していくこともします。例えば、メディアをつくる方が地域のためになるなら、そのほうがいいですよね、と。

一方で、吉泉からは「自分のため」という、また違った動機が示された。自己紹介でも触れた「つくることで自分が違う次元に向かう面白さ」を、氏がいかに大切にしているかが感じられる。

吉泉

つくることは完成を目指す行為でもありますが、同時に思考を反対側から刺激してくれるようなものだとも感じています。子どものときに砂を投げたり、砂場を掘って水を流したりして、「こうなるのか!」とハッとする瞬間とあんまり変わらないことをやり続けてるんじゃないかなと。僕にとってものづくりは、目の前のものをどれだけ体に入れられるか探る行為であり、繰り返すほど新しい自分になれるんじゃないかというスパイラルが楽しいです。

例として、吉泉が以前作った、光硬化性樹脂を使った光る球体の作品を紹介した。何をつくるかのゴールを決めるわけでもなく素材で遊ぶうちに、つららのような形になる創作方法を発見。そこから「なぜ面白いと思うのか」「そもそも人類にとってプラスチック(樹脂)はどういう意味付けがあるのか」などの深掘りをおこなったという。

吉泉がインスタレーション作品として発表した『glow ⇄ grow : globe』(当日のスライドより)

自らの感覚的なきっかけに意味を見出していく吉泉のプロセスは、工藤とは真逆だ。「未来を耕す」行為として多くの自主プロジェクトを手掛け、デザインそのものの捉え方から見つめ直すような吉泉の話を聞いて、工藤は改めて自分の特性を感じたようだった。

工藤

吉泉さんは自分のためにさまざまな作品づくりもされていますが、私はそこに苦手意識があって。私はたぶん、人のためにしかものを作れないタイプなんだと思います。

そう話す工藤も、クライアントワークを中心にしてきたこれまでの仕事に加え、現在は自らが主体となって動かすプロジェクトを持つ。長野の開墾された土地で木を切り、柱にして、自分たちで場所を“つくる”という、「次の10年のため」の活動だ。

工藤

自分で自分のためにつくる、ということをあまりやってこなかったなと思っていて。誰かのためにつくり続けることはすごく大事なんですけど、自分自身が何をつくりたかったのか、自分の表現とは何だったかを見失い始めていたんです。だから、このプロジェクトでつくる自分たちは何者なのかを捉え直して、次の10年の種にしようと考えています。

伊藤

その「自分のため」というのがエゴイスティックではなく、ある意味、人間としての原点に帰る部分が面白いですね。対人間ではなく、対自然というか。

工藤

自分たちのコントロールが効かないものと向き合うのが大事ですよね。予定調和で進むものはストレスがないけれど、同時に発見もない。そうじゃないものと向き合い、格闘するのが人間本来の姿かなと。困難に向き合ったときに、柔軟に発想を転換できる自分でいられるのか、ということも含めてやってるのかもしれないですね。

長野での「NUTS LAND PROJECT」(当日のスライドより)

外の世界とのつながりが“つくる人”をつくる

伊藤

最後のトークテーマは「日々の情報摂取や影響を受けているものたち」です。先ほどのお話で、おふたりともメインのお仕事以外の活動、もしかしたら経済的には余計だと見えるかもしれないようなことをなさっている共通点があるように思います。他に自身の“そうぞう”に影響しているなと思うものがあれば、教えていただいてもよろしいですか?

吉泉がここ数年積極的に取り組んでいるものとして紹介したのは、東北でのフィールドリサーチだ。目的は、日本の中心である東京を一度離れ、物事への向き合い方を別の視点から知ること。積雪量も多く、都市生活者の暮らしとは大きく異なる環境にあえて飛び込んでみたかったのだと語る。

吉泉

フィールドリサーチで感じたことや出会った方々の影響が、やはり自分の中では大きいです。例えば、マタギの方と一緒に雪の中を歩かせてもらったとき、僕らが「自然が綺麗ですね」と言ったんですよ。そうしたら、「いや、自然って言葉は使わない。あれは山でしょ、あれは川でしょ」と言われてハッとしました。

言葉遣いによって異なる概念が立ち表れること、視点によって世界の受け取り方が違うのだと解釈しましたね。そこに気づかず生きていると世界はひとつだと感じがちですが、実際の捉え方や概念は一人ひとり違うので、とても面白いです。

同じく「研究するときは東京中心で考えないようにしている」と話す伊藤も、利他について研究する際に訪れた八丈島で、明確な約束をせずとも回っていく世界観を体験したことをシェア。それを受けた吉泉からも、『遠野物語』などで知られる遠野地方では、よくわからないものを“わからないままにしておく”文化があり、そこから妖怪の話も生まれるなど、人の心に広い干渉領域をもたらしているのではという話があった。

伊藤

たしかに。現代は分析するほどいいという風潮がありますが、実は分析しちゃうと喧嘩になることも人間の社会でいっぱいありますよね。“わからないままにしておく”という、ある種その適当さが意味を持つことって、ものづくりにおいてもあるんでしょうか?

これに「あると思います」と答えたのは工藤だった。

工藤

私はもともと設計するときも、わからないままに置いておいてみる、みたいなやり方が好きなんです。あと最近、山に行くことが増えてその“暗さ”をすごく感じるようになりました。明るくて全てが見えてしまう東京に比べて、山では真っ暗な領域がたくさんあって、さらに人の領域との間に、よくわからない境界線みたいなものもあるんですね。

その感じを、私自身が空間を作るときにも心地いい形で取り入れることができるんじゃないかなって。曖昧さを残して設計することが、私たちの感情を豊かにすることにすごく効いていくと考えています。

わからないままにしておくからこそ寛容になれるし、曖昧だからこそ大切にできる。デザインにおいても大事にしたいこの不明瞭さを、吉泉も今後さらに突き詰めていきたいと言葉を重ねた。

吉泉

最近「わからなさのクオリティ」を目指そう、と言っています。これまで都市を中心につくられてきたデザインは、つくり手側がつけた意味を人に受け取ってもらうものでした。だけど、よくわからないものを見たときに、人間の想像力によって「こういうことかな」と意味がたくさん生まれていくことってあると思うんですね。わかりやすいものをつくるのはこれからも大事だと思うんですけど、100人見たら100通りの意味が生まれるぐらい多様な意味が発生する人工物がありえるのか? というのは、考えて取り組んでいます。

「わからないから、どうでもいい」になってしまわない絶妙なラインで、今後もものづくりをしていきたいと話す吉泉。その先に、想像力溢れる人間らしい環境が生まれるのではと仮定し、都市と地方を行き来している。

一方、工藤は長野のプロジェクト以外に、自身の制作するジャーナル『MMA fragments』でも、人々の想像が及ばない部分にフォーカスする。都市の建築がこれまで環境に与えてきた負荷を認識した上で、MMAが扱ってきた強度が高く良質な素材をテーマにしたメディアだ。ものづくりの背景を伝えて愛着を持ってもらうための表現でもある。

工藤

製品や新築、新店舗を見たとき、既製品のような感覚になると思います。でも、ミクロな視点で見れば、タイルの1枚1枚にもつくっている人がいて、1枚ずつ並べる人がいる。それを知る機会を、設計事務所が提供してもいいんじゃないか、と始めたのがジャーナルです。特集する素材を変えつつ3号まで制作してみたことで、ものづくりに共通する社会的な課題も見え始めました。

地域の人口減少や高齢化、それに伴って中小企業メーカーが抱える後継者不足など、さまざまな会社や地域が同じ悩みを抱えていることがわかったと話す工藤。今後はさらに包括的に課題を捉え、産業全体としてどのように発信していくかを考えていきたいという。都市を離れ“そうぞう”を支える人々と出会うことが、都市でつくっていく自らの“そうぞう”につながっていく。

なぜ、あの人はつくるのか。彼らの“そうぞう”は一体どこからくるのか。今回登壇した2人の話を聞いただけでも、それぞれの原点と信念があることが伝わってきた。クライアントワークであれ、自主作品であれ、そこには自分なりの価値基準がある。

伊藤

ものをつくることって、常に評価が入っていて、それはクライアントからの評価だけではなくて、自分で自分にフィードバックをして次の一手を探っていくことでもあると思います。観察して、評価して、また手を動かす。この連続ですよね。そして、その自分の価値基準、大事にしたいところに戻っていくのが大切なのだと思いました。

最後に伊藤がそう語ったように、つくる人たちは何度も原点回帰をしながら活動を広げていくのかもしれない。なぜ、私はつくるのか。その問いこそが「“そうぞう”の原点」なのだろう。

Credit
執筆
ウィルソン麻菜

ライター。属性やラベル、国境などを超えた「向こう側にいる人」を伝えれば、社会がもっと身近で平和になると信じて文章を書く。主に、インタビュー記事や発信サポートなどのライティングをおこなう傍ら、個人の記憶を本にして残す「このひより」としても活動中。

編集
佐々木将史

編集者。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、'17に滋賀へ移住。保育・福祉をベースに、さまざまな領域での情報発信、広報、経営者の専属編集業などを行う。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。関心のあるキーワードは、PR(Public Relations)、ストーリーテリング、家族。保育士で4児(双子×双子)の父。

Tags
Share