ぱかっと開く、現代のがま口 — エンダースキーマ snap purse big

財布というプロダクトは、その人の価値観を映す鏡のひとつになりうる。毎日身につけ、人前で取り出すものは、無自覚のうちにスタイルを語ってしまう。

WHY THIS MATTER?

建築・編集の視点を土台に、国内外のさまざまなプロダクトを見渡し独自の視点・美意識のもとセレクトする岡田 和路による連載『WHY THIS MATTER?』——氏の愛用品からモノの物語を紡いでもらう。

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岡田 和路|Kazuyuki Okada
編集者/デザイナー、多摩美術大学大学院 統合デザイン専攻(SID)1期生。建築学を土台に、メディアでの編集、リサーチ機関のブランディング、事業会社でのグローバルブランド戦略、事業開発、CXディレクションなど、『作り手と使い手の間』をさまざまな役割で横断してきた。現在は仕事を続けながら、大学院にてヒトとモノの関係を解像度を上げて捉え直す研究に取り組む。

モノを選ぶことは、自らの生活を編集することだ。WHY THIS MATTER? は、選択の裏側に宿る思想を解剖し、つくり手の哲学を使い手の言葉へ翻訳する試みである。

プライベートは、いつも手ぶらでいたい

私の生活には、ひとつの前提がある。

仕事のときは大きめのバッグを持つ。ラップトップを携える日々である以上、それは避けられない。けれど、プライベートで街に出るときは、なるべくいつも手ぶらでいたい。バッグを持たない時間が、私のリズムには合っている。

そう考えると、財布の選び方は自然と限られてくる。

ポケットに入れて、座っても気にならない薄さと軽さ。これが、私のプライベートにおける財布選びの絶対条件だ。そしてここ7年ほど、その答えとして使い続けているものがある。

エンダースキーマの『snap purse big』。レザーのがま口だ。

財布の遍歴での、私の編集史

財布というプロダクトは、その人の価値観を映す鏡のひとつになりうる。時計やアクセサリーと同じように、毎日身につけ、人前で取り出すものは、無自覚のうちにスタイルを語ってしまう。

高校生から大学生のころ、私はあるラグジュアリーブランドの財布を使っていた。当時のアルバイト代を考えれば、決して安い買い物ではない。ロゴが前面に出ない、控えめな佇まいのモデルを選んでいた。それでも、わかる人にはわかるアイコンとしての記号性を、自分のステータスとして携えていた。

社会人になっても、しばらくはその延長線上にいた。「いい財布を持つことが社会人のたしなみ」という空気が、確かにあった。

20代に入ってから、その感覚に少しずつ違和感が生まれてくる。自分はこのロゴの記号性を、本当に必要としているのか。財布は、自分の社会的な立ち位置を表明するためのものなのか。

そのあたりから、財布として選ぶものが変わっていった。

最初に手にしたのは、visvimのポーチ。レザーの独特の素材感を持つ一品だった。次に、UNDERCOVERのポーチを使った時期もある。これらは厳密には「財布」として作られたものではないが、ポケットに入る薄さと、ブランドが宿す独特の佇まいが、当時の自分には合っていた。

その後、改めて「財布」と名のつくものに戻ってみた時期もある。スペイン製の、黒に金のファスナーが印象的なCOMME des GARÇONSの二つ折り。これはこれで美しいプロダクトだったが、ポケットに入れて持ち歩くには厚みがあった。2、3年使ったあたりで、自分の身軽さの感覚と少しずつ合わなくなっていった。

いずれも、ハイブランドを否定したから離れた、ということではない。今でも、ラグジュアリーブランドにはラグジュアリーブランドの良さがあると思う。visvimもUNDERCOVERもCOMME des GARÇONSも、今でも好きなブランドだし、財布以外の用途で手元に残っているものもある。

ただ、自分のサイズ感、薄さ、使い勝手の最適解を探していく過程で、選ぶものが少しずつアノニマスな方向に向かっていった。それだけのことだ。

がま口という、日本のアイコン

そうした遍歴の末に行き着いたのが、エンダースキーマのこの一品だった。

これは厳密には財布ではなく、コインケースとして設計されたプロダクトだ。けれど私は、これを財布として使っている。

なぜこの形だったのか。 答えはシンプルで、がま口というカタチに、私は惹かれている。

それは原風景に近いアイコンだ。昭和の財布、おばあちゃんの小銭入れ、駄菓子屋のおつりを払うときの音。けれど、エンダースキーマのこの一品が魅力的なのは、その懐かしさに留まっていないことだ。

良質なレザーで仕立てられた本体、ミニマルでありながら美しい金具のディテール。古き良き昭和の意匠ではなく、現代に再翻訳されたモダンな佇まい。

この絶妙なバランスが、私の手元の答えを成立させている。古臭くなく、けれど普遍的なかたちを持っている。仕事の場で取り出しても、品格を損なわない佇まいがある。

7年使い続けたものと、新たに迎えた新品

革を起点にした思想

エンダースキーマというブランドについて、少しだけ触れておきたい。

このブランドは、2010年に柏崎亮氏が立ち上げた。 その出発点は、ハンドメイドのレザーシューズである。とくに、有名スニーカーのデザインを革で再構築する『manual industrial products』というプロジェクトで広く知られるようになった。

工業製品として大量生産されるスニーカーを、ヌメ革で一点ずつ手作業で仕立て直す。それは単なるオマージュではなく、工業とクラフトの関係を問い直す思考実験のような仕事だ。

このブランドの製品全体に通底しているのは、革という素材と真摯に向き合う姿勢だ。経年変化を楽しむ素材選び、手作業の痕跡を残す仕立て、過剰な装飾を加えない設計。

その思想は、靴から革小物、バッグへと広がっていった。 私が手にしているこの一品も、その延長線上にある。シンプルな構造の中に、革と金具と縫製のバランスが丁寧に編集されている。

ぱかっと開く、という美しさ

このプロダクトの魅力は、構造の単純さにもある。

両手の指で軽く挟むだけで、ぱかっと開く。ファスナーを引く一手間がない。ボタンを外す動作もいらない。

ファスナー式の財布も使ってきたが、開閉に少しだけ意識が向く。それに対してこの構造は、無意識のうちに手が動く。お札やカードを取り出すまでの動作が、ひとつ短い。

この動作の短さは、日々何度も繰り返される行為だからこそ、効いてくる。1日に何度も開閉する道具において、動作の節約はそのまま生活のリズムを軽くする。

物理的な薄さと、動作の単純さ。 ふたつの軽さが重なることで、このプロダクトは私のポケットの中で完結している。

いまの時代における、物理財布の役割

私はキャッシュレス決済を積極的に使う。スマートフォンの中に、クレジットカードもマイナンバーカードも交通系ICカードも入っている。日常の支払いの多くは、これで完結する。

それでも、物理の財布は持ち歩く。現金しか使えない場面もあるし、物理カードを差し込む必要があるシーンもある。当面、物理財布が完全になくなることはない。

そう考えると、いまの時代において私が物理財布に求めることは、20年前と変わってきている。たくさん入ること、見栄えがすること、ステータスを示すこと、ではなく、必要最低限を、最小のサイズで、最も心地よく持ち運べること。

私のがま口には、免許証、マイナンバーカード、クレジットカード、診察券、そして二つ折りの紙幣と少額の小銭が収まる。これだけあれば、日常のほとんどの場面に対応できる。

自分の生活に、馴染むということ

ロゴで自分を語る時代から、形そのものに宿る思想で自分を編集する時代へ。

私の財布の遍歴は、自分のスタイルがどう変わってきたかの記録でもある。7年使い続けた相棒の少し古びた表情を眺めながら、最近もう一つ、新品を手元に迎えた。これからの数年も、おそらく同じかたちで生活を共にすることになるだろう。ブランドを乗り換える理由がなく、そして次もこれでいいと思えること。それは、自分の生活に馴染んだ道具を持つ、ささやかな幸福のかたちだと思う。

これを選んだ理由を一言で言うなら、自分の生活のサイズに、これ以上ないかたちで馴染んだから、ということになる。

Credit
執筆
岡田和路

CXディレクター&編集者
建築学を土台に、「作り手と使い手」の間に横たわる溝を思考の出発点とする。メディアの編集者として言葉を編み、大手メーカーでは事業開発からグローバル規模でのブランド戦略までを横断。リサーチ組織のメディア立ち上げや、事業構想をブランドの物語として紡ぐプロジェクトを通じ、スケールの異なる「価値の翻訳」を実践してきた。現在はIT企業にて、データを起点としたCXディレクションに従事。デジタルとリアル、戦略と実行を往復しながら、新たな体験価値を創造し続けている。

撮影
室岡 小百合

1998年生まれ / SIGNO所属

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