デザインは、なぜ「人類学の知」を求めたのか?エスコバル『多元世界に向けたデザイン』に寄せて──Poietica・奥田宥聡、人類学者・森田敦郎

近年、「デザイン」と「人類学」が急速に接近している。

デザイナーが人類学が生み出した手法を学び、リサーチに活用する例も珍しくなくなり、一般企業で活躍する人類学者も増えている。

参考:接近する「デザイン」と「人類学」。企業の「自己変容」はいかにしてもたらされるか?──メルペイ・松薗美帆×メッシュワーク・水上優

では、なぜデザインと人類学は接近し、その協働は何を生み出しているのだろうか。

「すべての人のうちにある創造性を信じ、未来の可能性をかたちにする」を標榜するクリエイティブカンパニー・ロフトワークは、新しい常識や価値観を模索し、より望ましい社会への「トランジション」を目指すコミュニティ、Transition Leaders Communityを2023年に始動。2024年3月、「人類学とデザインの協働」をテーマに、同コミュニティの第3回ミートアップを開催した。

このミートアップは、人類学者であるアルトゥーロ・エスコバルが2018年が刊行した『Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds』の翻訳版『多元世界に向けたデザイン ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』の出版記念イベントでもある。

スピーカーとしてお迎えしたのは、同書の監訳を行った、京都工芸繊維大学准教授・デザイン研究者の水内智英、大阪大学教授・人類学者の森田敦郎、合同会社Poietica共同代表の奥田宥聡だ。司会とモデレーターは、ロフトワークディレクターの古田希生が務めた。

デザインと人類学、それぞれのスペシャリストは『多元世界に向けたデザイン』をいかに読み解いたのだろうか。前編で奥田と森田から語られたのは、デザインと人類学が接近した歴史とその理由だった。

デザインが背負う、「近代化」という業

最初に登壇したのは『多元世界に向けたデザイン』の翻訳者の一人である、合同会社Poieticaの奥田だ。氏からは、エスコバルが『多元世界に向けたデザイン』を著すに至った経緯と、本イベントの狙いが共有された。

奥田宥聡|合同会社Poietica共同代表。1998年生まれ、京都工芸繊維大学博士前期課程デザイン学専攻修了。学部時より京都のNPO法人にて企業におけるソーシャルイノベーションのための新規事業領域探索に3年ほど携わる。Kyoto-design-labのリサーチアシスタントやフリーでのデザインリサーチの業務を経てPoietica設立。デザインリサーチやプロトタイピングの方法論を活用した事業開発や作品制作に携わる

エスコバルはコロンビア出身の人類学者であるが、学部時代には化学工学(化学を実生産に乗せ、その利便性を社会に引き出すための学問)を修め、修士ではフードサイエンスを学んでいたという。その後人類学に転じ、近代的な「開発」と植民地主義を開発人類学の領域から批判的に研究する立場を取った。

「つまり、エスコバルは元々デザインに関する研究をしていたのではなく、近代的な開発を研究する過程でデザインに遭遇し、それが『多元世界に向けたデザイン』の執筆につながっている」と奥田は言う。

奥田

エスコバルは、「デザイン」が「近代という構造そのもの」を強化することに加担したのではないかという批判を展開しました。開発という行為に「デザイン」が持ち込まれ、西洋発の専門的で技術的な解決策として特権的な立場が与えられるようになり、さまざまな土地に住む先住民たちによる実践よりも優先されるようになった。

「従来、デザインは弱い立場に立っている者を助けるための技術だと考えられてきたが、実際にはむしろ近代的な搾取構造に加担してきたのではないか」とエスコバルは批判的に捉えました。

エスコバルは、権力側は「開発」と「デザイン」を結びつけることによって、その知識や権力を“開発されていない”国々に導入するための言説を生み出したのではないかと指摘した。そして、この「言説」はそうした国のみならず、地球そのものを危機的な状況へと導いた。つまり、開発とデザインが、異常気象などの環境問題を引き起こす原因にもなっているとエスコバルは考えたのだ。

エスコバルが『多元世界に向けたデザイン』を通じて提起しているのは、以上のような問題とその解決法、具体的には「西洋中心主義的な『一つの文化』を持つ『一つの世界』から、『多くの文化』を内包する『多元的な世界』へのトランジション」だ。

「ただしここで注意しなければならないのは、『目指すべき世界』を想定し、そこにステップバイステップで進んでいけばいい、という単純な話ではないということです」と奥田は語りながら、次のように続けた。

奥田

その理由は「存在論的デザイン」という概念から説明できます。存在論的デザインとは、簡単に言ってしまえば「私たちはデザインしたものによって、デザインし返されている」という考え方です。たとえば、私たちはデジタル技術を活用してさまざまな機器をデザインしていますが、それらのデバイスは私たちの日常生活を大きく変化させていますよね。

奥田

つまり、私たちは自分たちがデザインしたものによって、自らの暮らしやあり方までもデザインし返されているわけです。そういった意味で、デザインは私たち人間の意識や認識を形づくるものの一つだと言える。

だからこそ、「目指すべき世界」をデザインし、そこに向かって進めばいい、という話にはならないわけです。なぜなら、「目指すべき世界」を描いた時点で、私たちは「目指すべき世界」からデザインし返されてしまい、それが妥当なものかどうか疑うのが難しくなってしまうから。エスコバルは、デザインという行為によって自らの価値観が規定されてしまうことに気をつけなければならないと説いてるわけです。

私たちは、デザインしたものにデザインし返される。私たちとデザインの間にある、そんな再帰的な関係を人類学の視点から問い直し、「『一つの世界』に即したデザイン」ではなく「多元的な世界デザイン」に向かうための方法を探ることが必要ではないかと奥田は語った。

デザイン史に残る名著が示す、デザインと人類学の距離

続いてマイクを握ったのは、大阪大学人間科学研究科で教鞭を執る、人類学者の森田だ。森田から語られたのは、「デザインと人類学の関係」である。

森田敦郎|大阪大学人間科学研究科教授・Ethnography Lab Osaka 代表。人類学者。テクノロジー・社会・環境の関係をエスノグラフィの手法を通して研究してきた。とくに、日々の暮らしが環境・気候危機といかに繋がっているのかを、物流、エネルギー、生産などのインフラストラクチャーに注目して理解しようとしてきた。「つくること」を通して、暮らしを支えるテクノロジーと環境の関係を探究するクリティカル・メイキングの実験も行っている

『多元世界に向けたデザイン』が「人類学者が著したデザインに関する書籍」であるように、近年デザインと人類学が接近していると言われる。その理由について「『デザイン』が拡張しているから」という説明が用いられることは少なくないが、だとすれば、デザインの拡張の中でなぜ人類学が求められるようになったのだろうか。

まず、そもそも「『デザイン』が拡張している」とはどういうことか。かつて「工業製品などのモノの形を設計すること」を指す言葉だった「デザイン」は、近年では「誰かの困りごとを解決するためのソリューションを提供すること」としても捉えられている。主にプロダクトの外観に関わっていた「デザイン」は、いまやサービス・体験・活動・組織をもスコープに収める概念となったのだ。森田は「デザインが人類学を求めるようになったのは、この拡張からだと仮説を立てられる」と言う。

この仮説をさらに説明するため、森田はデザインに関する本の中でも特に重要な位置を占める、数冊の書籍を紐解いていった。まず森田が挙げたのはイタリア出身のデザイナーであるブルーノ・ムナーリの『モノからモノが生まれる』だ。この本の原著は1981年、日本では2007年に翻訳版が発売されている。

この本の内容を一言で言ってしまえば、「デザインの方法論に関する本」だと森田。デザイナーであるムナーリが自身の経験を元に、主にプロダクトデザインにおける課題解決の方法を、さまざまなステップごとに解説している。「この本を読んでみても、人類学に関係している気配はなさそうです」と森田は言う。

次に「『多元世界に向けたデザイン』に先行する業績の一つ」として森田が紹介したのが、アメリカ人デザイナー、ヴィクター・パパネックが1971年に発表した『生き延びるためのデザイン』だ。同時代のデザイン界に大きな議論を巻き起こした同書は、原著が発売された3年後に日本でも翻訳された(2024年2月に新版が発売されている)。

同書でパパネックは、自身の経験に基づいて現代のデザインが大量消費や環境破壊というネガティブな結果を生み出していることを批判的に描き出している。そして、さまざまな問題を引き起こした同時代のデザインパラダイムに代わるものとして「より“小さく”、ローカルなデザイン」の必要性を主張した。

森田は「この本には『多元世界に向けたデザイン』との共通点が見出せる」と指摘する。しかしデザインと人類学は、同書においても深い関係で結ばれていたわけではないという。パパネックは人類学を参照し、その論を展開しているものの、あくまでも話題の中心は「自身のプロダクトデザインの経験に基づいた(現代)デザイン批判」であり、人類学は批判的な視点を提供する役割にとどまっているのだ。

つまり、少なくともムナーリやパパネックが活躍した20世紀後半においては、デザインと人類学の間には一定の距離があった。しかし、近年その距離はぐっと縮まっている。森田はその証左となる一冊の書籍を挙げた。

森田

ビジネスデザイナーである岩嵜博論さんは、2023年に発表した『デザインとビジネス 創造性を仕事に活かすためのブックガイド』の中で、30冊の書籍を紹介しながらビジネスにおけるデザインの重要性を説いています。この本を読んで僕はかなり驚いたのですが、30冊中7冊が人類学や社会学の書籍なんです。

特に、第2章はデザインリサーチの参考となる書籍が紹介されているのですが、すべて人類学関連の書籍になっている。クリエイティブなリサーチをするための方法としてエスノグラフィーが、クリエイティブな分析手法としてKJ法が紹介されており、これらはいずれも人類学から生まれた手法です。

ムナーリやパパネックの時代から半世紀が経過し、いまや人類学やそこから生まれた技法は、デザインに欠かせないものとなった。この変化はいかにして生まれたのか。その答えにつながる書籍もまた、岩嵜が「デザインの古典」として、著作の中で紹介しているものの中にあると森田は言う。

コンピューターがもたらした「デザインと人類学の接近」と「デザインの断絶」

「なぜデザインと人類学は接近したのか」という問いに対する「答え」を示唆するのが、カナダのコンピューターサイエンティスト、ビル・バクストンが2007年に発表した『Sketching User Experiences: Getting the Design Right and the Right Design(以下、Sketching User Experiences)』だ。

同書はデザインの対象をプロダクトからそれを用いた活動、プロダクトを生み出す組織、あるいは他のテクノロジー、そして環境との関係、すなわちエコシステムに拡張するための方法論を解説している。その過程で著者であるバクストンは人類学に関連する論文を引用しながら、「プロダクトからエコシステム」に至るデザインの範囲を定義しているのだ。

森田

この本が示しているのは、サービスやエコシステム、あるいはユーザーエクスペリエンスという、現在「デザインの対象」とされるものを定義するにあたって、人類学が大きな役割を果たしている、ということです。

ではなぜ、人類学がデザインの対象を定義するようになったのか。きっかけは、コンピューターの登場です。1990年代以降、コンピューターサイエンティストや人類学者たちは人間とコンピューターの相互作用、すなわちHCI(Human Computer Interaction)に関する研究を進めてきました。

そういった研究は、CSCW(Computer Supported Cooperative Work。コンピュータ支援による共同作業を研究する学術分野)や参加型デザインの研究に分化し、引き継がれています。そうした「人間とコンピューターの相互作用」に関する系譜が、UXデザインの基本的な問題系を定義しているのです。

つまり「コンピューターと人間との関係」を人類学が、そしてデザインがコンピューターやITテクノロジーなどの活用をその射程に捉えたことによって、人類学とデザインは、一気にその距離を縮めることになったのだ。

そして森田は、コンピューターの誕生に伴うデザインの拡張の中で、デザインに「断絶」が生じたと指摘する。

森田

ムナーリやパパネックの著作と「Sketching User Experiences」には、大きな違いがあります。ムナーリとパパネックは、自らが産業デザイナーとして培った経験を元にデザインの方法——具体的には「いかにデザインの対象を設定するか」「問題をどう定義するか」「問題を解決するための手順」など——を構築しています。このことが意味するのは、ムナーリやパパネックの方法論とは、100年以上にわたって連綿とつづく産業デザインの実践の中から生まれた知恵であるということです。

対して、「Sketching User Experiences」において、デザインの対象や問題を定義するのは、学術研究、それも「デザインの外側」にある人類学の知見です。ここに「デザイン」の断絶があるわけです。かつて、デザインの対象は基本的に物理的な人工物でした。たとえば建築家は、過去の事例を元にデザインを学び、その時々の状況に合わせてデザインをアップデートしてきたわけです。

しかし、コンピューターは過去に例のない新しい技術であり、しかもかなり汎用性の高いものだったのでデザイナーたちも含め、それを利用しようとするすべての人が「そもそも何ができるのか」すらわからなかった。そういった問題を解決するために、人間とコンピューターの関係を研究対象とした人類学が採用されたという歴史があるのです。

人類学が“アフター・コンピューター”のデザインにもたらしたのは、「分析単位」だと森田はつづける。未知なる技術であるコンピューターを活用したサービスなどをデザインするためには、何に焦点を当て、何を分析すべきなのか。エスノグラフィーを用いた人類学的な研究は、「実践(プラクティス)」、すなわち「人々が日常的に営む活動」にフォーカスするべきだという知見をもたらした。

人類学において、企業や家庭という組織は数多くの実践が連結したものだとされている。そして、さまざまな実践とその総体としての組織活動が結びつくことで、「エコシステム」は構成されると考えられているのだ。

森田

コンピューターを活用した情報システムに求められたのは人々の社会活動、すなわち実践の一部として機能すると共に、スムーズに実践同士を結びつけることでした。だからこそ、そのデザインをする際には、何よりもまず多様な実践を考慮し「実践間の結びつきが、いかに社会を構成しているのか」を分析しなければならないと考えられるようになった。そして、さまざまな実践をリサーチし、分析するための手法を提供したのが、人類学だったのです。

人類学者がデザインに託す希望

ここまでの話を簡単にまとめると、「コンピューターの登場によって、デザインはその対象を物理的な人工物から、実体を持たないシステムやサービス、そしてそれらが形成するエコシステムへと拡大させた。この変化によってデザインには断絶が生じ、“アフター・コンピューター”のデザインは、その理論的な基盤を人類学に求め、人々の『実践』にフォーカスするようになった」ということになるだろう。

奥田が言及した「存在論的デザイン」への注目はこうして起こったと森田は言う。プロダクトやシステムをデザインするということは、そのデザインを通して、人々の実践を変化させることにつながる。たとえば、職場で用いられる業務システムをデザインするということは、そのシステムを用いる人の仕事の方法を変化させることでもある。そして、その人の仕事の方法、すなわち実践の変化は、他の誰かの実践を変化させる可能性を孕んでいる。

さまざまな「デザイン」は、それ単独で存在するのではなく、常に他のデザインとの相互作用の元に成り立っている。社会の基盤をなす「インフラストラクチャー」も例外ではない。

森田

さまざまなプロダクトやシステムは、社会生活の基盤となるインフラストラクチャーに連結することで使用可能な状態になっています。たとえば、いま使用しているPCやネットワーク機器が使用できているのは、この建物が電力供給システムにつながっているからですよね。その電力システムというインフラストラクチャーもまた、デザインされたプロダクトの連なりによって構成されているわけです。

そして、電力やネットワークなどのさまざまなインフラストラクチャーこそが、私たちの世界のあり様や「世界には何が存在し得るのか」といった存在論的な問題を形づくっている。このことを踏まえ、エスコバルは「多元世界に向けたデザイン」の中で、「デザインとは、世界をつくる活動である」と主張しているのです。

デザインは、コンピューターサイエンスや人類学と共に「世界をどうつくっていくか」という問いを発展させてきた、という言い方もできるかもしれません。プロフェッショナルデザイナーのみなさんが、こういった流れや歴史を踏まえて、日々の業務に臨んでいただくことはとても重要なことだと思っています。

デザインにとっての人類学とは、単に「エスノグラフィーやKJ法といった『便利なツール』を提供してくれるもの」ではない。人類学は「デザインすべき対象とは何か」「デザインされたものは、いかにして人々の実践を変え、人々の実践を変えることを通して、どのような影響を社会に与えうるか」といった、デザインにまつわる極めて重要な問いを提起してきた。

それだけではなく、「人類学は日々生み出されているプロダクトやサービスが、どのような経路を辿って気候変動などの地球規模のイシューにつながっているのかを知るツールにもなり得る」と森田は言う。

森田

デザインという営みは、「持続不可能」な世界を生み出したのかもしれません。しかしエスコバルや私を含めて、人類学の研究者の中には「デザインという営みによって、世界の持続不可能な回路を切り替えることができる」と信じている者がいます。

デザインが持続不可能な世界をつくったのだとすれば、その実践を変えることによって、別の世界をつくることだってできるはず。エスコバルをはじめとする人類学者たちは、デザインにそのような希望を託し、関心を寄せているのです。

本イベントは、アーカイブ動画が公開されています。是非下記もご覧ください。


Credit
取材・執筆
鷲尾諒太郎

1990年、富山県生まれ。ライター/編集者。早稲田大学文化構想学部卒業後、リクルートジョブズ、LocoPartnersを経て独立。『FastGrow』 『designing』『CULTIBASE』などで執筆。『うにくえ』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
石田哲大

ライター/編集者。国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

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