デザインと政治は地続きである。小池新二『汎美計画』(1943)を読む:上平崇仁「デザイン古書探訪」#2

デザインや美というものは中立的なものではなく、政治的なものなんです。文字列は変わらなくても、それを誰が決めるかで意味が変わってしまう。

デザインのトレンドは、目まぐるしい速さで移り変わっていく。意匠に限った話ではない。注目される概念、価値発揮する領域、担うべき役割……「〇〇デザインから●●デザインへ」という標語とともに毎年のように新たなキーワードが浮上し、このdesigningもそうした移り変わりを追いかけ続けている。

しかし、歴史から振り返って見てみると、果たして“デザイン”とは次から次へと入れ替わってゆくものなのだろうか?「過去」には、立ち返るべきポイントはないのだろうか?

連載「デザイン古書探訪」では、その重要性にもかかわらず近年はあまり顧みられていない、過去のデザイン書を取り上げている。コ・デザインやデザイン人類学など領域を横断しながら活動するデザイン研究者の上平崇仁の導きのもと、designing編集部の小池真幸が聞き手を務め、“デザイン古書”を再読してその現代的示唆を考えていく。

デザイナーの神格化と苦しみ。大出才無『デザイン馬鹿』(1970)を読む:上平崇仁「デザイン古書探訪」#1
https://designing.jp/design-archives-studies-01
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第2回で取り上げるのは、小池新二『汎美計画』(アトリエ社、1943)。

戦時下において、カタカナが「敵性語」となって使用が封じられたことはよく知られている。外来語だった“デザイン”も、日本語での置き換えが模索された。そうした時代背景において日本のデザイン教育の礎を築いた重要人物が、どのようにデザインを論じていたのかが記された文献、それが『汎美計画』である。

現代の価値観からすると当然ながら衝撃的な内容だが、しかし衝撃的であるからこそ、それを直視することは、現代にも通ずる「デザインの政治性」にかかわる重要な示唆を与えてくれる。

上平 崇仁(かみひら・たかひと)
デザイン研究者。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、専修大学ネットワーク情報学部教授、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て、2026年より立命館大学デザイン・アート学部教授。日本デザイン学会理事。㈱ACTANTデザインパートナー。著書に「情報デザインの教室」(丸善出版/共著)、「コ・デザイン―デザインすることをみんなの手に」(NTT出版/単著)など。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑/厄介な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学の視点を取り入れた自律的なデザイン理論について研究している。

全体主義と「生活」のデザイン


──第2回で取り上げるのは、小池新二『汎美計画』(1943)です。前回の『デザイン馬鹿』(1970)が戦後のカウンターカルチャーの文脈から出てきた本だったのに対し、今回は戦中の本ですね。

著者の小池新二は当時40代前半、職業人としては脂が乗ってきた時期にこの本を書いています。この本を読んでまず強烈に印象に残るのが、ナチス・ドイツや全体主義の芸術政策について肯定的に日本に紹介している点ですよね。

なぜこの本が重要かというと、デザイン政策の重要性は戦後、豊かになってから議論されるようになったように思われているけれども、戦争の中でも行われていたことを明確に示しているからです。そしてデザインの力というのは確かにあるのだけれど、その力は結局「状況」の中で使われる。全体主義の時代に、その体制を強化するためにいかにしてデザインが使われていたかということが、色濃く表れています。

元来ナチスの芸術政策にあつては、建築と云ふ総合的な構成藝術がその統一的組織性の故に高く評価されていて、ヒトラー総統もその文化演説に於いてしばしば建築の重要性を説き「建築芸術は音楽芸術とともに人類の発見した最も強力な芸術であり彫刻や絵画や工芸を規定するものである」と述べている。此の統一的総合性の尊重は、必然的に造形美術全体を通ずる様式創造の努力を生むと共に建築を焦点として生活文化的な総合を意図するに至っている。

『汎美計画』p46 ※引用部の旧字体はすべて新時代に置き換えています(以下同様)

──ナチスは現代では絶対的な「悪」としてしか語られませんが、小池新二という当時の一線級のデザイン理論家が、新しい生活を実現してくれる革新的な存在としてナチスを捉えていたことには驚きました。

今の僕らの視点から見ると、全体主義にかかわる記述が非常に際立って読めてしまいますよね。でも、これは日独伊三国同盟があった第二次世界大戦の末期という時代背景を考慮したたうえで理解すべきでしょうね。

ただ、そこだけに注目して批判すると彼の理論のポテンシャルを見誤ってしまうとも思います。昨夏、『福岡アート&デザインの開拓者 小池新二展』(2025)が博多の小さなギャラリーで開催されました。私もそれだけを見るために弾丸旅行で博多まで行ったのですが、その際、企画者の武田義明さん(九州芸工大2期生)は、「ナチスの記述が印象に残るけれど、彼の根本はそこ(全体主義)ではないのではないか」と読み解いていました。

「小池新二展~福岡アート&デザインの開拓者」 – ギャラリー風
http://artwind.jp/%E3%80%8C%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E6%96%B0%E4%BA%8C%E5%B1%95%EF%BD%9E%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%86%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%96%8B%E6%8B%93%E8%80%85%E3%80%8D/
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撮影:上平崇仁

たとえば、第1部の冒頭では、彼が住んでいた武蔵小金井あたりの農村の共同体の話が書かれています。ここでこの武蔵野の村にある伝統的な生活を非常に高く評価し、それこそがドイツ人のいう「ゲマインシャフト(Gemeinschaft)」だとして大事だと説いているんです。そもそも第一部の始まり、つまり本全体の一番最初にはこんな言葉が引かれています。まさに、生活を基盤にデザインを考えていたわけです。

すべての「造形」は、「生活」から出発する。高遠な理想から卑近な日常の起居に至るまで、戦う民族の活動から憩ひ睡る個人の動作に至るまで、力強い生活の営みがあってこそ初めて造形の華は開く。斯くて生活は「汎美計画」の基礎である。

『汎美計画』p2

彼がこの話を本の一番最初で論じていることは重要だと思います。「新体制の下に作りあげられた部落の常会は、農民達の営んできた日待ちの寄合に比べて、どうも文化性に欠けているようである」(p11)と。自分たちでつくり上げてきた生活に対して、体制側から上から無理やり押し付けるだけでは、どこか欠けてしまうのではないかと指摘しているわけです。

──トップダウンの全体主義ではなく、ボトムアップで生活文化を作り上げる営みを重視していたと。たしかに、序盤に「生活」というキーワードが頻出するのが印象的でした。

ええ。現代の人類学者アルトゥーロ・エスコバルの言う「オートノマス・デザイン(Autonomous design=自治・自律的デザイン)」と近いことを言っている気がします。小池はこうした「自治」的な生活を大事にしようというところを基点にしていたのだと思います。

「社会運動」の視点からデザインを捉え直す。『多元世界に向けたデザイン』に寄せて──奥田宥聡、水内智英、森田敦郎
https://designing.jp/designs-for-the-pluriverse-report2
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「専門なき専門性」としてのデザイン


──デザインが持っている強さと、それゆえの怖さがよく伝わってきます。そもそも、著者の小池新二という人はどういう人物だったのでしょうか?

外交官のもとに生まれ、東大を出たエリートです。彼は日本を代表するデザイン教育拠点である、帝国美術学校(多摩美・武蔵美の母体)、東京高等工芸学校(現・千葉大工学部)、そして九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)という3つの学校の創設に関わっています。実はいまの日本のデザイン教育に、彼の思想は色濃く反映されていると言えるでしょう。

いろんなエピソードがある方ですが、まず語学が非常に堪能だったことです。自宅を改造して「海外文化中央局」という大層な名前の看板を作り、世界中の雑誌社に「私は日本の海外文化中央局である。あなたたちの出版物を紹介するから、本と写真を一冊タダで日本に送ってくれないか」と手紙や電報を書きまくったそうです。

個人事務所なのに、公的機関のような名前をつけることで海外の人には信用に値するところから依頼が来たと思わせる(笑)。そのトリックを使って、世界中の最新情報をタダで手に入れていた。当時の日本で一番、海外のデザイン事情に精通していた人といわれています。

──すごいハッカー的な手口ですね(笑)。

先述した小池新二展では、オットー・ノイラートに宛てた「親愛なるノイラート博士、私は日本の小池新二である」というタイプライターの手紙も展示されていました。そうやって対等に海外の最新情報を日本に翻訳して輸入していたわけです。世界のデザインの議論を追いかけている人は少ない時代でしたから、彼の貢献は計り知れないでしょうね。

ただ、先ほどのように農村の生活を評価していたことも事実で、ヨーロッパのものを入れてもうまく機能するわけではないという矛盾に、彼自身も悩んでいました。そして徐々に関心をアジア方面に向けていきます。誰もが西洋文化を疑わず、ありがたがっていた時代に。

撮影:上平崇仁

──欧米の最先端のデザインの輸入と、農村のヴァナキュラーな生活をともに重んじていたと。

実際、彼は九州芸工大の学長になったときに「混沌が大事だ」と言っていたそうです*1。荘子の寓話で、のっぺらぼうの「渾沌」という王様に、周りが良かれと思って目や鼻など7つの穴を開けてあげたら、死んでしまったという話があります。合理性によって、よくわからないものを整理整頓してしまうと、生命が息絶えてしまうという意味です。これが後に彼が学長を務める九州芸工大の理念を象徴する言葉のようになっています。

彼は「分析的なだけではダメだ」といち早く言っていた。ビジョンこそがコーディネーションの原動力となる、デザイナーは設計過程において、絶えず全体像へフィードバックしながら部分処理するのであって、科学的な論理的思考と主観的なバランスを両立させなければならないと。

専門分化していくデザインに対して危機感を抱き、いかに全体性を保つか。「専門なき専門性」としての水平的なデザイン。近年のデザイン業界においてもホットなテーマの一つですが、彼ははるか昔からその必要性を力説していたわけです。

*1

小池新二「大学を創る」(『工芸ニュース1』vol.39, 1971, 工業技術院製品科学研究所、丸善株式会社

デザインの政治性と、根底にある「美的感性」


──あらためて『汎美計画』に戻ると、本書の第4部は博覧会の話で、写真も多く、少しそれまでのデザイン論とはニュアンスが変わりますよね。

彼は「啓蒙と宣伝」を重視していて、「宣伝は文化の触手だ」という言葉も残しています。また『汎美計画』の後半では、ヒトラーが道路(アウトバーン)に「風景官」を置いて、風景と人工物の調和を図ったことを称賛しています。

ここにデザインの政治性がよく見て取れます。デザインや美というものは中立的なものではなく、政治的なものなんです。文字列は変わらなくても、それを誰が決めるかで意味が変わってしまう。

ただ一方で、トップダウンに美的価値観を全体主義的に行き渡らせようとしていたわけではなく、一般には「デザイン」と言われないような手仕事もしっかり見ていました。小池の別の著書『デザイン』(1965)では、レンガの次にエスキモーの彫刻やアイヌのイナウを図版で取り上げています。呪術的な意味での形象性を積極的に評価していたんです。

『デザイン』より。撮影:上平崇仁

──生活者のためのデザインを説きつつ、それがナチスのような全体主義的な変革と地続きになっている。生活に目を向けることが、ファシズムの肯定と地続きであるという点に怖さを感じます。

まさにファシズムは狂気的で生活から乖離したもののように感じるけれど、むしろ生活文化に根ざして普通に幸せになろうということが、どこかで過激化したという側面がある。その背景には当時の人々が感じていた切実な社会不安があって、昔も今も世界情勢とは切り離せないんですよね。デザイナーはその同居している感覚を知っておくべきです。

デザインが生み出す小さな幸せが巨大な暴力と接続しうるという怖さを忘れてはいけない。デザインと政治は地続きなんです。

しかし、小池はまた、「デザイン」というものに含まれる根本的な矛盾も見ていました。デザインという営みのもつ危うさに、彼は自覚的だったのです。『デザイン』は60年前の一般向けの本ですが、デザインの経緯を押さえながらも批判的に軌道修正していくべきであることを、こんなふうに力説しています。

 そこでは、ものは創られる代りに、無限に動いていくラインになります。このような状態のもとでは昔のような「美」を求めることはできなくなり、何か新しい、たとえ「美」ではなくとも直ぐ目につく、アトラクチヴなものイカスものを工夫しなければならなくなり、このようにして、ものの根源的な存在と接触を失ってしまった世界に、何らかの秩序を与えるべく、デザイナアが呼び出されてきました。従ってこの新しい職業の発生には、最初からおずおずした気弱さがあったようです。何か「美」に似たようなものを取戻すためのトリックがデザイナアに期待されました。最初にあった「形」というものが、今は最後に加えられるものとなったので、デザイナアは広く選択され、各種各様の要求に応じて「形」をサービスすることになりました。

 こうしてデザインはものを変装させる包装のようになり、デザイナアはものの本質よりは、より多く市場に関心をもつ広告業者の親類みたいになってきました。

 そこで、この辺で、もう一度「デザイン」の本質について考え、それが本来、技術文明の所産として、産業革命のなかから生まれてきた由来を検討して、工業デザインの真の立場を確立しようというのが今日の世界的な要請であります。

『デザイン』p103-104

デザインが向かう先は、結局のところは人の判断にかかっています。近年はデザインの問題解決の側面が強調されることが増えてきましたが、もともとは小池新二が言っているような「高い次元で統合しようとする精神」*2が埋め込まれていたんだと思います。AIが答えを出してくれる時代だからこそ、丸投げしてすぐ終わらせるのではなく、「その答えじゃダメだ」としつこく別のありかたを見出していくような、美的感性の問題に回帰していくんじゃないでしょうか。

*2

九州大学デザイン基礎学センター Essential Concept「高次のデザイン」https://www.cdfr.design.kyushu-u.ac.jp/lexicon/2015/

Credit
撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

聞き手・執筆・編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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