デザインすべきは、「誰一人取り残されない」ための“場”——デジタル庁CDO 浅沼尚

「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を」というデジタル庁のミッションに挑む浅沼尚。見据える道筋と、デジタル庁創設から約半年間の思考の軌跡を聞いた。

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浅沼尚は考えていた。

「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を」というデジタル庁のミッションを、どうすれば実現できるのかと。

大橋 正司、広野萌、横田結、高野葉子をはじめ、デジタルデザイン領域で名の知られる面々が参画したことでも話題となったデジタル庁。2021年9月の創設から半年、いくつかのサービスがリリースされ、その都度耳目を集めてきた。

デジタル庁CDOに就任してからおよそ半年、考え抜いた浅沼の足元には、徐々にではあるが歩むべき道筋が見えてきているという。氏はいかに「誰一人取り残されない」という、大層なミッションに取り組もうというのか。

言うまでもなく、企業が何らかのサービスをつくるときは、ターゲットを設定し、それに最適なものを作る。しかし、デジタル庁のターゲットは全国民。あらゆる利用者にきめ細かく最適化したサービスを提供することは可能なのか。考えれば考えるほど、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を」は、途方もない難題だ。

浅沼の見据える道筋と、創設から約半年間の思考の軌跡を聞いた。

デジタル庁“だけ”で実現するつもりはない

2021年12月に閣議決定された 「デジタル社会の実現に向けた重点計画」によると、デジタル庁は「デジタル社会の形成に関する司令塔」と定義される。計画では、一人ひとりに寄り添う姿勢の大切さが特に強調されている。

「社会全体のデジタル化は、国民生活の利便性を向上させ、官民の業務を効率化し、データを最大限活用しながら、安全・安心を前提とした『人に優しいデジタル化』であるべきです。(中略)デジタルの活用で目指すのは、これをさらに推進し、誰一人取り残されることなく、多様な幸せが実現できる社会です」

「デジタル社会の実現に向けた重点計画」(閣議決定資料より)

つまり、デジタル化推進の目的は、国民の多様な幸せの実現にある。だからこそ、ミッションには「誰一人取り残されない」という言葉が掲げられたのだろう。

しかし、冒頭で述べたように日本国民1億2,500万人の幸せを、600人足らずの組織で実現するなどとてつもない難題。浅沼も「デジタル庁が全てを担うことではない」と言う。その上で、以下のように言葉を続ける。

浅沼「このミッションは、“デジタル庁が”——より正確に言えば“デジタル庁だけ”で実現するものではありません。我々自らが管理するシステムもありますが、ほとんどのサービスやシステムは府省庁や自治体の方々と一緒に作り上げて運営しているもの。担うべきは、大きな方針や目指す理想を掲げ、強靭かつ持続可能な連携体制を創っていくこと、民間事業者や民間団体の方々とその方針や理想を共有し、相互理解を深めたり、その方々の力を発揮しやすい場づくりをすること。重点計画にもあるように、デジタル庁は社会全体のデジタル化に向けた、司令塔。そこへたどり着くために必要な場や環境、仕組みを用意する役割です」

ロールモデルは海外にある。そのひとつが、インド中央政府による「India Stack(インディアスタック)」だ。

India Stackとは、デジタルインフラの土台となる「Aadhaar(アドハー・インドの国民識別番号制度)」をベースに開発されたオープンAPIの集合体だ。これを活用すれば、民間企業は自組織のアプリケーションにAadhaarの活用したさまざまな機能を組み込める。

例えば金融機関が本人確認アプリケーションを開発する上でIndia Stackを用いると、生体情報をもとに顧客の基本情報を受け取る機能を簡単に実装できるといったイメージだ。

「個人に番号を振る行為なら日本政府もやっている」と思うかもしれない。しかし、インド中央政府は個人識別番号に加えて、個人認証や電子署名などのAadhaarをベースに様々な機能を統合。可能性を広げ、民間企業が開発に乗り出しやすくなる環境を整えている。

India Stackは、資金力やリソースに乏しいスタートアップにとっても大きな意味を持つ。開発コストが大幅に圧縮できればサービスリリースや事業開発の速度も上げやすくなるからだ。単なる政府のための仕組みではなく、民間企業視点でも大きな利点をもたらすからこそ、India Stackは機能している。

そうした海外のデジタルガバメントにおける先行事例を参照しつつ、浅沼は日本流のデジタル社会実現を思い描く。その背景には、民間出身の浅沼らしい視点もある。

浅沼「日本は海外と比較して一般的にサービスに関する期待値が高いと言われています。私も実感も含めてそう認識しています。行政サービスにおいても期待値が高いのは同様。海外のデジタルガバメントの推進事例を参照しつつも、日本の文化、習慣、潜在的な意識や価値観に合わせて丁寧に調整する必要があると思っています。

また、一つのソリューションであまねく人のニーズをカバーすることは不可能。これは企業活動であれば当たり前の考え方ですよね。ただし、本当に一人ひとりのユーザーに合わせた手段を個別に用意していては莫大なコストと時間がかかってしまいます。行政も民間と同じように成果を問うことにはシビアにならなければならない。費用対効果を丁寧に分析しつつ、個々のニーズに最大限応えられるような実現可能な複数のアプローチを考案する必要があります」

「こぼれ落ちてしまう」領域を、あえて選ぶ

戦略の合理性は理解できる。だが、その実行が容易でないことも想像に難くない。おそらく浅沼が生きている間に実現されるのかさえ分からないかもしれない。なぜこの難題にわざわざ挑むのか。氏の歩んできたキャリアを知ると、その必然性が少しずつ浮かび上がる。

「できるだけ普遍的で、ロングライフなもののデザインがしたい」

2001年、デザイン工学の修士課程を修了した浅沼は、そんな想いのもとキャリアをスタートした。新卒で入社したのは、総合電機メーカー。インダストリアルデザイナーとして、家電や映像機器といった幅広い製品の企画・デザインを経験。北米のグループ会社での勤務や、本社でのコーポレートブランディングやデザイン組織でのマネジメントにも携わった。デザイン領域は、“インダストリアルデザイン”にとどまらず、UX、マーケティング、ブランディングまで拡大していた。

しかし、入社から16年も経った後、外資系デザインコンサルティングファーム・Concentrix Catalyst(旧・Tigerspike)へ転職。大手の安定した環境から、あえて日本法人設立から数年、数十名規模の真新しい環境へ身を移したのだ。ビジネスの潮流がモノからデジタルサービスへと変化していく最中、その経験を積む機会を求めてのことだった。

Concentrix Catalysでは金融や保険、小売、航空業界等の大手企業を担当。デジタルサービスにおける体験デザイン戦略の立案やサービスコンセプトの開発を主導する。一般にレガシーと呼ばれる業界を中心に経験を積んだ後、浅沼はその中でも特に“重たい”であろう金融の世界に腰を据える選択をした。選んだのは三菱UFJフィナンシャル・グループのデジタルサービス開発を担うJapan Digital Design(JDD)。CXOとして体験、およびデザイン組織をリードしてきた。

いずれの環境でも、そう易々とは解けないであろう課題と向き合い続けてきた浅沼。その氏を持ってしても、「いつかは腰を据えて挑みたい」と感じていた領域があった。

浅沼「デザインコンサルとして多様な業界と向き合っていると、デザインが業界に与えられるインパクトの大きさを理解できます。それが特に大きいと感じていたのが、金融や保険、航空、流通、医療といったデザイナーが少ない領域。その延長上にあったのが、“行政”だったんです」

浅沼はペンを手に取り、手元の紙に4象限のマトリクス図を書き始めた。

浅沼「デザイナーが関わる領域を『汎用性』『難易度』という二つの軸で切り分けみてください。これは、山口周さんの著書の中で説明されている考え方でありますが、汎用性が高くて難易度が低い分野は、事業を展開する上でのスイートスポット。コンサルタントであれば、企業に対して『ここを攻めましょう』というでしょう。次点で汎用性が低く難易度の低い分野、汎用性が高いが難易度も高い分野です。

結果、最後に残るのが、汎用性が低くて難易度が高い分野。ここは、いつまでたっても取り残されてしまう。自分は、この取り残されてしまう領域こそ、直感的ではありますが、社会にとって大切な部分だと考えていました。特定の人にしか利用されない高度医療や、地域特性の強い過疎化の問題、災害時の備えや対応など、経済合理性だけで考えるとこぼれ落ちてしまう領域は確実にある。そうした問題に、アプローチできる機会はないだろうかと考えていました」

その浅沼が「アプローチできる場所」として見つけたのが、デジタル庁のデザイナー職だった。

話を聞けば聞くほど、目前の課題の難易度は、浅沼にとって大した問題ではないのだろうと感じさせる。大切なのは「その世界でどれだけデザインが必要とされているか」。その意味で、デジタル庁への参画も必然だったのだろう。

デジタル庁は発足時、職員600人のうち200人を民間から募集し、1,432人の応募があったという。CDO枠への応募人数は不明だが、狭き門なのは言うまでもない。

浅沼に「なぜ自分がCDOに選ばれたと思うか?」と問うと、直接的な答えは「わからない」としつつ、あるエピソードを明かしてくれた。

浅沼「実は2021年1月、マイナポータルのデザインや機能改善に関する意見を国がオープンに募っていたんです。そのとき自分はデジタル庁で働くことなんて考えてもいなかったのですが、勝手にプロトタイプを作って応募しました。まぁこれは、今回の選考とは関係ないと思いますが(笑)」

義務感からではない。公の課題に自然と手を動かしてしまう一人のデザイナーの姿がそこにあった。

浅沼がデザインするのは、広義な意味での“場”

入庁から半年、行政ならではの慣習や業務の進め方を学びつつ、手を動かしながら自分がどのような役割を担うべきかと思慮を深めた浅沼。冒頭語った戦略がその青写真ではあるが、そこへ向け直近では“3つのデザイン”に注力しようとしている。

浅沼「一つ目はプロダクトデザイン。行政のサービスは開発の委託プロセスが複雑で時間がかかります。しかも委託先にデザイナーがアサインされていない場合もあり、その際には限られたリソースの中、デジタル庁のインハウスデザイナー主導でデザインをまとめる必要があります。まずは、このような状況下でも優れたデザイン品質のプロダクトを提供できるよう、デザイン体制や開発プロセスの構築を進めていきます。

二つ目はコミュニケーションデザイン。政府の方針や姿勢がもっとわかりやすい形で伝達されれば、民間企業や一人ひとりの国民もそれに応じた対応ができます。結果、打ち手一つ一つの効果が従来と比べて何倍にもなるかも知れない。例えばマイナンバーカードは普及率の低さが問題になっていますが、その利用価値や安全性を利用者視点で適切に伝えられれば、マイナンバーを基盤としたサービスの展開を加速できるかもしれません。

そして三つ目はサービスデザイン。現状、行政のサービス開発において『プロダクトのUIをより良くしよう』という点は共通認識が得られているものの、『利用者だけでなく提供者を含むサービスに関わる体験全体を良くしよう』というところまでは十分に考慮されているとは言えません。サービス提供者である行政職員の体験はおざなりになる傾向があります。持続可能なデジタル社会の実現には利用者だけでなく提供者の体験の視点は不可欠。そこに向かうには、行政職員の大きな意識改革が必須でしょう」

これら3つは、行政の「外」からではなく「中」から変革していかなければいけないと浅沼は強調する。単に変化が起これば良いのではなく、庁内全体にデザイナー的なマインドセットを浸透させる必要があると考えるからだ。

浅沼「特にサービスデザインではドメイン知識が必須なので、行政の『中』の人材によって手がけられることが理想です。そのためには、行政の『中』に、体験全体を良くしようとする意識や文化が根付かなければいけない。そこへ向け、最適な業務プロセスの設計から、デザイン思考を体得できるようなプログラム等の開発なども必要だと考えています」

さらに言えば、デジタル庁自体をデザイナーにとって魅力的な場に育てるのも、大切な役割だと浅沼は捉えている。というのも、浅沼を含め民間人材は非常勤の一般職国家公務員という「有期契約」だ。自身も含め、職員が入れ替わっても優秀な人材が集まり続けるよう魅力的な場にすることも、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を」実現するためには不可欠だからだ。

浅沼「30歳ぐらいの時、『もう自分はなんでも作れるな』という気分になったことがあるんです。でもよくよく考えると、それは自分が好きにデザインをできるよう環境や場を整えてくれる上司や先輩方や仲間がいたからだった。そう気づいたことがあったんです。以降、自分もその“場を作ること”に力を入れようと思いました。いまも、自身の役割の8割以上はミッションの達成に向けた”場作り”だと思っています」

Credit
執筆
一本麻衣

フリーランスのインタビューライター。一橋大学社会学部卒業後、メガバンク、総合PR会社などを経て2019年に独立。記念日に写真を撮るように、二人の言葉を残すインタビュー「Partner Interview」主宰。1987年生まれ。

取材・編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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