“当たり前”を、磨き続ける。それこそが本質——NOT A HOTEL MANAGEMENT CEO 林亮治

大事なことは一緒です。レストランでもホテルでも、当たり前のことを当たり前にやる。磨き込むよりも、磨き続けることが最も本質的です。

NOT A HOTELの運営領域を担うNOT A HOTEL MANAGEMENTのCEO。

「明寂」「一平飯店」「白寧」など、ミシュラン星付き店を立ち上げてきた経営者。

経歴や肩書きを見ると、否が応でも何か“独自のノウハウ”があると考えてしまう。

その人物——林亮治へのインタビューに際し、筆者はそんなことを想定しながら質問を用意していた。しかし林が語るのは、ともすれば耳馴染みのあるような話ばかりだった。

「良い食材で美味しいものを提供することはもちろんのこと、清潔感や身だしなみ、スピード、心地よい表情や笑顔……当たり前のことを当たり前にやる。ただ、それだけです」

取材冒頭こそ、その温度差に驚きを隠せずにいたが、話を聞けば聞くほど、その耳慣れた言葉の中に、本質が宿り、それは“最も難しい道”であることが徐々に理解できるようになってくる。

「“違和感なく過ごせること”は特別な体験を提供することより難しく、尊い」と林は言葉を重ねる。

なぜ林は、日々の“当たり前”を愚直に積み重ねることで、これほどの成果を上げ、高い評価を得ているのか。彼が大切にしているものづくりの姿勢に触れながら、NOT A HOTEL の運営における要諦を紐解いていく。

役割は、幸せな循環を作ること

林について理解を深めるに際し、その来歴だけ簡単に紹介したい。

いまでこそ経営を担う林だが、そのキャリアのスタートは料理人だ。

実家は、島根の中華料理店「桃仙閣」。兄と姉がいたが、家業を継いだのは末っ子だった林。上の二人は料理とは関係ない仕事をしている。とはいえ、特別な経緯や会話があったわけでもない。気がつけば「自分が継ぐもの」という感覚があり、林はいつの間にかお店を手伝うようになっていた。

中学に入る頃にはすでに厨房に入り、皿洗いや料理の補助を任されるように。高校に上がると、今度はホールに立ち、サービス全般を担うようになる。こうして林は、ごく自然に、家業とともに育っていった。

19歳で上京。東京の調理師学校に進み、筑紫楼、麻布長江で研鑽を積んだ後、島根に戻り実家を継いだ。その後、2017年に川田智也と「茶禅華」を開業。2021年にミシュラン三つ星を獲得した後、料理長の川田へ譲渡。その後、「桃仙閣 東京」や「明寂」「一平飯店」「白寧」「寛心」といった店舗を次々と開業。「明寂」は三つ星、「一平飯店」「白寧」は一つ星を獲得してきた。

こうした再現性のある成果を見ると、冒頭でも記したように何らかの”技術”を期待してしまう。だが林のなかに、星を取りにいくという意識は微塵も感じられない。

「ただ、お客様の喜びにフォーカスし、心地よく、美味しく、楽しく過ごしていただく。そのために当たり前のことを当たり前にやる。そのうえで、料理人の個性・能力を発揮できる環境を整える。それを続けた結果、評価があったに過ぎません。狙ってやってきたことはこれまでありませんね」

林亮治|NOT A HOTEL MANAGEMENT CEO / 1977年、島根県生まれ。高校卒業後、「筑紫樓恵比寿店」で3年間修業。西麻布と香川県高松市の「麻布長江」で計3年間の研鑽を積んだ後に島根の「桃仙閣」に戻る。2017年、南麻布に「茶禅華」を川田智也氏とオープン。2021年にミシュラン三つ星を獲得し、その後譲渡。2020年、東京・六本木に「桃仙閣 東京」を開業。2022年より、NOT A HOTELの運営グループ会社「NOT A HOTEL MANAGEMENT」のCEOに就任。その後も店舗展開を続け、「明寂」がミシュラン東京三つ星、「一平飯店」「白寧」が一つ星を獲得。2025年には東麻布にて新店舗「寛心」をオープン。和洋中問わず、様々なジャンルのレストランを手掛ける。

豪華絢爛なプレゼンテーションのようなものもなければ、あたかもトレンドを意識したような打ち手もない。そうした作為的ともいえるアプローチではなく、林が注力したのはあらゆるレストラン、あらゆる接客に存在する“当たり前”の積み重ね。それを徹底的に磨き続けること、そしてそこにいる料理人の個性をいかすこと。そのために環境を用意してきた。

「お客様の喜びが会社の利益を生み、会社の利益がメンバーへの還元が幸福につながり、そして幸福を得たメンバーがさらに良いサービスを提供する——この循環を作るのが自分の役割です」

過去にも、林は新店を軌道に乗せる上で大切なことに、次のような言葉を残している。

レストランは、お客様が来てくださり、喜んで帰られ、またいらして、スタッフも心地よくて、ちゃんと数字が残るという繰り返しとバランスですよね。なので、その日々の「お客様のまた来たい」の続でしかない、という話はしています。

(料理王国 2025年4月号p21)

いずれも、突飛なことなどない。目新しさのあるようなユニークなことでもない。ただ基本に忠実。それを徹底的にやり抜く——華美さのないそんな積み重ねが、こうした成果を生んできた。

“心地よさ”の感覚が一致すること

そんな林がNOT A HOTELに関わるきっかけは、濱渦伸次(NOT A HOTEL代表取締役CEO)だった。最初は桃仙閣の顧客だった濱渦。気がつくと行きつけのワインバーや飲食店で近くの席に座ることが幾度かあり、自然と顔見知りの関係になった。その中でNOT A HOTELの概略を耳にしていた。

2021年にFUKUOKAの拠点が発表された折、たまたま馴染みのバーで濱渦と会うと、「浅草の拠点を手伝ってもらえないか」と声を掛けられた。

ASAKUSAはNOT A HOTEL CLUB HOUSEというオーナー限定のプライベートダイニング兼ラウンジ。拠点に宿泊せずとも、その体験価値を浅草という都心で、食を軸に提供する場だ。

NOT A HOTEL CLUB HOUSE ASAKUSA(写真提供:NOT A HOTEL / Photo by KOZO TAKAYAMA)

数々のレストラン経営に携わってきた林にとっても既存の延長上にある提案。ちょうどリリースを目にして活動に興味を持っていた林は、桃仙閣として関わることを決めた。

ASAKUSAを立ち上げる過程で、林はNOT A HOTELの思想や事業、そして経営者としての濱渦に対し理解を深める。その中で直感したのは「サービス業の次の形になる」という可能性だった。

レストランなどのサービス業は経験を積むほど、管理業務が増え料理やサービスに集中できなくなる。原価管理、レポート作成、購買……。店舗運営の中枢に入るほどやるべきことが多く、サービスや料理から遠ざからざるを得ない。これは業界の構造的問題でもある。

それを林自身も感じており、どのようにすれば料理人やサービススタッフがよりお客様にフォーカスできるか悩んでいた。

一方のNOT A HOTELは、スタートアップらしく既存慣習に囚われずテクノロジーや仕組みで合理化を進め、仕組みやシステムに任せる部分と、人が担う部分を明確に線引きする。サービスや料理といった“人がなすべき”ことによりフォーカスしやすい。この構造に、林は可能性を感じた。

「料理人は料理に集中し、サービススタッフはサービスに専念し、お客様の喜びだけに向き合える——そうした“次の働き方”の形になり得ると思ったんです」

基本に忠実に、料理やサービスという店舗における本質に注力する林らしい着眼点だ。

以後、林は入社していないのにもかかわらず、自然と知人・友人の料理人やホテリエなどをNOT A HOTELに紹介するようになっていった。

「一般的なサービス業では、サービスの対価のみが給料として支払われます。でも、それだけでなく人が会社や社会におよぼす価値は無限大だと思ってるんです。ただ売り上げだけでなく、料理・サービスを提供し、その会社の価値そのものをあげることもできるはず。それは数字には置き換えられません。そういった料理・サービスの付加価値も評価する会社なのではないかと考えていました」

実際、紹介した面々が、今ではNOT A HOTELの運営部門の中核として活躍している。だがこの時点で、林自身はNOT A HOTELに入社するとは思っていなかった。

そんな中、濱渦から再び打診があった。「外部アドバイザーになってもらえないか」。

その打診に、林は答えた。「社長だったらやります」と。

「アドバイザーやコンサルという関わり方は、リスクが少ない一方で、どうしても内部のことが見えにくく、深く関わることが難しい側面があります。自分としては、どこか物足りなさを感じてしまったんです。それなら、やるからには本気の方が面白い。そんな思いから、社長としてならお受けしますとお伝えしました」

本質的に価値を生まない関わり方ならやらない方がいい。やるなら価値を出せる形で。林にとっては「人として当たり前」なのかも知れないが、この答えに、その実直な姿勢が現れている。

このとき、「社長なら」という前向きな回答をできた理由を林は“感覚の一致”という。お客様が心地よいと考えること——その感覚に濱渦との間でズレがなかった。これは林が“良いもの”をつくる上で大事な要素だ。

「濱渦さんは人がどう感じるかに対してとても敏感です。その感覚が、僕と一緒だなと思うことが多かったんですよ。彼が違和感を覚えることは僕も同じ感覚があり、僕が思うことは濱渦さんも思っている。お客さんの喜ぶこと、心地良いと思うことにズレがあったら、多分この会社にいないです」

基本に忠実に、“良いもの”を実直に突き詰める。だからこそ、その“良さ”を共有できる環境でなければ、一緒に事業や体験はつくれない。

能力を発揮しやすい、環境をつくる

現在、林はNOT A HOTEL MANAGEMENTと複数のレストランの経営を並行して担っている。加えて、NOT A HOTELはスタートアップらしく、急速に拡大を続ける。この事実だけを並べると林はさぞかし多忙な日々を送っていることを想像するが、本人は「拠点が増えてもレストランが増えても、特に忙しいことはない」とひょうひょうと口にする。

この言葉には明確な理由がある。「チーム」だ。

「どちらも良いチームができているので。チームと一緒に次に何が足りなくなるか、今どこが弱いかを知り動いているだけです。慌てることはありません」
ホテルとレストランという業態の差も、林にとっては些細なことだ。軸足はあくまで同じところにある。

「大事なことは一緒です。レストランでもホテルでも、当たり前のことを当たり前にやる。磨き込むよりも、磨き続けることが最も本質的です」

NOT A HOTELはその“建築”に注目が集まりがちだが、林は「そこでどう過ごし、何を感じていただけるかを、料理・サービスにより補う仕事」と語る。レストランで培った「体験を編む視点」は、ホテルにそのまま活かされている。食、サービス、空間の統合。レストランならば食事をとる数時間、ホテルならばチェックインからチェックアウトまでの一日。林にとって、その違いは滞在する“時間の長さ”に過ぎない。

とはいえチームづくりに苦心する組織は少なくない。多くの経営者はそれに苦労し、時に事業が伸び悩む要因になることもある。林にはチームづくりの明確な哲学や成功法則があるのか。無論、林の口からそんなテクニカルな話は出てこない。

「人を育てる——なんて上からものを言いたくないですね。仲間と一緒に成長していくだけです。これまで経営してきたレストランでも、細かくフィードバックするようなことはしてきていません。第三者視点で、言葉を選び、敬意を払い、そこでの顧客体験がよりよくなることを伝えているだけ。自分も料理やサービスを経験してきたので、誰よりもそういった気持ちがわかる自信はあります。

意識していることがあるとすれば、その頑張りやクリエイションは、お客さまの方を向いているかどうか。得てして、料理人やサービススタッフは自己表現やオリジナリティの追求に走りがちです。ですが、それがいつでも自分本位ではなく、お客さまを向いている。それはもっとも大事だと思っています。方向を間違えずに努力をできれば、誠実な人は自然と成長します」

方向を見誤らず、当たり前を当たり前に積み重ねて行けば、自然と成果はついてくる。そんな環境を、林はつくっている。

事業の速度を目の前にしても、林の考えは揺らがない。急拡大を支えるには、仕組み化、効率化、属人性の排除……といったことを考えがちだが、林は首を横に振る。

「仕組みでできることは誰でもできる。ただそれより価値が出るのは、人と人の接点や、どういう温度感で、どういう瞬間をお客様に届けるか……そこにあると思っています。NOT A HOTELがNOT A HOTELらしくあるためには、“人”を諦めずにやるだけです」

当たり前のことを、当たり前に

最後に今後の展望を聞いた。「ないですね」と即答する林。ここまでのやりとりからもこの回答は想像に難くないかもしれない。だが、やりたいことはあると言葉を続ける。

「当たり前のことを当たり前に続けていく。これが全ての土台です。その上に、場所や土地の個性、独創的な建築、人の魅力、料理のオリジナリティ、特別な体験などが重なりNOT A HOTELのサービスになる。ですがこの“土台”がなければ、どんなに華やかに見えるものも“噓”になってしまう。だからこそ、当たり前をなによりも大事にやり続けるだけです」

「当たり前のことを、当たり前に」——幾度も重ねるこの言葉に、林の思想が集約されている。星付きで評価されるレストランも、NOT A HOTELという唯一無二の体験も、派手な仕掛けやテクニックではなく、極めてシンプルな行為の積層の上ではじめて生まれる。

良いものをつくる。お客様が喜ぶ。働く人が楽しめる。そしてまた、良いものをつくる。

この循環の中心にあるのは、常に「人」だ。林が統括するNOT A HOTEL MANAGEMENTは、人に軸足を置き"当たり前"を積み重ねていく。それを非凡な水準でやり抜いた先に、至高の体験が存在している。

Credit
撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

取材・執筆
小山和之

designing編集長・事業責任者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサルを経て独立。2017年designingを創刊。

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