ROIを評価しづらいからこそ、経営が後押しする。LayerXがデザインへ注力する真意──福島良典×野崎駿×Goodpatch土屋尚史
そもそも『デザイン』はデザイナーだけが担う仕事ではないと思っています。重要なのは、狭義のスキルとしてデザインではなく、組織にデザイナー的な視点や思考を根づかせる『デザインイネーブルメント』ではないでしょうか。
昨今のBtoBスタートアップの潮流を牽引する、LayerX。
2018年に福島良典が創業した同社は、ブロックチェーン領域での事業探索から始まり、現在はコーポレートDXを加速させるSaaSプロダクト「バクラク」シリーズを中心に事業を展開する。本年のシリーズAラウンドで累計約82億円を調達したことでも記憶に新しい。
代表の福島と松本勇気がエンジニア出身なこともあり、テックカンパニーとしてのイメージが強かった。
そんな同社が、創業から約5年経ち「デザイン」に注力する姿勢を示しはじめた。
その先陣を切るのが、2023年1月にデザインマネージャーとしてジョインした野崎駿。GoodpatchでUIデザイナーを統括していた人物だ。氏の参画以降、企業文化に「デザイン」を根付かせるべく一気にアクセルを踏んできた。その一つの成果として表出したのが、同8月に発表されたコーポレートブランドのリニューアルだ。
- LayerX、コーポレートブランドをリニューアル
- https://layerx.co.jp/news/20230801
連続起業家であり、スタートアップの成長に必要な要素を理解する福島は、なぜこのタイミングで「デザイン」への注力を決めたのか?
福島と野崎に加え、かつて福島が創業し上場まで導いたGunosyの最初期のデザインを支援し、なおかつ野崎の“前職の代表”でもあるGoodpatch代表の土屋尚史にも話を聞き、LayerXの「デザイン」を紐解く。
BtoBにおける「デザイン」の可能性と難易度
福島がデザインの可能性を理解したのは、先述した土屋との出会いに起因する。
同氏が大学院在学中に立ち上げ、創業から2年半で上場させたGunosyは、BtoCのニュースアプリを開発・提供していた。そのサービス開発初期に出会ったのが、Goodpatchを創業したばかりの土屋だ。
大学院で機械学習を研究していた福島はその技術の延長でGunosyを着想・開発したため、デザインは専門外。また創業メンバーにも、デザインをバックグラウンドとするメンバーは不在だったという。当時学生だけで開発・運営していた同サービスのデザインを請け負うことを買って出た。
元からの技術力に、Goodpatchのデザインが掛け合わさり、Gunosyの急成長は一層後押しされた。サービスの成長過程で、福島はデザインが持つ力をまざまざと思い知ったのだ。
ただ、Gunosyを経て二回目の起業となるLayerXでは、これまで“あえて”デザインに大きくコストをかけることはなかった。
福島「LayerX創業時の事業であるブロックチェーン関連のサービスも、現在のSaaS事業でも、デザインに大きくリソースを割いてきませんでした。
創業期からいてくれたデザイナーが優秀だったからというのもありますが、そもそも、黎明期の市場での戦いだったり、プロダクトが立ち上げ段階だったりしたからです。言い換えるなら、どんなプロダクトが刺さるのか明確にはわからないような状態。そのため、デザインもしながら試す数を最大化し、PMFを探ることを優先したんです」
とはいえ、それはLayerXにおいて福島がデザインを軽視していたことを意味しない。GunosyのようなBtoC事業に比べると、BtoBはデザイナーからの注目も集まりづらい。なおかつ多くの複雑な要件を満たしつつ、使いやすいプロダクトへと仕上げる必要があり、難易度は高いと福島は指摘する。
しかし、難易度が高いからこそ、デザインによって体験に変化をもたらしたときのレバレッジがかかりやすいとも言える。そうした重要性もよく理解している福島を、十年来の付き合いである土屋はこう説明する。
土屋「福島さんはLayerXの創業初期から、『BtoBこそデザイナーが入ってきたほうがレバレッジがかかる』と言っていました。C向けのサービスでデザイナーと共にプロダクト開発をしていた経験があるからこそ、BtoBでデザインが果たせる役割の大きさも、その難易度も理解している。そういった視座で語れる経営者はかなり珍しいように思いますね」
「前線で好きなように暴れてくれ」
デザインの重要性は理解しつつも、創業から数年はPMFを探ることを最重視し、あえてデザインに大きく注力はしなかったLayerX。
しかし同社は、一定程度ユーザー層が広がった2022年頃のタイミングで、次なる一歩を踏み出す。スペシャリティを持ったデザインマネージャーの採用に向けて動き出したのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時GoodpatchでUIデザイナーを統括していた野崎だ。組織としてもターニングポイントになったであろう野崎の採用には、どういった経緯と狙いがあったのだろうか。
福島「経営陣の間では、定期的に可視化されていない課題を探るようなディスカッションをするのですが、その中で、経営から抜け落ちている『デザイン』の視点の必要性があがったんです。デザインにおける専門性はもちろんのこと、事業や経営への視点を持ち合わせ、デザイン組織を立ち上げられる人材が必要ではないかと」
そうしてスキルとマインドの両方を兼ね備えたデザイナーを探している中で浮かび上がったのが、他でもない野崎だった。Goodpatchで多くの事業会社を支援してきた豊富な経験があるからだ。
野崎へアプローチする中では、経営陣から現場のデザイナーまで、じっくり半年近くの時間をかけて面談を重ねた。その過程で、野崎はLayerXに、「組織全体にユーザーのためのものづくりを徹底する文化が根づいている」印象を持つようになったという。
最後は「前線で好きなように暴れてくれ」との言葉に後押しされ、LayerXへの入社を決意。自身がフロントに立って「デザイン」を企業文化に注入すべく動きはじめた。
野崎「LayerXの事業はもちろん、組織にも高いポテンシャルを感じていました。とはいえ、組織や文化までデザインが浸透し切っていない。だからこそ自分が入ることで、足りないピースを埋め、デザインの力で事業をドライブできる感覚があったんです」
エンジニア出身経営者ならではの、デザインへの目差し
実際、入社後すぐ、デザインを起点とするプロジェクトを複数走らせはじめている。
その一つが、創業から5周年を迎えた2023年8月1日に発表された、コーポレートブランドのリニューアルだ。LayerXが現在重んじる価値観を、社内外に正しく広く浸透させていくべく、企業全体にまたがるアイデンティティを包括的に刷新した。
ただでさえ工数のかかるコーポレートブランドのリニューアルを、わずか半年で、しかも外部から入ったばかりの野崎が完遂できたのはなぜだろうか。そのポイントは、徹底的に事業目線に立った、野崎の入社後の動き方にあった。
野崎「まずは事業や企業の現状を把握しつつ、様々なメンバーの目線を理解するために30人くらいと1on1を行ったんです。当然、入社歴や職種/職位によって、課題だと思っているポイントやその粒度感に違いがあります。開発から営業、経営陣まで広く話を聞き、LayerXが提供している価値や横断して見たときに浮かび上がるデザインに関する課題などをまとめ、経営陣にインプットしました。
その結果、推進すべき施策の一つとしてでてきたのが、コーポレートブランドのリニューアルだったんです」
こうした前提に納得感があったからこそ、「中長期的な視点からROIを捉えて意思決定ができた」と福島は振り返る。
福島「経営目線から言うと、今回のプロジェクトは確かにROIが測りづらいものです。それでも、野崎がまとめてくれた丁寧な整理があったからこそ、意思決定ができた。コーポレートブランドのリニューアルをいち早く行うことが、チームを一体化させたり、会社やプロダクトの価値を顧客や社会に適切に届けたりすることに寄与すると納得できたからです。
また、私自身エンジニア出身ということもあり、ROIでは評価しづらいが後回しにするほど負債が大きくなる課題は、肌感覚として理解できるものがありました。たとえばコードのリファクタリングや基盤の整備などですね。そういった類いのものはROIでは評価しづらいからこそ、経営者が理解して後押ししないといけないんです」
とはいえ、まだ信頼の浅い新メンバーに企業の根幹を支えるコーポレートブランドの刷新を主導してもらうという経営判断は、決して容易なものではないだろう。ここにこそLayerXのカルチャーが表出していると土屋は評価する。
土屋「今回の野崎さんと同様な提案をした場合、多くの企業では『まずは足元の結果を出しましょう』と判断を留保してしまいがちです。コーポレートブランドへの投資は、ROIも測りづらい一方でそれなりにコストもかかる。後押しするには不安が大きいですから。
しかしLayerXでは、信頼残高がまだ十分に蓄積しきっていない就任直後のデザインマネージャーだとしても、コトに向き合って練り上げた提案が投資に値するならば、経営として後押しできた。こうした意思決定を可能にするカルチャーがあるのは素晴らしいと思います」
「デザイン」はデザイナーだけが担う仕事ではない
もちろん、野崎が入社後から取り組んだのはコーポレートブランドに限らない。デザインが関わるあらゆる分野で複数の活動を同時並行で動かしている。その一つには、プロダクトサイドも含まれる。
自身も手を動かしながら、ユーザー体験の向上を組織で標準化していくための取り組みや、ガイドラインの整備。事業の成長を考えた時のプロダクトのブランド戦略の重要性など、組織にデザインの考え方をインストールするべく、縦横無尽に動き回っているという。
これまでのLayerXは、必要最低限の機能を備えた製品づくりを是とするリーンスタートアップ的思想でプロダクトづくりを行ってきた。ただ、企業としての規模が拡大していくにつれて、そうした手法では綻びが生じてきている部分もあるという。
福島「少し前までチームに推奨していたのは、『徹底的に改善のスピードを上げること』でした。試行回数が増えれば増えるほど、顧客にとっていいものができるはずだ、と。
ただ、組織規模が大きくなり、それぞれの部署が各々独立で改善作業をするようになると、プロダクト全体でのデザインや体験の一貫性が失われるとともに、全体の生産性も落ちてしまっていました」
そうした課題感も背景に、組織の根幹となるコーポレートブランドを作り直しつつ、現場のガイドラインも整備し、統一性を取り戻そうとしたのだ。
無論、野崎がデザインのアプローチから組織にとっての北極星を描き出すことで、福島が危惧していた問題が万事解決するかといえば、話はそう単純ではない。理想としては、組織全体にデザインの思想を一気通貫しつつも、各々はこれまでと同じく自律的かつスピーディーに仕事を遂行していくことだ。
野崎「理想と現実といいますか、マーケットをしっかり意識して、足元の改善や新しい価値を提供するスピード感を維持しつつ、それでも中長期で目指すべきところにブレないで向かい続けるのは難しい。だからこそ、採用が重要になってくると考えています。もちろん目の前のプロダクトを改善していくための高いスキルを持った人は重要でありつつ、遠い先にある事業として目指す姿への視点を持てる人が、これからのフェーズでは特に必要です」
野崎は「デザインは銀の弾丸ではない」と警鐘を鳴らす。むしろ共通言語としてモノづくりからコーポレートまで各職種を貫くものとして機能するべきものだという。
「デザイナーは組織のハブとなり、事業をドライブさせる役割を担うべき」というのが野崎のスタンスだ。実際、デザインマネージャーとして入社してから半年強が経過したいま、経営にとどまらず、現場レベルでもデザインに関する議論が増えていることを肌身で感じつつあるという。
そして福島も「デザインイネーブルメント」という概念を引き合いに出しつつ、同意の考えを示す。
福島「そもそも『デザイン』はデザイナーだけが担う仕事ではないと思っています。重要なのは、狭義のスキルとしてデザインではなく、組織にデザイナー的な視点や思考を根づかせる『デザインイネーブルメント』ではないでしょうか。
デザインがデザイナーだけに限定されていると、『これつくったからデザインしておいて』といったコミュニケーションが行われ、社内受発注的な構造や分断が生じてしまう恐れもある。目指すべきは、全員が顧客のペイン解消へ向くことです。デザイナー、エンジニア、営業など、どんな職種でも上流の意思決定に入っていかないことには専門性は活きません」
BtoBこそ、デザインが事業に直結する
対外的にはコーポレートブランドのリニューアルは、一つの大きな成果になると野崎。ただ氏は、入社してから一貫して続けてきたデザインイネーブルメントのための「地道な草の根活動」こそ、今後も愚直に続けていきたいと語る。
野崎「デザイナーの普段の活動や考え方の発信や、デザイナー向けだけではない、組織への勉強会などを通じて、会社全体に粘り強くナレッジや考えを発信し続けていくことを大切にしています。専門性はもちろんですが、デザインを重んじる文化そのものを、全社に浸透させていきたいからです。LayerXは長らくテックカンパニーのイメージが強かったですが、今後は『デザインの会社』としての認知も高めていきたい。それを担うのも、デザイナーだけではないんです」
野崎が入社してから着実にデザインへの向き合い方が変わりつつあるLayerXだが、とはいえ現在全社で200名を超える組織の中で、デザイナーの数は一桁。事業が急成長していることを鑑みると、デザイン組織としてはまだまだ小規模といえる。ただ、土屋はむしろこのタイミングを「良いフェーズだ」と形容する。
土屋「確かに現状は小規模ですが、デザインへの取り組みを本格化させた事業会社の中には、5年程度で急拡大し、現在は上場を経て約100名のデザイン組織になっているところもあります。LayerXは事業面での勢いがあるからこそ、デザインという文脈ではここから一気に駆け上がっていく成長スピードを体感できる良いステージだと思いますね」
土屋の話に、福島も首を縦に振る。今後も、LayerXが提供するプロダクトは拡張していく。しかし、それらは何もせず売れたり、使い続けられたりするわけではない。地道なプロダクトの磨き込みや、顧客との関係性構築、一貫した体験作りなどは不可欠。その意味でも、「デザインが価値発揮するフィールドは増え続けていくだろう」と福島。
デザインが価値発揮するフィールドの拡張は、野崎自身すでに身をもって感じはじめているそうだ。特に、BtoBプロダクトだからこそデザイナーが経験できる面白さがあると力説する。
野崎「BtoCよりBtoBプロダクトのデザインの方が、ユーザー体験にこだわったときに、事業へのインパクトがより強く跳ね返ってくる感覚を持っています。
BtoBのプロダクトづくりやデザインは、機能提供ばかりが重視されるように見えるかもしれません。しかし、実際は逆。もちろんフェーズにはよるものの、機能だけではすぐに模倣されて、プロダクトごとのイメージの違いは伝わりづらくなる。だからこそ、選ばれるための体験やビジュアル、ブランドイメージなど、方々に頭を捻りデザインが向き合わなくてはなりません。難易度が高いですが、腕の見せどころだと思っています」
テックに強みを持つLayerXのようなスタートアップにデザインの力が注入されることで、企業が持つポテンシャルは解放される。福島が「デザイン」にアクセルを切ろうとする狙いもまさにそこにあるのだろう。コーポレートブランドのリニューアルは、デザインによってLayerXが加速し、飛翔していく序章にすぎないはずだ。