
クライアントの心に“火”を灯す。ヘラルボニーのプロジェクトデザイン
アートを起用するだけではなく、いろんな角度で障害について考えたり、議論したりする時間をつくる。その結果、担当者の方がより熱を持って、プロジェクトに向き合える。何より、その熱が世の中で増えていくことが、ヘラルボニーが目指す“当たり前”をつくることに、必ず結びつくはずなんです。
Google Pixel 10a日本限定コラボモデル「Isai Blue」、「インクルーシブ・エンターテイメント」の実現を目指したサンリオピューロランドとの共創プロジェクト、JALと共同制作した空の旅への不安に寄り添うQ&Aガイド「Beyond Guide」、丸井グループとの提携から生まれた利用額の一部が福祉団体などに還元されるクレジットカード「HERALBONY Card」——いずれも、ヘラルボニーとそのクライアントによる実績だ。
主に知的障害のある作家のアートライセンスを軸とした事業で知られる同社。多くの人が「ヘラルボニー」と聞いて思い浮かべるのは、色彩鮮やかなスカーフやネクタイかもしれない。
だが、同社の事業はそうした“自社製品”にとどまらない。企業や自治体などの課題に向き合い、共にプロジェクトを設計・推進する「ブランドソリューション事業」も柱の一つだ。
その中身は、自社ブランドの知名度やアート作品を“切り売り”するようなものではない。クライアントの思想とヘラルボニーの思想が重なる点を探り、プロジェクトの前提そのものから共に編み上げていく。その先に見据えるのは、まだ社会に存在しない“当たり前”をつくることだ。
自社の思想を軸に据えながら、クライアントの課題にも応える。ヘラルボニーとクライアントとの共創は、どのようにデザインされているのか。
執行役員 兼 アカウント事業本部統括として戦略設計やビジネス開発を幅広く担う國分さとみと、クリエイティブディレクターとして案件をリードする阿部麗実。同事業の最前線で力を注ぐ二人の視点から、同社らしいプロジェクトデザインを紐解いていく。
アートの力で“接点”をつくる
冒頭に触れたとおり、ヘラルボニーとクライアントの“共創”事例は実に多様だ。テクノロジー、航空、金融、自治体——共創相手も領域もまったく異なるが、そのどれもがIPの活用にとどまらないプロジェクトに仕立てられている。
加えて、どのプロジェクトにも共通するのは“考えるきっかけ”を日常化することにある。その最たる例の一つが、2025年6月から本格始動した世田谷区とのプロジェクト「世田谷たがいちがいプロジェクト」だ。DE&Iへの理解促進を目指し、ヘラルボニーの契約作家によるアートポスターの区内掲出、ワークショップを通じた多様性を体感する場の創出などに取り組んでいる。
阿部「取り組みが進むにつれて、区長をはじめクライアントの皆様が私たちの思想により深く共感してくださって。区長自ら、このプロジェクトを積極的に発信するほど、熱量を持って関わってくださったり。区報の表紙にこのプロジェクトが取り上げられるほど、区役所内でも共感の輪が広がっています。
クライアントだけではありません。街に貼ったアートポスターをきっかけに、区の日常にも変化が生まれています。松陰神社前や下北沢の商店街にポスターを貼りに回ると、それを見かけた方から問い合わせをいただいたり、障害施策推進課以外の部署から『一緒にできないか』とお声がけいただいたり。当初の想定を超えて、接点が広がっている手応えがあります」
実際、2025年6月のお披露目会には企業・団体19組と一般参加者30名が集まり、エフエム世田谷の区長対談番組でもプロジェクトが取り上げられるなど、反響は区の内外に広がりつつある。
世田谷たがいちがいプロジェクト(提供画像)
こうした変化を業界や領域を問わず生み出してきたことが、次のプロジェクトの依頼へとつながっている。相談の背景を見ていくと、企業が抱える共通の課題が見えてくるという。
國分「自社の製品やブランドと社会の“接点”を捉え直し、価値を再定義したいと考える企業が多い印象です。
物価高や人口減少などの影響もあり、社会全体の傾向としては、ますます“価格”や“機能”による競争が加熱している。一方で企業としては、本音ではそうした競争に限界を感じてもいるはずです。
そうした葛藤のなかで、自分たちの製品やブランドに込められた想いを、今までにない形で世の中に発信したい。そう考える企業が、増えているのだと思います。実際、そうした課題の解決を期待されて始まる案件も少なくありません」
クライアントとなる企業にとって、ヘラルボニーは単なる“アート作品の提供者”ではない。「障害」という言葉に潜む先入観や常識に問いを投げかけ、社会を変えようと挑戦を重ねる。そのために、自社ブランドの価値をさまざまな角度から世の中へ発信し続ける——まさに“実践者”と呼べる存在だ。
だからこそ、自社の製品やブランドに込められた思想を、ヘラルボニーと共に社会へコミュニケーションしたいと考える企業が後を絶たない。
「支援」ではなく「仲間」として始める
問い合わせは増える一方、依頼のすべてを引き受けられるわけではない。クライアントの目的が“支援”止まりにならないかは特に重視している点だという。
國分さとみ|執行役員 兼 アカウント事業本部統括。2009年、広告代理店に新卒入社。2013年より漫画アプリ「GANMA!」の立ち上げで漫画編集者として活動。その後、キャラクター・アニメのIPライセンスビジネスへキャリアを広げ、日本発コンテンツをグローバルへ展開。2024年1月、ヘラルボニー入社。現在は執行役員 兼 アカウント事業本部統括として、戦略設計やビジネス開発を幅広く手がける。
國分「『障害のある人のために何かしてあげたい』『CSRの一環で、社会貢献活動がしたい』といった動機から、ご相談をいただくこともあります。もちろん、そうした動機自体は大切ですし、何より、決して否定できるものではありません。
ただ、私たちがそうした“支援”の文脈でご相談をいただいたときは、一度立ち止まって、お話しする時間を設けるようにしています。なぜなら、私たちがつくりたいのは、作家さんたちのアートが『障害のある人が描いたから』ではなく、『かっこいいから』『美しいから』といった理由で選ばれる、それが“当たり前”の世界だからです」
支援という“構造”をまず変えにいく。そのために、クライアントとの“関係性”にもこだわるという。「発注者と受注者」あるいは「支援者と被支援者」ではない、「仲間」と呼べるような関係性を築きたいと、國分は言葉を続ける。
國分「私たちがクライアントの課題を解決するのは、当然のこと。そのうえで大事にしたいのは、何をつくるかだけじゃなく、どうやってつくるかまで共有できる関係性です。ヘラルボニーのミッションである『異彩を、放て。』の実現に向けて、共に歩める仲間になりたいからです」
クライアントと仲間のような関係性を築きたい。そうした姿勢自体は、決して珍しいものではないかもしれない。同社がユニークなのは、それを自社のミッション達成へのアプローチとして捉えている点だろう。
ともすれば「自分たちの目的のためにクライアントを使う」ように見えるかもしれないが、前提に“クライアントの課題解決”を置いた上での話であることに留意したい。ヘラルボニーという哲学を持った事業体がクライアントへ価値提供をするためには、“手段を選ぶ”、“ミッションへ近づく”ことは避けられないのだ。
こうしたヘラルボニーの独自性であり強みは、プロジェクトの進め方にもあらわれる。その一つが、プロジェクト初期の段階で、クライアントを岩手県に招待することだ。盛岡市にある本社や、複数の契約作家が在籍する「るんびにい美術館」を案内し、作家たちの創作現場を肌で感じてもらうためである。
阿部麗実|クリエイティブディレクター。東京大学大学院で神経科学の研究に従事し博士号を取得後、空間プロデュースを手掛ける乃村工藝社に2018年入社。ミュージアムや子ども施設、ヘルスケア空間などの空間体験の企画・制作を手掛けるプランナーを経て2023年5月にヘラルボニーへ。空間プロデュースやコンテンツ企画を軸にアートIPコラボレーションの枠を超えた共創プロジェクトに取り組む。
阿部「たとえば、るんびにい美術館に在籍する作家の小林覚さんの元に行くと、初対面のクライアントや私たちに『背中かいて』と伝えてくるんです。そうした作家さんとの距離感や自然体なやりとりに、驚く方も少なくありません。
福祉施設というと、どこか身構えてしまう方もいます。でも実際に訪れてみると、よい意味で思ったより“普通”なんですね。そうした体験を共にすることで、クライアントの意識にも徐々に変化が生まれてくると感じています」
作家と“普通“のやりとりを交わすことで、クライアントの意識も自ずと「支援する」からは遠ざかり、「共につくる」へと近づいていく。岩手での時間は、プロジェクトの出発点として大きな意味を持っているのだろう。
前提を問い直す——つくば市「融点」の事例
同社ならではのプロジェクトデザインを構成する要素は、ほかにもある。
一方通行の提案ではなく、議論や対話のなかで形にしていく。ときには、クライアントの方から本質的な問いを投げかけられ、提案を見直すこともあるという。茨城県つくば市とのプロジェクトは、その象徴的なケースの一つだ。
2024年6月、つくば市役所内にオープンした「融点」は、ヘラルボニーが店舗コンセプトから空間設計までをプロデュースした“福祉ショップ”だ。市内の福祉事業所が手掛けるパンや野菜、雑貨などを販売するだけでなく、事業所ごとの背景にある“思想”にも出会える場として、設計されている。
つくば市役所内にオープンした「融点」(提供画像)
訪れる人の“障害”や“福祉”に対する意識や考え方が、固体から液体へ変化するように、じわじわと変わっていく——この「融点」のコンセプトが生まれた分岐点の一つに、つくば市長からの重要な問いかけがあったという。
阿部「当初、私たちが提案していたコンセプトは『普通を塗りかえるコンビニ』でした。
街中のどこにでもコンビニがあるように、障害のある方との接点も"街の風景の一部”となるように、また、そんな風景の先に、これまで普通じゃなかったことを“普通”にしていきたいという想いを込めた提案でした。
ですが、この提案を受けた市長からいただいたのは、『二項対立を前提にしていないか』という言葉でした。障害者と健常者という対比自体、社会があとからつくり出したもの。普通じゃなかったことを普通にする、というのはまたそこに普通か普通じゃないか?の線引きをすることになる。これはいつまでも二項対立の世界です。
そういった議論を進める中で、ヘラルボニーが本来的にしていることは、異彩を世に放つ中で、誰も否定せず(線引きせず)、社会を変えていくことだと改めて考え直しました」
当初の企画は白紙に戻されたが、それによって「融点」というコンセプトが生まれた。内装では一つひとつの商品の個性が引き立つよう、ディスプレイを中心に据えて棚を設計。洗練された空間の中で、商品を際立たせ、「福祉の店だから」ではない理由で、人が商品を手に取る——そうしたコミュニケーションの転換が、「融点」の核になっている。
一人ひとりの「変えたい理由」が、プロジェクトを駆動する
クライアントと対話を重ね、ときには企画を白紙に戻してでもプロジェクトの核を突き詰める。そのためには、ヘラルボニーの担当者側にも相応の胆力が求められる。それを実現しているのは、社員一人ひとりが抱える個人的な“想い”だ。
たとえば國分の場合、「自分の子どもがより幸せに生きられる未来をつくりたい」という想いが、何よりの原動力だという。
國分「ヘラルボニーへの転職理由の一つは、私の娘に知的障害を伴う発達障害があることでした。『仕事はすごく楽しい。でも、この場所で頑張り続けて、娘の未来がひらけるのだろうか?』。前職時代、そんなことを考え始めたときに、知人からヘラルボニーのことを教えてもらったんです。
正直に言うと、以前の職場では自分の子どもの障害のことを、周囲に言わないようにしていました。家庭が大変そうだからと仕事を任されなくなったり、重要なプロジェクトから外されたりして、チャンスを失う怖さがあったからです」
だが、ヘラルボニーの面接で両代表に会ったとき、その価値観は根底から覆されることになる。
國分「松田は開口一番、『娘さんはどんな常同行動(編注:意図がわからない、繰り返しおこなわれる行動のこと)がありますか? うちの兄はコーヒーを一気飲みしますよ』って。まるで『今日はいい天気ですね』と挨拶するくらいの、あまりにも軽やかなトーンでした。
すごくカルチャーショックを受けたのを覚えています。こういうやりとりが生まれることを、重いカミングアウトではなく、『実は…』のいらない、当たり前の世の中にしようとしている。そのことに驚かされたんです。私もそんな世界をつくりたい。その気持ちが、今でも大きな原動力になっています」
一方、阿部の想いもまた、自身の経験と深く結びついている。
大学院で薬科学を専攻し、博士号まで取得した理系の研究者だった阿部。記憶やうつ病に関する分野を中心に、脳の研究を行っていたという。
アカデミアの世界に身を置き、実験室で試行錯誤した日々。その過程で生まれたある感覚が、そのキャリアを大きく変えることになる。
阿部「最後に研究していたのが、『社会的なストレスを受けたときに、うつ病が脳にどう影響するのか』といったテーマでした。
うつ病は薬を飲んだからといって、必ずしも治るわけではありません。もちろん、医学的なアプローチは世の中に不可欠です。そのうえで、私たちが暮らす“環境”を整えないと、より多くの人が幸せに生きるのは難しいのかもしれない。そう考えるようになったんです」
そこから「環境をデザインする」アプローチに興味を持ち、空間づくりを専門とする乃村工藝社へと就職した。だが、公共空間の現場に深く関わるほどに、新たな問いが立ち上がってきたという。
阿部「乃村工藝社では、空間のなかで人にどんな体験をしてもらい、その結果どんな感情を引き出すのか、“場の効き方”を設計する仕事をしていました。
ただ、パブリックな空間づくりに関わるほど、その目的がどうしても『マジョリティとされる人たちが、より豊かに、より便利に暮らすこと』へ傾いてしまう現実も見えてきて。たとえば、うつ病などでしんどくなった人や、障害のある人にとって安心できる居場所をつくりたいと思っても、優先順位のなかで後回しにされてしまう。その“偏り”に、違和感が拭えなくなっていきました」
そんなとき出会ったのが、ヘラルボニーだった。
阿部「社員の方に『一度お話を伺いたい』とカジュアル面談をお願いしました。話を聞くほどに、目指しているのは“アートの会社”にとどまらない、『一人ひとりが、自分らしく生きられる世界の実現』なんだと腑に落ちて。だったら私も、そこに自分の意志をぶつけてみたいと思えたんです」
“終わったあと”を見据え、火をつないでいく
クライアントとのプロジェクトは、二人にとってもそれぞれの想いを体現するための道のりでもある。アートを通じて、“障害”に対する人々の意識が少しずつ変容していく。その実感を得られたとき、確かな成果を感じられるという。
成果が見えるのは、完成した制作物だけではない。プロジェクトを通じて、クライアントの意識が変わり、言葉や判断が少しずつ変わっていく——その変化こそが、二人にとっての手応えにつながるという。
阿部「重要なのは、私たちの目の前にいる担当者の方が、どこまで“自分ごと”として熱を持てるかだと思っています。アートを起用するだけではなく、いろんな角度で障害について考えたり、議論したりする時間をつくる。その結果、担当者の方がより熱を持って、プロジェクトに向き合える。何より、その熱が世の中で増えていくことが、ヘラルボニーが目指す“当たり前”をつくることに、必ず結びつくはずなんです」
その熱は一人の担当者に留まらず、時には社内の別の誰かへ、さらにその先へと手渡されていくことがある。國分はそのつながりを「聖火リレー」と呼ぶ。
國分「担当者の心に、私たちが“火”をつけられるかどうか。その火を持ち帰ってもらって、社内で説明して、稟議を通して——そうやって熱量が広がっていくプロジェクトは、必ず良い成果にたどり着けます。
熱量をプロジェクトが終わるまで、もっというと、終わったその先も絶やさない。今日ここまで話してきた工夫はすべて、そのために不可欠なことばかりなんです」
ヘラルボニーがクライアントと共創した実績の数々。そのいずれも、案件が“終わったあと”までを見据えて取り組んできた結果だ。
クライアントと共に問い、担当者の心に火を灯す。プロジェクトが終わったあとも、意識の変わった一人ひとりがそれぞれの場所で動き出す——その連鎖の先にこそ、まだ見ぬ“当たり前”が生まれる。