デザインが、お金に“人間らしさ”を取り戻す──Kyash 鷹取真一×引地耕太

ビジネスの難しさは『左脳と右脳の掛け算』にある。でもだからこそ、面白い。ロジカルさとクリエイティビティ、クラフトマンシップをあわせ持った人こそ、これからますます求められるのではないか──

クリエイティブディレクター・引地耕太。

デザインポリシーとデザインプロセス、コンセプトとデザインエレメントから成る、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のデザインシステム「EXPO 2025 Design System」のクリエイティブディレクター・アートディレクターといえば記憶に新しいだろう。

EXPO2025 Design System
https://www.expo2025.or.jp/overview/design_system/
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NIKEやBOSE、TOYOTAなど数々のグローバルブランドのクリエイティブから、シンガポール「Magical Shores」などの巨大インスタレーションアート制作、歌舞伎座 市川海老蔵出演「通し狂言 源氏物語」などの映像演出、「羽田出島」などのXRを活用した新エンターテイメント開発、日本財団パラリンピックサポートセンターのブランディング……。実績を上げるだけでもその領分の広さが伺える。そんな引地は、2022年に1→10(ワントゥーテン)から独立。その後Kyashのデザイン責任者に就任した。

この転身に驚きを覚える人もおそらく少なくないだろう。多様なクリエイティブを扱ってきたにもかかわらず、なぜベンチャー企業のデザイン責任者なのか、なぜKyashだったのか——。

本記事ではその問いを紐解きつつ、Kyash代表取締役社長の鷹取真一を交え、引地のようなクリエイティブの力を持つ人物が発揮できる可能性を訊く。

オリパラや万博のプロジェクトで得た「肌感覚」


引地「なぜ自分はデザインを、クリエイティブをしているのか。これから何をデザインすべきか、デザインの力をいかに社会に還元していくのか。最近は、そんなことばかりを考え続けていたんです」

株式会社Kyash デザイン責任者/クリエイティブディレクター 引地 耕太

引地は、昨今デザインとの向き合い方に変化があった背景を、こう表現する。

アウトプットこそ華やかに見えるが、あくまで引地が向き合ってきたのはさまざまな形の“課題解決”。より一層先の見えない時代背景から、クリエイティブ業界もより幅広い課題解決や価値創造を求められることが増えてきていた。

そんな中、ちょうど子どもが生まれ東京・福岡の2拠点生活を始めた引地は、いかに自身がデザインと向き合うべきか——という本質的な問いについて考える機会が自然と増えたそうだ。その折りに舞い込んだのが、Kyashデザイン責任者への就任打診だったという。

「まったく想像だにしなかったオファーだった」というが、代表の鷹取から話を聞く中で、直感的に心が動いた。

引地「デザインが介在できる領域は多岐にわたりますが、『お金』というあらゆる人が関わるものでありながら未整備な領域がある。この領域でアーキテクチャをデザインすることによって、社会に大きなインパクトをもたらすことができるかもしれない。デザインの対象として、非常に面白いと感じたんです」

引地を惹きつけた「お金の民主化」という問い


なぜ「お金」という領域に、デザインの大きな介在余地を見てとったのか?

それを語るにはKyashのサービスを紐解く必要がある。同社は2017年に個人間の無料送金サービスとしてスタートした。デジタルウォレットアプリ「Kyash」は、無料会員登録のみでアプリ内に「Kyash Card Virtual」を発行でき、銀行口座やクレジットカードなどからチャージすれば、オンライン決済や送金に使える。利用履歴がリアルタイムで反映されたり、家族や友人と共有口座を開設したりすることもでき、お金の流れを可視化するのも容易だ。

「Kyash Card」「Kyash Card Lite」といったプラスチック製のカードを発行すれば、国内のVisa加盟店でも利用可能。「Kyash Card Virtual」「Kyash Card Lite」なら本人確認が任意のため、フリーランスや保護者の同意を得た未成年、在日外国人なども申し込みできる。

Kyashが支持を得たきっかけはいくつかある。一つは、ウォレットアプリのリリース当初、当時2%のポイント還元を実施したこと。わかりやすい実利で、生活者に当時少々縁遠かった電子決済との距離を近づけた。また、「Kyash Card」のカード番号を裏面の目立たないところに配置したのも同社の功績の一つ。いまでは各社導入しているアプローチだが、券面の意匠性にもこだわりやすく、SNSでもシェアできるビジュアルを採用した。

こうした戦略の根底にあったのは、Kyashの掲げる「新しいお金の文化を創る」というビジョンと「価値移動の新しいインフラとなる」というミッションだ。

鷹取「私たちは金融サービスではなく、ライフスタイルサービスでありたいと考え続けてきました。スタートは送金サービスでしたが、それは個人として利用する頻度が高く、ニーズが大きかったから。

既存の金融機関では、法人など大口顧客のニーズはカバーしてきましたが、個人の『少額・高頻度』のニーズをうまく捕捉できていない。モバイルデバイスがこれだけ浸透した世の中なのに、個々人の生活者の“味方”となる仕組みを、誰も提供できていなかったんです」

株式会社Kyash 代表取締役社長 鷹取 真一

金融ではなくライフスタイル——いうなれば、お金視点ではなく人視点でサービスが始まっているのだ。以後、「個人間送金」に始まり「電子決済」「デジタルウォレット」など、Kyashが向き合ってきたいわゆるフィンテック領域では次々と新たなトレンドが生まれ続けた。

それぞれに競争が生まれ、大手資本も次々と参画し群雄割拠の争いが続くが、そのサービスの多さ/プラットフォームのばらつきは生活者側に負荷を強いていると鷹取。

鷹取「残念なことに、多くの事業者は自社サービスを利用してもらうことを重視しすぎて、人に寄り添いきれていないと感じています。決済手段もサービスも無数にあり、どこにいくら入っているのかわかりにくいし、利用明細が届くのもタイムラグがある。人々がお金に“振り回されている”。

Kyashが取り組んでいるのは、個人のお金との接点や体験のアップデートです。まずはお金の利用や送金、ゆくゆくは貯蓄や投資といった領域も含めて、個々人が能動的かつ主体的に価値移動できるインフラとなって、お金を“民主化”したいんです」

こうしたKyashのビジョンとミッションこそが、引地を惹きつけた。

引地「お金は、いわば社会システムの根幹を支えるもの。ですが、これまでのお金は単なる数字の羅列であり、システム側の論理で人間を動かす力のように扱われてきました。しかし、本来お金には感謝や応援といった想いや気持ちが込められており、人々の生活に寄り添ったものであるはず。

このズレを解消しお金に“人間らしさ”を取り戻せれば、付随する社会のさまざまな課題も解決され、システム側から人間側に力を取り戻せる。お金が循環するエコシステムをデザインして、人とお金の関係性をよりよくすることに携われるのなら、これほど面白いことはないのでは、と。

起業家や経営者の仕事を『問いを生み出すこと』とするなら、もう既に最高に面白そうで難しそうな問いがあるわけです。解かないわけにはいかないじゃないですか」

同時にKyashの側にも、引地の手腕に賭ける大きな理由があった。

2019年4月から企業向けに法人カード発行や決済処理システムを提供し、事業成長エンジンの一翼を担ってきたtoB事業「Kyash Direct」を、2020年10月に事業譲渡。toC事業である「Kyash」への注力を決め、2022年春に53億円の追加資金調達を行った。言うなれば、生活者、人の体験にフォーカスする覚悟を決めたのだ。

デザインへの注力は必要不可欠なファクター。その最先鋒として引地に白羽の矢が立ったのだ。

サービスのリブランディングにおいて、デザインが果たした役割


引地が着任早々に立ち上げたのは、「ビジョンデザインプロジェクト」。Kyashのリブランディングプロジェクトだった。就任早々のリブランディング……というと、耳慣れた話で面白みがないかもしれないが、引地はこのプロセスに“ブランド”以上の意味をおいていた。

引地は、鷹取と議論する中でKyashの思想に強く共感したが、その本質的な価値がユーザー・社内にも伝えきれていないと感じたからだ。事業のギアを変える上で、経営の思想を伝播する役割をブランドに担わせようと考えた。

引地「機能性や利便性は伝わるものの、決済や送金に留まらない、その先の体験や社会的価値を伝えきれていないと感じました。プロダクトデザインやコミュニケーションデザインだけでなく、経営の思想をKyash全体のブランド戦略やデザイン組織へ繋げ、一貫したアウトプット・体験を設計していく……そこに伸びしろがあると感じたんです」

引地が考えたブランド戦略の全体像はこうだ。

まずは足がかりとなる「理想像」をビジョンデザインによって言語化・可視化。その理想像へたどり着くための「地図」を経営陣とともにビジネスデザインによって描く。さらにバーチャルとリアル双方における接点をエクスペリエンスデザインによって設計し、理想像をともに目指す「仲間」をつくるコミュニケーションデザイン、ユーザーの「愛着」を生み出すエモーショナルデザイン……と続く。

その皮切りとなるビジョンデザインプロジェクトでは、これまで社内で使われてきた資料などをリサーチし、社歴の長いメンバーへのヒアリングを実施。鷹取にも複数回に渡ってデプスインタビューを実施し、Kyashの価値観やカルチャー、目指す未来像を言語化した。

同時にブランドアセットも構築した。中長期的に活用できるビジュアルイメージを制作。これらのプロセスには社内だけでなく、外部クリエイターを多数起用した。言語化の部分でコピーライターとして曽原剛が、その他ビジュアル面ではフォトグラファーの間仲宇、小野慶輔、イラストレーターのBeach 浜名信次らが活躍しているという。

引地「社内をリサーチした際、一貫して使えるビジュアル素材がなかったり、制作物のトーンや印象にもばらつきがあったりしたのが気になっていたんです。一度しっかりと統一感のあるクリエイティブを作れば、その後のアウトプット、アウトカムにもつなげやすい。toCにフォーカスするからこそ早々に構築すべきと考えました」

加えて、引地にはデザイン業界における「越境」の足がかりを作りたいという意図もあった。

引地「スタートアップ……特にデジタルデザインの領域と、ブランディングやグラフィックといった広告業界にはなんとなく距離があるというか、分断されてしまっているような気がしていました。広告の業界にはスタートアップやデジタルデザイン領域の人材やスキルが足りず、逆にスタートアップには広告業界のクリエイティビティが足りない。

この領域の人材の流動性を上げることで、日本のクリエイティブ業界、デザイン業界、ひいてはスタートアップ業界がもっと活性化し、クリエイティブのレベルが上がっていくのではないか。そんな思いもあって、今回、広告の第一線で活躍する外部クリエイターを起用しています」

こうして2023年4月5日、新たに策定したコーポレートアイデンティティが発表された。

ビジョン・ミッションはこれまでの定義を採用しつつ、それぞれ「新しいお金の文化を創る。」「価値移動のインフラとなる。」と、文言をアップデート。さらにパーパスとコーポレートスローガン、バリューとプロポジションを言語化し、ブランドとして実現したい世界観を言葉とビジュアライズで立体的に表現した。

これらをドキュメントにまとめ上げた「Kyash VisionDeck 」も発表。Kyashの目指すものを可視化するバイブルとしての位置付けで作成された。言語化のみのVer.1.0からスタートし、2023年4月現在Ver.2.1が公開されている。

組織のあらゆる領域に「デザイン」をインストールする


デザイン責任者就任から半年足らず。コーポレートアイデンティティの策定のみならず、描いた構想を実現していくためのアクションも進めている。

具体的には、デザイン責任者として中期経営計画の策定に参画。ビジョン・ミッションとのズレが生じないよう意思統一を図っている。さらにその戦略をもとに、Kyashが理想像へ近づくためには具体的にどのようなUXやUIであるべきかを定義するプロジェクト「NEXT UX」を推進。前述のブランドアセットをもとにコミュニケーションデザインの一貫性を整備し、社内でもデザイナーを中心にビジョン浸透のためのインナーコミュニケーション施策を進めているという。

引地「大切なことは、理想像を描くことだけではなく、それからブレることがないように一貫したアクションを行い、ブランドの体験を設計していくこと。ですから、単にデザインやクリエイティブを刷新するだけでなく、組織や事業全体、プロダクトやカルチャー全体に浸透させていくための施策にも注力しているんです」

この期間引地は鷹取と“デザイン”について濃密な対話を重ねてきた。そのプロセスでは鷹取のデザインに対する高い期待と理解を幾度も感じとったという。

引地「これまでさまざまな経営者と関わってきましたが、鷹取はロジカルとエモーショナルのバランスが非常に優れたタイプだなと感じました。『冷静と情熱のあいだ』なんて言ってるんですが、これまでの経歴から着実に論理を積み上げながらも、非常に情熱的な人間性もある。

企業全体にデザインをインストールする上で起こりがちなのが、上層部の理解が得られず説得や合意形成に時間を要することなのですが、鷹取はその点一切の障壁がない。だからこそ、経営から現場まで直結するアプローチに挑めていますし、コーポレートアイデンティティの刷新という経営直結のアウトプットも半年足らずで形になったと感じています」

鷹取は金融機関出身ながら業界構造に疑問を抱き、Kyashを起業した経緯がある。そこにあるのは徹底したゼロベース思考と顧客視点、そしてデザインの可能性にかける思いだ。

鷹取「金融システムは制約が多く硬直的で、コスト構造も問題が多い。15時に窓口が閉まって、月末には延々と待たされる……顧客体験としても好ましくありません。アプリケーションでどれだけ優れた体験を作っても、根本となるシステムにまで手を加え、もはや“産業創造”に近い次元で取り組まなければ、金融は変わらないでしょう。

当社のバリューの一つに『頂点志向』があるのですが、業界の最前線を知った上でさらにその先を行くベストな体験を作らなければ、私たちのビジョンは到底成し遂げられません。そのためには、これまでとはまったく違うアプローチが必要。その一つがデザイン。単にブランド形成や顧客体験を良くするだけでない力があると信じています」

こうした鷹取の理解と思想は対峙する引地にも共鳴する部分が大きいという。引地自身、いち“デザイナー”として、冷静と情熱のロジカルとエモーショナルのバランス感覚を重視しているからだ。

引地「ここ数年の傾向としてデザインが“左脳型”になりすぎている気もしていて、もう少しエモーショナルな熱量を取り戻して、人の心を動かすようなクリエイティブをつくりたいと考えていました。鷹取の考え方が僕と近かったのも象徴的でしたが、現代におけるビジネスの難しさは『左脳と右脳の掛け算』にある。

でもだからこそ、面白い。データやファクトを見ながらアイデアを考え、アイデアを形にしてはそこから得たデータやファクトを見て、また新たなアイデアを考える……ロジカルなプロセスを経て、そこからいかにクリエイティブジャンプを作れるかが、デザイナーが力を発揮できるところでしょう。それにはやはりクオリティの高いアウトプットを作れる力と、しっかりとアウトカムを作れる力の両方が重要となる。

左脳的なロジカルさと右脳的なクリエイティビティ、クラフトマンシップをあわせ持った人こそ、これからますます求められるのではないでしょうか」

デザイナーをはじめとした、Kyashの採用募集一覧は下記のページよりご覧いただけます。

株式会社Kyash の全ての求人一覧
https://herp.careers/v1/kyash
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Credit
執筆
大矢幸世

ライター・編集者。愛媛生まれ、群馬、東京、福岡育ち。立命館大学卒業後、西武百貨店、制作会社を経て、2011年からフリーランス。鹿児島、福井、石川など地方を中心に活動。2014年末から東京を拠点に移す。著書に『鹿児島カフェ散歩』、編集協力に『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』『最軽量のマネジメント』『カルチャーモデル』『マイノリティデザイン』など。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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