「社会運動」の視点からデザインを捉え直す。『多元世界に向けたデザイン』に寄せて──奥田宥聡、水内智英、森田敦郎

近年、「デザイン」と「人類学」が急速に接近している。

その背景には、持続可能性の危機を迎えた世界において、「デザインという営みが世界の“回路”を切り替えられる」と信じている人類学の研究者たちの存在がある──そう語られたのは、ロフトワークが新しい常識や価値観を模索し、より望ましい社会への「トランジション」を目指すコミュニティ、Transition Leaders Communityの一環として開催したイベントだ。

「人類学とデザインの協働」をテーマに開催された同ミートアップは、人類学者であるアルトゥーロ・エスコバルが2018年に刊行した『Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds』の翻訳版『多元世界に向けたデザイン ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』の出版記念イベントでもある。

スピーカーとしてお迎えしたのは、同書の監訳を行った、京都工芸繊維大学准教授・デザイン研究者の水内智英、大阪大学教授・人類学者の森田敦郎、合同会社Poietica共同代表の奥田宥聡だ。司会とモデレーターは、ロフトワークディレクターの古田希生が務めた。

デザインと人類学、それぞれのスペシャリストは『多元世界に向けたデザイン』をいかに読み解いたのだろうか。デザインと人類学が接近した経緯が語られた前編に続き、後編では世界を西洋中心の“一つの世界”から、「多元的な世界」にトランジションさせるための具体的なアイデアが水内と森田から共有された。

「『一つの世界』の世界」から、「『複数の世界』の世界」へ

前編では、エスコバルが『多元世界に向けたデザイン』を著した背景にある問題意識や人類学とデザインが接近した理由、そして人類学者たちがデザインに見出した「希望」について触れてきた。

人類学からの問いかけと期待に、デザインはどう応答するのか。京都工芸繊維大学 未来デザイン・工学機構で准教授を務める水内は「日本にはデザインを批判的に見る態度が欠けているのではないかと感じてきた」と語りはじめた。

水内智英|デザイン研究者、京都工芸繊維大学 未来デザイン・工学機構准教授 。岡山生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科で基礎デザイン学を、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ大学院 Design Futuresでメタデザインを学ぶ。京都工芸繊維大学で博士号を取得。英日のクリエイティブエージェンシー勤務などを経て現職。ソーシャルイノベーションや、幅広い主体とのコ・デザインに関する研究活動や実践的プロジェクトを行う。主な国際ワークショップに「FoodScope (Forum Design Paris 2018)」「Symbiotic Interests (台湾USC 2020)」など、著書に「ヴィジュアルリテラシー スタディーズ(共著)」など。NPO法人 issue+design クリエイティブディレクター/理事、基礎デザイン学会理事、日本デザイン学会会員

水内

日本では、デザインが社会にネガティブな状況をもたらしていることがなかなか語られません。しかし、もう少しデザインを批判的に捉えることで、デザインが社会の中で果たすべき役割を捉え直せると考えています。そういった意味でも、『多元世界に向けたデザイン』が翻訳されたことには、とても大きな意義があると感じます。

まず水内は、同書で取り上げられている「デフューチャリング」と「フューチャリング」という概念について説明した。これらは、デザイン理論家であるトニー・フライが提唱したもので、エスコバルはこれらの概念を用いてデザインの功罪を説明している。

デフューチャリングとは「あり得る複数の未来を破壊すること」を指し、対してフューチャリングは「複数の未来を創造するための行為」を意味する。エスコバルは「これまでのデザインが、デフューチャリングに加担していたことに自覚的になるべきだ」とし、デザインによってフューチャリングを実現するための方法を模索している。

デザインは、近代化の流れの中でデフューチャリングに取り込まれていったとエスコバルは指摘し、近代化を厳に批判する。そして、近代化の象徴として「家父長制」を取り上げている。エスコバルは「家父長制」という言葉を、「女性を搾取する制度」としてのみならず、「計画的な自然破壊を説明するもの」として用いている。そして、対立概念として「家母長制」を挙げ、この言葉を“支配やヒエラルキーに基づかず、全ての生命の関係、構造を尊重する、という異なる生命観に基づき定義される”(『多元世界に向けたデザイン』, p48)とする。

つまり、西洋における近代化というプロジェクトは「搾取とコントロール」をベースに、すべてのものを二元論的に捉え、事物間の関係を断ち切ろうとするという意味において、家父長制的な性質を持っていると指摘している。そのような「家父長制文化(=家父長制資本主義近代」に抗い、「包摂」「共同」「理解」「尊重」などによって特徴づけられる、家母長制文化へのトランジションの必要性を強調しているのだ。

水内

エスコバルは、社会学者ジョン・ローが用いた「一つの世界の世界(ワン・ワールド・ワールド)」という言葉を引き、近代西洋における世界観を批判します。エスコバルいわく、西洋においては「一つのリアリティ、一つの自然、多くの文化からなる世界に、あらゆる人が住んでいる」と考えられており、そして西洋は自らに「唯一の世界」であるという権利を与え、他のすべての世界を自らのルールに従属させ、低い地位に貶めている。

つまり、西洋を中心とする世界では「開発が進んでいること」のみが肯定され、西洋諸国は「低開発」の名の下に他国において搾取的な開発を進めてきた。そういった状況の背景には、近代西洋がつくり上げた世界を「唯一の世界」とする考え方があるわけです。

しかし、「一つの世界の世界」は気候変動などによって、限界を迎えつつある。エスコバルは、この世界を「多元的な世界」に移行させる必要があると主張し、デザインの実践にトランジションの可能性を見出しているのです。

デザインは、いかにして世界をトランジションするのか

奥田と森田が指摘しているように、人類学者であるエスコバルは「存在論的デザイン」を通して、人間という存在や社会におけるデザインの重要性を見出した。『多元世界に向けたデザイン』では、このことが以下のように表現されている。

我にマロカ(アマゾンの先住民族が暮らす長屋)を与えよ、されば関係的な世界をも育まん(人間と非人間の一体的・相互依存的な関係を含む)。逆に、我に郊外型住宅を与えよ、されば自然界から切り離された、脱共同体的な個人の世界をも育まん

(同,p196)

ここでエスコバルが表現しているのは、住む場所や環境、そのデザインによって、人間は大きくその存在のあり方を変えるということであり、デザインとは私たちの存在様式そのものに関わる行為である、ということだ。

この「存在論的デザイン」という概念は、「私たちはデザインしたものにデザインされ返されている」という状況を示すことで、トランジションへの方法を基礎づけている。だが一方で、、エスコバルが説く「多元世界へのトランジション」を実現するための「手段」にはなり得ない。

エスコバルがその「手段」として想定しているのは、「トランジションデザイン」や「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」だ。

トランジションデザインとは、「デザイナーの手によって、社会を持続可能な未来へと移行させるための手法」として、アメリカ・カーネギーメロン大学の教授陣が中心となり提唱した概念である。具体的には、「やっかいな問題(Wicked Problem)を理解し、対処するためのアプローチとして生命システム理論を用いる」「社会と自然双方の生態系を保護し、回復させる解決策をデザインする」「日常の暮らしやライフスタイルを、デザインの最も基本的な文脈に据える」「場所に根ざしつつ、グローバルにネットワーク化された解決策を提唱する」などと説明される*。

そして「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」とは、イタリアのデザイン研究者である、エツィオ・マンズィーニが著書『Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation』(編注:2024年3月現在、未翻訳)の中で提唱した手法であり、『多元世界に向けたデザイン』の中で、その基盤をなす思想が以下のように紹介されている。

  1. 我々は、誰もが自分の存在をデザインし、リ・デザインしなければならない世界に生きている。それゆえ、デザインがなすべきは、個人や集団のライフプロジェクトのサポートである。
  2. 世界はグレート・トランジションを迎えている。分散型システムに基づき生産と消費を近づけるレジリエンスのあるインフラストラクチャを通じて、デザインはローカルとグローバルを効果的に結びつけるコスモポリタン・ローカリズムの文化醸成に貢献しうる。
  3. 生活の状況を変えるための人々の行動は、ますます協働的組織を通じて行われ、デザインの専門家は、協働的ソーシャル・イノベーションのための状況を作り出す一員となる。
  4. 上記のすべては、デザインに関する国際的な会話の中に現れ、専門家と非専門家両方のデザイン活動における文化的背景の変革を目的とする。
(同,p268)

また、著者であるマンズィーニは、以下のような図を示している。

マンズィーニはデザインの目的を「問題解決」と「意味形成」に、行為の主体を「専門家」と「非専門家」に分け、デザインを4つの象限に分類。そして、この4つのデザインを組み合わせた「デザイン連合」によって、ソーシャルイノベーションを実現すべきだと説いているのだ。

また、エスコバルは「ソーシャルイノベーションのためのデザイン」の特徴として挙げている「分散型システム」を特に重要視している。トップダウンかつ中央集権的な近代型のシステムやインフラストラクチャーとは異なる、分散した要素が相互にリンクする広域的な、すなわち「SLOC:小さく(Small)ローカルで(Local)開かれ(Open)連携した(Connected)」ネットワークが、ソーシャルイノベーションの基盤となるとエスコバルは考える。

水内

森田先生も言及したように、エスコバルはインフラストラクチャーを重視します。ソーシャルイノベーションを実現し、社会をトランジションするためには、個々の実践の基盤となり、その実践を支えるインフラストラクチャーとしての仕組みや組織をデザインすることが求められているのです。

そして、エスコバルは「オートノマス・デザイン(Autonomous design)」、日本語では「自治=自律的デザイン」という自作の用語を用い、専門家から与えられたデザインをただ享受するのではなく、すべての人が自らの手で自らの生活をデザインすることが重要だと指摘しています。

『多元世界に向けたデザイン』の第6章ではコロンビア出身であるエスコバルが、コロンビアのカカウ河谷の開発に関する問題を「自治=自律的デザイン」によって解決する思考実験が展開されている。19世紀後半からカカウ河谷では大規模な開発が進められてきたが、一連の開発は環境破壊と地域住民への抑圧を伴い、そして労働力として半ば強制的に移住させられた黒人たちと、支配層である白人たちとの間に大きな格差を生んだ。

エスコバルはデザイン連合を組織することによって新たなビジョンを立ち上げ、そして「自治=自律的デザイン」を導入し、それを支援することでカカウ河谷を取り巻く世界をトランジションさせるための道筋を示している。

そうした具体事例を交えながらも、同書がデザイナーに提示するものとは何かについて、最後に水内は「いまデザイナーが向き合うべき課題」として語りかけた。

水内

自らが搾取や抑圧、あるいは気候変動に加担していると言われても、その実感を日本で暮らす私たちが持つことは難しいですし、それらとデザインのつながりはイメージしづらいですよね。しかし『多元世界に向けたデザイン』は、たしかに私たちのデザインがそれらのネガティブな行為や現実につながっていることを示しています。

この本が突きつけているのは、私たちの「想像力の危機」であり、その危機を乗り越え、これまで捉え切れていなかった現実を捉え直す必要があるということなのではないでしょうか。いま、デザイナーが問われているのは、この本の中で語られている現実を「自分事にできるかどうか」なのだと思います。

* “Transition Design Provocation”(Irwin, Kossoff, Tonkinwise, 2015)の定義より引用

「水俣病運動」に見る、多元世界に向けたデザインの萌芽

水内からのプレゼンテーションに続き、クロストークが実施された。

司会を務めたロフトワークの古田が投げかけた「日本における、デザインを通した社会のトランジションの実例」に関する質問に対して、森田はエスコバルの研究の背景やスタンスを解説しながら実例を挙げた。

森田

『多元世界に向けたデザイン』はデザインに関する書籍ではありますが、エスコバルはあくまでも人類学者としてこの本を書いていると思います。つまりこの本は、「デザインの実践」のあり方を大幅にリロケーションすることを意図して書かれたのではないでしょうか。

エスコバルは「デザインは社会運動の延長線上にある」と主張します。ここで注目すべきなのは、エスコバルが南米出身である点です。20世紀後半の南米では、数多くの軍事政権が誕生しました。その代表例が、チリのピノチェト政権です。

ピノチェト政権下では、左派知識人のみならず、先住民たちも暴力的な弾圧を受け、数多くの人々が行方不明になっています。そしてエスコバルたち人類学者は、そのような時代の中、先住民と連帯することで抵抗の道を探っていたという歴史があるのです。

『多元世界に向けたデザイン』は、このような経験を持つ人類学者によって書かれた「デザイン書」なのだ。つまり、同書におけるデザインとは「ビジネスに活用する」ためのものではない。

「そこが非常に重要なポイントだ」と森田は指摘する。この本が私たちに突きつけているのは、「社会運動の視点からデザインを捉えることができるか」という問いなのではないかと。そして、日本でのデザインによるトランジションの実例として、小説家・詩人・環境運動家の石牟礼道子による1968年の著書『苦海浄土―わが水俣病』でも描かれた、「水俣病」を取り巻く社会運動を挙げた。

森田

水俣病患者の救済や補償を求めた一連の運動は、近代的な世界とは異なる世界を地上にもたらすためのものでした。実際に、この運動をリードした石牟礼道子は「もう一つの世をつくる」と言っています。

そして水俣運動に関する記録映画を観てみると、デモに参加している方々が「死民」と書かれたゼッケンを身につけ、白い染料で「恨」という文字を書いた黒い旗を持って熊本県庁や、加害企業であるチッソ本社に乗り込む姿が確認できます。

「死民」とは「市民」をもじってつくられた言葉ですが、この言葉が意味するのは水俣病運動が「近代的な市民としての権利を主張するための運動」ではないということです。死んだ人、死んだ魚、死んだ猫などが怨念という近代のロジックでは捉えきれない存在として現れ、近代のロジックでは応えられない要求をすることを通して、「もう一つの世」をつくろうとする意図が見て取れます。

この運動そのものが、エスコバルが想定する「多元世界に向けたデザイン」だと言うことができると思いますし、かなり先駆的な「多元世界を求める運動」だったのではないでしょうか。そしてこの運動だけではなく、日本にはそういった実例が溢れていると思っています。

多元世界へのトランジションは、すでに始まっている

続いて、古田から「エスコバルは『自治=自律的デザイン』という言葉を使って『自分で自分の生活をデザインすること』の重要性を説いているが、『自治=自律的デザイン』はどのような経路を辿り、トランジションに結びつくか」という質問が飛んだ。

マイクを取った水内は、エスコバルがマンズィーニが用いた「ライフプロジェクト」という言葉を引用していることに触れながら、こう答えた。

水内

たとえば、私たちは「財産を築き、それを活用してさらなる生産活動に励むこと」をこの世界を生きるための所与の条件として考えているかもしれません。しかし、それも「一つの世界」に囚われているからこその発想だと思います。

もしかすると、いま私たちが財産だと捉えているもの以外で、自らの生活がつくれるかもしれない。そして、そういった生活が自らの幸せに結びつく可能性だってあるわけですよね。私たち一人ひとりが、「一つの世界」を形成する枠組みを少しずつ変化させることができれば、ボトムアップのトランジションが起こるかもしれません。

自らの生活を変容させるための取り組み、つまり「ライフプロジェクト」が、社会のトランジションを基礎づけるのです。先ほど、森田先生が社会運動としてのデザインに言及しました。「社会運動」って言われても……と思った人もいるかもしれませんが、社会のトランジションを目指して、ほんのちょっと自ら生活のデザインを変えることも、社会運動の一部だと言えると思います。

イベントの終了時刻が迫り、「最後に一言、みなさんにメッセージを」と水を向けられた森田は「人類学者が書いた本に、デザイナーの方々から大きな関心が寄せられていることを知り、とても驚いていた」と、原著が発売された当時のことを振り返った。

そして、未来への希望を込めて、こんな言葉でイベントを締めくくった。

森田

原著が発売された際は翻訳版が出るとは思ってもみませんでしたし、その出版イベントに、オンライン・オフライン併せて200人も集まるなんて、まったく想像していませんでした。

『多元世界に向けたデザイン』という本は、すぐに使える便利な思考法やツールを提供するものではありません。一方で、これからデザインの基礎となる、重要な考え方を提示してくれているのではないでしょうか。

デザインを手がけるプロフェッショナルとしての価値は、金銭的な報酬だけで測られるものではないと思いますし、お金とは別の価値が必要なのだと思います。そして、そういった考えに共鳴する部分があったからこそ、みなさんはこの本に注目し、このイベントに参加したのではないでしょうか。

そして何より、奥田さんをはじめとする若いデザイナーたちが貴重な時間を費やし、この本を翻訳してくれたという事実がある。今はまだ「草の根」の域を脱しないかもしれませんが、このイベントを通じて、社会が変容しはじめていることを実感しました。

本イベントの続編となるイベントが、京都で開催されました。以下にアーカイブ動画も公開されていますので是非ご覧ください。


Credit
取材・執筆
鷲尾諒太郎

1990年、富山県生まれ。ライター/編集者。早稲田大学文化構想学部卒業後、リクルートジョブズ、LocoPartnersを経て独立。『FastGrow』 『designing』『CULTIBASE』などで執筆。『うにくえ』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
石田哲大

ライター/編集者。国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

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