NOT A HOTEL ARCHITECTS——その実行力と創造性

私たちは世界で一番、建築家とクリエイターをリスペクトする会社であろうと思うんです。

ジャン・ヌーヴェル、BIG、Snøhetta、藤本 壮介、NIGO®、片山 正通——世界有数の建築家・クリエイターとの協業作が並ぶNOT A HOTELのラインナップ。

しかも、ジャン・ヌーヴェルとは屋久島の神秘的自然。BIGとは瀬戸内を望む1万坪の半島。藤本 壮介とは石垣島の海沿いに広がる約3000坪の広大な自然。Snøhettaとはルスツリゾートのスキー場山頂——と、「建築家×敷地」の組み合わせも絶妙。新たな発表のたびに、そのラインナップは洗練されていく。

だが、一歩引いて見てみるとこのラインナップが並ぶことの凄さは別のところにあるともいえる。ここに名を連ねるような面々には、日夜世界各所から依頼や相談が舞い込む。その中には日本のスタートアップであるNOT A HOTELよりもずっといい条件の相談も少なくないだろう。

にも関わらず、彼らはNOT A HOTELを「選んだ」とも言える。

その理由はどこにあるのか。敷地、企画、予算、ビジネスモデル、品質......何かひとつが決め手ではないだろうが、筆者はNOT A HOTELの取材を重ねていく中で、キーファクターのひとつと思える興味深いものと出会った。それがNOT A HOTEL ARCHITECTS——社内の建築組織だ。

彼らは単なる発注者側のインハウスではない。企画から運営まで、建築のライフサイクル全てで、最高の体験を生み出すべく社内に組成された建築集団。そこには、“狂気”を感じるほどの実行力と、クリエイティブへの徹底した執着がある。

著名建築家と“同等”を求めるインハウス組織

国内9拠点が開業した今も、新たに数十の建築プロジェクトが動いている。NOT A HOTEL ARCHITECTSはその全てにさまざまな形で携わっている。

同組織は、2025年10月現在、50名弱のメンバーが在籍する。職種は大きく7領域に分かれる。不動産の仕入れや企画を担う「事業開発」、プロジェクトの全体統括を担う「プロジェクトマネージャー」、実際の設計業務を担う「デザイナー」、設備や構造設計等を担う「建築エンジニアリングマネージャー」、開業後の運営を担う「LCM(Life Cycle Manager)」、CGデザインを担う「CGパースクリエイター」、そして、ブランド全体を統括する「ブランドディレクター」だ。

企画から設計、施工管理、開業後の保守までを一つの組織の中で担う。著名建築家の名前がつい目を惹くこともあり、設計は“外部”が主体でインハウスはマネジメントかと思いきや、決してそのようなことはない。

現在進行しているプロジェクトの数を設計者の種類別にみると、「社外の建築家:インハウス(クリエイターとのコラボレーションを含む) = 3:7 」の比率になる。つまり同社の建築の半数以上はNOT A HOTEL ARCHITECTSのみで手がけている。

加えて、外部の設計者の名前で出る案件も決して「お任せ」ではない。

ある著名建築家の案件では、週次の打ち合わせで毎週のように同じ練度の提案やビジュアルをまとめ「最初に言っていた体験を実現するならこのデザインはどうか?と議論するなど、文字通りワンチームでものづくりをしている」という。

あるクリエイターとの協業では、その人物が持つアイデアやパーソナリティ、クリエイティビティを建築の言語・体験に落とし込む部分を担う。「世界のトップクリエイターと対峙するには、それ相応の建築家でないとコラボレーションにならない」という重圧を一身に受けて向き合っている。

つまり、設計主体を問わず「コミットしないプロジェクト」は存在しない。その理由は「NOT A HOTELらしい体験を一番深く理解しているのはインハウスだから」という。

他方で、どの設計主体を選ぶかは、プロジェクトを統括する立場からすればあくまでフラットだともいう。その土地における理想の体験や建築のあり方を起点に考え、最もふさわしい設計者を選定している。

時には社内コンペにすることもある。設計者としては非常に重圧がかかると建築デザイナー・杉山 竜は語る。

杉山

我々が比較されるのは、世界的な建築家です。プレゼンにしろアウトプットにしろ、これまでご一緒してきたプロフェッショナルの方々と比べて見られることになる。優れたアイデアや企画がなければ、やっぱり外部の建築家を検討しようとなる可能性もある。それだけでも十分にプレッシャーです。

加えて、NOT A HOTELは事業者でもあるので、そのデザインが「売れるか否か」が問われます。外部の建築家やクリエイターはその人個人やチームにファンがおり、注目も集めやすい。一方インハウスでは「体験の善し悪し」がダイレクトに判断される。インハウスの案件がリリースされる日は本当に緊張します。

杉山 竜|NOT A HOTEL 建築デザイナー/県立大宮工業高校卒。池下設計にて現場管理従事後、CTSにてホテル、オフィスビル、大規模再開発案件の意匠設計に従事。主に自社プロジェクトの設計を担当。2023年1月NOT A HOTEL参画。一級建築士。パーマカルチャーデザイナー。

インハウスといえど、社外と同等のクリエイティビティが求められる。むしろ、社外以上の責任意識のもと、あらゆる建築物と向き合う。NOT A HOTEL ARCHITECTSは、同社の建築全体の「司令塔」のような存在なのだ。

無理難題を超える、実行力と胆力

ただ、設計に求められるハードルの高さはこの組織の特徴を表す一つの断面に過ぎない。施工という断面でも、象徴的なエピソードをひとつ紹介したい。

瀬戸内海 西部——芸予諸島に属する離島のひとつ広島県・佐木島。面積8.7km²、周囲18kmほどのこの島に、間もなく開業するNOT A HOTELがある。BIGが手がけたSETOUCHIだ。

NOT A HOTEL SETOUCHI(画像提供:NOT A HOTEL)

島の半島を丸々敷地とするこのプロジェクトは、外構から建築にいたるまでユニークな模様を纏ったコンクリートのような構造体で巻かれている。「ラムドアース」と呼ばれる版築壁(土を主とした材料を型枠に流し込み、層状に突き固めてつくる壁)である。

齊藤

当初、専門家や職人の方々皆に言われました。「無理かもしれない」「代替案を考えましょう」と。

プロジェクトマネージャー・齊藤 有一は振り返る。一般的に、現代のコンクリートは工場で最適な分量を計算し、機械を用いて混ぜ合わせたものをミキサー車で運び、現地で一気に流し込んでつくる。

一方のラムドアースは、現地にある砂をセメントなどと現場で混ぜ合わせ、人の手で何層にも分けて流し込み押し固めてつくる。混ぜあわせの精度も低く、材料の質もばらつきやすく、積層して作り上げるため強度も出しづらい。地震が多く構造の要件が厳しいここ日本では、施工実績は“ほぼない”ようなものだった。

SETOUCHIで採用したラムドアースの壁(画像提供:NOT A HOTEL)

齊藤

「この島の土を使い、この島でしか実現できない建築をつくる」——それがファーストスケッチの頃からBIGが描いたSETOUCHIの核でした。模様や形を真似ることはでは本質には届かない。本物のラムドアースに挑むしかなかったんです。

最初から答えが見えていたわけではない。施工者や職人との議論は、時に衝突にも近いほど真剣だった。気候条件や採掘される土の質などの細かい変化によって見た目の仕上がりも構造強度も全く異なる。条件を固めるための変数は20もの項目を超えた。

「どうすれば可能になるのか」「どの条件なら成立するのか」——毎回、机の上に積み上がるのは難題ばかり。しかし、そのたびに齊藤は施工者や職人たちと向き合い、試し、確かめ、また議論を重ねた。

齊藤

前例がないからこそ、「絶対にやりましょう」と言い続けました。これが実現できれば担当したチームや職人の自信にもなるし、SETOUCHIが注目を集めれば、担当したチームはこの工法のパイオニアとして知られるかもしれない。関係者全員がwin winになれる挑戦をしようと。

やがて、諦めではなく「一緒に探す」という空気が生まれていった。施工者の技術研究所が動き、全国から優秀な職人たちが集まった。島の土を調合し、幾度ものモックアップが立ち上がり、失敗と発見を繰り返す中で、ひとつの道筋が見えていった。

齊藤 有一|NOT A HOTEL プロジェクトマネージャー/明治大学大学院修了。竹中工務店にてホテル、劇場、映画館、商業施設、空港、大規模再開発、オフィスビル、研究所などの建築設計やインテリアデザインに従事。23年1月NOT A HOTEL参画。主にMINAKAMI 「TOJI」やSETOUCHI等のプロジェクトマネジメントを担当。 一級建築士。

齊藤はプロジェクトマネージャーという仕事を「プロジェクトの経営者」と呼ぶ。

関わる全ての人が同じ方向を見られるように、ビジョンを示し続ける。NOT A HOTELが挑戦する建築は、設計者・施工者・職人など、全ての面々の英知が結集し、初めて実現できるからだ。

——NOT A HOTEL ARCHITECTSにはこんな「無理難題」を超えたエピソードがあふれている。

もちろん、それは設計、施工という断面にも限らない。自治体の前例から考えれば絶対に実現できない景観を、地域の未来まで幾度も共に語ることで生み出していく。完成後でも敷地から景観上気になる構造物があれば、移設して最大限自然を享受できるよう風景の純度を上げる。ドライヤーを美しく置くためなら、全ての拠点の什器を見直すこともあるという。

普通なら「無理」と断る、「やれない」と割り切る、「仕方ない」と諦める。そういったある種の当たり前が、NOT A HOTEL ARCHITECTSには存在しない。あらゆる局面において、常識や既成概念にとらわれずに物事を実行に移す力と胆力——それがこの組織の特徴であり特殊性である。

実現力と表裏にあるCGで描く「精緻な理想」

この突きぬけた実行力は、プロジェクトの進め方にも大きく影響を与えている。

スタート地点となる、企画・用地検討から、既存のそれとは大きく異なる。

NOT A HOTELはどの物件もその土地が持つ魅力を最大限引き出すかたちで建築が生まれる。それゆえ、敷地の検討・企画立案にあたっては、どれだけまだ見いだせていない魅力が存在するか、それがNOT A HOTELによって最大化できるかの検討を精緻に行う必要がある。

さまざまなルートから魅力的な土地の情報が集まるというが、検討の俎上に上るのはごく一部。さらに、検討を進めた案件の中でもゴーサインが出るのは5%にも満たない。

齊藤

我々にご紹介いただくのは、観光の中心地というよりも、まだ十分に知られていないポテンシャルを秘めた土地や、かつて賑わいを見せていた地域が多い。わかりやすく価値判断ができない原石のようなもので、何らかのハードルがあって開発されていなかったり、過去に中止になっているものもある。それをどうすれば「ここでしか成し得ない唯一無二の体験」にできるか。技術面含めてメンバーがフル回転で検討します。

行政協議や開発、土木、法規、インフラ、近隣との関係性……さまざまな観点を我々自身が徹底的に検討しきる。事業者が直接やることはかなり珍しいと思いますが、それが一番スピードが出ますし精度も高い。事業開発チームとプロジェクトマネジメントチームが密に連携しながら進行しています。デューデリジェンスは通常2週間ほどで完了させます。

その検討プロセスには、もちろん設計も含まれる。というと、簡単なボリュームや建築物の配置検討かと思いきや、杉山は「“理想的な体験”が最初」という。

杉山

通常、建築の設計は図面→3D→パースの順序だと思います、ですが我々は逆。最初にCGパースで”この場所ならでは理想の体験”を作り、それを設計へ落とし込んでいくんです。土地の情報が届いたら2時間くらいで精緻なCGを立ち上げ、「この土地でこういう体験ができたら最高ですよね」と提案します。

様々なアプローチがあるという前提ではあるが、一般的な建築設計では、スケッチやアイデア、ダイアグラムや簡易的な模型といった抽象情報が先にあり、図面、3D、CGという順序で設計が進むことが多いと思う。

いうなれば、建築的言語の抽象→具体を行い、その中で実現可能性を検討。最後に多くの人が分かる視覚情報のCGが生まれる。

だがNOT A HOTELは真逆に進む。まず視覚情報のCGがあり、そこで「理想の体験」を解像度高く立ち上げる。実現方法も具体も全て後。最初に解像度を上げきるのだ。実現したい目標が明確になることで、どう実現するか。に全力を注げる。

齊藤

ISHIGAKI 「EARTH」には、プールの下にサウナがあります。普通に考えるとなかなかその発想に至らないんですよ。実現性を考えたら「どうやるの?」ってなるので。でも、我々はまず「波紋が揺れる水底サウナがあったら最高だよね」があり、思考を飛ばして精緻なCGを作りました。そのCGを見て「これは最高の体験になる」と確信を持ち、実現までのアプローチを考えていったんです。

NOT A HOTEL ISHIGAKI 「EARTH」のサウナ(画像提供:NOT A HOTEL /Photo:Newcolor inc.)

CGが先に来る。このアプローチはビジネスモデルにも直結している。NOT A HOTELでは建物を作る前にCGで販売し、その資金で建築物を建てている。ゆえに初期に高解像度のビジュアルが不可欠とも言える。

ただ、この設計手法もビジネスモデルも「どんなアイデアも実現する」というハードルを自らに課すことにほかならない。初期で考えたアイデアが「実現できない」となれば、設計プロセスとしては大幅な手戻りになってしまう。またCGで販売した物件が、「CGよりも残念な仕上がりになる」ことブランドを大きく毀損しかねない。「CGで描いたことは実現する」、それどころか「CGを超えるのが最低ライン」と社内では語っているという。

このハードルを越えるために必要なものこそ、先ほど触れた実行力や胆力だ。どんな無理難題も形にするという強い意志と技術があるからこそ、最初に精緻な理想を立ち上げられる。CGを起点とする設計は、実行力と表裏の関係にある。

価値を上げ続ける。開業後も続く挑戦

こうした実行力と理想を描く力は、「完成後」にも大きな意味を持つ。

というのもNOT A HOTELは建築を建てれば終わりというわけではない。ホテルでこそないものの、同社は事業者であり、「運営」というプロセスが半永久的に存在する。

分割して権利を持つオーナーに対し、「最高の体験」を届け続けることが求められる。この分野の責任を担うライフサイクルマネージャー・竹口 勘太郎はその特殊性を「価値を上げ続ける」と表現する。

竹口

LCMの役割は維持管理やメンテナンスではなく、ブランドを守り価値を上げ続ける「攻め」です。NOT A HOTELは次々と新たな拠点が生まれ、相互利用で新旧の拠点も行き来できます。その時に「開業から数年経った物件ほど劣化が目立つね」というのは許されません。どの拠点でも、進化し続ける“NOT A HOTELブランド”を100%体現すべく、常にアップデートが必要です。

「自分が妥協すると、NOT A HOTELのクオリティが落ちる」——そんな緊張感を持って日々働いています。

竹口 勘太郎|NOT A HOTEL ライフサイクルマネージャー/熊本大学工学部卒。株式会社大林組にて、大規模更新工事やダム築造工事、シールドトンネル工事の施工管理を行う。2024年1月NOT A HOTELに参画。Lifecycle Managerを担う。

LCMの業務は多岐にわたる。一般的な保守や修繕から、運用するなかで可視化されたさまざまな課題解決、建築/設備仕様の更新……。それを全ての拠点に対して行う。

竹口

例えば、最近はサウナヒーター本体を開発しています。というのも、サウナは稼働率や稼働時間が長く、既製品では頻繁に故障が起こっていました。であれば自分達の経験を元に、意匠性・耐久性・メンテナンス性を含めてベストな製品を作ろうとなり、メーカーさんと設計・開発をしています。これは今後のNOT A HOTELのサウナ全てで使用予定です。

理想の体験・管理のためであれば、サウナストーブさえ作る。そのほかにも冷蔵庫や、砂時計も自社で独自に開発したそうだ。もちろん、社内にそうした開発経験を有するメンバーがいるわけではない。理想像から逆算し、実現する力があるからこそ、そうした突拍子もないアップデートにも対応できる。

竹口

NOT A HOTELはセカンダリーマーケットプレイスの運用も開始し、物件の引き渡しから3年経つと売却がいつでも可能になります。その時の価格には、我々運営側の責任でもある体験満足度が大きく影響してくる。

建物の劣化や古さといった印象が不動産価値に直結するため、竣工時よりもより良い体験を提供し続けることを意識しています。そうならないためにも、我々は全ての拠点の価値を上げ続けなければならないんです。

とはいえ、そこには相応の投資も必要だ。NOT A HOTELでは月次で管理費をもらい運営しているが、それには定期的な運営コストも含まれる。竹口はそのコスト削減にも尽力。本来であれば設備会社等に外注するメンテナンス費のうち7割ほどを内製化できる仕組みを構築した。これも理想像と実行力の掛け合わせの産物だ。

竹口

現在、現地にいる運営スタッフがメンテナンス業務の大部分を担ってくれています。とはいえそれも、当初からできたわけではありません。各物件の竣工前から幾度もレクチャーしたり、過去のトラブル全てをデータベース化してAIに学習させてチャットで答えられるようにしたり。

これは業務改善で施設管理とは遠い分野に思われるかもしれませんが、こうした積み重ねが品質や体験価値の向上にもつながっていくんです。

最初の熱を組織として実現する文化・構造

既存の建築が持っていた常識や当たり前をあらゆる局面から超える——言葉で言うのは簡単だが、それを実現する、かつ組織で行うのは決して簡単なことではない。言うまでもなく一朝一夕のものではなく、組織や会社全体で培ってきたものだろう。

それはいつごろから、いかに実現してきたのか。最初の建築メンバーとして入社し、現在はArchitecture領域の執行役員を務める綿貫 將は次のように振り返る。

綿貫 將|NOT A HOTEL 執行役員 Architecture/芝浦工業大学大学院修了。日建設計にてホテル、オフィス、美術館、図書館、スタジアム、銀行、研究所、データセンター等の設計に従事。2021年6月NOT A HOTEL参画し、建築チーム全体を管掌。2024年5月、Architecture領域の執行役員に就任。

綿貫

今思えば、最初のプロジェクトだったNASUやAOSHIMAから、今のような価値観がなければ実現できなかったと思います。通常なら、事業者側が設計や施工管理などに入り込むことは珍しい。トラブルが発生したときに対処することはあっても、あくまで事業の上流でプロジェクトをマネジメントすることが中心です。

ですが、それだけではうまくいかないシーンが次々と出てきた。例えば工程が遅れますとなったとき。“遅れる”といっても絶対に割れないデッドラインは存在しますし、最初の案件だからこそ品質も一切妥協はできません。とにかく求めるスピードが速く、一切の隙もゆるされないんです。

どうするか……と考える中で、自分で工程を引いたり、設計期間を短縮するために手を動かしたり、他の専門分野にもフィードバックしたり……。自然と、実現するためにやれることは全部やるというスタンスが染みついていきました。

NOT A HOTEL NASU MASTERPIECE(画像提供:NOT A HOTEL / Photo by KOZO TAKAYAMA)

こうした必要不可欠だったとも言える経験や 姿勢が、徐々に組織の「構造」や「文化」として広がっていったのだ。とはいえ、それは必ずしも全てが“意図的”でもないようだ。NOT A HOTELは当初大規模な組織にする予定はなく、同社代表の濱渦伸次は少人数で上場を目指す旨を言及していた時期もあった。

10人で上場するって言ったことを謝ります|Shinji Hamauzu
https://note.com/hamauzzu/n/nc8fedb3af665
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しかし、ARCHITECTSだけを見てもいまや50名規模。組織内に多様な専門性の面々を揃える「内製体制」。これもあくまで狙ったものではない。

綿貫

最初から“こういう組織”とは考えていませんでした。自分たちが求める品質、スピードに追いつくには、アウトソースだけでは難しかった。やっていくなかで“こういうのが必要だ”となり形にしていった結果が、いまの組織です。

ただ、そうして組織を広げる上では、意図を持って文化を生み出してきている。構造という面でみると「組織図がない」のはその最たる例だ。

綿貫

組織図をつくると、自分の領域が明確になりすぎて、人の領域へしみ出すチャレンジをしない文化が生まれてしまう。そのプロジェクトの責任者なら、関わる全てに責任を持って手を伸ばすべき。自分の領域を超えた責任や挑戦を当たり前にするためにも、可能な限り自分の範囲を明確にしすぎないようにしています。

同社のVALUEにも、綿貫の語る思想は深く根付いている。「超ワクワク」「超クリエイティブ」「超自律」——この言葉だけでは一見わかりづらいかもしれないが、いずれも“自分の限界を超えていく”ことを大切にしている。

綿貫

私たちは「できる」の閾値を一緒に上げていくことを大切にしています。一見不可能に思えることも、「できない」で終わらせずに、どうすればできるかを考え、成功体験に変えていく。その積み重ねが、一人ひとりの“できる”の範囲を広げ、やがてその人自身が他のメンバーの“できる”を引き上げていく。そんな連鎖が生まれる文化を目指しています。

もちろん、文化があればすぐに体現できるわけではない。入社後誰しもが一度は苦労する。綿貫はそれも見越して採用時にこんな声がけをする。

綿貫

これまでの経験や常識をいったんリセットし、新しい気持ちで挑戦できるかどうか。前職でのやり方や価値観にとらわれず、この場所にふさわしい形を自ら創り出していくことが重要です。

それくらいの覚悟と想いを持って転職してくることが、ある意味では採用条件でもあります。その意志さえあれば、“当たり前”を壊す挑戦は私たちが全力で支えます。アジャストに向けた努力も惜しみません。一緒に「できる」を更新し続けていきたいと思っています。

確かに、メンバーへ取材を重ねると、印象的なエピソードとして「入社直後の苦労」について言及する者は少なくなかった。ただそれと同じくらい多く言及されたものとして興味深かったのが濱渦の存在だ。

NOT A HOTEL ARCHITECTSの面々は、濱渦と毎週3時間の定例会議を設け、あらゆるプロジェクトについての議論を重ねるという。創業者自ら建築にコミットし続ける姿勢があるからこそ、文化が深まり自ら課す高いハードルを次々と超え続けられる側面もあるのだろう。

「濱渦と密にコミュニケーションを取っているので、経営や会社のビジョンがダイレクトにプロダクトに反映できている感覚がある」と齊藤は言う。

齊藤

濱渦は建築の専門家ではありませんが、誰よりも建築を愛し、誰よりも多くのアイデアを持っています。その刺激を受けて、私たちも日々、新しい視点を得ている。

実務家である私たちが、濱渦の発想に触発されて“できない”と思っていたことを“できる”に変えていく。そんな相互作用の中で、NOT A HOTELの建築は進化しているんです。

LCMの竹口は、時間の限られた開業準備期間に、自ら向き合った難題を振り返る。

竹口

ある拠点で、エントランス前にどうしても気になる構造物がありました。空間全体の印象を損ねている気がして、ずっと引っかかっていたんです。開業1カ月前の現地確認でその話をしたとき、濱渦さんからも「確かに、これがない方が体験として美しいよね」と言葉があり、改めて決心がつきました。

ただ、移設には時間もコストもかかる。普通なら躊躇する判断です。それでも「この景色を最高の形で届けたい」という思いで、各方面と調整を重ね、開業の2週間前になんとか実現させました。結果として、エントランスに足を踏み入れた瞬間の体験がまるで変わりました。自分たちの判断を信じてよかったと心から思いましたね。

濱渦は専門家ではないが、誰よりも自社のプロダクトを深く理解し、情熱を注いでいる。 その熱に触発され、NOT A HOTEL ARCHITECTSの面々の創造性がより発露され、無理難題を超える実行力を引き出す。その積み重ねが“最高の体験”を更新し続けているのだろう。

日本で一番、建築家・クリエイターを尊敬できる会社

正直に言うと、筆者は取材前NOT A HOTEL ARCHITECTSを「実施設計と運営」を担うインハウス組織だと思っていた。

有名建築家を擁立し、彼らが描く理想をそつなく実現する。簡単ではない仕事だが、よくある「デベロッパーのインハウス」のイメージに近い。

だがこの取材を通して見えたのは、まったく異なる景色だった。

NOT A HOTEL ARCHITECTSは「価値の源泉そのもの」といっても過言ではない。同社が次々と突きぬけた建築を生み出せる理由も、著名建築家側から選ばれる理由も、確かにここにある。
齊藤の言葉が象徴的だ。

齊藤

濱渦がいつも言うんです。私たちは世界で一番、建築家とクリエイターをリスペクトする会社であろう、と。

それは、理念ではなく、実践されている。ラムドアースも、構造物の移設も、全拠点での仕様統一も。全てが、クリエイティブへの敬意があるからこそ実現できた、執念の結晶だ。

BIG、Snøhetta、ジャン・ヌーヴェル、藤本壮介……。世界の頂点に立つ建築家たちが、このスタートアップを選ぶ。その理由の(少なくとも)一端がここに垣間見える。

Credit
撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

取材・執筆
小山和之

designing編集長・事業責任者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサルを経て独立。2017年designingを創刊。

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