メガバンクの顧客体験をLTV経営とAIが変革する理由——三菱UFJ銀行 長谷川亘

NTTデータのグローバルデザインスタジオ「Tangity」は、例年グローバルで「Tangity Directions」というイベントを開催している。"We humanize complexity."をミッションに掲げる同組織らしく、デザインの役割やその今後について考え語らう機会として、拠点ごとに運営をしているという。

2025年10月30日に開催された「Direction25 TOKYO」では「共鳴する未来」をテーマに設定。この変化が著しいAI時代に、CX、EXの両面から"人と組織の体験"について考える共創の場を設けた。designingでは全3本にわたり本イベントプログラムのレポートを掲載していく。

1:“人起点”で拡張し続ける、トヨタのUX——トヨタ自動車 山田薫
2:メガバンクの顧客体験をLTV経営とAIが変革する理由——三菱UFJ銀行 長谷川亘(本記事)
3:coming soon...

3,400万口座──三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)が抱える、国内最大規模の顧客基盤を示す数字の一つである。

2024年、同社はリテール(小口取引)戦略において、「2〜3年での短期収益化」というそれまでの常識から「LTV(顧客生涯価値)」を最重視する方向へと舵を切った。これは目先の利益ではなく、顧客との長期的な関係性、すなわち“体験”へ本格的に投資するという意思表明とも受け止められる。

その戦略のリアルが、NTTデータのデザイン集団Tangityが主催する「Direction25 TOKYO」で語られた。CXデザイン室の室長を務める長谷川亘が登壇。「CX×AIで実現する金融サービスの未来」と題したセッションでは、CXデザイン室誕生の背景から、NPSとLTVを結びつける独自の実践、AI時代の展望まで、三菱UFJ銀行の顧客体験を軸とする思想が網羅的に共有された。

「LTV×顧客基盤の拡大」の中枢を担う、CXデザイン室

冒頭でも共有したように、MUFGでは現在約3,400万もの個人預金口座を抱えている。

この膨大な取引数のうち、個人顧客のリテール(小口取引)に注力しているのが、CXデザイン室が設置されている「リテール・デジタル事業本部」だ。リテールに関する戦略立案からローン商品やポイントプログラムなどの企画、店舗やアプリなど“顧客接点”になる各チャネルの管理まで、担う役割は多岐にわたる。

そのなかで、CXデザイン室はより良い“顧客体験”の実現を目指す組織として2024年に立ち上がった。この組織が生まれた背景には、同社のリテール戦略における“意識変革”があった。

長谷川「2024年4月に策定した中期経営計画で、リテール・デジタル事業本部は新たに『ずっとつながる、ずっとよりそう』をスローガンに掲げました。そして、その達成へ向けた最重要KPIが『LTV×顧客基盤の最大化』です。

ご存知の通り、LTVとは『一人の顧客が、生涯を通じて自社にどれだけの利益をもたらしてくれるかを示す指標』のこと。この新方針が、弊社のリテール事業にとっては大きな転換点になったんです」

長谷川 亘|株式会社三菱UFJ銀行 リテール・デジタル企画部 カスタマーエクスペリエンス・デザイン室 室長。2001年、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。本郷支店および営業本部にて法人営業を経験後、2008年、三菱UFJ証券(現:三菱UFJモルガン・スタンレー証券)にてM&Aアドバイザリー業務に従事。その後、U.C. Berkeley Visiting Scholar、経営企画部購買戦略室統制Gr次長、経営企画部会長行室次長、デジタルサービス企画部企画Gr次長を経て、2024年より現職。

LTVと聞くとtoCビジネス、特にITサービスの世界では、もはや「当たり前」の指標と感じる読者も少なくないかもしれない。しかし、同社においてそれは“当たり前”ではなかった。というのも、同社にとって“収益化”は短期回収することが常識だったからだ。

長谷川「法人や海外顧客が相手となる場合、その多くは3〜5年での収益化・成果を出していくことを目指します。リテール事業でも、その時間軸に固執してしまっていたのです。ですが、想像してみてください。たとえば、22歳で新規口座を開設したお客様が、25歳になるまでに達成できる収益化には限界がありますよね。多くの場合、22歳からの数年間では、お客様が取れる行動や弊社が提供できるサービスに限りがあるからです。

そうではなく、その方が80歳、90歳と年齢を重ねる間に、どれだけ弊社の商品やサービスを利用し続けてもらえるかを考えるべき。こうした考え方のもと、長期的な時間軸でリテールの戦略を立てる方向へと、舵を切ることになりました。これが、“LTV”を最重要KPIとして設定したことにつながっています」

なかでも同社が大切にするのは、新規獲得数、顧客一人あたりのクロスセル率、継続率の3つの数値だ。これらが伸びていれば、自ずとLTVも向上していく。

しかし、このうちの「継続率」に、長谷川が「不都合な真実」と表現する課題が存在していた。そして、それこそが“顧客体験”への着目のきっかけにもなっていったという。

長谷川「約3,400万の口座数を強みと申し上げましたが、そのなかには利用されずに放置されている口座も少なくありません。こうした休眠口座を可能な限り減らし、"アクティブ"な口座・メインバンクとして使われている口座を一つでも増やし、継続的に利用される状態にしなければならない。改善施策として、ポイントプログラムなどいくつかの手は打ち始めていますが、利得性だけでは限界があると思っています。そこで着目したのが、より良い体験を通して顧客との長期的な関係性を構築していく『顧客体験』というテーマです」

短期から長期へ──リテール収益の時間軸を変える

その顧客体験を担う組織として立ち上がったCXデザイン室は、いかなる役割を担っているのか。長谷川によると、活動の軸は、「CXマネジメント」「プロダクト」「ブランド」「デザインオプス」に分けられるという。

なかでも、本セッションの主題と特につながる領域が「CXマネジメント」だと長谷川は説明する。自社の健康状態を知るべくCXの状態を計測・把握する「CX指標調査やインタビュー・VoCなどのリサーチ」、調査結果をビジネス要件に合わせて一覧化する「マクロマップ」、明らかになった課題を解決していく「CX改善サイクル」。この3つから構成される。

同室が行うCXマネジメントの第一歩は、自分たちの現在地を直視することから始まった。NPSや総合満足度など複数の指標を用いることで、自社が提供する“顧客体験”が世の中でどう評価されているのか、大規模な定量調査を実施したのだ。

調査結果は「どの指標をとっても他行に“完敗”」だったという。長谷川にとって、CXデザイン室が向き合う課題の大きさと、その解決に取り組む意義をより強く感じた出来事だった。

とはいえ、単に「NPSが低い」だけでは、顧客体験の改善がいかに重要かを社内で理解してもらうのは難しい。そもそも「CXが大事」と訴えるだけでは、巨大な金融機関の中で何かを“動かす”のも容易ではないだろう。

そこで長谷川らが選んだのは、CXというどこか曖昧さも含む概念を、徹底的に「ビジネス要件」と「定量的データ」を用いて具体化する、実直なアプローチだった。地道な取り組みの結果、顧客体験の改善がいかにLTVの向上につながるかを、"データで証明できる"状態を構築し始めている。

長谷川「現在では『NPSが高い顧客はLTVも高い』ことを、データで証明できる段階まで来ています。さらに、NPSが高い人ほど平均の商品保有率も高く、逆に低い人ほど保有率も下がる、という傾向も定量的に少しずつ理解できてきました」

それらの多様なデータを統合し、顧客体験とビジネス指標の結びつきをシビアに可視化していくのが「マクロマップ」だ。最上段に「新規顧客数」「継続率」「クロスセル率」といったビジネス指標を置き、その下に「口座開設」「商品を知る」などの顧客行動、さらにその下に「ATM」や「店頭ロビーテラー」といった接点ごとのCX指標調査で使う約60項目の結果をマッピングしていく。

長谷川「マクロマップによって、『体験のどの部分が問題で、ビジネス指標にどんな影響を及ぼしているのか』を可視化していきます。このマップをたたき台にすれば、ビジネス指標の向上のために顧客体験のどの部分を改善すべきか、改善すればどういうビジネス影響を得られるのか、職種を問わずより建設的に議論できるんです」

CXという概念を、約60項目にも及ぶ詳細な分解と独自のデータ収集を用いて、さまざまな部署が理解できる具体的な内容へと落とし込む。この徹底した実践こそが、LTVという経営指標とCXの接続を可能にし、巨大組織を動かす起点となっている。こうした一連の取り組みこそが、同行のCXデザイン室が持つユニークさと言えるだろう。

「AIで見つけ、人で気づき、再びAIで確かめる」──AI活用の現在地と未来

ここまで触れた試行錯誤を続ける上で、CXデザイン室では生成AIをどのように活用しているのだろうか。MUFGに目を向けると、OpenAIと戦略的なコラボレーションにかかる契約を締結し、実証段階から本格的な運用段階へと移行するなど積極的な取り組みも見られる。一方、CXデザイン室としては「まだ模索している段階」と長谷川は説明する。

長谷川「たとえば、リサーチにおいて仮想の人格を作って検証したり、施策立案のためのドラフトを作成したり。細かく見れば、生成AIを活用するシーンは確かに増えてきています。一方で、より大きな視点で見渡すと、四半期ごとの調査から改善領域の把握、ユーザーインタビュー、改善点の具体化、施策実装、検証まで、ひと通りをまだまだ人間が担っている状況です。

今後はこれら一連の業務をより速く、より精度高く実行する部分で本格的に導入していこうと考えています。目指すのはAIによる“代替”ではなく、人間との“役割分担”。「AIで見つけ、人で気づき、再びAIで確かめる」。このサイクルを、CXデザイン室の理想に掲げています」

人の役割を「気づき」に定義する背景には、CXデザイン室が描くこれからのデザイナー像があるという。長谷川はその像を「Will(意志)」と「Feel(感覚)」をキーワードに表現した。

長谷川「たとえばAIで分析を行うとして、そもそも何を分析するかを定めるには、人の『意志』が不可欠です。それに、分析結果を踏まえて何かを判断するのも、最後は人の仕事になる。その時、どうしても人の『感覚』が必要になると思っています。これからのデザイナーにとって、こうしたWill(意志)やFeel(感覚)がより大きな意味を持つのではないでしょうか」

同社がAIを単なる効率化ツールではなく、人間の「Will(意志)」や「Feel(感覚)」を支えるパートナーとして捉えている点は示唆的だ。60項目への分解、データによるCXとLTVの接続、そしてAIとの役割分担──三菱UFJ銀行が実践するこの一連のアプローチは、「CXを組織でどう扱うか」という普遍的な問いへの、一つの明確な解を示している。

Credit
執筆
栗村智弘

個人事業主。職能は取材・執筆・編集およびプロジェクトマネジメント。一般社団法人デサイロ、一般社団法人B-Side Incubator、『designing』編集部、ほか複数の事業会社・スタートアップ・Webメディアで継続的に活動中。1996年度生まれ。早稲田大学文学部卒。競技歴は野球、バスケットボール、空手、陸上、ハンドボール。猫とうさぎと神奈川県在住。

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