
触れる、手放す、また飛び込む。“楽しさ”を更新し続けるために──デザイナー・相樂園香
会社って、それぞれに独自の言語や価値観、意思決定の方法があるじゃないですか。そうした文化に触れながら働くことで、自分が使える言葉が少しずつ増えていく感覚があるんです。
境界を越え、構造をも動かす。
デザインの役割は意匠や体験に限らない。事業推進、組織、経営......その価値発揮が期待される範囲は広がり続けている。では、その実務家たちはいかにして形作られるのか。連載「Unbound Design Leadership」では、専門領域の境界を越え、価値を創出する、実践者にフォーカス。そうした価値観を形作ってきた経験や思考、判断基準などを通じて、これからのデザインリーダーの輪郭を描く。
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本記事はamana GreatRIVERとのコラボレーション企画です。
ロフトワークでは立ち上げフェーズにてデザインや企画運営、メルカリではコーポレートリブランディングを担い、Takramではブランドコミュニケーションとカルチャー醸成に注力。それらと並行して、デザインフェスティバル「Featured Projects」を主宰し、コクヨのインハウス・デザインコレクティヴ「YOHAK DESIGN STUDIO」が手がける5.5坪のファクトリー+プリンティングレーベル「COPY CORNER」の運営に携わり、デザイン批評誌『PLATES』日本語版を翻訳出版──相樂園香のキャリアは一見すると、ひとりのデザイナーが十数年で積み上げた活動歴としては、あまりに密度が高く映る。
どの活動を振り返っても、相樂の口から出てくるのは「楽しかった」という言葉だ。そして、その“楽しさ”を自ら繰り返し“手放す”選択をしてきた。2026年2月には、キャリア最長となる約5年を過ごしたTakramを退職。楽しいからこそ手放す──その選択の根底には、相樂がキャリアを通じて磨いてきた“判断軸”と、ある人物からかけられた言葉があった。
“相対化”から気づく楽しさ
東京・三軒茶屋にある、2階建ての一軒家をリノベーションしたリソグラフスタジオ「Slogan Studio」。今回の取材場所となったここは、相樂に加え、グラフィックデザイナーの手塚芳子、フォトグラファーのDeby Suchaの3人からなるクリエイティブコレクティブ「Slogan」の活動拠点でもある。
Sloganの活動は、Ginza Sony Parkでのまちづくり展示のビジュアル・キットデザインや、デザイン批評誌『PLATES』日本語版の発行、タトゥーシールブランド「opnner」のカレンダーデザイン・印刷など多岐にわたる。
印刷・出版・デザイン──さまざまな方法を行き来しながら、ものづくりの入口から出口までを自分たちの手で完結させる。Sloganの取り組みは、相樂が自身のテーマの一つとする「デジタルとフィジカルを行き来するものづくり」を体現する活動でもある。
もっとも、そのSloganでの活動も、相樂のキャリアやポートフォリオを見れば「活動の中の一部」と言っても差し支えないだろう。それほどまでに、氏が手がける“ものづくり”の幅は広い。
新卒で入社したロフトワークでは、クリエイティブコミュニティ「FabCafe Tokyo」のアートディレクション・企画運営などに約3年半にわたり従事。その後メルカリへ移ると、コーポレート書体作成などのブランド施策やデザイン組織づくりに携わる。3社目となったTakramでは、社内外のブランドコミュニケーションやビジョン・体験設計を中心に、ロールにとらわれない活躍を続けてきた。
それらと並行して、先述したSloganのデザイナー、デザインプロジェクトを展開する「Featured Projects」の共同代表、リソグラフ印刷の実験工房「COPY CORNER」の運営、ワークスタイル戦略情報メディア「WORKSIGHT」の編集部員、新たな文字の視覚表現を探求する個展「Every Subpixel Matters」の共同主催者など、個人としても多様な活動にかかわり続ける相樂。デザイナーとして、これほどまでにバイタリティを持って動き続けられる根底には、どんな動機があるのだろうか。
相樂 「同時にいくつもの活動に身を置いていることが、自分にとっては大切なんだと思います。
たとえば、Featured Projectsでは1日に何千人も集まるイベントを開催する一方で、Sloganでは10人ほどに参加者を限定した、全員と対話ができる小規模イベントを開くこともあります。大規模と小規模、どちらが良いかという話になりがちですが、私にとっては“どちらもやっている”状態が重要で。両方を自分で経験するからこそ、それぞれの面白さや難しさを自分の言葉で話せるようになる。だからこそ、私にとっては、『どちらもやる』ことが大事だと思っています」
このスタンスを踏まえると、デザイナーとして、独立して活動を続ける選択肢もありそうだ。実際、メルカリやTakramに転職する間のタイミングでは、しばらくフリーランスとして過ごした時期がある。
しかし、相樂はあえて企業に属し、そのうえで個人としても複数の活動にかかわる道を選んできた。その背景には、相樂なりの“好奇心”がある。
相樂 「色々な組織の文化に触れるのが、純粋にすごく好きなんです。
会社って、それぞれに独自の言語や価値観、意思決定の方法があるじゃないですか。そうした文化に触れながら働くことで、自分が使える言葉が少しずつ増えていく感覚があるんです。言葉が増えると、物事に対する切り取り方や考え方も変わる。そうやって自分の思考が拡張されていくことに面白さを感じています」
「深さゆえの広さ」への憧れ
「いろいろやること」の意味を、相樂は“楽しさ”をひとつのキーワードにしながら、自覚的に語る。だが、それは「いろいろやること」への全面的な肯定とは少し異なる。むしろ、その対極ともいえる生き方への憧憬もあると、相樂は本音を隠さなかった。
相樂 「ひとつのことをすごく長く、深くやっている人には、めちゃくちゃ憧れがあります。
一見すると、今の時代はさまざまなことを幅広くやれることが求められているようにも感じます。ですが、領域の広さだけでなく、ひとつのことを続けている人の“深さ”は、結果的に何にでもつながる“広さ”を持っている。どんな相手と話しても、自分の経験に引きつけて、自分の言葉で話せると思うんです」
専門性を突き詰めるからこそ、あらゆる領域に通じる普遍的な何かに到達できる──相樂もそうしたあり方に憧れはある。一方で、実際のところ自身は興味の対象が次々と広がっていくタイプだった。「そういう性質なのだ」と受け止めて、興味のままに進んでみることにしていると言葉にする。
相樂 「新卒でロフトワークに入ったばかりの頃、『あの人といえばこれ』と言えるような、何かひとつを極めた人になりたいと、すごく思っていたんです。それをロフトワーク共同創業者の林千晶さんに話したら、『これからの時代は、色々なことができる人を“つなぐ人”の存在がすごく大事になる。だから、たくさんの領域について知っていて、さまざまな人と会話できることが価値になるよ』って。『ああ、そうなんだ』と、たくさんのことに興味があるのがそのまま強みになり得るんだと、思えた瞬間でした」
自分が楽しいと思える方向に進めばいい。その結果が自ずと、自分だけの強みになる──この確信は、のちのキャリアにおける選択に少なからず影響を及ぼしていく。
ロフトワークを退職した相樂は、オランダの大学院へ進み、タイポグラフィについて学ぶ予定だった。しかし、渡航が1年延期となり、期せずして生まれた余白の最中、友人経由でメルカリの研究開発部門「R4D」の立ち上げを知った。
相樂 「その話を聞いて、直感的に楽しそうだと感じたんです。それに、留学は延期して将来またチャレンジできるけれど、R4Dの立ち上げに携われる機会はもう二度と訪れない。気づいたら、メルカリへ飛び込む道を選んでいました」
相樂は「何年後かの自分から逆算して今を決める」という選び方をしない。大事にしてきたのは、目の前に「今だ」と思える縁が訪れたら、逃さず反応することだ。相樂のキャリアは、一貫してその繰り返しで形づくられてきた。
つかむのは反射、手放すのは意志
「今だ」と機会をつかむのと同じくらい、相樂が大事にしてきたことがある。“手放す”ことだ。
2026年2月、相樂は約5年間勤めたTakramを退職した。「5年」という数字は、相樂のキャリアにおいて最長の在籍期間だった。
相樂「ユニークなプロジェクトがいくつもあって、いろんな領域の専門家がたくさんいて、毎日さまざまな刺激がある。どんどん新しいことや楽しいことをやっていたら、あっという間に5年が経っていました。
とてもいい環境だったからこそ、この先も働いている自分が自然と想像できました。だからこそ、あえて一度立ち止まりたいと思ったんです。家族との時間や旅、勉強など、人生の時間の使い方を考えたときに、またここで意識的に余白をつくろうと」
決断にあたり思い出したのは、かつてTakram代表・田川欣哉からかけられた言葉だった。
相樂「正確な言い回しは少し違うかもしれませんが、筋肉の仕組みをたとえにしながら、飛んできたものをつかむのは反射的にできるけれど、つかんだものを離すには別の筋肉が必要になる。だから手放すには意志の力が必要なんだ、と話してくださったことがありました。
田川さんにもらった言葉はいつも胸に残っています。楽しいことを手放すのは、いつだって簡単ではありません。でも、手放すには意志がいるのだという言葉を思い出すたびに、意識的に区切りをつけることの大切さも感じてきました。そうしなければ、次の『今だ』にうまく反応できなくなってしまう気がして。本当に感謝していますし、これからも大切にしたいです」
出会いを楽しみ、余白の時間を大切に
Takramを離れた相樂に、今後のことを尋ねてみた。相樂にとって、いま特に大切にしたい“楽しさ”とは何なのか。
相樂 「次に何をするかは、まだ決まっていません。まずは旅をしたいと思っています。海外にも、日本国内にも、まだ知らない場所がたくさんあるし、実家で過ごす時間も大切にしたい。コロナ禍の頃から、時間ができたらもっと移動をしたいとずっと思っていました。距離としての移動だけでなく、縦にも横にも旅をする一年にしたいと思っています」
では、その先に見据えている道はあるのだろうか。今度こそ、独立する選択肢もあるだろう。だが、相樂の答えは一貫していた。
相樂 「ご縁があれば、またどこかの会社に所属したいです。先ほども触れたとおり、やっぱり会社の思想や文化を学ぶこと、チームで働くことがすごく好きで。
それに、チームで働くからこそ出会える学びや楽しさがあると思っています。ひとりでは得られない、というよりも、誰かと関わるからこそ生まれる発見がある。それを知っているからこそ、いまは焦らず、新しい出会いを楽しみながら、この余白の時間を大切にしたいと思っています」
いいものを見れば自分もつくりたくなり、「今だ」と思えば体が動く──縁が訪れ、その先にある“楽しさ”を感じ取ったとき、相樂は迷いなく、また次の一歩を踏み出すことだろう。