
空間に、一点の句読点を灯す — LUMINA DAPHINE
細いアームと小さなシェード、そして安定性を確保するベース。そのすべてが必要最低限の要素で構成され、互いが完璧なバランスで結びついている。空間の中で過度に主張することなく、ただ、そこに光を届けるという使命だけを全うする。
WHY THIS MATTER?建築・編集の視点を土台に、国内外のさまざまなプロダクトを見渡し独自の視点・美意識のもとセレクトする岡田 和路による連載『WHY THIS MATTER?』——氏の愛用品からモノの物語を紡いでもらう。
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岡田 和路|Kazuyuki Okada
CXディレクター&編集者。建築学を土台に「作り手と使い手の架け橋」を探求。メディアで言葉を編む技術を培い、大手メーカーでは世界市場に向けたブランド戦略を担う。事業とクリエイティブを接続する視点を体得し、現在はIT企業にてデータを起点としたCXディレクションで企業の事業成長を支援する。
モノを選ぶことは、自らの生活を編集することだ。
椅子一脚、アプリのアイコンひとつ──小さな決断が私たちの日常のレイアウトを静かに書き換えている。WHY THIS MATTER? は、選択の裏側に宿る思想を解剖し、つくり手の哲学をユーザーの感覚と言葉へ翻訳する試みだ。
味覚、触感、重量感といった五感のシグナルを入り口に、素材や工程、そしてブランドストーリーを掘り下げることで、衣食住を横断する「価値の構造」を可視化する。読者には暮らしを編集するヒントを、企業には次のプロダクトやブランドシナリオを描くための手掛かりを届けたい。
人類史と、光の距離感
私には、長年続けている個人的なルールがある。それは、夜の居住空間を、必要以上に明るくしないことだ。
学生時代に建築を学んでいた頃から、漠然と抱いていた感覚でもある。私たちの身体や感覚は、永い時間をかけて形成されたものであり、電気の登場以降の急激な環境変化に、まだ完全には適応しきれていないのかもしれない。そう仮定するならば、かつての人類がそうであったように、陽が落ちれば穏やかな光の中で過ごす方が、心身にとって自然な状態なのではないだろうか。
この考えは、特別な思想から来るものではなく、ごく私的な仮説に過ぎない。しかし、煌々とした照明を落とし、光の量を絞った空間に身を置くと、思考のノイズが静かに削ぎ落とされていくのを感じる。それは、一日の終わりに自らをリセットするための、穏やかな儀式のようなものだ。
意思ある光を、空間に実装する
もちろん、生活とは多層的なシーンの連続体だ。朝のシャワーを浴び、心身を覚醒させたい瞬間。日中の光だけでは物足りない曇りの日の午後。あるいは、ゲストを迎え、食卓を囲む時間。それぞれの場面で、求められる光の質や量はまったく異なる。闇雲に暗くするのではなく、空間と時間、そして人の営みに寄り添う、柔軟な光のマネジメントが必要になる。
それは、事業やプロダクトにおけるユーザー体験を設計するプロセスにも通じる。ひとつの機能や情報が、全体の体験価値をいかに左右するか。光の設計もまた、空間体験の質を規定する重要な要素なのだ。
だからこそ現在の住まいには、一般の住宅では稀な、美術館やメゾンブランドの旗艦店で採用されている上質な光を生み出してくれる、調光機能付きの業務用の照明システムを導入した。
キッチンやバスルーム、廊下や玄関に至るまで、空間の隅々を照らすダウンライトやライン照明が、その繊細な制御下にある。それは、空間の表情を自在に制御するための、いわば“見えないインフラ”である。
その建築照明だけで空間の光環境は十分に完結している。しかし、日々の暮らしは、常に最適化された状態だけが心地よいわけではない。精緻にデザインされた空間だからこそ、時折、気分に合わせて遊び心のある“句読点”を打ちたくなる。
その役割を担うのが、いくつか所有する間接照明である。中でも最近、特に静かな存在感を放つパートナーがいる。『LUMINA DAPHINE』だ。
機能を削ぎ落とした先にある、本質
その出会いは、ある種の必然性を帯びていたかもしれない。
この照明が、あらゆる装飾を削ぎ落とし、機能だけを純粋な形で抽出したかのような、その寡黙な佇まい。そこに強く惹かれた後、ある有名な事実を知った。ミニマルアートの巨匠、ドナルド・ジャッドが、自邸でこの照明を愛用していたというのだ。
あらゆる無駄を削ぎ落とす彼の美意識と、この照明のデザイン哲学が共鳴していたことは想像に難くない。その事実は、自らの選択が間違っていなかったと、静かに背中を押してくれるような感覚をもたらした。
『DAPHINE』は、1975年にデザイナーのトムマーゾ・チミニによって生み出された。そして、この一灯の照明器具が大きな成功を収めたことを機に、1980年、ブランド『LUMINA』は設立される。ひとつのプロダクトの完成度が、企業の礎を築いたのだ。その歴史は、デザインが単なる造形ではなく、事業の核となり得る力強い証左でもある。
細いアームと小さなシェード、そして安定性を確保するベース。そのすべてが必要最低限の要素で構成され、互いが完璧なバランスで結びついている。空間の中で過度に主張することなく、ただ、そこに光を届けるという使命だけを全うする。そのストイックなまでのミニマリズムは、まさに私が探し求めていた理想形だった。
光ではなく、闇をデザインする
私が現在愛用しているのは、近年アップデートされたLEDのモデルだ。もちろん、このモデルにも滑らかな調光機能が備わっている。しかし、このアイテムにおいて、私はそのポテンシャルを最大限に活かすことはほとんどない。この照明の最も暗い設定が、私にとっては思考を妨げない、完璧な光量なのだ。
この照明がもたらすのは、光を自在に定義する自由そのものだ。アームにそっと触れ、シェードに僅かな角度をつける。その一連の所作は、まるで精度の高い楽器を静かに調律するかのようだ。
思考を巡らせたいときには、思考を邪魔しないだけの光を。本を読みたいときには、文字を追うのに最適なだけの光を。こちらの意図を正確に汲み取り、過不足なく応答してくれる。それは単なる光の調整ではない。自らの集中力や思考の純度を高めるための、極めて能動的な環境デザインなのである。
空間に溶け込みながら、使い手の意思を正確に映し出す静かな触媒。このプロダクトの価値は、その研ぎ澄まされた関係性の中にあるのかもしれない。
日常の解像度を上げる、静かなる光
どんなに優れたプロダクトも、使い手の日常に深く根差し、繰り返し使われる中で初めてその真価を発揮する。この照明は、決して特別な存在ではない。しかし、その静かな光に照らされるたび、私は思考の純度が高まり、心の平穏を取り戻す感覚を覚える。
それは、自らの生活の“当たり前”の基準を、静かに引き上げてくれる存在だ。ミニマルなデザインは、どんなスタイルの空間にも溶け込み、それでいて、使い手の美意識を雄弁に物語る。この一灯は、私にとって単なる照明器具ではない。未来の自分が過ごす時間の質を高め、自らの思考と感性をより良き方向へと編集してくれる、信頼すべきパートナーなのである。
WHY THIS MATTER?