「つくれないという呪い」を解くため、デザインを拡張し続ける──NOT A HOTEL井上雅意

「おまえはいつも中途半端に終わるな」──そんな言葉に抗うかのように、常に領域を拡張しながら、つくり続けてきた道筋を辿る。

「自分はずっと、“つくれない側”の人間だと思っていました」

照れくさそうにそう語るのは、“自宅にも別荘にもホテルにもなる”住空間サービスを提供するスタートアップ・NOT A HOTELのCXO、井上雅意。

外資系メーカーにて、携帯端末のUIデザイナーとしてキャリアをスタート。その後IT業界に足を踏み入れ、領域もUX、事業、組織へと拡大。直近ではメルカリのCXOも務めた。

そのキャリアを見ると、「つくれない」どころか、常にその領域を拡張しながら、「つくり続けてきた」デザイナーである。
「つくれない」と思い込んでいた井上が、いかにしてデザイナーのキャリアを切り拓き、リアルとデジタル、インターフェイスに体験、事業、組織、経営と自由に領域を横断してつくる人になったのか。

本記事はWantedly Official Profileとのコラボレーション企画です。

自分はつくれる人間ではない──幼少期からの“呪い”

話の始まりは、少年時代に遡る。

姉は美術大学に進学するなど、絵を描いたり、モノをつくったりしている人が多い環境で育ったという井上。周囲に感化され、自然と自分も「何かつくりたい」と思うようになる。

しかしあるとき「おまえはこちら側には来られない」と、“呪い”ともいうべき言葉をかけられた。

井上「子どもの頃、近所の工作教室に通っていたんですが、そこの先生に『おまえはいつも中途半端に終わるな』と言われたことがあるんです。以来、『何かをつくりたい』という気持ちが湧く前に、『自分には無理』という観念が先行するようになりました。

美術や映画、小説といった作品に触れるのはずっと好きでしたが、あくまで自分は鑑賞者や読者の側。憧れる気持ちはあっても、『つくろう』という発想は全く起きませんでした。絵も下手でしたしね」

自分は“つくれる”人間ではない——ならば“売る”側、ビジネスサイドのキャリアを歩もうと、進学した慶應SFCではビジネス系のゼミを志望した。ところがここで、意外にも“つくる側”の世界に足を踏み入れることになる。

井上「マーケティングのゼミに行こうと思っていたら、選考に落ちたんです。それで、ノーマークだったものづくり系のゼミに行くことになって。そこからですね、何かをつくることに携わり始めたのは」

デジタルサービスやプロダクトを企画し、可能な場合は実際につくる。ゼミでの学びは実践的だった。テクノロジーの力によって、昨日までの不可能が可能になるプロセスを目の当たりにし、井上は忘れていたものづくりの楽しさを思い出した。

「UI」という概念に出会ったのもこの頃だった。

井上「大学病院で研修している研修生たちをサポートするツールをつくる、というプロジェクトに参加する機会があって。実際に手術の現場を観察し、そこにどんな課題があるのかディスカッションしながらシステムをつくっていきました。その画面をつくる上で必要だったのが、UIデザインです。はじめてその考え方に触れ、興味を持ちました。

それまで、デザインやものづくりに対して、『絵が上手くないといけない』『センスや発想力でつくる』といったイメージがあったんです。でも、実際やってみると、いかにロジカルに組み立て、課題を解決するかという視点の方が重要だった。それなら自分にもできるかもしれない、やってみたいと思うようになったんです」

携帯電話のUIデザイン、サムスンで積んだ修行の日々

こうしてUIデザイナーを志すようになった井上は、大学を卒業後、モトローラに入社した。当時UIデザインの仕事は少なく、その領域に携わろうと思ったら、「携帯電話かカーナビか、ゲームをつくっている会社くらいしか選択肢がなかった」という。

大学で少し触れたとはいえ、体系立ててデザインを学んだわけではない。「とにかく現場に身を置いて、経験を積みまくるしかない」と考えていた。

しかしながら、結果的にモトローラでは想像していたUIデザインの仕事はできなかった。

井上「当時のUIはグラフィックやビジュアル的な捉え方がほとんどで、大学でやっていたような『サービスを設計する』という考え方はメジャーではありませんでした。UIデザインはグラフィックデザインに関する専門知識を持った人が手がけている、その素養がないと話になりませんでした」

だからといって諦める井上ではなかった。「デザインを学べばいいのか」と、働く傍ら桑沢デザイン研究所の夜間コースに通い、デッサンや造形の基礎を学んだ。しかしながら、いっこうに携わる機会は得られず、入社1年半ほどで退職する。

次に入社したのは、サムスン。UIデザイナーとして、日本市場向けに携帯電話のローカライズを担当した。

井上「当時のケータイは基本的に通信会社の仕様書に沿ってつくることになっていました。仕様書の内容を理解して反映しつつ、日本で売れるものを1からつくるのが、サムスンのUIデザイナーの役割でした」

UIデザインついて経験豊富なメンバーがいたわけでもなく、ディスカッションをしながら手探りで仕事を進めていたという井上。

一方で圧倒的な世界シェアを持ち、デザインに全社的に力を入れていたサムスンは、“理想的な修行の場”だった。

井上「既存の機能を全部書き起こして、『ここでは何が一番大事なんだっけ?』『こっちの方が使いやすいんじゃない?』と議論して。技術者と実現できるかどうか詰めて、実際にお客さんに使ってもらって。大変でしたけど、ものづくりの一連の流れを経験できたのはすごくよかったです」

スマホ化の流れの中で感じた、UIデザインの限界

思い描いていた仕事に携わることができ、「何より楽しかった」と語る井上。

しかしながら、世界が“ガラケーからスマホ”という大きな転換期を迎える中で、次第にUIデザインの限界を感じ始める。それが確信に変わったのは、スマートフォンが普及し始める前、フルタッチスクリーン式の携帯電話をつくったときのことだった。

井上「イチからUIを設計したんですが、出来上がったものを見て『これはダメだ』と思いました。

例えば画面上のボタンを押した時の感触。iPhoneや今のスマホは静電式という入力方式なんですが、僕たちがつくっていた端末は感圧式といって、指で押し込むような操作感のもので。画面のUIをどれだけつくりこんでも、静電式で操作するときの気持ちよさは絶対に実現できなかったんです」

結局UIデザインは、ハードウェアという制約条件の上で戦うことになる。UIがどれだけ頑張っても、到達できない領域があった。

この経験は井上の中で、「インターフェイスから体験へ」「部分から全体へ」と意識が変化するきっかけとなった。

その後、iPhoneの登場によってスマホ化の流れは一気に加速。前提となるハードウェアやOSは全世界共通、個別のニーズにはアプリで対応という方向性になり、ローカライゼーションや端末ごとのUIは差別化要因ではなくなった。

井上の業務も、UIデザインから、UIを含めたアプリ全体の設計、新規サービスの提案へと変容。まさに井上が意識した分野だった。しかしながら、対象領域が大きく複雑になったことで、今度は“実現できないもどかしさ”が募るようになった。

井上「どんなものをつくるべきかという調査から始めて、具体的な企画にまとめ、提案するということをひたすらやっていました。例えば、当時はまだOS側で対応し切れていなかったアクセシビリティ支援の機能とかですね。

最初は1つのアプリの提案でも、時にはサービス全体や事業の提案にもなっていきました。ただ、会社の規模が大きすぎたこともあってなかなか実現しなかったんです。採用されるとしても、半年間かけてつくったサービス案のUIの一部だけ……。『今の自分に合った環境は、他にあるかもしれない』と思うようになりました」

人に使ってもらえるモノをつくる——それは井上にとって、ものづくりのモチベーションそのものだった。最初に携帯電話というドメインを選んだのも、多くの人に使われるものだったかという理由もあった。

ユーザー数の多寡自体はそこまで重要ではなかったというが、いずれにせよプロダクトやサービスは、世に出ない限り使われることはない。

「次は本当に使ってもらえるサービスをつくれる環境に行こう」。そう考えて井上が選んだのは、ヤフーだった。

ヤフーからメルカリへ。インターネット業界の中枢部を渡り歩く

ヤフーに入社して配属されたのはアプリ開発室。「時代はアプリ」という流れの中、サムスンで培った知見を活かし、ヤフーのWebサービスを次々とアプリに“翻訳”していった。

井上「Webサービスをアプリにする場合、ただそのままレイアウトを変えればいいというものではありません。アプリにはアプリのお作法、最適なUIがあり、考え方を根本から変える必要がある。Webではできる限り詰め込んでいた情報を、アプリではなるべく削ぎ落とし、ユーザーがやれることを絞りこんでいくんです」

まだ「アプリならこのUI」という感覚を持っている人が少なかった中、井上の知見は重宝された。途中からはマネージャーとして、さまざまなアプリの立ち上げを同時並行でサポートするように。

視座は上がった一方で、ものづくりの現場から離れる寂しさを感じ始めていた。

やっぱり、つくりたい──その思いのもと足を運んだのが、前任のマネージャー・松本龍祐のもとだった。

井上「松本さんはアプリ開発室の元同僚で、ヤフーを辞めたあとメルカリに転職していました。『やっぱりものづくりがしたいんです』という話をしたら、『ちょうど今新しいことやろうとしているんだよね。』という話を聞いて。そのまま、メルカリに移ることにしました」

このとき松本が立ち上げていたのが、「次のメルカリを生み出す」をコンセプトに2015年に設立されたソウゾウ。新規事業開発に特化したメルカリの子会社だ。

デザイナーとして入社した井上は、職場に足を踏み入れるや否や、スタートアップにおけるものづくりのプロセスと、メンバーたちの姿勢に感動を覚えた。

井上「メンバー全員にものづくりの経験があり、同じ目線を共有していることに驚きました。『こういう体験の方がいいよね』とか『実装はこっちの方が楽だけど、本当にこれでいいの?』みたいな議論を、エンジニアやデザイナーといった職種に関係なく、当たり前に全員でしている。それがめちゃくちゃ面白かったんです」

デザイナーの枠を飛び出し「メルチャリ」を立ち上げ

こうして2016年にリリースされた「メルカリアッテ」では、UI,UXデザインを担当。しかし、その役割は井上にとって、窮屈なものになりつつあった。

UI、UXといった枠に囚われず、サービス全体をつくりたい。思考の結果辿り着いたのは、新規事業開発だ。

井上「デザインの仕事やプロダクト作りは楽しかったんですけど、やるべきはそれだけじゃないなと思って。松本さんに『事業をつくらせてほしい』と相談したら、やらせてくれたんです。『いけると思うんだったら、やっていいよ』と」

しかし、はじめて取り組む事業開発は、そう生易しいものではなかった。立ち上げようとしたものの、想像以上の大変さに思わず尻込みし、途中で頓挫してしまったプロジェクトもあったという。

井上「『メルカリアッテ』の海外版を立ち上げようとしたことがあって。海外をひたすらまわって各国の現地でユーザー調査をし、どこの国でやるか考えました。でも、その途中で『これは思っていた以上に大変だ。本当にやるんだったら、相当な覚悟が必要だな』と思い悩むようになっていたんです。

国の目星まではつけたものの、自分にそれだけの覚悟があるのか、本当にやりたいのか?と悩み、最終的にはやめることにしてしまいました」

「おまえはいつも中途半端に終わるな」──子どもの頃にかけられた、呪いの言葉がこだまする。それでも、つくり続けることをやめはしなかった。悩みや苦労は尽きなかったが、それでも事業をつくることに、何より熱狂していたのだろう。

その苦労が結実したのが、2018年にリリースされたシェアサイクルサービス「メルチャリ」だ。井上が1から手がけ、世に出た初のサービスだった。

肩書きは事業責任者。デザイナーの枠を完全に超越し、採用からチームマネジメント、事業計画の立案まで、事業づくりに必要なことは全部やった。

井上「今振り返ると、もうちょっと上手くやれたんじゃないかとか、もっと儲かる事業をやればよかったんじゃないかとか、反省点だらけですけどね。事業譲渡はしたものの、今も生きているサービスとして、使ってもらえているのは嬉しいですね」

その後はメルカリ本体のCXOとして、デザイン組織を統括するように。約2年間の在任期間には、アプリUIの大幅変更やCI・ブランドのリニューアルを手がけた。

ソフトとハードを統合し、新たな豊かさデザインする

そして2020年10月からは、冒頭で触れたNOT A HOTELにて、CXOを務めている。

NOT A HOTELは、年間30日から物件を所有でき、自分が使わない日はホテルとして運用し収入が得られる、“自宅にも別荘にもホテルにもなる”住空間サービスだ。現在、宮崎県・青島と那須の物件が売りに出されているほか、福岡と北軽井沢での開業が決まっている。

キャリアチェンジの起点は「メルカリを辞める」と決意したことだった。

井上「メルカリはすごくいい職場でしたし、本当にいろんなことをやらせてもらったので恩返ししたい気持ちはあります。ただ、会社が大きくなったことで、自分がいてもいなくてもあまり変わらないような気がしちゃったんです。たぶん、大きい会社が得意じゃないんですね。だったら別の新しいことをやろう、とりあえず辞めてから考えよう、と。

あと、僕自身めちゃくちゃ飽きっぽくて。同じことやっているなと感じるのがイヤなので、定期的に全然やったことないことをやりたくなるんです」

NOT A HOTELに出会ったのは、偶然だった。知人からNOT A HOTELと創業者の濱渦伸次を紹介され、誘われたという。

新しいことをやるときは、スキルかドメインのいずれかで新しいことを。

井上のキャリア選択のセオリーだ。NOT A HOTELの場合は、建築が新たなドメインだった。ちょうど当時、デジタルで完結するのではなく、リアルが絡むサービスに取り組みたいと思っていたこともポイントだった。

井上「何かやりたいことが決まっていたわけでもありませんし、『違うと思ったらやめればいいや』ぐらいの感じで。ただ、世の中を楽しくしようとするためにやっている事業だったこと、不動産とソフトウェアの絡む領域は魅力を感じましたし、自分のやってきたことが活かせそうだと思いました」

写真提供:NOT A HOTEL

そう、谷尻誠ら有名建築家によるインパクトの強い建物に目を奪われがちだが、NOT A HOTELが目指しているのは不動産領域のDXであり、コアはむしろソフトウェアにもある。

井上はCXOとして、さまざまなソフトウェア・プロダクトの全体を見渡しながら、顧客である物件オーナーには新しい暮らしを、自分たちには運営のシステムを、それぞれデザインしている。

井上「まず、お客さまには、スマホさえあれば、やりたいことをすべて完結できる仕組みをつくろうとしています。鍵の開け閉めや空調の操作、困った時の問い合わせなど。いわゆるスマートホームですね。利用時だけではなく、お客さまがNOT A HOTELに行くときや、物件を貸し出して運用するときに使うソフトウェアも開発しています。

また、NOT A HOTELはホテルではないけれど、ホテル的な要素もあって。その運営にあたり、本来人間がやる必要のないことを自動化するためのツールを設計しています。すべては、物件を購入されたお客さまがよい体験をするため。もちろん、それぞれのプロダクトに担当がいますが、全部を横断的に見ながらやらないと、いいものはできないんです」

恐怖すら感じながら、それでもつくり続ける理由

メーカーからIT、不動産。リアルとデジタル。UI、UXから、サービスや事業、組織全体まで。華麗に領域を拡張してきたように見えるキャリアについて、井上自身はどう捉えているのか。訊ねると、氏は噛み締めるように口を開く。

「できなかったことばかりで。いつも敗北感を感じていました」

しかしその口ぶりは、悔しそうというより、どこか嬉しそうにも見える。

井上「サービスをつくり、改善しながらPMFを目指すフェーズって、本当につらいんですよ。でも、僕にとって一番つらいのは『絶対にこっちの方がいいのになあ』と思っているのに、それができないこと。特に『つくる』ために説得したり根回しするのは本当に苦手だと改めて気づきました」

そうして井上はこれまで、「つくる」ことに集中できる環境を貪欲に選んできた。自身にスキルが足りなければ学び、会社の規模が大きすぎると感じれば、より小さな会社へその身を移してきた。

「つくれない人間」——そんな呪いを身に受け、己の無力さを感じ続けながらも、「つくる」ことにこだわり続ける。

何が氏を、これほどまでにものづくりに惹きつけるのか。この問いに対し井上は、「ものづくりこそが社会との接点である」と語る。

井上「社会において、自分が生きている意味を見つけるのって、すごく難しいですよね。でも、自分がつくったものが誰かに使われていると、一定そこに意味があるように思える。結局僕は、つくることでしか社会との接点を感じられない。だからつくるんです」

他方で、NOT A HOTELに携わりはじめてから、その感覚に少し変化が生じてきたともいう。

井上「今までは『役に立つかどうか』という軸でサービスをつくっていたんです。『役に立つ』とか『生活が便利になる』って、一番わかりやすいじゃないですか。

でも、最近は『なくても困らないんだけど、あるとちょっと楽しくなるもの』とか、『ワクワクするもの』をつくってみたいと思うようになりました。NOT A HOTELも、別になくても誰も困りませんからね。でもあるとちょっと生きるのが楽しくなるようなものです」

新たなチャレンジに挑む今の心境を「楽しみな反面、めちゃくちゃ怖い」と表現する井上。

必ずしも「なくても困らない」もの、極端に言えば「無駄なもの」をつくるのには、勇気がいる。もしかしたら、誰にも受け入れられないかもしれない。そのとき自分の存在価値を、見失ってしまうかもしれない。

そんな恐怖を感じながらも、井上はつくり続ける。その先にさらなるデザインの領域が拓け、世の中に新たなワクワクが生まれる瞬間を、楽しみに待ちながら。

井上さんのキャリアの変遷と、その過程で携わったデザインやプロジェクトの数々は、ぜひプロフィールページもご覧ください。

井上 雅意
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Credit
執筆
藤田マリ子

1993年生まれ、新宿区在住。京都大学卒業。株式会社KADOKAWAにて海外営業、書籍編集に携わった後、『FastGrow』の企画・編集職を経てフリーランスへ。ビジネス・ノンフィクション領域の企画・執筆・編集を手がける。編集作に『人生を変えるサウナ術』『文豪どうかしてる逸話集』など。 2022年より、代々の家業である日本茶専門店・東京繁田園の企画としても活動開始。趣味は競技ダンス、0歳児子育て中。

取材・編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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