デザイナーは「現代の活動家」か?人類学と哲学から考える、デザインと人文学の往還【中村寛×瀬尾浩二郎】

近年、デザインと人文学の距離が近づいている。いまやデザインに人類学や哲学の知見が参照されることが増え、デザインは人類学や哲学にとって重要なフィールドとして、その可能性が増している。

2025年4月、東京ミッドタウン・デザインハブの企画展「はじめの一歩から ひろがるデザイン展 - グッドデザイン賞2024フォーカス・イシュー -」の一環として、トークイベント「デザインと人類学/哲学〜人文学との行き来から見えてくるものとは?」が開催された。

登壇したのは、デザイン人類学者でアトリエ・アンソロポロジー合同会社を経営し、デザインファームKESIKIにも所属、グッドデザイン賞フォーカス・イシューでのリサーチャーなどの活動も積極的に行う多摩美術大学教授・中村寛。そして、「哲学事業部」を有するnewQ(株式会社セオ商事)を経営し、デザインプロジェクトにおいてクライアントとともに探究を行いつつ、哲学カルチャーマガジン『ニューQ』の編集を行う瀬尾浩二郎の2名だ。

デザインと人文学——2つの領域を横断しながら活動を展開する中村と瀬尾は、その往還の中で何を感じ、何を見出したのだろうか。語られたのは、「アクティビズム」としてのデザインの可能性と、人文学に求められる「他者」としての役割だ。

人類学と哲学にとっての「デザイン」というフィールド

人類学者である中村は、いかにしてデザインに出会ったのか。イベントは、そんな話題からスタートした。

2000年代前半から「周縁」における暴力、社会的痛苦、反暴力の文化表現などをテーマに研究者としてのキャリアを積んできた中村。論文や書籍を執筆する日々の中で、2017年頃から「『論文を書いて終わり』でいいのか」という疑問を抱くようになり、ある種のフラストレーションを感じるようになっていたと振り返る。

より実践的に、具体的に言えば企業などと手を組み、知を社会に実装するような活動をすべきではないか。そんな思いを抱き始めた中村が出会ったのが、多摩美術大学の同僚であり、そして2020年度から2022年度にかけてグッドデザイン賞の審査員長を務めた、デザイナー安次富隆だった。

中村

安次富さんと雑談をしている中で、「中村さんは、人類学者なのでしょう。だったらデザインの現場に来て、いまデザインに何が起こっているのかを見てもらいたい」と言われたんです。

その言葉がきっかけで、2020年度からグッドデザイン賞に外部クリティーク(現在のフォーカス・イシュー・リサーチャー。デザイン以外の専門性を持つ有識者がグッドデザイン賞ならびに諸応募作を客観的に見つめ、それぞれの見地から何らかの提言を行う)として参加することになりました。

「現代の活動家」としてのデザイナーの可能性──2024年度グッドデザイン賞から考える【太田直樹 × 中村寛 × 林亜季】
https://designing.jp/focusedissues-2024-researchers-talk
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2021年度からは「誰に頼まれたわけでもなく」、すべての作品と審査の過程を見ることを自らのミッションに定めた中村は、人類学の見地からグッドデザイン賞、そして「デザイン」に対する提言をするように。こうして、デザインも中村のフィールドの一つになったのだった。

中村 寛|文化人類学者。デザイン人類学者。多摩美術大学リベラルアーツセンター教授。アトリエ・アンソロポロジー合同会社代表。KESIKI Inc.でInsight Design担当。「周縁」における暴力や脱暴力のソーシャル・デザインといった研究テーマに取り組む一方、様々な企業、デザイナー、経営者と社会実装を行う。多摩美術大学では、サーキュラー・オフィスやTama Design UniversityのDivision of Design Anthropologyをリード。著書に『アメリカの〈周縁〉をあるく――旅する人類学』(平凡社、2021)、『残響のハーレム――ストリートに生きるムスリムたちの声』(共和国、2015)など。

一方の瀬尾は、エンジニアとしてキャリアをスタートさせ、キャリア初期はインタラクティブなシステム開発を中心に手がけていたという。その後、サービスデザインなどにも足を踏み入れたが、「いわゆるテックカルチャーに対する違和感を持つようになった」と振り返る。

瀬尾

カリフォルニアン・イデオロギーというか、「テクノロジーを活用してイノベーションを起こせば何とかなる」といった風潮に居心地の悪さを感じるようになったんです。もう少し具体的に言えば、「ちゃんと社会課題に向き合えていないのではないか」という感覚があった。ただ、そうは思いながらもなかなかその価値観の外に出られていないような感覚も持っていました。

またそういった価値観の問題とは別に、いろいろなサービスやプロダクトをつくってはいたものの、そこで考えたことや得た知識がつながっていないというか、自分のなかでうまく深まっていかない感覚があったんですよね。何のためにつくるのか、その指針を見失っていたような感じでした。

そんな瀬尾が出会ったのが「哲学」だった。友人が開催していた哲学のイベントに参加したことをきっかけに、「簡単には答えの出ないテーマに対し、自ら問いを立て探究する」という哲学的な行為のなかに、瀬尾は自らの指針を見つける可能性と「デザインの現場で哲学する場をひらく」というアイデアを見出した。

「人類学のように、哲学も現場としての『フィールド』があると面白いのではないかと思ったんです」と瀬尾は振り返る。哲学カフェや哲学対話など「哲学する」場を、社会の課題について検討するデザインの現場で開くことに可能性を感じたと瀬尾は言う。

瀬尾

「デザイン」という明確なフィールド、現場があれば、哲学的な思考や実践をより生かせるようになるのではないかと思ったんです。それで、「デザインの現場において哲学する」というコンセプトを思いつき、以降、事業としてデザインプロジェクトにおいて人文的なリサーチや、哲学的な切り口によるワークショップを手がけるようになりました。

瀬尾 浩二郎|新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン『ニューQ』編集長。リサーチや編集、サービスデザインを専門とする会社、newQ(株式会社セオ商事)代表。哲学の手法を取り入れた「問いを立てるワークショップ」や「概念工学ワークショップ」といった考える場をひらく活動をおこない、さまざまな組織との仕事に携わる。著書に『メタフィジカルデザイン』(左右社)。

「植民地化」されたデザインをめぐって

人類学と哲学、それぞれのレンズを通してデザインを見つめ続ける2人の対話は、中村からの話題提供をきっかけに核心へと迫っていく。

中村が2021年度から、グッドデザイン賞のすべての作品と審査の過程を見て、提言をするようになったのは先に触れた通りだ。中村は「2024年度にまとめた提言を、瀬尾さんと一緒に解きほぐしてみたい」と投げかけた。その提言とは、「内なるクリエイティヴィティとともに、自然-文化-経済(nature-culture-economy)のエコシステムを脱植民地化する」。

はじめの一歩から ひろがるデザイン:2024年度フォーカス・イシューレポート公開
https://journal.g-mark.org/posts/focusedissues2024_003
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「この提言を分解すると『内なるクリエイティヴィティ』『自然・文化・経済』『脱植民地化』の3つに分けられる」とした中村は、それぞれの要素を提言に込めた経緯と意図を説明し始めた。

中村

「内なるクリエイティヴィティ」という言葉を選んだ背景にあるのは、東京と海外都市の住民を対象に行った意識調査(PanoramatiksとSIGNINGによる「TOKYO CREATIVE REPORT 2023」)と、中高生を対象に実施したあるアンケート結果なんです(国立青少年教育振興機構による「高校生の社会参加に関する意識調査報告書ーー日本・米国・中国・韓国の比較」2021)。特に後者を読むと、「私個人の力では政府の決定に影響を与えられない」とする意見が、80%以上に達し、「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」が35.4%にとどまっているそうです。

もちろん、この結果だけで「多くの子どもたちが、自分たちの力で社会を変えることはできないと考えている」と断じることはできません。実際は心のどこかでは「社会を変えられる」と信じているけれど、そのことに自分自身が気付いていない、ということもあり得ますから。ただし、大半の子どもが意識的には「社会は自分たちの力で変えられるものではない」と考えているのは事実です。

この事実を知ったとき愕然としたんですよね。やはり、社会を動かすのは私たち一人ひとりの内なるクリエイティヴィティのはずですし、一人ひとりが集合的にその力を信じることが重要なのではないかと。そういった思いから、この言葉を提言に入れようと考えました。

2つ目の要素である「自然・文化・経済」は、中村が人類学とビジネスの世界を行き来する中で感じた、ある課題意識を示しているという。

中村は、2022年7月に「人類学に基づくデザインファーム」であるアトリエ・アンソロポロジー合同会社を立ち上げ、以来、さまざまな企業に対するデザイン・コンサルティングやクリエイティヴ・ディレクション、R&Dを手がけてきた。現在も、人類学とビジネスの世界を往還する中村はその中で、ある「分断」を感じたそうだ。

中村

人類学はたびたび、近代化が進む過程で「自然と文化」が切り離されてしまったことを指摘しますが、ビジネスの世界ではそれ以上に「経済と文化」の分断が進んでいると感じたんです。

本来、「経済と文化」は切り離されたものではなく、むしろ表裏一体のものであるはず。文化的営みが基盤として生成し、そのうえに経済活動が乗ってくるイメージです。しかし、ビジネスの世界ではそれらが完全に分離された感じで扱われている。このことに課題を意識を持ち、ビジネスの世界で経済の文化のエコシステムをもう一度再建できないのかと考え、この言葉を提言に含めました。

そして、3つ目の要素が「脱植民地化」だ。「『デザインの植民地化/脱植民地化』について、日本ではあまり議論されていない印象があるが、英語圏では活発に議論されており、ある意味では古くさい言葉」だと中村は言う。

「デザインの植民地化」とは、特定の主体が確立した基準によって、デザインの良し悪しが規定されている状態を指す言葉だ。ヨーロッパで確立された美の基準が世界中のデザインを規定する、あるいは「アメリカで言えば、白人男性がつくってきた基準が絶対的なものだとみなされる」ような事態を指す。

これにより、「土着的なデザインの価値が見逃されたり、『先住民アート』というカテゴリーに押し込められたりするだけで、一般的な意味での『美』とはかけ離れたものとして扱われてしまっている」と中村は指摘する。

中村

「デザインの植民地化」という文脈では語られていないにせよ、日本でも同じような事態が起こっているのではないかと感じています。デザインにおける「権力の隔たり」のようなものがあるのではないかと。そういった状況に一石を投じるために、「脱植民地化」という言葉を選びました。

「プルリバース(多元世界)」から考える、デザインの「脱植民地化」──アルトゥーロ・エスコバル × 中村寛|designing
https://designing.jp/focusedissues-2024-escobar-nakamura
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そして、中村は「瀬尾さんに、この提言を聞いてどのような印象を持ったかお聞きし、その上で一緒に解きほぐしていきたい」と水を向けた。 

「現代の活動家は、デザイナーの顔をしている」

中村の言葉に耳を傾けていた瀬尾は、「質問に質問で返すようで申し訳ないのですが」と前置きしつつ、このように言葉を続けた。

瀬尾

 「内なるクリエイティビティ」というキーワードがありました。「一人ひとりが持つクリエイティビティを発揮することで、社会を少しずつ変えていこう」という提言だと受け取ったのですが、それはつまり、中村さんはデザインを一つのアクティビズムとして捉えているのかなと思ったんです。

中村さんは、デザインはどのようなアクティビズムとして機能するとお考えでしょうか? 人類学の視点から見て、デザインにどのような期待を寄せられているのかお聞きしたいと思いました。

この問いに対し、中村はデザインへの期待として、学術の世界にいるだけでは超えられない領域への「介入」の可能性を挙げる。

中村

人類学も哲学もそうかもしれませんが、学術にはある種の「言いっぱなし」で終わってしまう乱暴さがあります。 調査し、分析し、論文に書いて終わり、ということですね。

しかし、デザインは社会に実装され、世界に直接介入し、触れることができる。もちろん、20世紀的な介入のあり方を無批判に肯定するわけにはいきません。 それでも、学術的な知見とデザインの実践をうまく掛け合わせることで、より良い形で世界に触れ直したり、共に何かをつくったりできるのではないか、という期待感があります。

さらに言えば、デザインは産業やビジネスと密接に関わりながら発展してきました。だからこそ、社会に対して深く、大きなインパクトを起こせるポテンシャルがあると考えています。

中村がデザインに社会を変えるアクティビズムとしての可能性を見出すようになった背景には、もう一つ、若い世代のデザイナーたちとの出会いがあったという。

中村

声高にステートメントを掲げたり、デモンストレーションをしたりするわけではない。 しかし本当に深く、場合によっては民俗学者や人類学者よりも深く地域に入り込み、コミュニティの内側から仕組みを少しずつ調整し、よりよいものを次の世代に渡そうと、静かに活動しているデザイナーたちがいることに気が付いた。

そして、そのことに気が付いたタイミングと、その少し前から、フィールドワークで出会う人たちを見る目線が変化してきていたことが、重なったのです。というのも、それまでは人類学者として「周縁」に注目していたはずなのですが、「周縁」の中でも声高に何かを主張したり、目立つアクションをしていたりする人にばかり目が行っていたことを自覚したんです。

「これまでの社会運動、特に20世紀的なアクティヴィズムは、声をあげなければその存在が社会からかき消されてしまう、という生存の危機と直結していた」と中村は続ける。ときに路上での叫びや抵抗は、周縁を生きる者がその命や尊厳を守るために欠かせないものであり、それは21世紀に入ってからも変わらないだろう。

しかし、中村はデザインの世界で、そういった「叫びや抵抗」とは異なる形のアクティビズムを目にすることになった。DV被害者のためのシェルターや、学習障害を抱える子どもたちのための塾の運営などがその例だという。

中村

デザインの世界に足を踏み入れて気付いたのは、目立ちはしないし、明確に何かと戦っているわけではないけれど、実質的にコミュニティや社会を変化させているデザイナーたちがたくさんいるということ。

この気付きを一言で言えば、「現代の活動家は、デザイナーの顔をしている」。そう思い至ったとき、さらにデザインが面白くなりましたし、デザインへの期待も大きくなりました。

瀬尾は「『現代の活動家は、デザイナーの顔をしている』。使っていきたいパンチラインですね」と応じ、自らの問題意識を語り始めた。

瀬尾

私の会社には、社会課題に関心を持つ社員が多く集まっています。福利厚生として、差別に加担するものでなければ就業時間中のデモ参加を認めてもいるんです。 ただ一方で、デザイナーが社会的なイシューに関心があったとしても、必ずしも正しい判断や良いデザインを行えるとも思っていません。 

そういった社会的なイシューとデザイナーの関係について考えたいと思っているんです。デザインはすごく強力なものかもしれないけれど、アクティビズムの「銀の弾丸」ではない。 だからこそ、人文学とデザインを行き来しながら社会を捉え、どういった活動がこの社会に寄与するのかを考え続けているのかもしれません。

人文学は「他者」としてビジネスと対峙する

では、ビジネスやデザインの現場から、哲学や人類学といった人文学には、具体的にどのような期待が寄せられているのだろうか。中村が問いを投げかけると、瀬尾は自社の実践を例に挙げた。

瀬尾

よくあるのは「自分たちならではの概念を構築したい」という依頼です。 街づくりを手掛ける企業を例に取ると、新しい都市設計の在り方を考える際、たとえば「ウォーカブル(歩きたくなる)」という、すでに存在する街づくりの概念をもとに、「どのようにウォーカブルな街をつくることができるか」という議論に終始してしまうときがあります。その際に、そもそもの「どのような価値基準で街をつくるのか」「どのような概念を切り口に考えるとよいか」といった議論がなされていない場合が多いんです。

自分達の言葉で、自分達の問いや価値観をもとに考えていくため、指針となる概念そのものの構築や探索をサポートすることが多いですね。哲学では近年、「概念工学」という既存の概念を分析し、問題点を改良したり、新しい概念を検討する営みが注目されています。それに倣って私たちの会社では、概念について考えることをサポートする活動を一つの試みとしておこなっています。

それは、答えを提供する「コンサルティング」とは異なる行為だ。クライアントが「そもそも何を問うべきか」を見つけるプロセスに、哲学的な対話を通じて伴走していくのだという。他にも、あるニュースメディアのデザイン業務において、PVで計測されがちなニュースの「公共的な価値」の定義に取り組んだこともあるそうだ。

そして話題は「人文学は、ビジネスのロジックに馴染まない“耳の痛いこと”をどう伝えていくべきか」という問いに展開し、イベントの締めくくりとなった。

中村

「人類学も哲学も、基本的にはリサーチを期待されることが多いと思うのですが、単発のリサーチ案件は効果が薄いので基本的にお断りしています。「最初のフレームワーク設定からアウトプットが生まれるまで、長期的に伴走させてほしい」と。

もちろん、すべての案件で長期的な伴走が実現するわけではなく、伴走期間や関わり方に齟齬があり、うまくいかないことはありました。ただ、こちらからの提案や提言に対し、嫌な顔をされたことはないかもしれません。むしろ、クライアントから「もっと尖ってほしい」「もっと中村さんの色を出してほしい」と要求されることの方が多いですね。

瀬尾

ビジネスやデザインの世界にとって、人類学者や哲学者は「他者」なんです。自分たちとは違うことを言ってくれる存在としての期待が非常に高い。

ただ、かつてデザインも、ビジネスにとっての「他者」としての役割を担っていたはずです。営業が「こうすべきだ」と言っても、デザイナーが首を縦に振らない、といった光景があった。 

しかし、最近はビジネスに寄り添いすぎるあまり、その他者性が失われつつあるように感じます。だからこそ今、ビジネスの現場において人文学に携わる人は、意識的に「他者であり続ける」ことが重要なのではないでしょうか。

Credit
執筆
鷲尾諒太郎

1990年、富山県生まれ。ライター/編集者。早稲田大学文化構想学部卒業後、リクルートジョブズ、LocoPartnersを経て独立。『FastGrow』 『designing』『CULTIBASE』などで執筆。『うにくえ』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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