流行か?役目を終えたのか?デザイン思考の“その先”を考える──KESIKI石川俊祐×PwC野々村健一×早川克美

デザイナーの思考体系を“型”にすることで、誰もが気軽にデザインを課題解決に活用できる──こうした「デザイン思考」のコンセプトは、ビジネスの現場にデザインを定着させる強い推進力になった。

一方、「デザイン思考には本当に効果があるのか?」「単なる流行だったのではないか?」といった懐疑的な意見も生まれている。

そうした議論が交わされる中で、先日象徴的な出来事が起こった。世界中でデザイン思考を推進する旗振り役を担ってきた「IDEO」が、2023年10月にレイオフを発表。さらに2024年前半には、日本オフィスのIDEO Tokyoを閉鎖したのだ。

その出来事はまるで、デザイン思考そのものの「撤退」のように映った人もいるかもしれない。過去には新たな価値創造に成功した事例も数多く存在するデザイン思考だが、もはやその役目を終えたのだろうか?

2024年5月に開催されたデザインフェスティバル「Featured Projects 2024」。同イベント内のトークセッション「デザイン思考の“その後”を考える」では、KESIKI Inc.代表の石川俊祐と、PwCコンサルティング執行役員 パートナー Future Design Lab Co-Leadの野々村健一が登壇。モデレーターは京都芸術大学教授の早川克美が務めた。

石川と野々村はともにIDEO Tokyoに創業期から携わり、国内でデザイン思考を推進してきた第一人者だ。そんな二人が、デザイン思考が日本に定着したことで生まれた成果と、デザイン思考の“その先"の展望について語った。

「デザイン思考」は日本社会に何をもたらしたのか?

過去を振り返れば、2011年のIDEO Tokyo設立は、「デザイン思考」の本格的な日本上陸を含意していたと言えるかもしれない。

今回登壇した、カルチャーデザインファーム・KESIKI代表取締役CDOの石川俊祐とPwCコンサルティング執行役員/パートナーの野々村健一は、ともにIDEO Tokyoの創業期に携わった元同僚だ。石川は2013年〜2017年まで在籍。野々村は最初期の2011年から在籍し、2021年から2023年までは同社の共同代表も務めていた。

モデレーターの早川克美は、そんなに二人にまず「IDEO Tokyoの設立は日本に何をもたらしたのか?」と問いかける。

石川

私がIDEO Tokyoに参画した2013年頃は、国内ではほとんどの人がデザイン思考なんて言葉は知りませんでした。だから最初に私たちが頑張ったのは、「デザイン思考とは何か?」をイベントなどを通じて広める活動でしたね。

あれから10年ほど経過して、IDEO Tokyoの設立とそれに伴うデザイン思考の普及は、日本企業の価値観に変化をもたらしたと思います。それは、「企業活動にも創造性が必要だ」「いち企業の社員でも自分たちの意思で動いていい」という考え方が企業内にも広がったことだと思っています。

KESIKI Inc. 代表取締役CDO 株式会社ウッドユウライクカンパニー代表取締役

企業に所属する個人が主体性や創造性を発揮できることが、その企業の競争力につながる──2020年代には一定の支持を得ているこうした考え方は、デザイン思考の普及前は少数派だったと石川は語る。

すなわち、個人が自らの意思や「自分らしさ」を尊重しながら、会社のビジョンや社会的意義と重なりあう部分を見つけていく。こうした考え方が日本社会にある程度根付いた背景には、デザイン思考の浸透が少なからず寄与していた、というのが石川の見立てだ。

個々人の想いを引き出すことが、ビジネスの「動機」を生む

他方で野々村は、2011年頃に「デザインやクリエイティビティをビジネスと繋ぐ方法」を模索して海外のビジネススクールに通っていた時期に、IDEOに出会ったという。

そこで野々村が感じたのは、商品開発や新規事業、組織変革など、不確実性が高いものにアプローチする際、デザイン思考は特に力を発揮するということだった。個人が創造性を発揮し、新しいものを生み出す。そうした「プロセス」が日本に持ち込まれたことで、日本の企業文化に変化をもたらしたのではないかと野々村は語る。

野々村

いまでこそデザイン思考は「デザインリサーチ」などさまざまな手法や流派で語られますが、実際はとてもシンプルです。見て、感じて、言葉にして、何かを考え出して、作って、試して、また伝えていく。IDEO Tokyo時代に私たちが広めたのは、ある種そうした当たり前のプロセスでした。

しかし、大きな組織に身を置いたり、色々なことを学んだりするほど、自分の感覚をアウトプットに変えていくことが難しくなる経験は、誰にでもあると思います。子どもや学生のような感性や創造性を引き出して、それをビジネスへと接続する。誰にでもできるプロセスを通じて、デザイン思考はそんな考え方や文化を広めたのだと思っています。

PwC Consulting 執行役員/パートナー, Co-Lead - Future Design Lab 野々村 健一

ここで話は実際にデザイン思考が活かされた事例に転じた。石川が挙げたのは、IDEO Tokyoで携わった「meiji THE Chocolate」のリブランディングだ。

最初は「よく売れるパッケージデザインを考えてほしい」という依頼だったという。しかし、ヒアリングを重ねるうちに「なぜそのチョコレートを売りたいのか」という動機が見当たらないと気付いたことが、本案件のポイントだったと石川は語る。

石川

そのまま表面上だけ要望に答えても、5〜10年をかけて事業がスケールするまでチームが自走しつづけるのは難しいと感じたんです。売上数値目標を達成するためではなく、「この事業であればやりつづけたい」という想いを引き出すために、1ヶ月間かけてさまざまな問いを投げかけました。

そこで出てきたのが、「チョコレート文化を牽引する会社になりたい」というビジョンです。以降は販売戦略を見直して、商品のプロトタイプを作り、実験しながら走っていく。とてもデザイン思考らしいアプローチでしたし、その後メンバーが入れ替わっても、最初に固めた想いを持ち続けて自走できるチームになっていました。

IDEO Tokyoの撤退は、「デザイン思考の失敗」を意味しない

しかし、こうしてデザイン思考の有用性を先陣切って証明し、時代を牽引してきたIDEO Tokyoは、2024年前半に突如としてオフィスを閉鎖。日本市場からの撤退を決めた。

この出来事が、近年のデザイン思考への批判と相まって、まるでデザイン思考そのものが「撤退」した象徴のように映った人もいるかもしれない。だが、野々村は「まずはその誤解を解きたい」と語る。

野々村

IDEO Tokyoは10年近くずっと黒字で、売上やビジネスのパフォーマンスでいえば世界中の支社の中でもずっとトップクラスです。クローズをした2023年もこれは変わらず、むしろオフィスクローズという意味では非常にコストがかかっていると思います。決してビジネスパフォーマンスが理由ではなく、主に米国の事業のや方向性のテコ入れが入る中で本社とリージョン支社の間で方向性の齟齬が生まれて、それを整理するための閉鎖だったと聞いています。

またデザイン思考への批判についても、実はかなり早くから社内で議論されていました。例えば海外では、2000年の「Reimagining the Shopping Cart」というケースがテレビで取り上げられたことが大きな反響を呼び、象徴的な成功事例として扱われていました。一方で、その後の社員は過去の成功事例をどう越えていくかというのは良い意味で、常にブリーフとして持ち続けていたと思います。

だからこそ「デザイン思考のプロセスをどうやってリデザインできるか?」といつも考えている人は非常に多かったですし、そうした新しい取り組みは社内でも称賛されて次々に進められています。

たしかにIDEO Tokyoは解散した。だが、当時築かれた濃密なコミュニティーやネットワークは残り、「解散したメンバーの新天地での活躍がこれから面白くなっていくだろう」と野々村と石川は口を揃える。デザイン思考が隆盛した2010年代を走り抜けた人々が、今度は企業を内側から変えていく時代が来るだろう、と。そして、それぞれが社内外でもさらに新しいチャレンジを準備し始めているという。

日本文化への「チューニング」がデザイン思考には必要

また、デザイン思考が失敗したと指摘されやすい原因は他にもある。それは、「ユーザーは必ず答えを持っているという誤解だ」と野々村は言う。

野々村によれば、そもそも米国で生まれたデザイン思考は、「クライアント企業の声が大きい」という特徴のある米国でのプロジェクトを想定してつくられている。「俺が」「私が」と発言するクライアント企業の社員に対して、「ユーザーの声にも耳を傾けてみませんか?」と提案できることが本来強みのアプローチであるという。

しかし、この考え方を日本にそのまま輸入してもうまくいかず、日本文化にあわせて導入することが必要だと野々村は語る。

野々村

日本企業ではクライアント企業にありたい姿やビジョンを聞いた時に、答えられる方が少ないと感じます。言葉を引き出すのがすごく難しくて、そもそも顧客に答えを求めに行っても上手くいかないことが多いんです。良くも悪くも自分個人の思いをユーザーに重ねることが難しい環境がある。

それにはさまざまな理由があります。想いが言語化されてないことだけでなく、「こんなこと言ったらどう思われるのだろう」「失敗したらどうしよう」といった心理的バリアも大きくて、プロトタイピングして実験するハードルが高い。日本文化に向けてチューニングしなければデザイン思考はうまくいかないと常々感じていました。

この発言にモデレーターの早川克美も同意する。京都芸術大学で多くの社会人にデザイン思考の方法論を説いている早川は、自身も公共空間の環境デザインプロジェクトに多く関わるなかで、幾度となく「前例主義の壁」に直面したという。

京都芸術大学教授 早川克美

それに対して野々村は、「やらない理由を考える人がたくさんいる」と加える。前例主義でリスクを避けたり、会議で発言を躊躇したり、クリティカルな意見で「できない」理由を並べたりする風潮が残っている。まずはこうした態度から距離を置くことが、デザイン思考の有用性を引き出す上で重要なのではないかと語る。

野々村

デザイン思考が使われるのは、正解がわからず、また色々な正解がありえる局面です。だからこそ、探索的な作業であることを前提にマインドセットを変えないと、なかなか受け入れられません。

これは意外かもしれませんが、日本人のご年配の経営者から「昔は当たり前にデザイン思考をやっていたよ」と言われることが度々あるんです。高度経済成長期の日本は、リソースが無く、ルールも明確でない状況下で、世界と戦うために試行錯誤を重ねるしかなかった。その経験はデザイン思考の精神性とも通底するものがあって、日本企業にも受け入れられる余地はあるはずなんです。

さらに、日本においてデザイン思考が失敗を指摘されやすい背景として、期待される時間軸が短い点を石川は挙げる。

石川

本来のデザイン思考は、第二創業期や「100年後を見据えた変革」など長期的視点に立って考える局面で、“本当に解くべき課題”を見つけることに力を発揮すると感じます。

しかし、現在デザイン思考は企業が抱える課題の狭い一部分について、リサーチだけを求められたりする。だから、デザイン思考のプロセスを表層的に「やってみましょう」と実践するだけで、本質的な社会課題の解決にまで踏み込めない現状があるのではないかと感じます。

消えゆくデザイン思考の“その先”

ここまで見てきたように、数々の「誤解」はありながらも、デザイン思考は着実に日本のビジネスシーンに定着して成果を生み出してきた。では、今回のトークセッションのテーマでもある、デザイン思考の「その後」について、登壇者たちはどのように考えているのか。

この問いに対して、楽観的な立場を野々村は示す。「デザイン思考という言葉はともかく、そのプロセスやアプローチは今後ますます重要になっていくだろう」と。

不確実性が高まる正解がわからない状況下で、次なる売上の柱を作るための議論が世界的に活発化する潮流がある。むしろ、いまこそ未来の仮説を立てて、リサーチし、プロトタイピングしていく営みが必要とされているのではないか、というのが野々村の主張だ。

会場ではセッションにあわせて、株式会社しごと総合研究所の山田夏子、伊澤佑美によるグラフィックファシリテーションも行われた

同様に、デザイン思考はあくまでひとつのアプローチであり、必ずしもこだわらなくていいはずだと石川も語る。

石川

結局、デザイン思考の本質は「自分が何を感じて、どうしたいか」という自分起点のアクションを喚起することにあると思うんです。これは子どもたちが学びの過程で当たり前にやっていることですが、大人になって組織に属するとうまく表現できなくなってしまう。

しかし、もうそんな時代ではないですよね。これからは自分という存在を軸足に、さまざまな人々と有機的につながって働く時代だと思います。そこでデザイン思考をひとつのツール、マインドセットとして持っておくことで、物事に対して楽観的に解決策を考えられるシーンは確実にあると思います。

仮にデザイン思考という言葉が消えたとしても、その考え方や価値観は今後も広まっていくはずです。

早川もこの意見に賛同を示し、「ユーザー中心は当たり前の前提となり、これから先はデザイン思考が創造のベースとなって、『哲学思考』『アート思考』『システム思考』といった、あらゆる領域における思考と、有機的に立体的に統合されて活用されていくことが重要になるのかもしれない」と言葉を締めた。

「デザイン思考は終わったのか?」。近年囁かれるこうした言葉に、三人の議論は異なる視点を投げかけた。

これからの時代に欠かせないものとして、デザイン思考はますます民主化し、社会に根付いていく。その結果、「デザイン思考」という名前は消えていくだろう──そんな展望が見えてきたセッションだった。

Credit
執筆
長谷川賢人

1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。「ライフハッカー[日本版]」や「北欧、暮らしの道具店」を経て、フリーランス。ライター/編集者として、執筆、編集 、企画、メディア運営、ブックライティング、モデレーター、Podcast配信など活動中。

編集
石田哲大

ライター/編集者。国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

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