エミー賞受賞の映像クリエイターは、なぜ医療ベンチャーへ?映画制作の夢が「事業家」へ変容した軌跡──エムスリー後藤大輔

違う世界に転生したという感覚なんです。これまでのスキルを活かしたっていいし、全く新しいことを身につけてもいいと思っている。

Apple、Microsoft、Marvel Studios……。世界的企業のCMや映像にLOGANで携わり、2021年にはテレビドラマ界のアカデミー賞とも称されるエミー賞を、モーション・デザインの部門で受賞した日本人映像クリエイターがいる。

後藤大輔。現在は医療ベンチャー・エムスリーにて、モーション・デザイナーとして活躍する。

子どもの頃の夢は映画監督。約20年間、映像クリエイティブ一筋でキャリアを築いてきた。元々、医療業界への興味はなく、エムスリーとの出会いも全くの偶然だった。

だが、後藤は「エムスリーの仕事が今までで一番誇りを持てる仕事だ」と、満足そうに語る。さらに氏の現在の目標は、映像クリエイターのプロではなく「事業家」だという。

一体、何が後藤のキャリア観を変えたのか。「何のために映像をつくるのか」を問い続けた半生をたどる。

ロサンゼルスで積み重ねた、映像クリエイターとしてのキャリア

父親の影響で子どもの頃から映画をよく見ていたという後藤は、自然と「映画に関わる仕事がしたい」と思うようになっていった。

そうして進学先として選んだ分野が、3DCGだ。後藤が中高時代を送った1990年代は、3DCG技術が飛躍的な進歩を遂げた時期。「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」「トイ・ストーリー」など、3DCGがふんだんに使われた映画が注目を集めていた。

学ぶなら本場で、という思いのもとロサンゼルスへ留学。在学中は3DCGだけでなく、2Dの編集技術など自分の興味のある分野を独学で学んでいった。

それが結果として他の生徒との差別化となり、数多くのインターンの機会に恵まれた。その中で出会ったのが、モーショングラフィックスタジオのLOGANだ。

Apple、サムスン、プラダ、ナイキ、アディダス、スターバックス、トヨタ。挙げればキリがないほどの有名企業のブランディングを手がける同社で、後藤はインターンとしての活躍が認められ、そのまま就職。AppleやMicrosoftなどのCMを手がけるようになる。

ただ後藤にとって、LOGANでの一番の転機は、後にエミー賞を取るほど評価されたモーション・グラフィックス自体との出会いだろう。

後藤「これまで映像の合成しかしてこなかった自分にとって、めちゃくちゃかっこいいと思えたんです。世界的にもイベントが各地で起こるほど盛り上がっていましたし、次はモーション・グラフィックスの時代だと思い、一気にその世界にハマっていきましたね」

学生時代の3DCGや2D映像の編集と同じように没頭し、技術を磨く日々が続いた。その成果を見込まれ、後藤にとってご褒美のような仕事が舞い込む。毎年、世界中から約2,000作品の応募がある、イギリス発のモーション・グラフィックの祭典「onedotzero festival」のオープニング映像を任されることになったのだ。

後藤「onedotzero festivalは、いつかは出展してみたいと思っていたイベントだったんです。そのオープニング映像を任されることは、自分にとって、出展して賞をもらうよりもすごいことだと興奮しました。納期はたった1週間でしたが、何とか映像をつくりあげました」

映像自体は大好評だった。しかし、それと同時に後藤は、ある意味「満足した」ような感覚に陥ったと振り返る。

後藤「一方で、すごい仕事に携わらせていただいた経験はあったから、仕事をするには困らないだろうという慢心もありました。そこで、一旦日本に帰国することにしたんです」

念願の映画制作に携わるも、別の道へと踏み出す

日本に戻った後藤は、エンターテイメント領域のCM制作や、安室奈美恵や浜崎あゆみをはじめとする著名アーティストの仕事を手がける日々を送った。

だが、帰国して約5年が経った2011年に、後藤をアメリカへと引き戻す出来事が起こる。学生時代から、ともに夢を追いかけていた友人の死だった。

後藤「卒業制作を一緒にやっていた友人でした。彼は映画の仕事をしていたんですが、本当は僕のしているモーション・グラフィックスの仕事がしたかったんです。一方、僕は元々映画の仕事がしたいと思いながらモーション・グラフィックスの仕事をしていた。お互いに今やっている仕事がそれぞれが本当にやりたい仕事、という状況でした。

その友人が、病気で亡くなってしまった。とても悲しい気持ちになったのと同時に、思ったんです。自分が映像の道に進んだ時に持っていた夢を諦めていいのか、と」

この出来事をきっかけに、後藤は当時働いていた会社を辞めて、映画をつくる道を模索しフリーランスとして活動を始める。ただ、映像制作の仕事に追われ、なかなかその機会を見出せずにいた。

しかし、独立から4年後。古巣であるLOGANから「うちに戻ってこないか」と声がかかる。それが転機となり、Marvel Studiosの制作する映画『アントマン&ワスプ』(2018年公開)や、エミー賞を受賞することになるApple TV+で配信されているドラマ『CALLS』(2021年公開)に関わることができた。


映像制作に携わり始めてから18年。後藤はついに、映画の仕事に携わるという夢を達成したのだ。

しかし、ここから映画制作に携わり続けるのかと思いきや、後藤は違う道を歩むことを決める。

そこには二つの理由があった。一つは、映画の制作もそれ以外の映像制作も、自分が携わる範囲や楽しいと思える瞬間には、大きな違いがないとわかったこと。であれば、映画にこだわる必要がないと考えたのだ。もちろん、一度は映画制作を経験してみたからこそ、出た結論だろう。

そしてもう一つが、自分の死を意識したことだ。きっかけは、健康診断の結果、8年積立の生命保険へ加入できなかったことにある。その事実を知ったとき、「自分は8年以内に死ぬのかもしれない」と感じたという。同時に、この先の人生を考えざるを得なくなった。

後藤「これからどんな仕事をするべきなのかを真剣に考えました。まず考えたのが、子どものことです。子どもに誇れる仕事をしよう、と。そう思ったとき、当時の主な仕事であったCMはベストな選択肢なのか、疑問に思いました。

確かに、一時の熱狂をつくることはできる。Appleの仕事で、Mac Book AirやiPodのCMを手がけたときは、自分自身も友人たちもこの仕事を誇りに思っていました。ですが、CMは良くも悪くも、熱狂が終われば大半が忘れられてしまいます。そうではなく、もっと未来に残り続ける仕事をしよう。そう思って転職活動を始めました」

未開拓な業界で、モーション・デザインの価値を証明したい

子どもに誇れる仕事をする──その軸で転職先を検討する上で、後藤には一つ意識していたことがあった。

後藤「将来、子どもが仕事を選ぶ上で、僕が伝えられることを増やしたいと思いました。フリーランスと中小規模の制作会社は経験したことがある。だから、今度は大企業で働こうと」

当初後藤が目指したのはGoogleだった。モーション・デザインの経験を活かし、UXモーションデザイナーとして働こうと考えたのだ。Appleや一流アーティストとの仕事を数多く経験してきた後藤にとって、トップレベルの企業を目指すのはおそらく自然なことだったのだろう。LOGAN時代のつてを辿り、面接に挑戦する機会を掴み、見事入社を決める。

しかし、その数ヶ月後にビザのトランスファーができず、日本への帰国を余儀なくされてしまう。せっかくの内定が、白紙に戻ってしまったのだ。

それでも後藤は帰国後、同じようにモーション・デザインが活かせる企業を探す。ただ、日本ではまだ職種の認知度が低いこともあり、これまで仕事で携わっていたアニメ業界や映画業界などでは、新しい取り組みに予算があまり割けないという状況だった。

そこで、後藤は視点を変えた。予算が潤沢な業界に、モーション・デザインの価値を伝えることができれば、仕事をつくれるのではないかと考えたのだ。そうして出会ったのが、医療業界だった。

後藤「当初は医療業界なんて全く選択肢になかったのですが、よくよく考えてみれば、自分は両親も弟も薬剤師で、親戚もほとんどMR。これも運命かもしれないと、直感的に思いました」

その後、後藤は「医療 デザイン」というキーワードで検索をかける。そこで一番上に出てきた企業にアプローチしようと考えたのだ。とてもシンプルなアイデアだが、そもそも需要があるかわからない自分の職種の価値を伝えるには、会って話した方が早いと思ったのだろう。

そのアイデアを実行した結果、一番目に出てきたのがエムスリーだった。面談に出てきたのは、CDOの古結隆介。古結自身、映画好きで学生時代に映像制作もしていたことから、最初から意気投合していった。その後、CTOの山崎聡や代表の谷村格との面接を経て、入社を決意する。

後藤「入社を決めた理由は二つあります。一つは、『エムスリーを世界トップレベルのブランドにしたい』という古結さんの目標に、映像のプロとして貢献できると思えたこと。

もう一つは、医療業界に携わることに、納得感しかなかったこと。医療が進歩することで、損する人っていないじゃないですか。こんなに子どもに誇れる業界はない。古結さんも、山崎さんも、谷村さんも、みんなそこに向かって本気だと感じ、一緒に働きたいと思いました」

「一億円相当の利益」を追う中で生じた、クリエイター観の変化

入社後、後藤には「映像で一億円相当の利益をあげる」という目標が課せられた。いちクリエイターが抱える目標にしては、無理難題に見えるかもしれない。そもそも、クリエイターに明確な数値目標を持たせること自体も珍しいだろう。

だが、ここには明確な意図があった。CDOの古結が語っていたように、数値目標を追うことで、クリエイティブの向かう先を明確にし、クリエイティブの事業に対する貢献度を可視化できるからだ。

デザインの数値化が「余白」を生み、その余白こそ「事業に資する」──エムスリー CDO・古結隆介
https://designing.jp/m3-kogetsu-a2y
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とはいえ、制作会社に働いていた頃には考えられない目標の立て方であることは事実だ。ひるんでしまいそうな気もするが、後藤はむしろ「面白そう」という感覚が強かったという。

後藤「これまで社内には映像チームなんてなくて、全てが手探り。目標に対しても『はい』と言うしかなかったというか(笑)。でも、これまでやったことない挑戦だったので、シンプルに面白そうだと思いました」

結論、後藤はこの目標を見事に達成する。その方法は「一本あたり100万相当の利益をもたらす映像を約100本撮る」という、非常に泥臭いもの。単純計算しても、1年間3日に1本は映像をつくり続けていたことになる。



無論、単に「つくること」だけをし続けていたわけでもない。映像が関わるプロジェクトをつくるため、後藤はチームメンバーや視聴者となる医師などとのコミュニケーションをしつこいくらいに繰り返したという。

後藤「相手の課題がわからないことには、映像がどう活かせるのかもわかりません。制作会社の時は、自分の仕事が始まるのは、すでに受注が決まった後。何を伝えたいかも決まっているので、とにかく手を動かして、早くアウトプットすればよかった。

一方、エムスリーではそもそも映像の仕事を生み出すところからがスタートです。課題の解像度を上げるために、何度も何度も対話を重ねました」

だが、想像で話しているだけでは限界がある。後藤はとにかく素早くアウトプットを出し、共有することを心がけた。エムスリーには、完成度が20%の状態でもまずアウトプットを出す「2割共有」の文化があるというが、氏もまたそれを体現してきた。

ユーザーやメンバーと対話を重ね、プロトタイプを共有し、一緒に事業課題を解決するアウトプットをつくっていく。まるで、プロダクトデザインをするようなプロセスに没頭する中で、後藤の中での映像クリエイター観も変化していったという。

後藤「これまでの自分の仕事は納品がゴール。その後、プロモーションした商品がどれくらい売れたかを気にすることはありませんでした。どちらかというと、誰にもできないような表現を考えたり、他の人が持ってないスキルがあったりすることが、良い映像クリエイターだと思っていました。

でも、エムスリーでは、受け手と対話する機会があり、ちゃんと観てもらえているのかを一層意識するようになりました。伝えたいことがちゃんと伝わっているのか、自分の評価よりも、映像そのものの評価や価値を意識するようになったんです。結果、自分の今持っているスキルにこだわることもなくなりました」


転職というより「転生」。次に目指すのは「事業家」

エムスリーに転職して3年目を迎えた後藤。2年目の目標は「2.4億相当の利益」だったが、それも達成。現在は、4.2億相当という目標を追っている。しかし目標が倍に増えても、それを面白がる姿勢は変わらない。

後藤「エムスリーのやっていることにすごく誇りを持っているんです。Appleのような著名企業の仕事も素晴らしかったですが、健康という領域は、全ての人にとって興味のあること。

エムスリーが価値を提供できる人が増えれば、医療のレベルが上がって、一人でも多くの人が健康になる。それは、結局自分や家族のためでもあります。だから、目標が高くなっても、全然ストレスに感じないですね(笑)」

これから先、後藤はエムスリーでどんな挑戦をしていきたいと考えているのか。後藤は二つの答えをくれた。

一つは「エムスリーのブランドを世界一にすること」。そしてもう一つが「事業家になること」だ。業界だけでなく、自らのキャリアも180度変えていく。そうした自らの姿勢を、後藤は「転生」という少し変わった表現で語ってくれた。

後藤「エムスリーへの転職は、違う世界に転生したという感覚なんです。これまでのスキルを活かしたっていいし、全く新しいことを身につけてもいいと思っている。これまでとは違う世界なんだから、以前の世界と比較してもあまり意味がないかなと。

だから映像だけにとらわれずに、自分で事業を立ち上げるという新しいゲームに、全力で没頭したいと思っているんです」

目の前のことを突き詰めるほど没頭しながらも、必要とあればすぐに次のフィールドに移り、新旧のスキルを掛け合わせ自分の価値を証明してきた後藤。過去にこだわらず、常に新しいスキルを得ながら、それを掛け合わせ、自分の活躍の場を自らつくっていくこと。そうした姿勢こそ、外部環境の変化が激しい中で、これからのクリエイターに求められることなのかもしれない。

デザイナー採用サイト|エムスリー株式会社
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Credit
取材・執筆
イノウマサヒロ

編集者。編集デザインファームinquireを経て、複数のスタートアップ経験後、独立。ビジネスとデザイン領域におけるコンテンツ制作を行う。カルチャーデザインファームKESIKIに所属。




撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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