手放すこと。美と創造の源泉と、人生の短さについて──木本梨絵

「手放す」ことと「美しさ」はつながっている。手放さないと、美しいものには気づけないんです。

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クリエイティブディレクター・木本梨絵のキャリアに、「煌びやか」といった印象を抱く人は少なくないだろう。

27歳で、ブランド開発にまつわる包括的なクリエイティブディレクションを手がけるHARKENを設立。最近では、金沢21世紀美術館での企画「Routine Records」の全体監修や、古代米の発酵液を用いたスキンケアブランド「FAS」の立ち上げなどを行う。また、自然環境を活かしたネイチャーデベロップメント事業を手がける「DAICHI」をはじめ、自身の事業として手がけるプロジェクトにおいても独自の世界観を活き活きと表現している。

別々のサービスやプロジェクトながらも、さながら「生態系」のような連関が感じ取れる作品群。そのすべてに通底するトーンと、自身のSNSやメディアの中で語られる言葉からは、既に完成された美学の所在が感じられる。

そんな強く美しいクリエイティブの源泉を探るべく、designingでは2024年冬、ロングインタビューを実施。しかし、そこで語られたのは、やや意外な言葉だった。

「申し訳ないなと思っているんです、過去の自分に」

キャリアをスタートして10年。昇龍のごとき勢いで卓越したクリエイティブを世に送り出してきた木本が、その煌びやかな実績の裏で悩み、苦しみ、もがいた末にたどり着いた答えとは。

永遠に終わらないレースを、全力で走る

デザインはコンマ1mmまで、完璧でなければ——。
1つでも多くの案件をこなして、はやく実績をつくらなければ——。

意識的にせよ、無意識的にせよ、デザイン業界には「超」が付くほどのハードワーカーが少なくない。

「Soup Stock Tokyo」「文喫」などを手掛けるスマイルズに新卒入社し、一年半の店舗における接客経験を経て、同社の最年少クリエイティブディレクターに就任。レストラン、本屋からコスメまで多領域で、ブランドの立ち上げから長期のブランディングまでを担った。その後独立しHARKENを創業した、3年半前の木本もまた、超ハードに働くクリエイターの一人だった。

独立の不安から一人で同時に15件以上の案件を抱え、連日の徹夜。当時の働き方を「終わりのないレースのトラックを走っているようだった」と木本は振り返る。

木本「もっと実績を、もっとユニークネスを、役に立ちたい、頑張りたい、もっと走れ、もっと!——独立したばかりの頃は、レースのトラックを走っているようでした。“クリエイティブ・ディレクター・ダービー”、みたいな。このダービーで優勝して、東京を代表するクリエイティブディレクターになるんだ!と、全力で息を切らしながら走り続けているような状態が続いていました。

でもトラックは円形なので、レースは永遠に終わらない。『このトラック、いったいいつまで走るの私……?』と思うけど、『もうちょっと頑張ったら、あそこまでいける』『ここで立ち止まったら、置いていかれる』『仕事をしていない自分には、存在価値がない』という感覚があって、立ち止まることができませんでした。いま思えば、本当にしんどかったですね、当時は」

引き受けるからには、全身全霊で。仕事に対する人一倍のパッションとキャリアに対する焦燥感が相まり、まさに“命を削って”働いていた。

「死」が急に自分の隣に来た感覚

しかし、そうして約1年が経った頃、働き方を大きく変えたという。

きっかけは、ある日の検診だった。自身の身体に、最悪のケースにつながり得る疾患が見つかった。その疾患に抜本的な治療法はなく、免疫力向上による自然治癒——バランスの取れた食事・適度な運動・良質な睡眠を取り、ストレスを抑えた生活を送ること——が基本だったという。

そして、予防医療に通い始めた木本は、さまざまな検査を受ける中で、過酷なハードワークや日々の仕事のストレスが自分の命を直接的に蝕んでいることを目の当たりにした。

木本「予防医療では、唾液や血液を検査していまの身体がどんな状態にあるのかを数値で見るのですが、やはり人間関係や仕事のストレスがあるときの数値は、すごく悪いんです。逆に『最近はちょっと気持ちが楽だな』というときは、目に見えて身体の数値もよくなる。日々の仕事との向き合い方や人間関係のストレスが自分の命を確実に蝕んでいることを定量的に突きつけられたことで、『死』が急に自分の隣に来たような感覚がありました。

私にとっては、仕事で活躍することよりも、自分の人生が豊かに、長く続いていくことの方がずっと大事で。そのためには、仕事も減らすし、自分にとってストレスになる環境や関係は断ち切る。この一件があってから、そういうマインドに、徐々に変わってきたんです」

「1週間後に死ぬとしてもやりたい仕事」を選ぶ

以来、「毎日死を意識するようになった」木本は、一層シビアに仕事を選ぶようになった。

HARKEN設立1年目、15件も抱えていた案件数は、8件、6件と徐々に減っていき、いまでは年間4、5件程度に落ち着いた。スタッフも3名採用し、一人で15案件を回していた時代とは大違いだという。

とはいえ、とりわけ個人のクリエイターや経営者にとって、「仕事を減らす」ことはなかなかに勇気が要る。自分の好きな仕事だけで食べていければそれは理想だが、現実はそう甘くはないのではないか——そんな容易に予想される言葉に木本は、「たとえ1週間後に死ぬとしてもやりたいこと以外、やってはいけない」と一蹴する。

木本「もし、あなたが重い病気にかかって、『いい病院に行けば生き延びられるかもしれないが、そうでなければ死ぬ』と言われたら、誰だって必死に病院を探すでしょう。“なんとなく”では病院を選ばないですよね。大げさに思われるかもしれないですけど、私はそれと同じぐらいシビアな感覚で、仕事やクライアントを選ぶべきだと思っています。

なぜなら、仕事の時間は人生の一部であり、働いたら働いた分だけ、自分の本来好きに使えたはずの時間も縮まるからです。だから、たとえ1週間後に死ぬとしてもやりたいこと以外はやらない。『自分の人生を共有したい』と思える相手とだけ、一緒に仕事をする。1mmでも違和感があったら、騙し騙しその違和感と連れ添うことはやめる。

それは、自分で自分を幸せにしてあげることでもあります。私には、自分の人生を豊かで幸せなものにしてあげる責任があるし、それができていなかった過去の自分に対する、『申し訳ない』という気持ちがずっとあるんです。もし、目の前の責任やわだかまりに苦しんでいる人がいるのだとしたら、自分を幸せにすることへの、自分だけが持つ責任について、自覚的になってみると何かが変わるかもしれません」

人生は短い。携わるプロジェクトの「三つの条件」

では、木本にとっての「たとえ1週間後に死ぬとしてもやりたいこと」とは何なのか。

1つ目の条件は、自分の興味関心軸——「自然」「旅」「日本文化」のいずれかに合致することだ。島根県海士町にある宿泊施設「Entô」、自然環境を活かした不動産開発「DAICHI」、旅メディア「yado」——たしかに、木本の関わるプロジェクトの多くは「自然」「旅」「日本文化」の交差点にあり、それぞれに対する一貫したまなざしが、「木本らしさ」をつくっている。

しかし、厳格に領域を絞ることは、偶発的な出会いの可能性を減らし、自分のクリエイティブの幅を狭めることにはつながらないだろうか?

この問いに対しても、答えは明確だ。

木本「たとえば、『もともと介護には興味がなかったけど、介護の領域の仕事をしたらめちゃくちゃ面白かった!』みたいなことは全然あるでしょうし、そういう予期せぬハプニングを期待するのも素敵なことだとは思います。

でも、私は自分に残された人生が短いと思っているので。500年生きるんだったら他の領域もやりますが、『来年死ぬかもしれない』が前提だと、予期せぬハプニングを期待して一か八かの賭けをする余裕はないんです」

もちろん、「自然」「旅」「日本文化」の領域であれば、何でもいいというわけではない。2つ目の条件は、ブランドやターゲットの価値観が、HARKENのクリエイティブ方針に合致するかどうか、だ。

木本「たとえば、自分にはほとんど馴染みがない地域に住むZ世代に刺さるゲームコンテンツをつくってくださいと言われても、それは私には難しいかもしれません。なぜなら、私にはそうした人々の価値観に馴染みがなく、想像することが難しいから。ですから、ターゲットの気持ちが無理なく理解できる案件しか、お引き受けしないようにしています」

そして、最後は誰とやるか——3つ目の条件は、クライアントのパッションや当事者意識である。木本いわく、テーマや価値観が合致していたとしても、初回の打ち合わせで違和感があれば、案件を辞退することも少なくないのだという。

木本「自分ごととしてブランドを育てられる人としか、一緒に仕事ができないんです。つまり、『私はこうしたい』という個人の強い思いと、ビジネスが重なっている人。そうじゃないと、途中でパッションに差が出ちゃって、互いにつらくなる。何度か失敗を経験して、そのことを学びました。逆に、パッションさえつながってしまえば、新領域に猛烈に興味が湧いて、1つ目で挙げた興味関心軸以外のお仕事をご一緒することもあります」

「日本を離れる」という決断

領域、価値観、人——すべての条件を満たす案件だけを受ける。それは、3年半の試行錯誤の末に辿り着いた、「いまこの瞬間」を生きるための答えだった。

しかし2023年、これまでつくり上げてきたものをすべて壊してしまうかのように、木本は大きな決断をする。

2024年3月よりしばらく日本を離れ、仕事は一度セーブして、ロンドンに留学するというのだ。きっかけは、8月のノルウェー・デンマークへの旅だった。

木本「毎年8月は1ヶ月ほどお休みにしていて。去年はノルウェー・デンマークに、一人旅に出掛けました。その旅の中で、現地で出会った人々と3泊4日で深い森の中のキャビンに泊まり、毎日山を登っていたのですが、そこでの体験が衝撃で。

はじめて海外の森に入ったのですが、日本の森とまるで違ったのです。森の植生が変わると、人の森への向き合い方も変わる。たとえば、みんな生物学者でもないのに、ベリーの見分け方やキノコの調理法を知っていて、森のなかを裸足で走っているんです。いままで私は日本語の文献を読み、日本の森にばかり入って、『日本の森、最高!』と単に思っていましたが、このとき自分がいかに視野狭窄的だったのかと愕然としました。

一方で、海外の森と相対化することで、はじめて気づけた日本の森の豊かさもありました。また、ノルウェーとデンマークの森もやっぱり全然違っていて。そうした国ごとの森の違いに触れる中で、『世界中の人たちと、世界中の森に入りたい』と思ったんです」

各国の森で得た気づきは、ふわっと流さず、学び、きちんと記録したい。そこからは、海外大学院留学のことしか考えられなくなった。

デンマークでは観光そっちのけでバーガーショップに籠もり、ハンバーガーを片手に大学院を調べ続け、9月初旬に帰国するとすぐに、「半年後から仕事を休みたい」と各所に連絡した。怒涛の集中力で案件のクロージングと仲間たちの次なるキャリアの準備を進める傍ら、大学の出願手続きを行うと、すぐさまロンドンにある2つの学校から合格通知が届いた。

木本「いまは、自然環境にいるときの人間のマインドセットみたいなものにすごく興味があって。というのも、去年はけっこう精神的につらい時期があったんですが、自然の中にいるときだけは、唯一上手に呼吸ができるような感覚があったんです。

なので大学院では、いろんな国を巡りながら、自然がもたらす豊かさの正体、人間と自然は分かつことなどできないのだということを、自分なりに体験して言語化してみたい。そうした研究を通じて、自分自身ももっと豊かに生きられるようになりたいし、私の周りにいる大切な人たちにも伝わるといいなと思います」

「手放した虚無感」こそが原動力

素敵なクライアント。優秀なスタッフ。積み上げてきたキャリア。誰もが大事に抱え込むものを、木本は驚くほど大胆に手放す。

いったいなぜ、そんなことができるのだろう?

木本「大切なものであればあるほど、手放すことには勇気が要りますよね。でも、これは私調べなんですけど、大切なものを手放せば手放すほど、もっと大切なものが手に入るんです。

たとえば去年(2023年)は5年連れ添った夫との離婚をはじめ、いくつかの違和感のある事柄について、ことごとく距離を置いたり手放したりする経験をしました。大切なものを手放す前って、すごく恐ろしいんです。これを失ったら自分なんて空っぽになってしまうと思ったし、アイデンティティが崩れて、自分で自分が何者かわからなくなるのが怖かった。

けれど、そんなの杞憂でした。失った直後から、手放したことと明確な因果関係で連なるかたちで、新たな人や機会や仕事との出会いが続いたんです。大学院に進むことも、大切なものを手放さなければ考えもしなかった選択です。ノルウェーに向かうフライトの途中も、『私には何もない。こんなに孤独な状態で1ヶ月も一人旅に行ってしまって、大丈夫なんだろうか……』という不安と虚無感がありました。でも、その感情があったからこそ、『孤独なら、現地で友達をつくればいいじゃない』とたくさんの人々と能動的に出会い続け、結果、ノルウェーの森での経験が人生を変える忘れられない出来事になったんです。

虚無感ってすごいエネルギーで。それは、素晴らしいものを新たに手にするための、唯一無二の原動力。でも、そのエネルギーを手に入れるためには、違和感のあるものを一旦すべて手放さなければならない。2023年は、そのことがはっきりとわかった1年でした」

そして、この経験から得た一番の気づきは、「何をどれだけ手放しても、自分の価値は何ひとつ変わらない」ということだった。以来木本は、自分の価値を確かめるように仕事をすることがなくなり、純粋に制作に向き合えるようになったという。

木本「それまでは、関わっているブランドやプロジェクトが自分の唯一のアイデンティティであり存在意義だと思っていました。でも、手放してみてわかったことは、私が私であることそれだけに、一番価値があるということでした。

なぜなら、人は喜びや、美しいものを美しいと思う感情でつながっているからです。何を考え、何を美しいと感じ、何に喜びを見出すか。そうしたもので通じていれば、私が何かを手放しても、友達や仕事が減ることはない。というか、それで減るような友達や仕事なら、最初から一緒にいる意味のなかったものなのだと思います。

私は私の物差しで、自分がいいと思えるものを、自分が素敵と思える人たちとつくって、自由に生きていくのに必要なぶんだけのお金を稼げたら、それで幸せ。そう思えるようになってから、すごく楽になりました」

“日々の日の出”の美しさを見失わないために

いくつかの苦しい季節を乗り越え、新たな境地に辿りついた木本は、「いまの自分が一番好き」と、晴れやかな笑顔で語る。

クリエイターとしての価値観にとどまらず、文字通り「生き方」そのものの話となったインタビュー。その最後に改めて、本企画のテーマでもある、生態系のように展開する作品群の「強く美しいクリエイティブの源泉」について聞いてみた。

彼女にとって、「美」とはいったい何なのだろう。この問いかけに対して木本は、「そばにある気づきを、いま喜べる感覚」と、自らの「美」の定義を挙げる。

木本「たとえば朝、東の窓から入る半端ない量の朝陽とか、電子レンジの上で揺らめいている光の影、ガラスの屈折を通じて机に写る光の模様。そういう光を見ながら、ずっと『すごい!』『超綺麗!』って言っている。あとは、向かいの公園に落ちているイチョウの葉っぱを集めて、部屋に飾ってみたり、大切な人への手紙にしたためたりする。

そういうふうに、日常の何気ない自然を日々『美しい』と喜べること。そして、そう思える自分自身を『美しい』と思えること。そうした感覚こそが、私の美の定義です。美術館に行ってフェルメールを見るとか、絶景を見に行くとか、そういうことばかりではないんです。

先日急に思い立って『明日、日の出を見よう』という話になって。それで、ネットで都内の日の出が見られる場所を検索すると、単に日の出ではなく“初”日の出スポットをまとめたサイトばかり出てきて驚きました。太陽は毎日のぼっていて、今日の日の出も、明日の日の出も、初日の出もそれぞれに美しいはず。特別な瞬間を喜ベる感覚も素敵なことですが今日も明日も毎日美しい日が昇っていることを自覚し、それを喜べる感覚を大事にしたいです」

木本が愛読する写真家・星野道夫の短編「もうひとつの時間」には、こんな一節がある。

その時である。突然、一頭のクジラが目の前の海面から飛び上がったのだ。巨体は空へ飛び立つように宙へ舞い上がり、一瞬止まったかと思うと、そのままゆっくりと落下しながら海を爆発させていった。(中略)
東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。
(中略)ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうかは、それは、天と地の差ほど大きい。

ついつい見過ごしてしまいがちな、日常のささやかな美しさに気づくこと。あるいは星野の言うように、世界のどこかでいまこの瞬間に宙を舞うクジラに思いを馳せること。

それらを「見逃さない」ことこそが、豊かで幸せな人生を送るために必要不可欠なのだと木本は説く。だからこそ木本は、毎日カメラを持ち歩き、さりげない奇跡の瞬間を写真に収め続けている。

そして、そうした些細な美しさ、奇跡の瞬間を見逃さないためには、「余裕」が必要になる。木本が繰り返し強調する「手放す」こととは、身の周りにある美しさに気づき、自身の美しいものを美しいと思う感覚を磨いていくことと、表裏一体の関係にあるのだ。

木本「忙しかったり、疲れていたり。自分に余裕がないときは、『光、超綺麗!』とか喜んでいる場合じゃないというか。些細な美しさに対する感度は、どんどん鈍っていきますよね。だから、『手放す』ことと『美しさ』はつながっている。手放さないと、美しいものには気づけないんです。自分自身をケアしましょう、ということでもあると思うんですけど。

デザインにかかわるときは、『いいブランドをつくろう』とか『目の前にいる人に喜んでもらおう』とか、利他的な考え方に振れてしまうことが多いですよね。もちろん、それは必要ですし、素敵なことだと思います。

しかし私は、デザインにおいて、最終的に“利己的利他”であることが大事だと考えています。自分の願いを仕事で叶えるようなデザインが理想。だからこそ、自分で自分を幸せにするために、違和感のあるものは手放し、日々の美しさに気づき、豊かな人生を送ることが大切だと思うんです」

美と創造の源泉は、私たち自身の豊かさにある——忙しく複雑な時代は、私たちにそんな当たり前のことを忘れさせ、デザインが持つ本来的な喜びから私たちを遠ざける。しかし、順番さえ間違えなければ、何も難しいことはない。つくることは、すなわち生きることそのものであるからだ。

木本梨絵の言葉は、葛藤を抱えるすべてのクリエイターに、そんな希望をもたらしたのだった。

Credit
執筆
藤田マリ子

1993年生まれ、京都大学文学部卒業。株式会社KADOKAWAにて海外営業、書籍編集に携わった後、フリーランスを経て、2023年に株式会社Nodesを創業。書籍やウェブ媒体のコンテンツ制作、ブランディング・マーケティング・採用広報支援を手掛ける。代々の家業である日本茶専門店・東京繁田園茶舗(1947年創業)の事業開発も行っている。
趣味は競技ダンス、ボードゲーム、生け花。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。2歳児子育て中。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

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