デザイン読書補講 18コマ目『ゲームさんぽ 専門家と歩くゲームの世界』

ゲームの制作者、ゲーム、ゲームのプレイヤーという従来の関係性に対して、外部から第三者を介入させることでゲームが内包している目的とは違う場が形成される。そこで展開される第三者の眼差しは、批評というよりは愛でるといった行為に近いものを感じます。

supplementary reading

こんにちはこんばんは、吉竹です。

この『デザイン読書補講』は「デザインを学び始めた人(主に学生)の世界を少しでもひろげられるような書籍をおすすめする」をコンセプトに連載しています。

わたしの自己紹介や、この連載が生まれた経緯は1コマ目『UX・情報設計から学ぶ計画づくりの道しるべ』で書いていますので「どういう人が書いているんだろう?」と気になった方は合わせて読んでみてください。

デザイン読書補講 1コマ目『UX・情報設計から学ぶ計画づくりの道しるべ』
https://designing.jp/supplementary-reading-1
サイトを開く

今日の1冊

みなさん、ゲームは遊びますか?

ゲームと言ってもいろいろありますよね。その気になればなんだって遊びにできるわけですが、ここでのゲームはテレビゲームやソーシャルゲームなど、いわゆる「スクリーン越しにプレイするゲーム」と定義しておきましょうか。

いかがでしょう。やってるよーという人もいれば、ゲームはやらないなーという人もいると思います。中にはゲームをあまり好ましく思っていない人もいるかもしれません。わたし自身はというと、ゲーマーと呼べるほどいろんなジャンルを遊んでいたり極めるまでやり込んだりするわけではありませんが、わりとコンスタントに遊び続けている側の人間です。

こんな前置きをしたわけですから、今回取り上げる書籍はゲームにまつわる本です。本の名前は『ゲームさんぽ』(いいだ、なむ, 白夜書房)。ゲームを通して世界の見方を変える、そんな素敵なコンセプトによって編まれた1冊です。

ゲームさんぽ 専門家と歩くゲームの世界
¥ 1980
https://www.amazon.co.jp/dp/4864943095/
Amazon.co.jp で購入

ゲームさんぽの話をするには、その成り立ちからご紹介したほうがよいでしょう。ゲームさんぽはもともと、なむさんという個人の方がYouTubeに上げた動画からはじまっています。コンセプトは「いろんな人とゲームをさんぽすることで世界の見え方の違いっぷりを学ぶ修行」。


その後、ライブドアニュースのYouTubeチャンネルの企画として第1回『【ゲームさんぽ/ゼルダの伝説】気象予報士・石原良純さんと『ブレス オブ ザ ワイルド』をやってみたら、天気の仕組みがよーーくわかった!』が公開。瞬く間に話題となり、多くの人がゲームさんぽを知るきっかけとなりました(わたし自身もこの動画がきっかけです)。

なむ - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCCj7tBSvrrG8_aErflpNgyQ
サイトを開く

個人がはじめた企画が別媒体でもスタートしたのには、なむさんが『ゲームさんぽ』の名称をオープン化した背景があります(このあたりの話も本書で読めます)。実はYouTubeで『ゲームさんぽ』と検索すると、いろんな人の視点で制作されたゲームさんぽが見つかります。こうした取り組み自体もまた魅力のひとつと言えるでしょう。
本書はなむさんとライブドアニュースのゲームさんぽ両方が元になっており、過去回に登場したゲストとのアフタートーク的なパートを中心に構成されています。1冊の本としてももちろん楽しめますが、各ゲストの登場回を事前に視聴しておくとみなさんの声や喋り口が脳内で再生されるのでより楽しめます。また、動画ではゲストとのトークの媒介としてゲームが存在していましたが、本書内ではゲストとのトークがより直接的な距離感になっているため、それぞれの専門家としての言葉がより濃密に語られています。直接的にデザインが語られるシーンは多くありませんが、逆に言えばデザインと名の付く書籍からは得にくい気付きや楽しみが見出だせるはずです。

余談ですが、本書の制作はクラウドファンディングがはじまりとなっており、リターンの一部には限定版の装丁が含まれていました。おそらく入手手段はもうないのですが、川名潤さんによるゲームさんぽらしさを感じるデザインがとても素敵です。もし手に取る機会があったら、ぜひ隅から隅まで眺めてみてください。

『観る』を見る。プロが導くゲーム案内

ゲームさんぽの魅力は何かと問われれば、パッと思いつくのは「ゲームとのあたらしい触れ合い方を提示したこと」「専門家の目を借りて学ぶ楽しさ」の2つでしょうか。あくまで自分の知る範囲内ですが、ゲームに関する記事や本でニュース情報や攻略の視点を除いた場合、その多くはゲーム自体に直結したシステムやデザインに注目したものだったように思います。例えば「スーパーマリオブラザーズのステージ1-1の設計の巧みさ」や「ペルソナ5のUIデザインの新規性」など。こうした技術的な面からメタ方向に歩みを変えて「ゲームという仮想空間に対して現実と同じように観察し思考する」「遊びをとおして体験する学び」はゲームさんぽならではだと思います。そして、その場に何かしらの分野の専門家を招くことで、それまで見えていなかった・知らなかった世界が浮き彫りになる瞬間がやってくる。ゲームの制作者、ゲーム、ゲームのプレイヤーという従来の関係性に対して、外部から第三者を介入させることでゲームが内包している目的とは違う場が形成される。そこで展開される第三者の眼差しは、批評というよりは愛でるといった行為に近いものを感じます。

ある対象に対して、制作者自身が背景意図を語るのと第三者が観察して語るのとでは、その内容も性質も変わります。
例えばゲームのUIデザインについて。以下はスプラトゥーンのUIデザインを実際に担当された橘磨理子さんがお話しされている動画と、ゲームさんぽで有馬トモユキさんがApex LegendsのUIデザインについてお話しされている動画です。



ゲームタイトルやお話しされている状況は異なりますが、当事者と第三者の語りの違いの面白さが垣間見える例となっているのではないでしょうか。ちなみにゲームさんぽにも制作者をお招きした回が存在します。CD PROJEKT REDのCGアーティスト榊原寛さんをゲストにCyberpunk 2077の街並みをさんぽする回では、ゲームならではのルールに則って街づくりがされた背景が伺えます。信号機の柱の太さや花壇の高さがゲーム世界の法則に縛られてデザインされていると知れるのは、当事者ゲスト回ならではの面白さでしょう。


こうしたおこないが成立するのはゲームならではと言えるかもしれません。観察という行為自体は対象を選びませんが、例えば映画では視点や時間軸が固定されているため、スクリーンの向こう側に潜り込むことはできません。カットのひとつひとつには監督の意図が込められており、鑑賞者が指定することはできません。そうした意図や背景設定に対しての観察はありつつ(それもまた楽しい)、あくまで体験としては作品と対面する鑑賞に近い。ゲームは基本的にプレイヤーの操作を必要としますから、自然と体験としては距離や実感がより身近になる。コントローラーがインターフェイスとして介在してはいるけれども、キャラクターやカーソルなど何かしらを主体的に動かせるゲームだからこそ、その世界の中で自由に歩き回ったり立ち止まって、観察し感じ取る「さんぽ」が行為として成り立つし、そこに専門家が付き添える余地が生まれるのだと思います。
ガイド役と専門家の対話による進行。その過程において発見から学びが生まれ、そして驚きや楽しみへとつながる。わたしたちはそれらを追体験しながら、同じように驚き、楽しみ、学んでいく。そうして抱くのは、作り手と専門家、両者へのリスペクトです。それはなにも専門知識を有しているからという一点にではなく、みなさんのゲームに対する言動や姿勢にこそ強く感じ入るものがあるからです。そこには知識を話すだけの人、といった専門家の固いイメージからは遠く離れた姿が伺えます。

ゲームへの向き合い方から現実の向き合い方が見えてくる

いくつかわたしのお気に入りの回をご紹介します。

まずはゲームさんぽレギュラーと呼んでも過言ではない、古代ギリシャ研究科の藤村シシンさんが出演された『【最大最強】古代ギリシャ研究家と見る『FGO』の英雄たち #02【ヘラクレス編】』。


この回は特に「受容史」という概念が紹介されたことで話題になりました。ここで取り上げられたFGO(Fate/Grand Order)も含め、スマートフォン向けゲームの中には既存の人名や構造物がキャラクター名として使われるものが存在し「検索汚染」という言葉も生まれました。専門家の方々はこうした現象に対して怒っているのかと思いきや、研究の分野においては「自分の研究対象(神話系の物語や伝説)がどのようにその国で受け入れられているか」という受容史の観点から観察されている、と語られたときには「研究者の人はそこまで純粋に対象と向き合っているのか」とわたし含め多くの人が感嘆しました。受容史という分野、そしてその名のとおり受容して研究する姿勢というのは、非研究者の自分でも学ぶべきところが大いにあると感じた回です。

ふたつめは照明デザイナーの東海林弘靖さんが出演された『攻めの照明デザイン!神羅カンパニー本社の危険な照明術【ゲームさんぽ/FF7R】』。


東海林さんの回はどれも好きなんですが、この回は特に印象に残ってます。まず、神羅カンパニーの照明デザインを見ていく過程で「今日勉強になるね」「「お前もうちょっと頑張れ」って言われてるような感じがします」と発言されたこと。ゲームをまったくやられない東海林さんだけれども、こうした感想を抱くというのはなんて素直なんだろうと。解説役のゲストからこうした感想が出るのはゲームさんぽのユニークさだと思っていて、ほかにも三土たつおさんが同じくFF7リメイクの回で「いままで気付けていなかった設備の存在に気付けるようになった」と話されていました。
また、動画の後半では神羅カンパニー内の照明の傾向から「この企業はこういう方針なんじゃないか」と推測したのが見事に当たるシーンが出てきます。ゲームを遊ばない専門家が知識に裏打ちされた推理をおこない、しかも的中させる。制作側がどのような意図でレイアウトしたかはわからないけれど、たぶんそうなんじゃないかと納得できてしまう一連の流れは観察の醍醐味と言えるワンシーンです。

最後に紹介したいのが植物学者の稲垣栄洋さんが出演された『【ゲームさんぽ/マリオオデッセイ】植物学者曰く、「マリオのために花は咲かない」』。


ゲームさんぽで取り上げられているゲームのほとんどはリアルな表現が描画・実装されています。ゲームが現実世界に近づいたからこそ、現実の事象を取り扱う専門家との距離が縮まりコンテンツとして成立するのだろうと考えることもできますが、この回ではマリオのワールドという現実とは少し違うファンシーさを有する世界が対象となっています。稲垣さんは未知の植物に戸惑いながらも「こういう動きをするということは、この植物にはこういう生態や目的があるのでは」と誠実に向き合っています。なんというか、単純に「すごく嬉しい」んですよね。あっ、この人はそういうふうにゲームと接してくれるんだ、という。

どの回にも共通しているのは「否定をしない」姿勢です。自分の専門分野にまつわるトークなのですから、想定や常識と違っている部分を見つけたら「そうじゃないんだよね」とマウンティングを取りそうなところを「ひょっとしてこういうこと?」と好奇心をもって観察して推測している。専門家の方々がゲームに向き合う姿勢を通じて、わたしたちは現実世界への向き合い方をも学んでいるような気がします。
現実世界に似せていようがいまいが、ゲームは(いまのところ)完全に現実と一致しているわけではありません。必ずどこかでズレが生じている。ズレは未知と言い換えることもできるでしょう。そして未知なる現象や対象は現実世界にもそこかしこに存在しています。ゲームは「わからなさ」が表層によくあらわれているけど、現実世界もそう変わらないのではないか。であるなら、わたしたちはゲストのみなさんがゲームの世界に対して向けた姿勢を真似て、現実世界にも適用することができるのではないでしょうか。最初に「専門家の目を借りる」のが自分が思うゲームさんぽの特徴だと書きましたが、観察する目は思考に、思考は姿勢につながっていて、それら全部をひっくるめてわたしたちは「違いっぷりを学」んでいるのかもしれない、とテキストを書きながら思い至りました。

さんぽは続くよどこまでも

なむさんは本書内で「人は誰でも何かの専門家」と書かれています。肩書とか目に見えるような専門知識だけが、さんぽを際立たせるわけではない。街を歩けば何かに気が付くように、いままでの体験の蓄積がわたしたちひとりひとりの専門性として根付いている。ひょっとしたら、何かに悩んだときに気付きを後押ししてくれるのは、そうした発見による発見なのかもしれません。

知性は決してエリートだけのものではありません。すべての人にはすべての異なる「主観」があり、それぞれが僕にとってどれも輝いて見えます。自分にとっては価値のないもの、普通だと思っていることも、他人から見れば目から鱗、そこから新たな発見につながる、なんてことは往々にしてあります。(p.316)

今回はあえてデザインの話題に接続しませんでしたが、一度見始めればきっと多くの発見を得られるはずです。ぜひみなさんも、世界の見え方の違いっぷりに触れ、楽しんでみてください。

Credit
執筆
吉竹遼

フェンリル株式会社にてスマートフォンアプリの企画・UIデザインに従事後、STANDARDへ参画。UIデザインを中心に、新規事業の立ち上げ・既存事業の改善などを支援。2018年に よりデザイン として独立後、THE GUILDにパートナーとして参画。近著に『はじめてのUIデザイン 改訂版』(共著)など。東洋美術学校 非常勤講師。

編集
中塚大貴

空間デザイナー、リサーチャー。株式会社ツクルバにて空間デザインと不動産事業企画に携わる傍ら、webメディアでの企画や執筆を行う。デザインのなかの無意識、デザインの外側の可能性に興味があります。

Tags
Share