Microsoftデザインストラテジストが「ペルソナ」に警鐘を鳴らす理由
私たちは重大な問題にぶつかっている。実際には「平均的な顧客」など存在しないのだ
Microsoftでインクルーシブデザインの実践や探究を担うMargaret Price氏。自身のブログ記事『Kill Your Personas』においてペルソナだけでは捉えづらいものを指摘し、人の動機やコンテクストをグラデーションで捉える「ペルソナ・スペクトラム」を紹介する。
人の抱える課題の多様さや複雑さを、どのように掬い上げ、プロダクトやサービスに落とし込んでいくのか。2018年に公開された記事だが、示唆に富む内容であったため、読者の皆さんと共有したいと思った。以下は公式に許可をいただき、翻訳した内容だ。
1983年、Visual Basicの父として知られるソフトウェア開発者のアラン・クーパーの手によって、ペルソナは生まれた。クーパーは、将来ユーザーとなる可能性のある人々(見込みユーザー)に聞き取り調査を実施。自分自身のニーズよりも、実際に顧客となり得る人のモチベーションにフォーカスしたほうが、複雑な問題に対するよりよい解決策を導けると考えた。
その後のデザインクリティークで、クーパーは聞き取り調査で得た情報を参考にして、「架空の個人」を作った。話し方や身振り手振りの仕方、思考スタイルなど、さまざまな特徴を推測していった。ペルソナの始まりである。
ペルソナという概念は、デザインとソフトウェア業界で瞬く間に重宝されるようになった。顧客のニーズを理解するのに役立つのはもちろん、顧客と直接コミュニケーションをとれない場合にも、彼らのリアクションを想定できるという大きな利点があったからだろう。
ところが私たちは重大な問題にぶつかっている。ペルソナは、そもそも想定される平均的顧客の、平均的特徴をミックスしたものだ。
しかし、実際には「平均的な顧客」など存在していないのだ。
人工的に作られた平均の結果
1950年代、アメリカ空軍が行った、パイロットの体格に関する有名な調査がある。4,000人を超えるパイロットの身体測定を行い、身長や胸囲など、140箇所の平均的数値を出した。
当初、全箇所の測定値が、平均幅内に収まるパイロットがほとんどだろうと想定されていたものの、実際は、一人も全箇所が平均値に収まるパイロットはいなかった。被験者が4,000人もいて、140箇所すべてはもちろん、たった10箇所ですら、平均幅に収まる者はいなかったのだ。
「平均的なパイロットの体格」をベースに、人間工学にもとづいて作られた飛行機は、誰にとっても最適ではなく、墜落に終わった可能性が高い。みんなのために作られた飛行機は、結局のところ、誰のための飛行機でもなかった。
思い込みベースのデザインが抱えるジレンマ
プロダクト開発において飛行機開発と同じミスを繰り返してはいないだろうか。
私たちはペルソナに家族や職業、持ち家、車、ペットの有無などの特徴を与える。名前を、仮にテッドとしよう。プロダクト開発ではこのようなディスカッションが行われる。
「テッドはこのプロダクトの機能を使うだろうか、気に入ってくれるかな?」
「テッドのプロフィールから推測するに、これはテッド向きじゃないかもしれませんね」
…テッドってそもそも誰だ?
結局のところ、誰もテッドが何を気に入るか知らない。そもそもテッドは存在していないのだから。そんなことは当然だと思うだろう。しかし、理解しつつも、テッドが存在しないことを忘れてしまうケースは多い。
細かい設定を加え、テッドを人間らしくするにつれ、私たちはテッドが実在しないという前提を忘れてしまう。無意識にテッドをステレオタイプに当てはめていることにも気づかない。テッドは、調査データをもとにした架空の代表者に過ぎないという事実が、ディスカッションがヒートアップすればするほど頭から抜け落ちてしまう。
細かい設定をテッドに与えれば与えるほど、テッドは一般的な顧客層から離れていきやすくなる。こうなると架空の人物であるテッドがリアルに存在する顧客の姿を見えなくしてしまいかねない。
テッドのようなペルソナが、特に目的やゴールがないまま、閉ざされたグループ内で作られてしまうことも少なくない。特定の時間軸やユースケースに限定されており、柔軟性や適応性はなく、プロダクトやデザインチームが活用できないものになっている。
より優れた、より適応性の高いシステムを作るには、多様性があり、複数の状況や可能性を考慮できる、新たな仕組みが必要になる。
ペルソナ・スペクトラム:属性や特性ではなく動機を
デザインのプロセスにおいて多様性を再導入するツールが必要になっている。私たちのデザインにおける意思決定の一つひとつが、社会参加へのハードルに影響するからだ。
インクルーシブデザインは、人間とプロダクト、人間と環境、人間と社会構造の間にあるミスマッチの解消において、デザイナーの果たすべき責任を問うている。取り組むうえでは「そもそもデザイン自体がインクルーシブか否か」をチェックし、確かめ、バランスを保つ術が必要になる。
では、人工的な平均像ではなく、リアルな顧客を考えるにはどうすればいいのか。一つ挙げられるのは、(テッドには悪いが)ペルソナではなく、「ペルソナ・スペクトラム」を活用することだ。ペルソナ・スペクトラムは、顧客の動機やコンテクスト、能力、事情などをグラデーションのように捉え、考えていく手法である。
ペルソナ・スペクトラムは、ある特定の人間のモチベーションが、どのように複数のグループ(異なる人々、異なる環境など)の間で共有されているのか、コンテクストによってモチベーションがどう変容するかを、明確にするものだ。普遍的な状況もあれば、一時的なもの、特定の条件のみでみられる特徴もある。
視力を例に考えてみよう。生まれた時から目が見えない場合、目の手術後などで一時的に不自由な場合、太陽光によってパソコンのスクリーンが見にくい場合。それぞれ状況は異なるが、どのパターンも「視力が低い」という一つの問題を共有している。
あなたの関わるプロダクトは、共通の課題を持つ、異なる人々・状況に対応できているだろうか。
もちろん、ペルソナ・スペクトラムも完璧ではない。ただ、一人の架空人物を想定する場合と比べ、より公平な見方をする手助けにはなってくれるだろう。ペルソナという概念の力を活かし、人間の異なる特徴を明確に分けながら、ユーザーという人間のインサイトを元に思考する術となる。
ニーズや動機をスペクトラムで捉えデザインすることで、ペルソナでやりがちな思い込みや偏見を避けられるという利点もある。架空のテッド一人のためではなく、多様な範囲のなかにいる、リアルなユーザーたちをのためにデザインできる。
ビジネスにおけるペルソナ・スペクトラムの活用
ペルソナ・スペクトラムを、単に他者へ共感する手法ではなく、ビジネスにも大いに貢献する。
例えば、片方の腕だけで生活する人向けのプロダクトを開発するとしよう。米国には約2万人の隻腕障害者が存在する。ここに、骨折などで一時的に片方の腕を使えない人、赤ちゃんを抱っこして片手が塞がっている新米パパママなど、特定条件下の人を加えると、想定ユーザーは2,000万人を超える。
Microsoft Designでは、多くのプロダクトでペルソナ・スペクトラムを活用している。プロダクトの目的とペルソナの限界を厳しく問うことで、リアルな状況にいる、リアルな人のためにデザインができるのだ。
アイディエーションやイテレーションにおいて、物理的、社会的、経済的、時間的、そして文化的コンテクストを考慮するために、私たちはスペクトラムを頻繁に活用している。
多様性から学び、プロジェクトの初期段階から多様な人を想定し、巻き込むことは非常に重要である。モノをデザインする理由となるリアルな人のリアルな意見を広く集めることで初めて、人間の多様性を理解し、取り入れることができる。個人のため、ひいては社会を生きる私たちに共通するモチベーションのために、デザインをできるのだ。
※Microsoft Designでは、インクルーシブデザインツールキットの配布や、ペルソナ・スペクトラムを活用したプロジェクトの様子を公開しています。