人も町も移り変わる。それでも「続いていく」デザイン──神山つなぐ公社・馬場達郎×飯石藍

義務感ではなく「自治の意識」。出番を押し付けるのではなくそっと寄り添うことで、「自分たちでやる」という自発性が生まれる。まちを将来世代につなぐプロジェクトは、「続いていくデザイン」の触媒となっている。

Focused Issues

本記事は、グッドデザイン賞2022 フォーカス・イシューと連動し、双方のサイトへ掲載されています。

グッドデザイン賞の審査を通じてデザインの新たな可能性を考え、提言する活動「フォーカス・イシュー」。2022年度ディレクターとして、都市デザイナーの飯石藍は「続いていくデザイン」をテーマに選んだ。重厚長大な完成形や成長を目指すのではなく、変化する状況に柔軟に合わせながら動き続けるデザインを模索することが、先行きの見えない社会を生き抜くために重要だと考えたからだ。

そのヒントを得られそうだと飯石が着目したのが、徳島県神山町・大埜地地区に建造された「子育て世代向けの町営集合住宅 [神山町・大埜地の集合住宅]」だ。コンセプトは、“100年後まで長く住み継がれてゆく町営住宅”。子育て世代を対象とする20戸の賃貸住宅を中心に、敷地を町にひらく公共空間「鮎喰川コモン」や、ランドスケープの視点を取り入れた原っぱなどが整備されている。

この事例から「続いていくデザイン」のヒントを探るべく、飯石は現地を訪問。ディレクションを担った神山つなぐ公社の代表理事、馬場達郎と対談を行った。

移住者を受け入れたいが「家がない」

飯石

私は普段、公共施設の流通・活用を促進するメディアプラットフォーム「公共R不動産」の運営や、全国各地でまちづくりに関するプロジェクトに携わっています。そこでいつも感じるのは、町や空間、建物を「つくる」こと自体はゴールではないということ。むしろ、その後ずっと紡がれてゆく、そこに生きる人々の営みにこそ目を向けるべきだと考えています。

そうした問題意識から、昨年度のグッドデザイン賞では、フォーカス・イシュー・ディレクターとして「完成しないデザイン」というテーマを設定しました。その探求の中で見出した重要な要素の一つが、「長期的に継続できる仕組みがあること」。でき上がったものを完成品だと捉えず、その後も工夫しながら続いていくものだと考えることが重要なのではないか。そう思い至り、今年度は「続いていくデザイン」というテーマを設定しました。

時代の流れが誰にも読めないほど激変し続けている中で、どうすれば町もプロジェクトも柔軟に変化しながら、「続いていくデザイン」を実践できるのか。そのヒントを得ようと、今回はお声がけさせていただきました。まずは改めて、このプロジェクトがどのように始まったのか、教えていただけますか?

都市デザイナー/公共R不動産 コーディネーター/nest取締役 飯石藍

馬場

大前提として、人口減少によって神山町は消滅の危機にあります。1950年には2万1,000人が住んでいましたが、現在は5,000人、このまま減少すれば2040年には約2,400人、2060年には約1,100人まで過疎化するという推計があります。「何もしなければ、本当に神山町は終わってしまう」という現実的な切迫感から、この集合住宅が生まれた背景にある、神山町の創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」が2015年に策定されました。

ただ、「2060年の時点で3,000人を下回らない人口を維持し、かつ小中学校の各学級人数が20名以上を保つ均衡状態に入る」という目標達成のための道筋を考えた時、「目標達成のためには、毎年44人の新規転入者を受け入れる必要がある」という数字が浮かび上がったんです。現実的に、毎年それだけの転入者を呼び込むのは人口減少の渦中にある田舎町にとって難しい目標だな……と思いました。

一般社団法人神山つなぐ公社 代表理事 馬場達郎

飯石

そうだったのですね。ただ、以前から神山町は“地方再生の最前線”と呼ばれるほど、積極的に新たなチャレンジに取り組まれてきましたよね。例えば、神田誠司さんの著書『神山進化論: 人口減少を可能性に変えるまちづくり』(学芸出版社,2018)では、1999年から23年間続く「神山アーティスト・イン・レジデンス」の活動や、2004年に設立されたNPO法人グリーンバレーによるサテライトオフィス支援事業、「神山町移住交流支援センター」の設立など、人口減少に向き合いさまざまな取り組みが行われてきたと記されています。

馬場

ありがたいことに注目していただく機会は多かったのですが、そこで立ちはだかった大きな壁が「家」の問題だったんです。移住者を呼び込もうにも、住める家が神山町にはなかった。民間の賃貸住宅はほとんど存在せず、町営の賃貸住宅は入居率がほぼ100%。新しく賃貸住宅を建てようにも、家賃相場が低すぎて投資回収の目処が立ちませんでした。

そこで、創生戦略を一緒に考えてくれた働き方研究家の西村佳哲さんに相談しながら、まずは「物件が不足している」問題に着手することを決めました。地域コミュニティに無理なく溶け込める20世帯・80人規模の集合住宅を建てましょう、と。

飯石

なるほど。そこで町内外から若い世代を受け入れる新築の賃貸住宅をつくる話が進んでいったわけですね。

工事に「4年も」かかった理由

コミュニティスペース「鮎喰川コモン」は、子育て世帯を中心に多様な人々が混ざって交流する場所。子育て世帯の生活が家族内だけで閉じてしまい、地域の関係性から分断されないようにとの意図で設計されたという

飯石

そうした背景で生まれたこの集合住宅は、建設過程も興味深いなと思いました。工事は2018年に着工、2022年に竣工とのことですが、この規模の公共工事では単年で工程が終わるように入札をかけて発注するのが一般的ですよね。なぜ4年間もかかったのでしょうか?

馬場

「神山町の木材を使う」「地元の大工が建てる」という条件にこだわったからです。たしかに、この住宅整備を一括で請け負える規模の大きい業者を公募して発注すれば、早く効率よく、かつ安く建てられるでしょう。しかし、それではお金も仕事も神山町の外に流れてしまう。発注規模を抑えて神山町にいる小規模な工務店などに発注すれば、地域内で数億円分のお金が循環し、大工の技術継承や生業の継続に貢献できます。

飯石

グッドデザイン賞の審査の際にも、「そこにあるものでつくる」「公共工事を”まちのプロジェクト”にする」など、いくつかポイントを挙げていましたよね。神山町の資源や人を活用して集合住宅を建てることは、まさに「そこにあるものでつくる」だと思いますが、とはいえこれを実行するのはとんでもなく大変ですよね?

馬場

そうなんです(笑)。例えば、当時は集合住宅をつくれるほど十分な神山町産材の在庫は町内にありませんでした。他方で、施工者が「木を伐採して乾燥させる」など町産材の調達からはじめると、時間がかかりすぎて公共工事のスケジュールには合わない。そこで町産材を役場が事前に調達し、施工者に支給する「分離発注」を行いました。

飯石

工事全体のスケジュールに「木の乾燥」などが入るわけですね(笑)。

馬場

本当に大変でした……。分離発注や、工期を4期に分けるなど従来の発注のあり方を見直し、さまざまな工夫をこらしてなんとか実現しました。

ただ、工期が長くなったことによるメリットもいくつかありまして。まず、いきなり大きな集合住宅が生まれるのではなく、4年かけて少しずつ住居が増えたので、既存の住民たちの心理的な負担が減ったと思います。また、町の公共性を育む良い機会として、住民たちに工事をひらくことができた。工事車両が走る隣で子どもたちが暮らしているので、安全性を確保するために調整を重ねたり、大工が活躍する姿を目にしたりと、住宅をつくる過程をみんなが見守ったんです。

神山町産の木材

飯石

先程も触れたポイントにもあった、「公共工事を“まちのプロジェクト”にする」に該当するお話ですね。“神山つなぐ公社”が創生戦略の中で立ち上がり、行政と民間がタッグを組んで半官半民で進めたからこそ、町にいる人や資源、コミュニティにあるものを活かしながら、プロジェクトが進められたのかもしれませんね。

「住み替え」を後押しするための設計

飯石

続いて、そうして作られたこの集合住宅で、実際にどのような暮らしが営まれているのかも伺いたいです。入居者はたしか、子育て世帯に限定されていますよね?

馬場

はい。要件として、「高校生以下の子どもと同居している世帯(町外校への通学も含む)」「年上の者が50歳未満の夫婦」がありまして、これらを満たせなくなったら退去していただくようにお願いしています。

飯石

年齢制限があるのですね。この要件を設定したのはなぜでしょう?

馬場

「100年後まで長く住み継がれてゆく町営住宅」というコンセプトを実現するためには、住人が入れ替わって循環していくことが重要だと考えているからです。

というのも、同世代の人たちが一斉に新興住宅地の集合住宅に入居し、年月が経つにつれてみんなで高齢化して、地域全体が限界集落のようになる事例が多いから。また、大きな屋敷に高齢者が一人だけで住んでいる姿もよく見かけます。そこで必要になるのが、「住み替える」という文化だと考えました。

ライフステージに応じて、家に求める条件は変わるはず。子供がいなくなり、夫婦2人暮らしになった人は、それに適した家に住み替えてもらえばいい。そして、また新しく子育て世代向け住宅を必要とする人に入居してもらう。この循環をうまく設計することが重要だと思います。

「鮎喰川コモン」で住民たちが配布しているお便りと、工作などに使える備品

飯石

素晴らしいですね。私も全国の市営住宅の課題解決をご相談いただくことが多いのですが、市営住宅全体が高齢化していくケースは本当に多いんです。例えば、40年以上ずっと住まわれている方はその場所を終の棲家にすることが少なくないため、なかなか入れ替わりが起こりません。また、「次の人が住むかもしれない」という意識はないので、家のメンテナンスにも気を遣わない。その結果、住民が抜けた頃には建物が既に老朽化しており、建て替え以外の選択肢が残されていない状態になっている。

しかし、ここではあえて「ずっと住みたい人でも途中で退去してもらう」というルールを設定し、町全体で住み替えを後押ししていくことで、100年住み続けられる住宅になっていく。「住み替え」の循環が回り、次の子育て世代に住宅を渡していく中で、なにか見えない関係性のようなものが繋がっていくデザインになっていると感じました。

馬場

ありがとうございます。実際、僕たちの間では、“住み継いでいく”がキーワードになっています。

飯石

それからグッドデザイン賞の審査で知って感動したのが、家や庭の手入れの仕方や、家の設備の上手な使い方が記された「住みこなしブック」が各戸に備え付けられているということ。「自分が住む前よりも、住んだ後の方が家が美しくなる」という理想を目指して、住人が住んでいる間に家をメンテナンスする……そんな文化を後押しするのではないかと解釈しました。

馬場

住みこなしブックには、木の住まいや庭を手入れする方法、設備の使い方などが記載されています。さらに、手直しの記録や、どんな家族が住んでいたのかがファイルに綴られていく。それぞれの住まいの履歴が、代々の住民に受け継がれていくことが狙いです。

当然、子どもがいる世帯が住めば傷や汚れがついて住居は劣化します。しかし、いつ誰がつけたかわからない傷よりは、「こんな家族が以前住んでいて、この時に子どもがつけた傷だ」とわかるだけで、その傷を少しだけ安心して受け止められる。「住み継いでいく」ものだからこそ、傷や劣化をいかにポジティブに捉えてもらえるか、仕組みの設計が大切だと考えているんです。

飯石

普通の住宅であれば、壊れても大家さんや管理会社に電話して直してもらうだけ。ですが、少し面倒な手間をかけてもらうことで、住み継いだ住人たちに安心感、そして「次の人にバトンを渡す」感覚が生まれるのだと。

なぜ「自治の意識」が育まれるのか?

馬場

改めて、「本当に注文が多い住宅だな」と思いますよね(笑)。住まいに向き合う価値観への問いかけが、本当に多い。でもこれは、「100年後の神山町のために、どんな建物を残せればいいだろうか」と、僕たち自身も手探りで考え続けてたどり着いた一つの答えなんです。

飯石

「注文が多い」「面倒くさい」ことについて、入居者の方々はどんな反応をされているのでしょうか?

馬場

僕たちが大事にしたいことを理解してくれている、と感じます。こんな住宅を選んでくださった、今の入居者たちには本当に感謝しています。特に第一期のみなさまは、建物がない状態で、コンセプトへの共感だけで入居を決めてくれている。そのせいか、現在でもポジティブな意見を持っている人が多い印象です。

ただ、当然ながら住んでいる方はさまざまな意見を持っています。大埜地の集合住宅を、単なる「安全で快適な住宅」だと見て住んでいる方もいるかもしれません。そうした人にとっては、この住宅は「面倒くさい」と感じるでしょう。

そうした意見の違いをすり合わせるのが、月に1回開催される入居者ミーティングです。入居者さんたちが集まって、いま困っていること、町に対する要望などを話し合いながら、お互いをフォローし続けています。

飯石

「月に一度のミーティング」って、頻度が結構多いですよね。手間とコミュニケーションを惜しまない姿勢を感じます。

馬場

いまでは、ミーティングを入居者の皆さんが主導してくれています。最近は並行してZoom上でのオンライン会議も開催しているのですが、都合がつかない人でも「耳だけ」で参加してくれたり、後から議事録や録画を見てくれたり。

飯石

すごいモチベーションですね……。住人たちが「お客様」になるのではなく、主体として行動しているように感じます。

集合住宅の隣に流れる鮎喰川

馬場

ご近所さん同士で自主的な課外活動も活発に行われているんですよ。例えば、住人さんたちが入居者の共有エリアにある緑の手入れをする「みどりの会」を立ち上げて、デザイナーのアドバイスにより、繁殖力の高い草を見分けて除草する「選択除草」が行われています。地元の高校生たちが遊ぶついでに参加してくれたり、親御さんたちが「最近どう?」と世間話をしながら参加してくれたりするんです。

飯石

「自治の意識」がうまく醸成されているのだと感じます。いつまでも神山つなぐ公社のメンバーが旗を振り続けるのではなく、入居者たちのコミュニティが少しずつ温まってきた時を見計らって、主導権を手渡していく。出番を押し付けるのではなくそっと寄り添うことで、「自分たちでやる」という住民の自発性が生まれ、全体がいい状態に保たれているのだなと。

地方創生の事例を数多く見てきましたが、うまくいっている地域は、「誰がリーダーなのか見えてこない」ことが多い。神山町にも、同じことを感じます。誰かが船頭として立って、「祭りだ!」「商店街だ!」と盛り上げようとすると、「参加しなければいけない」という義務感が生まれてしまいますよね。そうした心理的な負担に耐えられない人もいます。

あくまで住民たちの主体性を引き出し、押し付けはしない。それが、何かあったら「お互い様・お陰様」で助け合える“ほどよい距離感”を生む。神山町はコミュニケーションの設計が絶妙なんだと思います。そして、まちを将来世代につなぐプロジェクトは、みんなの中間に入ってうまく人々をつなぐことで「続いていくデザイン」の触媒となっている。

「鮎喰川コモン」で住民たちが飼育する魚

馬場

そうかもしれません。ただ、自治の意識が根付く一番の成功要因は「地元に本気の人がいること」だと思いますね。地元でアーティストを支援している楽しそうなおじさんたちがいて、気づいたら引き込まれてしまった、という人も多い。

みなさん、とにかく神山町が好きなんです。それが「自分たちで何とかしよう」という力の源泉になっていると思いますね。

「続いていく」ため、次世代へとバトンを繋ぐ

飯石

今回、私はフォーカス・イシューのテーマとして、「続ける」ではなく「続いていく」という言葉を選びました。意志を持った当事者が馬力を能動的に出せば「続ける」ことはできます。ただ、それだけでは本当にサステナブルな取り組みにはならないと思ったからです。

そもそも大埜地の集合住宅は、「100年後まで長く住み継がれてゆく町営住宅」というコンセプトで立ち上げた時点で、続いていかなければいけない状態です。改めて、「続いていく」ために大切なことは何だと思いますか?

馬場

やはり、まずは人が循環すること、代替わりが起こることでしょうか。次の世代を担う後継者がいなければ「続いていく」ことはできません。神山つなぐ公社でも、集合住宅でも、適切に世代を交代して後続が育っていく機会を作ることを意識しています。

飯石

まちを将来世代につなぐプロジェクトも、2021年から第2期に入り、さまざまな形でアップデートをしていると拝読しました。馬場さんは代替わりされて代表理事に就任されたんですよね?

馬場

はい、そうです。とはいえ、僕もいずれは代表理事を退くことになると思います。たとえそうだとしても、「まちを将来世代につなぐプロジェクト」がいつの時代も良い形で残ってくれればいい。来るべき時に向けて、今からどう世代のバトンを渡すかを考えています。

飯石

「自分の代で成功する」ではなく、まだ見ぬ次の世代に向けてバトンを渡していく意識が「続いていく」ために大事であると。神山町が素晴らしいのは、それをみんなの対話で実現するだけでなく、世代循環の仕組みを集合住宅の制度に編んでいることだと思います。

社会が大きく変化する中で、神山町が大切にしている価値観や、編みだした仕組みが、次の社会の羅針盤として受け継がれていくことを願っています。

Credit
執筆・編集
石田哲大

ライター/編集者。国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

撮影
進士三紗

1998年京都生まれ。京都市立芸術大学卒業後、絵画制作の傍らフリーランスフォトグラファーとしてエディトリアルを中心に撮影を行う。主な雑誌に『WIRED』『STANDART』など。

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