「折り返し地点」の不安とどう向き合う? つくり続ける者の旅路──藤田佳子×三重野龍×祖父江慎

「30代」とはどんな時期なのか。

わからないなりにも自分や世の中に希望を持って突き進んできた10〜20代を経て、自らの実力や可能性に限界を感じる頃だろうか。それとも、仕事の実績を積み上げ、マンネリを感じ始めてキャリアに迷う年齢なのか。

ものづくりに携わる30代の、リアルな話を聞きたい──デザインプロジェクト「Featured Projects 2024」2日目最後のトークセッション、「人生の折り返し地点。改めて向き合う“そうぞう”の旅」をテーマに集まったのは、まったく違う経歴を持つデザイナー3人だ。

株式会社サン・アドのアートディレクターとして活躍する藤田佳子。京都を拠点とするグラフィックデザイナーの三重野龍。そして、先駆者として30代2人の話を引き出すモデレーターには、有限会社コズフィッシュ、ブックデザイナーの祖父江慎。

会社勤め、フリーランス、経営者という観点でも、異なる肩書きの3人が考える「30代の道のり」とは。本記事では、お互いのキャリアを振り返りながらそれぞれの仕事観と向き合ったトークセッションをレポートする。

組織と個人、異なるキャリアを歩み続ける2人

クリエイティブ集団&広告制作会社のサン・アドに勤めるアートディレクター、デザイナーの藤田は、1984年生まれの39歳。まさに今回のテーマである30代を振り返る年齢だ。

株式会社サン・アドのアートディレクター 藤田佳子

1964年の創業からさまざまな広告を手がけるサン・アドは、数々の広告賞の受賞歴のある企業だ。藤田も、日本グラフィックデザイン協会が主催するJAGDA賞、東京アートディレクターズクラブが主催するADC賞を受賞するなどの活躍で注目されている。

これまでの代表的な作品としてこの日紹介したのは、東京駅地下の商業施設グランスタのエリア拡大告知キャンペーンで「ふくらむちゃん」というキャラクターを展開した事例や、サントリーの企業理念である「水と生きる」をテーマとし、上記2つの賞も受賞した新聞広告シリーズ。また、金沢の繁華街にある築50年のビルをリノベーションし、ホテル「香林居」として再生したプロジェクトにも触れ、そこに込めたこだわりを伝えた。

藤田

50年間で蓄積された時間も含め、香林坊エリアの場所の特性を体感してもらえる空間にしたいなと考えました。土地柄や、この建物ならではの歴史性をデザインに反映し、ホテル全体の世界観を構築しました。

この「香林居」プロジェクトでもJAGDA新人賞を受賞した藤田は、以後個人的な活動や仕事も増えたという。自己紹介の最後には、コクヨ株式会社がこの春オープンしたファクトリー&プリンティングレーベル 「COPY CORNER」のコラボレーションノートのデザインも紹介した。

一方、三重野は大学卒業と同時にフリーランスで活動を始めたグラフィックデザイナーだ。文字そのものをデザインするタイポグラフィを得意とする、兵庫県生まれの36歳。藤田とは異なり、これまでずっと1人で仕事を受けてきた。

グラフィックデザイナー 三重野龍

三重野

僕は基本的に友達伝てで仕事を受けることが多かったんです。学生時代から少しずつデザインに関わっていって、今もその延長みたいな形で仕事をしていますね。

知り合いから依頼された仕事に真摯に向き合ったことで依頼が増え、三重野は着実に実績を重ねて現在に至る。2015年の京都国際マンガミュージアム『赤塚不二夫マンガ大学展』のフライヤーデザインを皮切りに、さまざまな美術館や文化施設の企画でクリエイティブを担い、東京オリンピック開会式のピクトグラムパートで使用されるアルファベットの制作もおこなった。京都にあるGALLERY&SHOP「VOU/棒」では、ロゴ制作だけでなく、ステッカーなどのグッズづくりも担当している。

まったく違う歩みを進めて現在に至る2人と並んで座ったのは、デザイン界の先輩である祖父江だ。ブックデザイナー、アートディレクターとしても長く活躍し、書籍やミュージアム・展覧会のデザインなど幅広く手がける有限会社コズフィッシュの代表。祖父江の柔らかな語り口に誘われるように、まずは登壇者2人のキャリアをじっくり振り返った。

苦悩、刺激、飛躍……揺れ動く藤田の歩み

今回の登壇に向けて、2人には自身の歩みをダイアグラムにしてきてもらった。最初に、ぐるぐると渦を巻いた図式を披露したのは藤田だ。

藤田

私は進んできたというより、同じところを行ったり来たりしながらぐるぐる回り続けていると感じたので、こんな図にしました。一応、これは1本の線で、入社してからこれまでが途切れたりしながらも繋がっています。

大学院に進学し、20代後半で社会人となった藤田。サン・アドに入社してすぐに「広告の企画」という壁にぶつかったという。

藤田

サン・アドはロゴデザインやパッケージデザインなどのブランディングの仕事もありますが、やはり広告制作会社なので、仕事の中心には広告の企画があります。私自身はデザインをする気満々だったのですが、会社に入って与えられたのは広告プランニングの仕事。まさか自分がCMの企画を考えることになるとは……と、出鼻がくじかれたように感じたんです。

有能な先輩たちと自分を日々比べてしまい、企画そのものに苦手意識を持つほどだったと語る。また、組織で働くということは、社内・社外含めて様々な立場の人とコミュニケーションを取って仕事を進める必要があり、藤田はその新しいスキル獲得にも苦しんだ。それでも、ようやく社会人となって働けるようになった喜びから、必死で先輩たちの後を追いかけた。

大きな転機となったのは、前述の「ふくらむちゃん」の仕事を始め、多くの作家とのコラボレーションがあったことだ。自分がつくるものに自信を持てない時期に、ものづくりに純粋に向き合う人々から力をもらった。

藤田

私たちの仕事は、相手の要望を聞いてデザインを提案することではありますが、その中心にあるのは「ものをつくる」こと。いろんなこと考えすぎて忘れていた大事なことを、作家さんのものづくりの姿勢に触れて、思い出させてもらった気がします。

その後、サントリーの新聞広告でダブル受賞。チームの代表として授賞式に臨んだ藤田だが、実は居心地の悪さを感じていたという。

藤田

チームのおかげで賞をいただいたわけで、自分が評価されたというわけではないんだ、と。自分の能力を信じられなかったですし、授賞式にいるべきじゃないのに、と素直に喜べませんでしたね。

それでも、藤田はまたぐるりと円を描きながら、仕事に向き合い続けた。金沢のリノベーションホテル「香林居」の仕事では、運営会社や建築家などさまざまな立場の人と大きなプロジェクトを動かすことに。そのチームでアートディレクターとしての専門性を期待され、信頼に応える形で力を発揮できた仕事だったと振り返る。

そして昨年、JAGDA新人賞をきっかけに社外での個人活動が増え、今までにない刺激も得られるようになった。新しい出会いによって視野も広がり、社内の仕事にも還元されてよい循環になっていると話す藤田。話を聞いていた祖父江の相槌にも、力がこもっていた。

有限会社コズフィッシュ、ブックデザイナー 祖父江慎

祖父江

デザイナーは会社の仕事だけやってちゃ絶対ダメだと、僕は思うんですよ。個人的な活動をやってこそ腕が上がる。それが可能なサン・アドは、藤田さんにとって恵まれた環境ですね。

個人と会社の仕事のいい循環のなかで、またぐるりと大きく広がりを見せていきそうな現在。このダイアグラムは、次にどのような線を描くのだろうか。

新卒フリーランスを生き延びた、三重野の軌跡

続いて紹介された三重野のダイアグラムは、藤田とは異なる右肩上がり。2011年の大学卒業からフリーランスで葛藤した13年間を振り返った。

三重野

大学の友人たちにはアーティストやイラストレーターなど独立して活動する人が多かったので、僕自身もグラフィックデザイナーとしてみんなと一緒にやっていこう!というテンションでした。最初は仕事がなかったので、比叡山のロープウェイでアルバイトもしていましたね。

仕事が少ない間はフリーペーパー制作などの活動を仲間とおこなっていたが、2年間は収入が不安定でつらかったと話す。知り合いの紹介などで仕事を増やしながら、ようやくアルバイトをせずに生活が回るようになってきたのが2013年頃だ。

その後も着実に仕事が増え続け、2015年には自分なりの仕事の楽しみ方やスタイルが確立し始めた。大学の先輩が経営していた「VOU/棒」のロゴやグッズを作り始めたのも、この頃だ。

三重野

VOUという場所ができ、そのデザイン周りをまるっと任されたことが、僕にとっても大きな出来事だったんですよね。VOUの経営をしている友人と飲み屋で話しながら、「こんなものつくろう」と言っては、すぐに帽子やTシャツをつくり始める日々でした。

「VOU」と描かれたステッカーだけで60種類近くあるという数の多さが、仲間たちで「つくってみよう!」と盛り上がったことを想像させる。一緒に店舗の経営をするのではなく、デザインやグッズ周りで伴走するスタイルだったからこそ、良い距離感を保ったまま長く付き合えてこれたと語った。

2019年には京都dddギャラリーで、初となる個展『三重野龍 大全 2011-2019 「屁理屈」』を開催。大学時代の教授からの依頼が二転三転した結果、三重野の単独企画として着地し、自らの9年間を振り返るビッグイベントになった。同じ時期にVOUの移転と拡大、三重野個人の引っ越しや結婚など、キャリアのほとんどの期間で右肩上がりは続いた。

祖父江

忙しくなってくると、アシスタントを雇うことや法人化にすることを考えがちだと思うんですが、三重野さんはどうですか?

三重野

今まではあまり考えたことがなくて。「まだ1人でできるな」という感覚なんです。ただ、受けられる仕事の範囲を考えると、1人ではできないこともたくさんあるはずですよね。すでに1人でできる仕事の依頼しか来なくなっている可能性もあるので、そのあたりは今後考えていかなきゃと思っています。

個人から組織へ向かうことを考える三重野と、組織から個人の活動を広げてきた藤田。それでも今は組織に属したままできることをやってみたい、と話す藤田は、真逆のようなキャリアを辿ってきた三重野の話を聞き、「会社に入らずにフリーランスになれる軸が、ご自身の中にあるのかなって」とコメントした。

三重野

たぶん軸なんて、なかったと思います。たまたま僕は周りに独立している友人が多かったので、手の届く範囲から始められたんですよね。その範囲をちょっとずつ広げながら、今も徐々に積み重ねているような状態で。すごくラッキーだったと思うから、最初からフリーランスの道は、若い子には絶対勧めないです。

仲間たちとのネットワークで広がった先にある現在、三重野は法人化に加えて移住なども検討しているという。2人それぞれ、これまで培ったものを振り返ってきたところで、改めて祖父江がテーマである「折り返し地点」の話題を振った。

なぜ「人生の折り返し地点」と呼ぶのか?

祖父江

今回のトークセッションのタイトルは「人生の折り返し地点。改めて向き合う“そうぞう”の旅」ですけれども、「折り返し地点」って言葉、どう思いますか? 知り合いのデザイナーを見ていると、僕はやはり30〜35歳くらいですごい“極まり”があるように感じます。それを単純に維持しようとするだけでは、確かに折り返しになっちゃうよな……という気もしますね。

30代の2人にどきりとする問いかけをした祖父江。「半分かどうかなんてわかんないよね。明日死ぬかもしれないし、150ぐらいまでいけるかもだし」と笑いながら、祖父江自身は65歳を越えてもいまだ“極まり”の感覚はないと話す。

三重野

ある年齢で到達した何かに固執してしまうことはあるだろうなと思いました。僕自身は、まったく極められていませんが……。

三重野の言葉に、「私も」と同意する藤田。

藤田

まったく遠いです。むしろ永遠に追いつけない何かに向かっている感じですね。

祖父江

30歳過ぎまでの考え方は貫かれつつ、そこからいろんな形になっていくような気がするんですよ。だから、藤田さんの図のように、ぐるぐる回りながらこれからも変化していくんでしょうね。「折り返し地点」というと戻ってくるようなイメージになるから、「リスタート」みたいな言葉で表すほうがいいのかもしれません。

会場ではおそらく多くの30代前後のクリエイターたちが、自分のキャリアと現在地に思いを馳せながら話を聞いている。移り変わる社会や未来に不安を抱く彼らにアドバイスがあるか祖父江が尋ねると、藤田は悩みを抱えてきた30代に、哲学書を読み漁っていた時期があったことを明かした。その中で「どんな立場の人でも悩みは常にあるのが普通だ」と知って、少し気が楽になったことがあると振り返る。

藤田

悩むのが当たり前の状態なんだとわかると、気負う必要もないと思えるようになりました。そのうち「悩んでいる時間がもったいない」とも思うようにもなって。40歳ぐらいになったら、まったく違う仕事をして日本全国を旅をしてもいいかな、なんて最近は考えていたんです。

祖父江

悩んでいるよりも、動くほうがよかったりしますよね。そこで「つくる喜び」に救われることも、デザイナーならあると思います。三重野さんは、不安はなかったですか?

三重野

なにせ仕事が不安定なもので、不安は常にぼんやりと抱えてきました。フリーランスになったばかりの頃は「これで大丈夫か?」とか。2014年くらいまでは、「東京に行った方がいいかも」「就職した方がいいのかな」なんてことも考えていたんですよ。けど、僕の場合は信頼できる友達がいて、彼らと一緒にいることで「いけるかも」と思わせてもらえたんですよね。

会社経営をしている祖父江からも「不安はつきものだけれど、なんとかなると思ってやってます」と心中が明かされる。ブックデザイナーとして数々の書籍のデザインを手がけ、30年以上も会社を続ける祖父江ですら、30代の登壇者2人と横並びで不安や前向きさを語るのだ。向くべき“前”があるところは、何歳になっても変わらないのかもしれない。

最後に会場への一言を求められた2人の言葉も、30代はまだまだ道の途中なのだというメッセージが届くようなものだった。

藤田

私はいまだに常々悩みと隣り合わせで仕事に向き合っているというか、まだ自問自答し続けている気がします。みなさんも、一緒に悩んでいきましょう……と言ったら変ですけど、頑張りましょう、という気持ちでいますね。

三重野

先ほどもお伝えしたように、僕の歩んだ道はまったくおすすめはしません(笑)。でも、こんなパターンの生き方もあるにはある。そんな気持ちでみなさんには見守ってほしいなと思っています。

何歳になっても、悩みや不安はあるけれど、それでも自分なりの方法で進んできた3人の生き方が垣間見えたトーク。人には人の数だけ「30代」がある。どんな人も一度は揺れて、移ろう時期なのだろう。けれど、そのゆらぎを「折り返し地点」や「マンネリ」と捉えるのか、新しい自分に出会うためのしなやかな変化と捉えるのか。

対話の中で藤田が放った、「結局、自分に見える世界を作っているのは自分だ」という言葉が印象的だった。不安とともに必死に前に進んでいるうちに、気づけば折り返す暇もないほどに遠い未来まで来ているのかもしれない。

Credit
執筆
ウィルソン麻菜

ライター。属性やラベル、国境などを超えた「向こう側にいる人」を伝えれば、社会がもっと身近で平和になると信じて文章を書く。主に、インタビュー記事や発信サポートなどのライティングをおこなう傍ら、個人の記憶を本にして残す「このひより」としても活動中。

編集
佐々木将史

編集者。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、'17に滋賀へ移住。保育・福祉をベースに、さまざまな領域での情報発信、広報、経営者の専属編集業などを行う。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。関心のあるキーワードは、PR(Public Relations)、ストーリーテリング、家族。保育士で4児(双子×双子)の父。

Tags
Share