デザインの数値化が「余白」を生み、その余白こそ「事業に資する」──エムスリー CDO・古結隆介

あらゆるプロフェッショナルは、パフォーマンスを上げるために徹底的に効率を追求する一方、一見すると無駄に見える“余白”を大事にしている。その“余白”が、結果的に組織として発揮できる価値の範囲を広げていくと思うんです。

「デザインの価値は必ずしも数値化されるものではありません」

デンマークの国立機関、デンマーク・デザイン・センターのCEOクリスチャン・ベイソンは、特許庁の「ビジネスパーソンのための "デザイン経営 " ハンドブック」の中でそう語っている

デザイン経営の難所の一つは、事業に資するデザインの価値を数字で表すことだ。試行錯誤の末、デザイナーの目標や貢献度合いに関しては数値化をしない、という判断をしている企業もあるだろう。

そんな中、「デザイナーの目標は必ず数値化する」と話すのが、医療業界の雄・エムスリーCDOの古結隆介だ。「事業に資するデザイン」を重視し、映像クリエイターですら利益一億円に相当する数値目標を設定するなど、すべてのデザイナーが明確な数値目標を持っているという。

一方、眼の前の数字にとらわれすぎると、非連続的な価値創出が起こらなくなったり、ブランド価値が毀損されたりする恐れもある。そうした事態に陥らぬよう、古結は「余白」が欠かせないとも語る。

一見相反する「事業に資するデザイン」と「余白」は、いかにして両立するのか。

古結がCDOに就任してからの3年間を振り返りながら、デザイン経営の難所を乗り越えるヒントを聞いた。

デザイン経営で先駆けるビズリーチから、エムスリーに出戻り

「メンバーの成功をデザインし、成功できる組織をつくっていきたい」

2021年4月。古結がエムスリーの2代目CDOに就任したタイミングでの、designingによる取材時の言葉だ。

デザインは手段。事業家たるデザイナーの肖像ーーエムスリーCDO 古結隆介
https://designing.jp/m3-kogetsu
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ラジオ局傘下の制作会社、USENを経て、2009年にエムスリーに転職した古結は、そこで8年の歳月を過ごし、事業に資するデザイナーとしてのキャリアを積んできた。その後、国内でいち早くデザイン経営の推進に乗り出していたビズリーチ(現・VISONAL)に転職。同社のデザイン組織の改革に取り組んだ。当時を「とても充実していた」と振り返る古結がエムスリーに戻るきっかけになったのは、「デザイン組織を良くしてほしい」という相談だった。

古結「もしデザイナーの頭数の一人としてのオファーだったら、戻っていなかったと思います。当時のエムスリーは、私がいた頃よりもさらなる成長を遂げていました。売上が伸び続けていることはもちろん、事業の数は60を超え、エンジニアの数も80人近くになっていた。

一方で、デザイナーの数は私がいた頃と変わらず8名。そこに『デザイン組織そのものを良くしてほしい』というオーダーをいただいたんです。ただデザイナーを採用をするだけでは、組織を良くすることにはならない。チャレンジしがいのあるテーマだなと感じました。デザイナーとして、たくさんの成功体験を積ませてもらったエムスリーに恩返しをしたいという気持ちもあり、戻ることを決意しました」

戻った古結がまず取り組んだのは、様々なメンバーに話を聞き、状況を把握することだった。その結果理解した当時の組織の様子を、「事業に対して120%でコミットする個の集団」と古結は形容する。

古結「個々では最大限パフォームしているものの、横のつながりがないゆえに、ナレッジの共有がなされず、違う事業部同士で同じものをゼロからつくる、ということが起きていました。そして、デザイナーたちもそれが課題であると認識はしていた。ただ、事業にコミットしなければならないゆえに、組織を改善する余白はない。私が戻って組織と向き合えば、メンバーはもっと楽しく、効率良く働けるはずだと思いました」

自分がエムスリーで成功体験を積んだように、メンバーにもたくさんの成功体験を積んでほしい──そんな思いから、古結のデザイン組織づくりが始まった。

レビューは、アウトプットではなく「プロセス」に対して行う

日本におけるデザイン組織の3本の指に入る──CDO就任時に古結が掲げた目標だ。

その実現に際し、「プロダクトデザイン」「プロモーションデザイン」「コーポレートブランディング」の3つの柱を整理。これらを横断する形で、事業部間の連携、マネジメント体制、採用をそれぞれをテコ入れし、組織力の強化に踏み出した。

まず取り組んだのが、「チームとしての」価値創出を推進すること。

まずは、土台となるコミュニケーションスピードの向上と意思決定の高速化に取り組んだ。具体的には、医療ドメインや自社についての前提知識を素早くインストールするオンボーディングの強化や、デザインガイドラインの整備といった施策を進めたという。

その上で注力したのが、レビュープロセスの改善だ。

古結「これまでアウトプット段階でレビューをしていたところを、『2割共有』を合言葉に、プロセスを共有するかたちに変更しました。なぜなら、アウトプットができた段階の共有では、その制作背景を説明するコストがかかりますし、意図を汲み取れない的外れなフィードバックにもなりがちだからです。

プロセスの段階で共有することで、どんな考え方でデザインをしているのかに対してフィードバックがもらえますし、プロセスの途中でテコ入れできるので、手戻りも少なく済む。これはデザイナーだからこそ必要な視点だと思います」

こうしたデザイナー同士での前提や情報、関係性の共有によって、すでに顕在化した横のつながりの強化にも寄与していった。

採用面では、まずは「印象形成」に尽力した。当初のエムスリーは企業としての認知こそ確かだったものの、デザイン業界では、有力な転職先候補として真っ先に名前が挙がるような存在ではなかった。そこでまず、デザインに力を入れている姿勢表明の一つとして、2020年10月にCDOのポジションを設置。当時VPoEを務めていた山崎聡が初代CDOに就任した。

その後、2021年4月よりCDOに着任した古結は、メディア露出やイベント登壇など愚直に露出を増やしてきた。露出に際しては、自分たちの組織哲学や文化のメッセージングを重視したという。例えば、ミッションとそれに紐づく事業戦略を省略せずに語り、何を良しとする組織かを可能な限り丁寧に伝え続けた。

古結「哲学や文化にフィットするかどうかは、採用において一番大事だと思っています。例えば、私たちは『早くプロダクトを届けること』をとても大事にしています。もし、細部までこだわったデザインを何よりも優先したいのなら、エムスリーにはフィットしないでしょう。

さらに、面接では『視座の高さ』も見るようにしています。前提として、エムスリーでは、マイクロマネジメントをしないため、目標に対して自走できる必要がある。高い視座のもと、何をやるかの選択肢をできる限り増やしたうえで、自分なりに考えて選ばなければならないからです」

目標の徹底した「数値化」こそが、個の強みを引き延ばす

古結がCDOに就任してから3年。組織力の強化と共に、就任当初の「3本柱」(「プロダクトデザイン」「プロモーションデザイン」「コーポレートブランディング」)の中でも喫緊の課題であったプロダクトデザインの領域を中心に、着実な採用活動を重ね、デザイン組織のメンバーは20名に増えた。

そして現在注力しているのが、「3本柱」の残りの2つ、プロモーションデザインとコーポレートブランディングだ。その旗振り役となっているのが、BX(ブランド・エクスペリエンス)支援チーム。同チームは、事業を横断し、ブランド構築のためのプロモーションデザインを担う。UI,UXデザイナーはもちろん、映像を中心に手がけるモーションデザイナーまでも擁している。

だが、こうした多様な顔ぶれは、古結自身、当初から想定していたわけではなかったという。

古結「例えば、1年前に入社してくださった、モーションデザイナーの後藤大輔さんは、完全に想定外の採用でした。そもそも、映像クリエイターは採用計画の中に入っていなかったんです。ですが、ハリウッドでAppleやMicrosoftと仕事をしていた映像クリエイターの方がエムスリーに興味を持ってくださったことは、非常に嬉しかった。

役割は決まっていないけれど、絶対に採用した方が良いと直感的に思って、その旨を経営陣に伝えたんです。すると、『利益1億円相当の成果を出して』と言われまして(笑)。正直泣きそうになりましたけど、その懐の深さにありがたさも感じましたね」

「利益1億円相当の成果」——クリエイターにとっては無理難題に見えるかもしれない金額規模だが、古結には確かな目算があった。

数値目標を達成するため、後藤はまずプロダクトや採用のプロモーションにつながる動画を作成。アウトプットを積み重ねる中で、複数の事業部から声がかかり、現在はクライアントのプロモーション動画の企画からアウトプットまで一貫して関わっている。

古結「中には数千万円相当の利益につながるものもあり、無事に目標を達成できました。次の目標は4.2億円相当なのですが、後藤さんの良さを引き出せば、達成できない数値ではない。うまく事業と接続し動き出した感覚があります」

このような利益目標を持つのは後藤に限らない。エムスリーのデザイン組織では、個々の強みを伸ばすため、「デザイナーも必ず数値目標を持つ」という。

古結「数値目標を持つメリットは、どこに向かっているかを明確にできることと、事業に対するデザインの貢献度を示せること。具体的な数値は、事業部の目標に紐づけて設定しています。例えば、採用サイトをリニューアルするとする。その時、いつまでに何人の人が訪れれば一人分の採用単価と同等の価値と言えるのかを試算して、目標の数値とするんです。

ただ、進めていく上で数値に納得感がないと感じたら、柔軟に変えるようにはしていますね。実は、私が戻る前まではデザイナーも事業部の利益を目標として持っていたんです。当時はデザイナーとして利益を生み出すというよりは、事業企画をデザイナーも出していく、という方針でした。

ただ、そうすると利益以外に目が行きづらくなる。結果としてブランドの観点から各プロダクトの統一感がなくなったり、事業部を横断した連携が取れなくなったりしてしまいかねない。そうではなく売上や利益“相当”の数字を目標に立てる方が、企業にとって健全だと考えるようになりました」

「デザインこそ事業」と言える組織へ

「事業に資するデザイン」を掲げて、ナレッジ整備やレビュープロセスの改変によりデザインプロセスを仕組み化し、目標をできる限り数値化していく一方で、想定外の映像クリエイターを採用するなど多様で余白のある組織を実現し、それによりまた事業に資していく。古結の中では、「事業に資すること」と余白は二律背反ではなく、むしろ不可分なのだ。

古結「あらゆるプロフェッショナルは、パフォーマンスを上げるために徹底的な効率の良さを追求する一方、『バットの握り方を変える』のように、一見すると無駄に見える“余白”を大事にしている。そうした“余白”が、結果的に組織として発揮できる価値の範囲を広げ、今のパフォーマンスを改善していくと思うんです。

だから、今後もただ『目の前で必要な役割だけ』を考えてデザイナーを採用するつもりはありません。むしろ、後藤さんのような予想外の人に来てほしいですね。サウンドクリエイターとかコピーライターとか……多様な視点が入るほど、面白くて、新たな価値が生み出せるはずですから。

こう考えてしまうのは、もしかしたら、私が映像制作出身だからかもしれません。映像制作は、プロフェッショナルたちが持ち場や役割を越えて、一つの本質的なゴールに向かうものです。その過程はすごく楽しいし、できたものを分かち合うのも楽しい。きっと、そんな環境が好きなんでしょうね」

そうして「楽しさ」を大切にする古結の中には、2年前の取材で「デザインは事業のためのもの」と語っていたように、デザインに懸ける強い信念がある。そして、「事業に資すること」と「余白」を両取りしようとする姿勢を明確に示した今回のインタビューにおいて、その信念はより強固なものになっていた。

古結「デザインこそ事業、と言える組織にしたいですね。デザインって、ダイレクトに事業に責任を負っていると思うんですよ。例えば、Macを買う理由の一つにはデザインのかっこよさがある。デザインの質は、事業に直結するという確信が私にはある。だからこそ数字でデザインの価値を証明することができれば、デザインこそ事業だと、胸を張って言えると思うんです」

デザイナー採用サイト|エムスリー株式会社
https://jobs.m3.com/designer/
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Credit
取材・執筆
イノウマサヒロ

編集者。編集デザインファームinquireを経て、複数のスタートアップ経験後、独立。ビジネスとデザイン領域におけるコンテンツ制作を行う。カルチャーデザインファームKESIKIに所属。




撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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