すべてのデザイナーは、この世界の一部を作っている──POLAAR 川瀬丈紘

僕は、デザインによって生み出されたものから人が受け取るのは、結局のところデザイナーの“態度”そのものだと思っています。作り手がどんな姿勢で世界と向き合っているか──それが、使う人に伝わるのではないでしょうか。

境界を越え、構造をも動かす。

デザインの役割は意匠や体験に限らない。事業推進、組織、経営......その価値発揮が期待される範囲は広がり続けている。では、その実務家たちはいかにして形作られるのか。連載「Unbound Design Leadership」では、専門領域の境界を越え、価値を創出する、実践者にフォーカス。そうした価値観を形作ってきた経験や思考、判断基準などを通じて、これからのデザインリーダーの輪郭を描く。



本記事はamana GreatRIVERとのコラボレーション企画です。

“合理的なデザイン”がかつてないほど容易になっている。生成AIの発展、ツールの進化、デザインシステムの普及──こうした環境変化が、“最適解”を導き出すコストを劇的に下げた。

だが、そこには副作用も潜む。同じようなツールやデータを用いれば、アウトプットは均質化しやすい。“最適解”ほどどれも同じような顔つきになることもある。その反動もあり、人の心を深く揺さぶるようなユニークネスは、ますます価値が上がっている。

とはいえ、それも一朝一夕で身につくものではない。効率性が正解のように語られる今も、一見非合理の積み重ねによってしか獲得し得ないものではないか?デザイナー・川瀬丈紘の歩みは、その問いに対するヒントを示している。

デザインスタジオ「POLAAR」主宰で、デジタル庁などでも活動する氏のこれまでを紐解くと、一見すると遠回りにも思える道のりが浮かび上がる。だが、その過程における積み重ねの中でしか得られなかったであろうデザイナーとしての“軸”こそが、川瀬の揺るがない土台を作っていることに気づかされた。

川瀬丈紘
デザインディレクター。POLAAR代表。高校在学中に世界保健機関(WHO)の準会員NGO・国際医学生連盟の日本支部でウェブマスターを担当。都内制作会社数社を経て2011年に独立。2022年よりデジタル庁に入庁。UX/UI、CI計画、グラフィックデザイン、ウェブサイト制作、サービス計画のプロジェクトマネジメントなど、ブランディングとエクスペリエンスに関する設計・制作を中心に活動中。主な受賞歴にグッドデザイン賞ベスト100など。

理屈抜きに、手を動かす


工業高校から医療福祉系の専門学校──川瀬の経歴は、一見デザインとは遠い場所から出発している。

デザインへの関心は、高校時代に遡る。きっかけは、HIV啓発のボランティア活動。「パソコンを持っている」という理由だけで、ポスターや名刺制作を頼まれたのが、最初のデザインだった。

Wordを使い倒して、なんとか作り上げたというそのデザインの背景には、決して専門的な知識や道具などは存在しない。だが、それが必要だという感覚もなく「あるものでどうにかしよう、としか考えていなかった」と川瀬。

ありあわせの道具を使って夢中で作る。効率性など無視して試行錯誤を重ねる、“素人臭さ”もみえるようなその姿勢は、良い意味で、川瀬の基本動作となった。

たとえば専門学生時代、川瀬はタイポグラフィに没頭した。きっかけは、モダン・タイポグラフィの巨匠と言われるヘルムート・シュミットのデザインがあしらわれたTシャツとの出会い。その余白の取り方や文字の佇まいに、圧倒され、無心でそれを真似るデザインを作り続けた。

川瀬「Tシャツを見た日から誰に言われるでもなく、シュミットのタイポグラフィをIllustratorでトレースしはじめました。そして『自分ならどう配置するか』と余白や文字の位置を変えてみる。そんな作業にひたすら没頭しました。今振り返ると、そのかっこよさを、自分のものにしたいと夢中だったのだと思います」

就職後もその基本動作は自然と行われた。専門学校を卒業後、数社の制作会社で働くなかで、川瀬は徐々に「紙もの」に魅了されていった。だが、当時働いていた会社はウェブが専門で紙の案件は基本外注していたため、川瀬は自主制作で紙ものに取り組みはじめた。紙の技術を身につけても、当時は活かす機会もほぼない。にもかかわらず、夢中でその可能性の探索を続けていった。

川瀬「『毎回特殊な印刷加工を必ず一つ試す』という制約を設けて、隔週のペースで取り組んでいきました。クライアントがいるわけでも、配るあてがあるわけでもない。言ってしまえば、用途のない制作物が積み上がっていくだけです。

でも、実際に紙を選び、インキを載せ、加工してみなければ得られない感覚や知識がある。そう実感できていたので、ひたすらやり続けていました」

2011年、制作会社から独立した際にも、自身の探究は続いた。

関心を持ったのは「縦書きのウェブサイト」。当時は、ウェブでの縦書き表現が今ほど確立されていなかったこともあり、川瀬は自らデザイン/開発の両面からアプローチを探り、タイトルとナビゲーション以外の本文すべてが縦書きのウェブサイトを作り上げた。このサイトはブックマークサイトなどに掲載され、結果的に、それを目にした担当者から直接仕事の依頼が舞い込むようになった。

こうした基本動作は、決して意識的・戦略的に取り組んだものというわけではない。ただ、その時々で目の前にあった状況や関心、事象を踏まえて自然と手を動かしていた。無論、ここに語られたエピソード以外にも同様な積み重ねはあるはず。中には振り返ることもないような“ムダ”もきっとあった。だが、そうした積み上げも後から考えると全てに“意味”を見出すことができる。

川瀬「20代の頃は、とにかく理屈抜きに手を動かしていました。当時はそれが何かにつながると、確信していたわけではありません。でも今は、全部がつながっている実感があります。だから今も、新しいことを学んだり、まず作ってみたりすることに、ためらわずにいられるんです」

SNSを開けば、大量のノウハウや方法論にすぐさま手が届く時代。だが、たとえば「どの紙にどのインクを載せれば、どんな質感になるか」といった身体的な知識や、物事を幾度も反復して経験することで得られる「原理・原則」のような感覚は、自分の手でしか得られない。

そして、そうした一見“遠回り”の積み重ねによってのみ得られた感覚が、後のキャリアを支える土台になっていった。

「使う人が幸せにならなかったら、意味がない」


そうした土台があったからこそ、川瀬は後に自身の“軸”と感じられるものへと辿り着く。

独立してしばらく経った頃、がむしゃらに手を動かし続けてきた川瀬の視野を、大きく広げる出来事が訪れた。医療施設やホスピスなどの設計で知られ、『52間の縁側』で2023年度グッドデザイン大賞も受賞した建築家・山﨑健太郎との出会いだ。

いくつかのプロジェクトを共にした山﨑を、川瀬は「師匠のような存在」と表現する。山﨑の事務所をシェアオフィスとして利用しながら過ごし、仕事が片付くと毎晩、夜更けまでデザイン談義を交わした。「デザインへの向き合い方も、人への向き合い方も、本当に多くのことを教わりました」

その山﨑とともに手がけたあるクリニックのプロジェクトが、大きな転機となった。そのプロジェクトでは、クライアントの医師と建築家の山﨑の間で、話がうまく噛み合わない場面があった。医師の想いやマインドと、山﨑のクリエイティビティ──双方とも同じ方向を向いた熱意があるにもかかわらず、使っている“言語”の違いによって、ズレが生じているように川瀬の目には映った。そこで川瀬は新たな立ち回りを見出した。

川瀬「二人の間に入って“通訳”することに徹したんです。医師の意図を建築家が理解できる言葉で、建築家の意図を医師が理解できる言葉で伝える。その役割に没頭したとき、『自分は主役じゃないけれど、確かにプロジェクトを前へ進めている』という実感があったんです。これもデザイナーとしてできる価値発揮の一つなんじゃないか、と強く感じました」

同プロジェクトは2015年度グッドデザイン賞も受賞したが、川瀬にとっての“成功”は、翻訳者としての新たな価値発揮の姿にあった。

川瀬「人と人とをつなぎ、“コーディネート”する。自分は主役じゃなくても、たしかな手応えを味わえたことは、大きな財産になりました」

だが、山﨑から学んだのは技術だけではない。デザイナーとしての思想・姿勢という意味でも、山﨑とのプロジェクトは川瀬の軸を形作っている。別のクリニックのプロジェクトでの“失敗”がその契機となった。

同プロジェクトでサイン計画を担当した川瀬。当初、意匠的な美しさを優先し、レンガの壁面にステンレスの切り文字を配置したという。しかし、現場に設置されたサインは日光を反射し、さらにレンガの凹凸に埋もれ、まったく文字が読めない。白く塗装することでことなきを得たものの、デザインへの向き合い方を改めて考えさせられた。

川瀬「そのとき山﨑さんにかけられた『使う人が幸せにならなかったら、デザイナーが作る意味がない』という言葉が、今でもずっと心に残っています。

意匠が優れているだけでは、課題解決につながるとは限らない。至極当たり前の話ですよね。初歩的な知識不足を“無邪気”と混同していた自分に恥ずかしさを感じるとともに、そうした『当たり前の姿勢』を持てていなかった事実を突きつけられ、未熟さを痛感しました」

この教訓は、POLAARのミッション「Good Feeling and Social Good」にも反映された。

川瀬「独立してしばらくは『Good Feeling』だけを掲げていました。ですが、途中から『and Social Good』を足したんです。

本来、デザインは社会にとって“善いもの”であるはず。ですが、いつの間にか“見栄え”など作り手の都合ばかりを優先してしまう。だからこそ、あえて言葉にして掲げ、自らを律していく必要があると感じたんです」

デザイナーはいつも「この世界の一部を作っている」


こうした基本動作と軸を身につけたうえで、川瀬は「社会にとって善いデザインとは何か」という問いに、さらに踏み込もうとしている。

その中で川瀬が例に挙げたのが、「ゲシュタルター(Gestalter)」の概念だ。ドイツ語で「構想者」「形づくる人」を意味するこの言葉は、21_21 DESIGN SIGHTで開催された企画展「デザインの先生」でも、マックス・ビルらデザインの巨匠たちの肩書きとして表記されている。

プロジェクト全体の背景やフィロソフィーを統合的に扱い、ものごとの形に落とし込んでいく──単なる「造形する人」にとどまらないニュアンスを持つ言葉であり概念だ。川瀬は、現代のデザイナーに求められるのはこのゲシュタルターが持つ意味に本質的には近く、より統合的な技能と知識が求められていると考える。特にデザイナーはビジネスシーンにおいて「事業主の要求にただ応えるだけではなく、諸条件を総合的に捉え“こうあるべきだ”と方向を指し示す存在であるべきだ」という。

川瀬「あらゆる意思決定において、ビジネスオーナーだけでは十分に判断しきれない領域が必ず含まれる。その領域の一部を引き受けるからこそ、デザイナーはものを世に直接送り出すことが許されるのだと思います」

ただ、それは事業性だけを考えないという話でもない。

川瀬「資本主義社会で生きている以上、経済的な成果は避けては通れません。ただ、それはデザイナーの使命ではなく、あくまで死なずに活動するための“手段”のひとつだと思っています。

デザイナーが、デザインを専門とするからこそ発揮できる力の一部を用いて、企業活動の中で成果を収め、その対価として報酬を得ている。それは会社員として、あるいは“商人”として当然のことです。

一方で、デザイナーが社会において担うべき役割はそれだけではない。今の社会はどうあるべきか、自分たちが作るものは社会にどう影響するのかといった大きな問いに向き合い、打ち出していくことこそが、デザイナーの本来的な役割ではないでしょうか。デザイナーが、自分たちにとっての経済合理性だけを追い求めることに終始してしまえば、世の中は良くなっていかない」

こうした考えの根底には、デザインという行為に対する川瀬なりの確信がある。

川瀬「事業成果のためであれ、会社の成長のためであれ、社会をより良くするためであれ──どんな理由をつけても、すべてのデザイナーは『この世界の一部を作っている』ことに変わりはない。そして、世界の一部を作るというその営みは、明日も来週も来年も、ずっと続いていくんです。世界の一部を作り続けるからこそ、デザイナーが作り出すものにはその人の姿勢が否応なく反映される。

僕は、デザインによって生み出されたものから人が受け取るのは、結局のところデザイナーの“態度”そのものだと思っています。作り手がどんな姿勢で世界と向き合っているか──それが、使う人に伝わるのではないでしょうか」

こうした確信が、川瀬の目を自分たちが作るものの影響範囲へと向けさせる。デザイナーの“態度”が問われる場面のひとつとして挙げるのが、アクセシビリティだ。

川瀬「僕たちデザイナーが作っているのは、自分たち自身もそこで暮らすことになる“世界”そのものです。そして僕自身も含めて、今は不自由なく過ごせている人も、この先もずっとそうである保証はどこにもない。たとえば、目が見えなくなるかもしれないし、歩けなくなるかもしれない。

もしそうなったとき、自分たちが作ったこの世界は、自分たちにどんな態度で接してくるのか。そういった想像を、常にすべきだと考えています。デザイナーの仕事が、自分たちが暮らしたい世界を実現することである以上、その想像力を欠いたままデザインをしていては、社会に対して役割を果たしているとは言えないと思うんです」

川瀬はここで、マザー・テレサのものとされる言葉を引く。「私たちのしていることは大海の一滴に過ぎない。だが、その一滴がなくなれば大海はその分小さくなる」──どんなに小さなプロダクトやサービスであっても、世界の方向に無関係なデザインなど存在しない。どれだけ善性を取り込めるかで、世界の形は変わる。

ツールが変わっても、本質は変わらない


生成AIの急速な発展により、デザイナーの仕事のあり方が問い直されている。「デザイナーの仕事はなくなるのではないか」──そんな声も少なくないが、ここまで語ってきた「デザインとは、この世界の一部を作る営みである」という認識に立つ川瀬にとって、この問いへの答えは明快だ。

川瀬「これまでデザイナーがやっていた一部の手作業は、確かになくなっていくでしょう。でもそれは、アクリルガッシュで色を塗っていた時代からIllustratorへと移行していったのと同じ程度の変化です。

ここまで何度か触れたとおり、デザイナーの仕事はいつの時代も『この世界の一部を作ること』です。ツールが変わっても、その本質は変わらない。その考えを、自分自身も含め、先に歩いてきた者が後進にきちんと伝えていくべきだと感じています」

デザインの本質を常に見据え、それを次の世代に伝えていく。その姿勢は、川瀬自身の歩み方にも一貫して表れている。

効率的な近道がいくらでも見つかる時代に、目先のわかりやすさに飛びつかず、進むべき道をためらわずに歩む。その道がたとえ遠回りに見えるとしても、そこに進むべきだと思えるなら躊躇しない。その判断の根底にあるのはやはり、社会にとっての“善”だ。

川瀬「若い頃から、いつも自分が『こうあるべき』と思う道を選び続けてきました。それは傍から見れば、“遠回り”だったかもしれません。でも、自分が選んだ道を歩いてきたからこそ身についた力が、デザイナーとしての土台になっている。その実感があるから、結果的に、いつも安易な近道に飛びつくことなくいられるのだと思います」

均質化が進む時代だからこそ、「近道だから」という理由で選ばないことの意味は大きい。川瀬の歩みと姿勢が、その可能性を確かに示している。

Credit
取材・執筆
栗村智弘

個人事業主。職能は取材・執筆・編集およびプロジェクトマネジメント。De-Silo/Unknown Unknown/U-NEXT/Studio/DeltaX/B-Side Incubator/ANTHROほか複数の事業会社・スタートアップで継続的に活動中。1996年度生まれ。早稲田大学文学部卒。競技歴は野球、バスケットボール、空手、陸上、ハンドボール。猫とうさぎと神奈川県在住。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
小山和之

designing編集長・事業責任者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサルを経て独立。2017年designingを創刊。

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