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「つくる」根源的な楽しさを手放さない。自分にとっての「いい」を追求するデザイン──tha 中村勇吾
ちょっとだけ詰める、ちょっとだけ離す──そんな気の遠くなるような作業の繰り返しの末に、「ちょうどいい」表現に着地する瞬間が、中村にとっては面白くてたまらないのだという。
Cover Stories「いま思えば、僕は無邪気にデザインを面白がって、『上手くできた』とか、『気持ちいい』とか、自分が楽しむことに没頭してきたんだと思います」
そう語るのは、tha ltd. 代表の中村勇吾。Web黎明期からインタラクティブデザインの分野を開拓し、テクノロジーの進化とともに新たな表現を生み出し続けてきたパイオニアだ。
佐藤可士和とともにユニクロをグローバルブランドへと押し上げた一連の映像ディレクション、KDDIスマートフォン端末「INFOBAR」のUIデザイン、NHKの子ども向けデザイン番組『デザインあ』の映像ディレクション、そして直近では、初の本格ゲーム作品『HUMANITY』の開発……。
テキストサイトから現代に至るまで、常に新たな表現を切り拓き、後続のクリエイターたちに大きな影響を与えてきた中村は、デザインを、テクノロジーを、どのように捉えてきたのだろうか。
テクノロジーが変化しても、デザインに対する社会の要請が変わっても、変わらないデザインの本質とは何か?──激動の時代に波を乗りこなしてきた、中村のデザインに対する世界観を紐解いていく。
世界的デザイナーは「個人の趣味」から生まれた
デザイナー・中村勇吾のキャリアのはじまり。それは、Webのはじまりとほぼ同時期だった。
中村が東京大学工学部土木工学科に在籍していた1990年代前半、「World Wide Web」と呼ばれる初期のブラウザが産声を上げ、インターネットの新たな可能性が開かれた。
当時はまだ、個人がWebに接続する手段はほとんど存在していなかった。だが、研究室のPC調達係だった中村は、手探りながらもLANの接続やネットワークの整備などを担当するうちに、Webの世界に足を踏み入れることになる。
この頃、学生たちが自分の興味関心をテーマにホームページを立ち上げる文化が生まれ始めていた。まさに黎明期の雰囲気の中で、中村も趣味の一環としてWebサイトの制作を始めたという。
「当時の僕はアホな学生だったので、本当にしょうもないサイトばかりつくっていました。たとえば、ある女の子と一緒に、インターネットでいかに有名になるかというテーマで今でいうネットアイドル的なプロモーション手法を色々仕掛けてみたり、個人サイト間で相互に何かを言い合う文化がなかった中で、あえて他のサイトにいちゃもんを付けまくるサイトをつくってみたり。
ただ、いま思えば衝動的に、Webにはいかなるコミュニケーションの可能性があるのか?という実験をしていた。そして何より、誰かにそれを見せて、『こんなのできたけど、面白くない?』と問いかけるのが純粋に楽しかったのだと思います」
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中村勇吾/tha ltd. 代表|インターフェースデザイナー、映像ディレクター。東京大学大学院工学系研究科修了。多摩美術大学教授。1998年よりウェブデザイン、インターフェースデザインの分野に携わる。2004年にデザインスタジオtha ltd.を設立。ウェブ・アプリケーション・映像・TV番組・インスタレーション・ゲームなど、さまざまなオンスクリーンメディアのデザインに取り組んでいる。カンヌ国際広告祭グランプリほか、広告賞受賞歴多数。
その後大学を卒業した中村は、橋梁設計の会社に就職。日中は会社員として働きながら、終業後の深夜に、一人で制作活動に打ち込んでいた。
転機になったのは、日系アメリカ人グラフィックデザイナー、ジョン・マエダの作品との出会いだ。
「マウスを動かすと画面上のデザインが反応する、ジョン・マエダの『Reactive Books』シリーズという作品を見たときに、本当に衝撃を受けました。画像やタイポグラフィーがインタラクティブに動くのって、こんなに面白いのかと。
ジョン・マエダはいったいどうやって作品をつくっているんだろう?と調べてみたところ、JAVAやC++というプログラミング言語のことを知りました。しかしこういった言語は、コンピューター素人の僕が扱うにはなかなかハードルが高かった。そんな折にFlashが登場して、『これなら俺でも書けるな』と思ったんです」
これを機に、中村は自分が一番「気持ちいい」「カッコいい」と感じる動きを追求して、インタラクティブデザインにのめり込んでいく。
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90年代後半に中村が個人制作したサイト。マウスの位置に呼応してバーやメニューがインタラクティブに動くなど、その実験性が反響を呼んだ。現在は中村が保有するPCに保存されている。
ただ、そうした創作活動が仕事になるとは思いもよらず、あくまで趣味の範囲で、自身のWebサイトに作品を発表し続けていたという中村。
しかしその圧倒的なクオリティは、Webの世界で瞬く間に評判を呼び、「謎の日本人Webデザイナー」として一躍有名に。日本でもネットバブルが盛り上がり始めた1990年代後半には、仕事の依頼もどんどん舞い込むようになった。
趣味への没頭とWebやFlashといった新たなテクノロジーの勃興が、現在のインタラクティブデザインの雄・中村勇吾を生み出したのである。
「動かすこと」の面白さという、クリエイターとしてのコアの追求
その後、中村はWebデザイン分野の黎明期に名を残したデザイン集団「ビジネス・アーキテクツ」にて経験を積み、2004年に自身のデザインスタジオ「tha ltd.」を設立。
thaとして初のクライアントワークである、NECがWebサイトで展開していた企業広告「ecotonoha」はカンヌ国際広告賞サイバーライオン(サイバー広告部門)グランプリを受賞。同時期からユニクロやKDDIといった、当時クリエイティブに強いこだわりを持っていた大手企業のWeb/広告ディレクションも手掛けるようになっていく。
まさに“飛ぶ鳥を落とす勢い”の活躍だが、その原動力は学生時代から変わらない無邪気なテクノロジーへの好奇心だった。
「コンピューターが好きで、インターネットが好きで、プログラミングで何かを動かすのが好きで。この領域で、新しい技術やアプリケーションが次々と出てくるのがとにかく楽しかったんです。この技術を使ったら、こんなことができるよね、あんなこともできるよね。そうした、新たなテクノロジーにリアルタイムで反応していく面白さがありました」
しかし、中村のテクノロジーへの向き合い方は、2000年代後半にかけて少しずつ変化していく。あんなに楽しかったはずの新たなテクノロジーが、次第に輝きを失い、反応し続けることに懐疑的になっていくのだ。
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「新しい技術が出たら、みんながこう反応して、こういうものをつくって……そういう技術ドリブンのクリエイションのパターンが、だんだん見えてきてしまったんです。Kinectが出たらこうなって、ARが出たらああなって。技術としては目新しくても、自分にとっては同じことの繰り返しに思えてきてしまった。
同時期、『Flashの本を書きませんか?』と何度か提案を受けたこともありました。いずれもお断りしたんですが、それはまずいんじゃないかな、と直感的に思ったんです。たしかに技術は好きだけれど、“技術の人”になりたかったわけではないですから。
そうしていくうちに『いったい自分は何をやりたかったんだっけ』と考えるようになって、結局『動かすこと』が好きなんだと気づきました。モーションデザインでもアニメーションでも、映像でもインタラクティブなものでも、それが動的秩序の表現──『動かすこと』である限り、どれも同じように好きなんだと。そういう自分のコアにある原動力に気づき始めてからは、徐々に自分がフォーカスすべき領域が見えるようになっていきました」
「動きの面白さ」という抽象的な概念は、たとえテクノロジーが進歩しても、ある一定の普遍性を持つ。だからこそ中村の作品は、制作から数十年が経ったいまでも、観る者を変わらず惹きつけ続ける。
2011年にKDDIから発表された深澤直人デザインの新機種「INFOBAR」のUIデザインから、近年のユニクロ店頭に飾られたサイネージ「Motion Signage for UNIQLO」まで、数々の制作物からもそうした普遍性は感じ取ることができるだろう。
「動かすこと」の面白さを追求して、中村はさらなる新たな表現を模索する。
2023年にリリースされた初のゲーム作品『HUMANITY』は、中村のコアをもっとも直接的に反映したとも言える作品だ。ゲーム開発に乗り出そうと考えたのは一体なぜだろうか。
「クライアントワークの世界では、さまざまな使命を背負っているので、自分が“いい”と思える動きの面白さだけでは成立しません。一方、ゲームの世界は基本的に、何の目的もなければ、社会的なミッションもない。ただ、『面白いかどうか』とか『グッと来るものがあるか』だけのシンプルな世界です。
その分、厳しい闘技場のようなフィールドではあるのですが、自分が『気持ちいい』『カッコいい』と感じる表現を追求するためには、一度勝負してみたい思ったんです」
この作品には、中村の「動き」へのこだわりが詰まっている。たとえば、中村は鳥などの生き物が「群れ」になって動く姿が好きだと語る。その延長線上にあったのが、コミックマーケットの入場待機列の動画だった。たくさんの集まった人間が群になって、整然と動いていく────その様子を見て『HUMANITY』を着想したという。
より抽象化するならば、個々の人間のふるまいが、「群れ」として組織化されたとき、その単純な総和にとどまらずに新たな性質が立ち現れてくる「創発」の面白さが、このゲームには内包されている。
「人間は、一人ひとり自分の意思で動いているつもりなんだけど、個の人間がどう動くかと、個のレベルの判断が折り重なったときにそれらが全体としてどう動くかは、まったく別のレイヤーにあります。社会に置き換えれば、一人ひとりは常識的ないい奴であるように思うのに、それが会社とか国家みたいな単位になると、変な方向に動いたり、急に戦争を始めたりする。不思議ですよね。
最近急速に進化するAIにも似たような構図を感じます。深層学習は人間の神経細胞と同じように、ある経路が良い結果に繋がるならばそのノードが強化され、そうでなければ弱められるというシンプルな仕組みから生まれています。でも、それらのノードが大量に組織化されると、驚くほど高度な知能を持っているかのようなふるまいが創発する。それがなぜなのかは創った人にもはっきりとわからない、という世界のようなんです。
このような『個の単純さ』と『全体としての複雑さ』という図式で見ると、いろんなことがつながってくる──そんなイメージをストーリーやモーションに落とし込んでいくことで、『HUMANITY』は生まれました」
どれだけテクノロジーが進歩しても、「つくる楽しさ」を手放さない
中村の言葉は、技術のトレンドに惑わされず、クリエイターとして「何に面白さを感じるか」というコアを見つける重要性を私たちに教えてくれる。
しかし一方で、ゲーム制作という新たなフィールドで、中村が自分なりの表現や創作のあり方を模索できている背景には、やはりテクノロジーの進歩による影響があることもまた否めない。
たとえばゲーム制作であれば、UnityやUnreal Engineの登場はクリエイターのハードルを大きく下げていると言えるだろう。その他にも、BlenderやAdobe、Figmaやノーコード、スマートフォンの画像・動画編集アプリ……より平易に技術やデザインを扱えるツールが近年拡大していることで、誰もが手軽に創作に取り組める世界は確実に近づいているように見える。
多摩美術大学の教員として日々学生にも接する中村は、この状況をどのように見ているのだろうか?
この質問に対し中村は、意外にも、「テクノロジーと表現の成熟が、かえって若い世代のテクノロジー活用を難しくしているのかもしれない」と指摘する。
「たとえばCG表現でいうと、Blenderのような昔だったら喉から手が出るほど欲しかった高度なツールが、無料で使える時代になっている。でも、いまの学生たちは意外と使わないんですよ。なんでなんだろうとずっと考えていて。ひとつの仮説として、便利なテクノロジーが世の中に溢れすぎていて、そこにアクセスすることができる嬉しさやありがたみを感じにくくなっているのはあると思います。
あとは、表現のレベルが上がり過ぎてしまったのかもしれません。昔は『トイ・ストーリー』を見て、『1年くらい頑張れば、自分にもできるかも』と思えた。でもいまのマーベル映画や『トランスフォーマー』などのCGは、“遠すぎる”んですね。人間は、3歩ぐらい先の目標なら歩こうかと思うけど、10キロ先だとけっこう諦めちゃう。
映像やモーションデザインという分野自体が長年かけて成熟し過ぎてしまっていて、新しい技術やツールが登場した程度では『ちょっとやってみよう』というモチベーションが湧きづらくなっているのかもしれません」
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振り返れば、Web黎明期やFlash黄金時代のインターネットは、拙くも愛おしいコンテンツで溢れていた。その「拙さ」こそが、「自分ならもっといいものをつくれる」とクリエイターの創作意欲を刺激し、新たなコンテンツを生み出す原動力となっていたのかもしれない。
だが現代では、洗練されたコンテンツがあまりに世の中に溢れすぎている。こうした社会だからこそ、VTuberやTikTokのようにある程度の拙さが許容され、かつ人々が乗りやすいフォーマットを生み出すことが重要になっているのではないかと。
さらに近年急速に進化するAIは、デザインのプロセスを根本から変え、デザイナーそのものを代替し得るという点で、従来のテクノロジーとは質的に違うもののようにも見える。だが、中村はAIがデザインという行為そのものを代替するという意見には懐疑的な見方を示す。
「たとえばChat GPTは本当に便利だし、プログラミングなどの作業では積極的に使っています。だけど、先日、画像生成AIを使ってミュージックビデオをつくったときは、なんだかつまらなかった。『もう1回やりたいか』と聞かれると、別にやりたくはないですね。僕の場合、つくることは仕事である以前に趣味なので、プロセス自体に自分が没入できる楽しさがなかったら意味がないんです。
いま僕がつくっているものとまったく同等のもの、あるいはそれ以上のものがAIでつくれるようになったら、どうなるんだろう──楽しさが阻害されるのかな?でも、『アルファ碁』が出てきても、囲碁や将棋やチェスは廃れなかったように、AIという巨人の肩に乗ることで、人間の新たな表現が可能になっていく。そこに僕は次の楽しさを見出していくのかもしれません」
《よい》デザインから、《いい》デザインの探求へ
「個人の趣味から始まった」という原点も影響しているのだろう。中村は明らかに職人タイプのデザイナーのように映る。
ちょっとだけ詰める、ちょっとだけ離す──そんな気の遠くなるような作業の繰り返しの末に、「ちょうどいい」表現に着地する瞬間が、中村にとっては面白くてたまらないのだという。
「たとえば、百戦錬磨のタイポグラファーが組んだ文字組みと、駆け出しの人が組んだ文字組みって、フォントや文章は同じでも、やっぱり全然違うじゃないですか。僕もタイポグラフィ―が好きなので、自分でもけっこうやるんですが、あっちを詰めて、こっちを離して……みたいなことをずっと繰り返している間に、『ちょうどいい』ところに辿り着くのが、面白い。
そういう表現に辿り着くと、『いいわぁ』ってにやにやしながら、何ならウイスキーとか傾けながら、ずっと眺めていたくなっちゃう」
これこそが、中村の精巧な表現の源泉である。
しかしここで気になるのは、個人として満足できる表現の追求と、デザインの「仕事」としての側面をどう両立させるのか、という点だ。
この問いについて中村は、長年ユニクロなどのプロジェクトを共にしてきたアートディレクター・佐藤可士和からの学びが大きかったと語る。
「自分が一番『気持ちいい』と感じる表現と、ビジネスのアートディレクションにおいて『よい』とされる表現は全然違う。可士和さんとはそういう話をよくしていましたね。仕事でやるときは、ブランドやプロジェクトとどう調和させるかをすごく考えるようになりました。
たとえばCMひとつとっても、僕と可士和さんでは見ているものが全然違う。僕が映像の美しさや斬新さを見ているのに対して、可士和さんは『お茶の間の人たちがどんな認知をして、ブランドに対してどんな印象を持ち、どう商品が売れていくか』という視点でずっと見ている。
つまり、可士和さんの視点では、『よさ』はつくったものの中にあるんじゃなくて、見る人の中で発生しているんです」
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デザインの「よさ」は、デザインそのものに内在するのか、デザインがもたらす効果にあるのか。別の言葉に置き換えるならば、デザイナーは《何を》デザインしているのか。
これは、デザイナーにとって根源的な問いではないだろうか。中村自身、さまざまなデザイナーの思想に触れる中で、「社会の中でデザインを機能させる世界観と、自分にとっての納得を追求する職人的な世界観を行ったり来たりしていた」と語る。
そんな正解のない問いの往来に、ひとつの決着をもたらしたのは、KDDIスマートフォン端末「INFOBAR」でプロジェクトを共にし、2014年に新設された多摩美術大学の統合デザイン学科の教授陣に、共に着任した深澤直人の視点であった。
「深澤さんは、可士和さんとはまた反対のことを言っているんです。印象に残っているのは、多摩美の統合デザイン学科で、深澤さんの授業を観に行ったときのこと。学生たちに、『《いい》と、《よい》は、どっちがいいと思う?』という問いかけをされていて。『何その質問?』と思ったんですけど(笑)
要するに、人それぞれの主観的な感じ方としての《いい》と、ソーシャルグッドな、善のニュアンスを持つグッドネスとしての《よい》があって。深澤さんは《いい》を追求していると仰っているんじゃないかと僕は解釈したんですね。
その言葉を聞いて、『自分はやっぱり《いい》デザインを追求したい』と思ったんです」
2014年と言えば、ちょうどビジネスにおいてデザインが果たす役割など、課題解決を志向する《よい》デザインの有用性が日本にも浸透しはじめた頃だった。
一方、その後の中村は『HUMANITY』でのゲーム制作など、自分にとって《いい》デザインの追求に活動の舵を切っていく。後から振り返れば、それは自分にとっての原点に立ち戻る行為でもあったという。
「だから、回帰していった感覚なんです。学生時代にしょうもないサイトをつくっていたときと、根底にある衝動は同じで。『こんなのできたけど、どう?』と世に出して、『面白い』って言われたら、『でしょう~?』と満足して、『つまらない』って言われたら、『そっか~、滑ったか~』と悔しがって。そういうことを、いまも延々とやっている感じです。
デザインを社会でいかに機能させるかとか、社会を前進させることこそがデザインの使命とか。いま、そういう空気がすごく強くなっていると思うんですけど。僕からしてみれば、いやいやそれ以前に、デザインってすごく面白いじゃんと。いろんな考えの人がいると思うけど、そこはあまり手放したくないですね」
どれだけテクノロジーが進歩しても、どれだけ社会が変わっても、変わらないデザインの本質。それは、デザインが持つ根源的な楽しさであり、面白さである。
中村の言葉は、最もシンプルで力強いクリエイティブの源泉を、私たちに再び思い起こさせてくれたのだった。
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