「支援」を超えて、目の前の関係性からはじめるデザイン──吉田田タカシ×ライラ・カセム

みんな大なり小なり困っていて、できる範囲で支えあっていく。「良い活動」とか「福祉」とかではなく、当然のことが当然に行われて、それぞれがさまざまなものを享受している。そんな場所をつくりたい。

Focused Issues

本記事は、グッドデザイン賞2022 フォーカス・イシューと連動し、双方のサイトへ掲載されています。

店内にところ狭しと並ぶ駄菓子。次々と訪れる子どもたちが、どれを買うか真剣に悩んでいる。よくある光景……とほんの少し違うのは、入口横のガチャガチャに、「チロル」という店内通貨が入っていることだ。18歳以下の子どもだけが1回100円で回すことができ、中にはチロル札が1〜3枚入っている。これ1枚で100円分の駄菓子を買えるほか、通常300円のジュースや500円の特製カレーに交換もできる。

2022年11月、デザイナーでアートディレクターのライラ・カセムは、奈良県生駒市にあるその店、数日前に今年度グッドデザイン大賞に輝いたばかりの「まほうのだがしやチロル堂」を訪れていた。グッドデザイン賞の審査を通じて、デザインの新たな可能性を考え、提言する活動「フォーカス・イシュー」に携わるディレクターとしてカセムは語る。

「社会をより良くしようと思うとき、まずは自分の身近な人や環境から考えることが大切だと思うんです。チロル堂はまさに、私がフォーカス・イシューで掲げたテーマ『半径5mの人を思うデザイン』を体現しているんじゃないか。そう思い、今日ここに来ました」

場の発起人の一人である吉田田タカシは「アトリエe.f.t.」というスクールの主宰者として、長年アートを通じて子どもの教育や福祉に携わってきた。カセムもまた「シブヤフォント」をはじめとするさまざまなプロジェクトを通じて、福祉におけるデザインの可能性を広げてきた。

二人の対話から浮かび上がるのは、「支援する人/される人」という構図を超え、「人と人」との関係性を築いていくことの重要性。そこでデザインに何ができるか、「まほうのだがしやチロル堂」のこれまでを振り返りながら紐解いていく。

福祉の“バグ”を取り除きたい

カセム

チロル堂に関心を持ったのは、私が近年関わってきた、障害のある人と共に活動する「シブヤフォント」と成り立ちが似てると思ったからなんです。

私はイギリスの芸術大学で、徹底的に現場をリサーチした上でデザインをする手法を学びました。ですが卒業後に参加したあるデザインワークショップで、聴覚障害のある方から「私も美大に行きたかったけど、行く資格はないと思っていた」と言われ、環境が人の考え方に与える影響も実感して。その時にリサーチだけではなく、現場にいる人々と「継続的に活動すること」が、変化を生み出すためには重要だと考えるようになったんです。以来、福祉施設へ継続的に通いはじめ、さまざまな人と協働しながら解決策を生み出すプロジェクトをやってきました。「シブヤフォント」はその一つです。

チロル堂も、子どもや福祉の現場をよく知る方々が、まさに目の前の課題を解決するために立ち上げた場ですよね。他の審査委員の話を聞きながら、リンクするところがたくさんあるなと感じていました。

デザイナー・アートディレクター ライラ・カセム

吉田田

ありがとうございます。でも、まさかグッドデザイン大賞をもらえるとは思ってもみなかったですね。「こんな小さな取り組み、誰が見てくれるんやろ?」という感じでした。

カセム

2次審査のあたりから既に注目されてたんですよ。審査にあたった「ユニット19:地域の取り組み・活動」のメンバーから、ずっと話は聞いてたんです。大賞受賞の瞬間は思わず私もガッツポーズしちゃいました(笑)。

ここが開店したのは2021年8月だから……1年経ったんですね。何が最初のきっかけになったんですか?

吉田田

もともと同じ市内で、チロル堂の発起人の一人、溝口雅代さんが「たわわ食堂」という子ども食堂(無料または低価格帯で、子どもたちに食事を提供する場)を主宰していたんです。でも、場所として使っていた公民館がコロナ禍で使えなくなった。一斉休校で学校給食も休止になって、本来届けるべき子どもたちに、食事を提供できなくなってしまったんです。

カセム

給食で1日分をまかなう子もいますもんね。イギリスでも「朝食・夕食難民」と呼ばれています。

吉田田

それで、生駒で福祉事業所をされている石田慶子さんが呼びかけ、その友人だったデザイナーの坂本大祐さんと僕が集まったんです。大急ぎで子ども食堂を開けるような場所を探して、生駒駅前のここが見つかりました。

ただ、僕も以前から子ども食堂は大事な取り組みだと思っていましたがモヤモヤしている点もありました。「子どもに何かしてあげたい」という思いが、時に“やさしさの押し売り”になりかねない気がしていたんです。

「まほうのだがしやチロル堂」共同代表 吉田田タカシ

カセム

支援する側の使命感が、支援される側にとって重たく感じてしまうというか……。

吉田田

そう。いろいろと工夫はされていると思うんですが、どうしても「大丈夫?」とか言葉をかけてしまいがちなんですよね。でもそれが、子どもたちを傷つけてしまうこともある。子ども食堂という仕組み自体は本当に大発明だと思うんですけど、小さな“バグ”みたいなものが実際はある気がしていて。そこを取り除いた新しいものができないかな、と考えていました。

境界線をなくす場と、店内通貨「チロル」のデザイン

カセム

わかります。今の福祉の現場にも、実はいろんな“バグ”が残っていたりするんですよね。

吉田田

声をかけてくれた石田さんも、ご自身の事業で「福祉のこと」しかできない状況を課題に感じていました。放課後等デイサービス(障害のある子どもなどが通う施設)に来た子の家庭に貧困問題を見つけても、「管轄が違うから」とうまく手を差し伸べてもらえないことがあるそうなんです。

僕が大阪と生駒でやっているアトリエe.f.t.でも、生駒校の中にある「bamboo」という放課後等デイサービスの事業で、同じような制度上の課題があります。例えば、発達障害のある子とそうでない子は同じクラスにできない。でも、本当は世の中って、そうハッキリと分かれているわけじゃないですよね。

カセム

子どもの目線から考えるべきなのに、事業として管理が先になっている。「半径5m」の外側の都合が起点になってしまっているんですね。

吉田田

だから、境界線をなくしたかった。石田さんといつも「福祉は特別なものじゃないよね」と言っていて。僕らもいつか年老いて、身体が動かなくなることもある。障害だけでなく、貧困や孤独……さまざまな困りごとをみんなで支え合うのが地域であり、社会のはずです。だから子ども食堂も、なるべく“当たり前”の存在として、困りごとのある人もそうでない人も集まれる場所にできたらいいなと思ったんです。

カセム

そこから、どうして「駄菓子屋」になったんですか?

吉田田

もともと、たわわ食堂の溝口さんが「子どもたちに気兼ねなく足を運んでもらいたい」と、イベント的に駄菓子屋や縁日をしていたんです。僕も駄菓子をきっかけに、世代もバラバラな人がいつでも集まれる環境ができたら、「あの店は支援の必要な子が行く場所」みたいに思われないなと考えて。

カセム

困りごとを抱えてる子どもだけじゃなく、みんなが来やすいように。

吉田田

ただ、それだけではダメで、ごはんを気軽に食べられる仕組みにも工夫がいりました。というのも、単に安いお弁当を売るだけだと、やっぱり困りごとを抱えている人しか来づらい雰囲気になるんです。子ども食堂の100円弁当を横目にしながら、必死に「500円ランチ」のお店を探し歩く人を、僕は大阪で何度も見たことがあります。

どうしたらその“見えないバリア”を壊せるんだろうか、とぐるぐると考え続けまして。結果、僕が学生時代にアート作品でやろうとしたこともあった「ガチャガチャ」の面白さと、デザイナーの坂本さんに教えてもらった「店内通貨」の仕組みを取り入れていきました。100円でガチャガチャを回すと、「チロル」という店内通貨と引き換えられるようにしたんです。

チロル札には“魔法”がかかっており、子どもは「1チロル」を100円分の駄菓子、300円のジュースやポテトフライ、500円のカレーなどと交換できる

カセム

竹製なんですよね。手触りもすごくいい。

吉田田

こうやって「札」として自由に集めたり使ったりできることで、100円という貨幣価値がいったんチャラになるんです。しかも普通に1枚入っているものもあれば、2枚、3枚入っていることもある。「運試し」なら子どもたちも、情けない思いをしなくて済むんじゃないかって。

もちろん、これを維持していくためにはガチャガチャの収入だけでは足りません。そこでもう一つ、「不足分は大人たちに払ってもらうことにしよう」と考えました。大人がチロル堂で食事をしたら、その一部が店へ寄付されるようにしたんです。ずいぶん前にフリーペーパーで読んだ「海外では、カフェでお金を余分に払って、次の人のコーヒー代に回す文化がある」という話を参考にしました。

カセム

Pay Forward ですね。イギリスのスーパーにも、「Buy One Get One Free」(一つ買うともう一つ無料)という特売がよくあって、スーパーのレジの外に「必要のない人はここに入れてね」とカゴが置いてあることがありました。余分な買い物はそのカゴに入れて、逆に必要な人はそこから持っていけるんです。でも、日本ではあまり見ない仕組みかもしれません。

吉田田

僕も「日本では無理だな」って当時思ったんです。ただ、アトリエe.f.t.の活動を通じて生駒のまちと関わるなかで、「今ならできるかも」とやってみることにしました。

もともと生駒は全国から参詣客が訪れる観光地だったし、戦後は大阪のベッドタウンとしても“よそ者”を受け入れ続けてきた。ちょっと異質なものを面白がってくれる気質を感じていたので、「新しい寄付の仕組みにも乗ってくれる人がいるんじゃないか」と思ったんです。

食事をする以外に、チロル堂に直接お金や物品を寄付することも可能。棚をはじめ店内備品も、地域の方から寄付されたものが多い

「楽しい」の連鎖が、新たな価値の軸を生む

カセム

実際にチロル堂ができて、まちの人の反応はどうだったんですか?

吉田田

想像以上に、興味を持ってくれる人が出てきました。僕たちはチロル堂に何か寄付する行為を「チロる」と呼んでいるんですが、例えば最初のころ、Facebookに「こんな店ができたよ」とシェアしてくれた女性がいて、続けてこう呼びかけてくれたんです。「私もうすぐ誕生日だけど、何もいらんから、チロル堂に絵本をチロりませんか?」と。

すると彼女のつながりで、書店に長年勤めていた方が絵本をセレクトして、Amazonの「欲しいものリスト」をつくってくれました。実際にいろんな方が絵本を買ってくれて、さらには「この絵本で読み聞かせイベントをしよう」となって……。まちの人たちが「それ面白そうやね」と、自由にチロル堂を使いはじめました。

カセム

最初に声をあげてくれる方がいるって、大切ですよね。

吉田田

彼女がまさに「ファーストペンギン」だったと思います。そこから、「私は食品サンプルをつくるワークショップがしたい」「勉強の苦手な子のために英会話教室をしたい」「ラーメン屋を開業したいから、その前に試しでラーメンをつくらせてほしい」と広がって、売上をチロル堂にチロってくれるようになりました。面白いことを考えてくれる人がどんどん集まってきたんです。

毎週水・木・金・土曜の夜にオープンする「チロる酒場」は、大人たちのたまり場になっている。ここでも、飲食代の一部は子どもたちへの寄付として扱われる

吉田田

僕たちはよく、もらった給料のなかから5万円とかを使って、旅行したりしますよね。消費社会にいると、お金で「楽しい」という感情を買っていると思うんです。でも、チロル堂ではそれとは少し違った価値観があるんですよ。

例えば500円の参加費で10人のワークショップを主宰した人が、売上の5,000円を「めっちゃ楽しかった! はい、これ!」って、全額置いて帰ったりする(笑)。材料費と時間を考えたら、完全にマイナスじゃないですか。

カセム

(笑)。でもそれって、むしろ健全な価値観かもしれません。私はやっぱり、人って「役割」を欲していると思うんですよね。だから、ただ好きなものが同じ人同士が集まっても、なかなかコミュニティとして発展しない。「私はこれをやってみたい」「私はこれができる」と、それぞれに役割が生まれた先に、その人自身の世界も広がるんです。チロル堂では、そこを楽しむ動きが次々と起こっている気がします。

吉田田

お金に変換しなくても、チロル堂へ来て「楽しい」を感じられたら、一定の報酬を得られた感覚になるのかなと。もちろん、お金は必要だし、とても便利なツールです。だけど、チロル堂に関わってくださる方がそうであるように、「何をやりたいか」「何ができるか」が先にあって、そのためにどれくらいお金が必要かという順序で考えるほうが、僕は豊かじゃないかと思うんです。

「問い」と「言葉」で大人の意識を変える

カセム

自分にもできることを見つけたり考えたりするのは、こうした場にこそ必要な視点だと思うんですよね。支えとなる側だけではなく、それを受け取る当事者も、「自分でやってみたい」という気持ちを本当はどこかに持っている。だから、その人がその人でいられる場所があるのが大切なんです。私はチロル堂に来てまだ1時間くらいしか経ってないですが、ここには訪れる子どもたちを「見守ろう」とする空気があるなって感じます。

吉田田

まさに僕が大切にしていることを、感じ取ってくれて嬉しいです。スタッフやお父さんお母さん方にも「大丈夫、見守って」とよく声をかけています。僕は教育に関わってきたなかで、子どもの成長を邪魔しないことが一番大事だと思うようになりました。「子どものため」と思いがちだけど、子どもには子どもの人生がある。まずは大人が意識を変えなければならないんです。

カセム

チロル堂に来ることで、それを問われる気がします。「あなたはここで、何をしたい?」って。イギリスでは学校でも椅子を円に並べて、クラスで対話するんですよ。国語や歴史の授業はみんなで円になって話し合い、他者とのやり取りを意識しながら学ぶ。「あなたはどう思う?」というのをずっと学びの場で問われているんです。

吉田田

僕もアトリエe.f.t.で、25年近くずっとそれをやってきたんです。決まった正解のないなかで、「何をつくりたい?」「そのプロセスから何を学んだ?」と。だからチロル堂でもその考えが根底に流れているんだと思います。

カセム

チロル堂がすごいなぁと思うのは、言葉選びが絶妙ですよね。寄付や支援することを「チロる」と呼んだり、あくまでもここは「まほうのだがしや」だったり……立場を意識させないようになっている。福祉施設でも「支援員」と呼ばれる人が働いているけど、「利用者」と呼ばれる障害や困難のある人との関係においては、その言葉が「支援する人/される人」という壁をつくってしまう気がするんです。

吉田田

行為自体は素晴らしいことだけど、「寄付」「支援」という言葉を使ったとたん、景色がガラッと変わってしまう。同じように「障害」も、実際はその人自身というより、むしろその人の周りにあるんですよね。車椅子で移動するなら、そこにある段差のほうが障害ということ。多くの人が、その言葉のズレに気づいていないんです。

カセム

私も自分を「障害者」と呼ばないようにしています。私には脳性麻痺があるし、今日ここに車椅子で来たのも事実だけど、それ自体が障害というわけではない。「ただの言葉じゃん」って思われるかもしれないけど、ここでの使われ方を聞いて、やっぱり言葉の使用選択はすごく重要だなと思いました。

吉田田

日本語って、よく考えると乱暴なカテゴライズになっている言葉も多い気がするんです。「発達障害」「不登校」「問題行動」……「適応指導教室」なんて、すごく不気味だと思いません?「おまえは適応できないから、しっかり指導していくぞ」みたいな。結果として、本来慎重に接しなければならない子どもたちをかえって傷つけてしまっています。

カセム

言葉として定義することで、安心しているのかもしれません。でも、その人自身の日常や置かれた環境、バックグラウンドをしっかりと聞く暇もなく、「この人はこのクラス、この人はこっちの施設……」とただ決めつけていくのはもったいないですよね。もっと現場からはじめてほしい、と私はいつも思うんです。

「半径5m」から、社会を変える波紋を生み出す

吉田田

生駒でスタートしたチロル堂は、今他の地域にも広がってきていて、2022年7月に石川県金沢市でオープンし、来年春には全国5カ所にできる予定です。仕組みだけでなく、「この人なら大丈夫」「この人なら同じ景色を見られそうだな」って思える人に少しずつお願いしようとしています。

カセム

その人と、自分がいなくても託せると思える関係になれるかどうか。実はそれも、シブヤフォントと同じなんです。単に、障害のある方のつくった文字や絵をデザイナーがお借りするわけではなく、人同士の関係を築いて、一緒に考えていくプロセスを大切にしています。

吉田田

渡しているのは「フォント」や「仕組み」じゃなくて、「思い」なんですよね。形骸化した外側だけ渡しても、意味がない。僕らの場合、坂本さんが「ルールではなく、マナーをシェアするんだ」と表現していました。

カセム

わかります。きっちり決めてしまうのではなく、“余白”をつくるのが大切なんですね。

吉田田

そういう余白に地域性が出てきたりもするんです。金沢では蔵のある古民家でやっていて、地元のお祭りともリンクしている。実際、地域によって困りごとやその度合いも、関わり方も変わってきます。例えば、炊き出しをするとバーっと人が並んで「ありがとう」ってもらってくれるところもあるけど、全然並ばないところもあるかもしれない。でも、そういう地域にお腹を空かせて困っている人がいないわけじゃないんですよ。

前にチロル堂がメディアに取り上げられたとき、「貧しそうな子なんていないじゃないか」って、悪意のある書き込みをした人がいたけど、貧困ってそんな甘くない。高級住宅街と呼ばれるようなところでも、子どもを塾に通わせながら、晩ごはんをあげていない親がいる。だから、チロル堂みたいに誰でも来られる場所が必要なんです。

カセム

半径5mからはじめて、その土地ごと受け止めていく。日本だけでなく、世界中に必要なデザインだなと思います。

吉田田

僕は当たり前のことが、もっと当たり前にできる社会になるといいなと思うんです。みんな大なり小なり困っていて、できる範囲で支えあっていく。お腹を空かせた子が目の前にいたら、貧しかろうがなかろうが、余裕のある人がおごってあげるって普通のことじゃないですか。「良い活動」とか「福祉」とかではなく、当然のことが当然に行われて、それぞれがさまざまなものを享受している。そんな場所をつくれたらいいなと思います。

カセム

私もドアを開けてもらうときとかに、謝らないようにしているんです。もしかしたら私は、その人にとってはじめて見た外国人で障害のある人かもしれない。そんな人から申し訳なさそうに「すみません」って言われると、変な関係性を生んでしまう気がして。

吉田田

「助けた人/助けられた人」になっちゃう。僕たちもチロってくれた人に、「ありがとう」と言わないようにしています。わざわざ遠くから「やっと来れたんです!」って寄付をされると、つい言いたくなるけど。その時はグッとこらえて、「ナイスチロ!」って言うんですよ。「ナイスな選択ですね」って意味を込めて。

カセム

その言葉選びもいいですね!

吉田田

ちょっとでも偽善だと感じたら、次に続かないから。荷物を抱えた人に「重そうやな、持っていこか?」って声をかけたとき、関西だと「あんた、持って逃げんといてや!」と言いながらも言葉に甘えられる、みたいなことがあるんです。そういうのって最高の関係やなって。

デザインって、そういう関係性をつくったり、自然に行動させたりする力があると思うんです。僕はデザインを「円滑に美しくすること」と呼んでいるのですが、人と人との関係が円滑になって、美しくなっていくようなデザインができたらいいなと思います。

吉田田

チロル堂をやっていくうちに、これまではなかった意識を大人が持つようになっていくのも感じるんです。毎日のお昼がコンビニからチロル堂弁当になったり、飲みに行くのがチロル堂になったり……「せっかく食べるなら」って、大人たちの行動が変わってきている。意識を変えるだけで、世の中が変わるかもと気づきはじめました。

僕らはその思いになるべく甘えず、できる限りおいしいものを提供したい。近くのレストランに負けないくらいおいしいものをつくって、「支援したいから」じゃなくて「おいしいから」来る場所にもなりたいんです。

カセム

「支援する」ことが目的になって、クオリティが下がるのは違いますよね。私も常にそれを意識しています。デザインによって活動の見られ方は変わるので、シブヤフォントでもわかりやすく「福祉」や「かわいそうな障害者」を連想させる、かわいい柄をつくらないようにしたり。

そのためにもデザイナーには、なるべく協働する人たちのいる場所に足を運んでもらうんです。驚きやワクワクを持ち帰って、そこからデザインしてもらうと、関わる人たちの意識もどんどん変わっていって、チャレンジ精神のあるものが生まれてきます。

吉田田

そう、現場での積み重ねしかないんですよね。こんな小さいところで、周りにいる10人、20人の意識だけで社会の何が変わるんだと思っている人もいるけど、実はこれが一番速いから。

カセム

目の前に石を投げて、そこから波紋を広げるイメージですよね。しかも波ってお互いに邪魔しなくて、当たったらまた広がる。そんな連鎖が今、起きようとしているんだなと感じました。

吉田田

「ルールを書き換えれば社会が変わる」と考えている人もいるけれど、逆だと思うんです。半径5mにいる大人が変わり、それがどんどん周囲に広がる。そこから、制度も社会もいい方向に変わっていくんじゃないかなと僕は感じています。

Credit
執筆
大矢幸世

ライター・編集者。愛媛生まれ、群馬、東京、福岡育ち。立命館大学卒業後、西武百貨店、制作会社を経て、2011年からフリーランス。鹿児島、福井、石川など地方を中心に活動。2014年末から東京を拠点に移す。著書に『鹿児島カフェ散歩』、編集協力に『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』『最軽量のマネジメント』『カルチャーモデル』『マイノリティデザイン』など。

撮影
其田有輝也

Photographer・Videographer / 海外のフォトエージェントと契約するほか、東京カメラ部よりオファーを受けJNTO(日本政府観光局)と複数年写真利用契約を結ぶ。現在は東京・京都・香川の多拠点生活をしながら、20以上の国と地域のクライアントと広告・PR・取材撮影を行う。全国通訳案内士 / 気象予報士 / 築100年越えの古民家DIY
Portfolio:https://note.com/haletoke/n/na8344ef85af9

編集
佐々木将史

編集者。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、'17に滋賀へ移住。保育・福祉をベースに、さまざまな領域での情報発信、広報、経営者の専属編集業などを行う。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。関心のあるキーワードは、PR(Public Relations)、ストーリーテリング、家族。保育士で4児(双子×双子)の父。

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