NOSIGNER 太刀川英輔──デザインとは、形をもって美しい関係をつくること

太刀川のデザイナーとしてのゆるぎない価値観と、社会の課題を正面から捉え、業界の最前線を切り拓く作品群は、どのようにして生まれたのか。

Cover Stories

創造とは何か。

ダ・ヴィンチ、若冲、ガウディ……歴史に残る名作が生み出されるとき、「巨匠」「天才」と呼ばれた者たちの内部では何が起こっていたのか。

グーテンベルクの発明した印刷機、ライト兄弟が完成させた飛行機、フォン・ノイマンが発明したコンピュータ……歴史を変えた発明品は、どのようにして生まれたのか。

「良いデザイン」とは何か。「美しい」とは何か。

ものづくりに携わる人なら、誰しもが普遍的に抱くこれらの問い——あまりに壮大なこれらの問いを探求し、単行本500ページ以上にわたる論考、「進化思考」にまとめあげてしまった人物がいる。

NOSIGNER 太刀川英輔だ。次世代エネルギー、防災、地方創生など、「社会的意義が高い」と評されるデザインプロジェクトを手がけ、100を超えるデザイン賞を受賞。JIDA最年少理事長、金沢美術工芸大学客員教授や阿南工業高等専門学校の特命教授を務め、2025年の大阪・関西万博では、日本館の基本構想クリエイターに名を連ねる。

「デザインとは、あらゆる人間に備わる本能である」

デザイナーとしてのゆるぎない価値観と、社会の課題を正面から捉え、業界の最前線を切り拓く作品群は、どのようにして生まれたのか。さまざまな危機に曝されている現代社会を見つめ、デザインという営みにどのような可能性を見出しているのか。

大きな課題を解決するデザインに、「美しさ」を見出した

ソーシャルデザインの第一人者。

さまざまな顔を持つ太刀川を端的に表現するのは容易ではないが、デザイナーとしての顔を、このように称されることがある。

東日本大震災の発生から40時間後に立ち上げられた、災害時に役立つ知識を集めて共有するwikiサイト「OLIVE」。その内容を書籍化した「OLIVE いのちを守るハンドブック」、防災キット「THE SECOND AID」といった、一連の防災に関するプロジェクト。

これらの取り組みが発展し、東京都に住む全670万世帯に配布され、日本の行政広報物史上最大級の出版プロジェクトとなった防災ハンドブック「東京防災」。

2019年の新型コロナウイルス感染拡大を受けて立ち上げた、パンデミックから命をまもるためのウェブサイト「PANDAID」。A4クリアファイルをカットするだけで簡単につくれるフェイスシールド、ソーシャルディスタンシングを人々をつなぐ豊かなコミュニケーションへと昇華させたアート作品「SOCIAL HARMONY」。

たしかに、代表作として真っ先に挙げられるのは、震災やコロナ禍といった時代の危機に素早く反応した、社会的意義の大きいプロジェクトだ。

太刀川は、震災やコロナ禍が起こる以前から、一貫して「社会の課題を解決するデザイン」に軸足を置いて活動してきた。太刀川の目指す「美しさ」は、その領域にあったからだ。

太刀川「『美しいものをつくりたい』という想いは、デザイナーなら誰しもが持っていると思います。僕も美しいものが好きだったし、美しいものをつくれるようになりたかった。

ただ、僕たちが『美しい』とか『優れたデザインだ』と言うとき、“形のよさ”だけで判断しているわけではないですよね。例えば、いかに美しい椅子でも、すぐにお尻が痛くなれば優れたデザインとは言えないように。身体全体で感じる気持ちよさや、投げかけられるメッセージ、それら“目に見えない関係性”にこそ、本質があります。

では、何を繋いで関係性をつくるべきかと考えたとき、それは社会の“分断”ではないかと考えるようになりました。大震災による破壊も、コロナウィルスの蔓延による行動制限も、持続不可能な資源とエネルギーも、あるべき状態とのズレです。こうした分断をつなぐことは、従来のやり方ではなかなかできない。だからこそ新しい形を作るデザインの出番なのだと考えるようになりました」

デザインとはそもそも社会課題の解決を志向していた

こうして太刀川が社会課題に目を向け始めたのは、デザイナーとして活動を始めた2006年頃。「ソーシャルデザイン」という概念が今ほど浸透していなかった当時、こうした太刀川の姿勢に対して、「偽善だ」と非難する声もあったという。

一方、太刀川にしてみれば、デザインとはそもそも社会課題の解決を志向するものだった。

例えば1953年、歴史上最も軽いドーム「ジオデシック・ドーム」を発明したバックミンスター・フラーは、「宇宙船地球号」という言葉で地球上の資源の有限性を語り、「少ないもので多くを実現する(More with Less.)」デザインを探求した。サステナブルデザインの祖、ヴィクター・パパネックは、1972年に発売した著書『生きのびるためのデザイン』の中で、デザインの道徳的な義務と責任について論じ、デザイナーが社会的ニーズに取り組むことの重要性を説いていた。

ところが1970年代以降、デザインは社会のニーズに取り組む運動としての勢いを急速に失ってしまう。

太刀川「それまでのデザインは『社会はこっちに向かっていくべきだ』という哲学的な運動と繋がっていました。僕は当時の建築家たちの、未来への視座にデザインを重ねていく姿勢こそが格好いいと思っていたんです。

しかし1970年代の高度経済成長期以降、領域の専門分化が進み、デザインは矮小化されてしまった。それぞれの領域におけるよい表現が追求され、デザインは社会と切り離されていったんです。そうしたデザインのあり方に、僕はあまり興味を持てませんでした」

建築学科の学生が、領域を横断するデザイナーになるまで

デザインが専門的な領域に閉じ込められ、各々の領域の専門家しかデザインをしてはいけないような現代の風潮に、違和感を覚えていたという太刀川。

かつて、デザイナーたちは領域に囚われず、自由に創造性を発揮していた。万能の天才と言われたレオナルド・ダ・ヴィンチはもちろん、最古のピラミッドを設計したイムホテプは医師だった。20世紀を代表する建築家を見ても、ル・コルビュジエは画家・編集者・都市計画者であり、ミース・ファン・デル・ローエは家具のデザイナー・学長・発明家、イームズ夫妻はアントレプレナー・エンジニア・サイエンスコミュニケーター・映像ディレクターと言える。

建築学科を卒業し、隈研吾の研究室に在籍していた院生時代。この事実に希望を見出した太刀川は、自らも「総合的な創造性を発揮するデザイナー」を目指そうと、大学院を休学。山ごもりのように引きこもっては、グラフィックデザインやプロダクトデザインなど、建築以外の分野のデザインコンペに幾つも応募した。

太刀川「世の中にはいろいろな“お題”を出している人がいて。最初はコンペを通じてそれらのお題に答えていくことで、鍛錬しようと思ったんです。コンペを通じて人に会い、彼らがどういうことに困っているのか聞いていくと、『こういうものがあれば分断を繋げられるかもしれない』と感じる、より本質的な課題に出会うようになりました」

あるべき関係性と、分断をつなぐデザイン。思いついたアイデアを提案すると、相手にされないこともあった一方、喜ばれ、新たなプロジェクトに至ることもあった。

そうして生まれたプロジェクトは“わらしべ長者“のように連なって、「少しずつ大規模で本質的なものになっていった」という。そうして太刀川の携わる領域は、社会課題の解決に軸足を置いたデザインへと集約されていった。

太刀川「たくさんのプロジェクトに携わる中で、どんな課題がより本質的なのか、感覚が研ぎ澄まされていきました。“お金にはなるけれど、本質的でない課題”に向き合ったときの自分と、“お金にはならないけれど、本質的な課題”に向き合ったときの自分をA/Bテスト的に比較していくと、自分のやりたいデザインの方向性が次第に定まりました」

さまざまな領域の実績が増えるにつれて、経済性のある課題にも取り組めるようになったという。

太刀川「社会的意義と経済性は、必ずしも矛盾するものではない。『こういうことをやりたい』と、言っているだけでは気づいてもらえない。でも具体的なプロジェクトが世に出ると、ずっと前からそういうことを言っていたデザイナーだと認識してもらえ、テーマに共感できる仲間としてのクライアントと出会い、また新たなプロジェクトへとつながる。そんな循環が起こりました。

走っているうちに、自分がやりたいデザインを実現できる状況へと収束していく。デザイナーのキャリアパスって、そういうものですよね」

美しさとは「形と関係が一致していること」

太刀川は、形に比べて軽んじられていた関係の重要性を強調してきたが、それはイコール「形は重要ではない」ということにはならない。形と関係、内部と外部。最適化された2つが交差する場所にだけ、太刀川の目指す「美しさ」は立ちのぼる。

太刀川「美しさには、『どこを揺さぶるといいのか』というメタフィジカルな美しさと、それが『どこまで磨き込まれるか』というフィジカルな美しさの2種類がありますよね。それら2つが出会うところで、美しい出来事が起こると思っています。

それは、“言っていること”と”やっていること”が一致している状態でもある。目指している関係性と具体たる形が一致している状態。そうでないと、僕は美しいとは思えない。だって、ダサいじゃないですか。“言っていること”と“やっていること”が食い違っていたら」

形と関係が一致している状態。それは「過不足がない」ということでもある。そしてこの過不足がない状態にこそ、私たちは共通感覚としての「美」を見出している。

太刀川「例えば『整理整頓された部屋は美しい』とか『食べきれないほどたくさんの料理を注文して残すのはダサい』ということに対してあまり異論が出ないですよね。私たちが何かを『美しい』と感じるとき、それは過不足がなくなる瞬間を見ていると言えます。

過不足がないのが素敵で美しい状態であることは、デザイナーに限らず誰しもが、感覚的に知っていることだと思いますよ。冷蔵庫にある食材を使い切って美味しい料理がつくれると、気持ちいいのと同じ。多すぎて余った食材はいずれ腐ってしまうし、少なすぎれば料理が美味しくならない。過剰でも不足でも何らか不都合が起きます。

逆に言えば、過不足がない状態まで関係が磨き切られたとき、形は必然的に美しくなってしまうというのが僕の仮説。また過不足がない状態に磨き込むには、形を扱うスキルがいる。そういう新たな形の出現に気付くのは、デザイナーの根源的な喜びだと思うんですよね」

オフィス天井、解体現場から出た廃材の軽量鉄骨が活用されている

太刀川の場合は、その究極を自然生物の中に見た。ロマネスコが描くフラクタル構造、オウムガイの断面図に現れる黄金比、ひまわりの種の並びに隠されたフィボナッチ数列。形と関係がせめぎ合い、これ以上動きようがないというところで止まった美しいデザインが、自然界には溢れていた。

生物進化の仕組みと照らし合わせ、創造のプロセスを体系化した理論「進化思考」も、「どうすれば優れたデザインが生み出せるのか」と、生物を探求し始めたのがきっかけで生まれたものだ。

太刀川「形と関係が一致していることが『美しい』のだとすると、生物にかなうデザイナーはいないですよね。そうして改めて生物を見てみると、たしかに美しいものが多い。

僕は優れたデザインには、再現可能な構造が存在すると信じているんです。デザインを、才能やセンスのような怪しげなもので片付けてしまおうとする人もいますが、それだと才能のない人はデザインを諦めなければいけなくなる。それは僕にとって、考えることの放棄でしかなかったから……。

優れたデザインの持つ構造を学べないかと思って生物の観察を始めてみると、創造行為のプロセスが、生物進化の仕組みと全く同じように見えてきたのです」

時代の危機が、デザインの力を解放する

自然に学ぶこと、形と関係の美しさを追求すること。これらは何も、太刀川が言い始めたことではない。数万年前に人類が道具を発明して以来、有名無名のデザイナーたちがずっと目指してきたことだ。

ではなぜ、現代のデザインにおいて、そうした姿勢が軽んじられるようになってしまったのか。その理由を太刀川は、「豊かな時代がデザインに差分だけを求め始めた」と指摘する。

太刀川「モダニズムへの反動として、1970年代に登場したポストモダニズムは、言葉としても『アンチ・モダニズム』という意味しかありません。つまり、それ自体に社会との関係という意味でのメッセージ性は乏しかった。

そんなふうに高度経済成長期以降のデザインは、今までと違う“差分”の作家性を志向するようになりました。そこにはある種の意味はあったのかもしれないけど、社会の目的から離れた結果、糸が切れた凧みたいになってしまった。

かたや、モダニズムや、ミッドセンチュリーモダンのデザインに勢いがあったのは、パンデミックや世界大戦という壮絶な時代をサバイブした人たちが『これからの社会をどうにかマシにしないとヤバい』と思ってつくっていたからでしょう。無駄なものをつくっている余裕などなかったし、分断した関係を純粋に築き直そうとした。ポストモダンとは、切実さが違ったんです」

つまり、優れたデザインが生まれる条件は、個々のデザイナーの優秀さではなく、社会からのデザインに対する要請の強さにあった。社会は新たな関係を必要とし、デザインには新しい形をつくる役割が求められたのだ。ポストモダンにおける変化は、それだけ社会が豊かになり、平和だったことの裏返しとも言える。

そして現代——デザインに対する社会の要請は、いま急速に高まりつつある。

一つの要因は、地球環境問題に対する危機感の高まりだ。2015年には国連でSDGsが採択され、ようやく真剣に考える動きが出てきた。こうした時代の変化について太刀川は、「デザインは昔よりずっと本質的な方向に向かってきている」と語る。

太刀川「『私たち人類は持続不可能である』という切実な課題を突きつけられたことで、新たな可能性を模索する動きが活発になっていると感じます。『デザインは社会の課題を解決するもの』『大きな課題にチャレンジするデザインこそが格好いい』というムードも広がってきました。共感するプロジェクトもすごく増えてきましたし、僕にとっては、ようやく少し居心地が良くなりました。

この流れは、1970年代に一度潰えたデザイン運動のリバイバルとも捉えられます。フラーの提唱した『宇宙船地球号』もそうですし、1972年発表の報告書『成長の限界』には、最近のSDGs関連の本とほとんど同じことが書いてある。僕たちは、いまの流れを追い風にして、もう一度50年前の宿題に取り組まなければならないのです。これまで“不都合な真実”として、見てみぬふりをし続けてきたこの問題に」

持続可能な社会を、いかにしてデザインするか

そんな太刀川の目下の関心は、やはり持続可能性にある。

「創造の天敵は“廃棄”である」と語る太刀川。物心ついたときには、まだ使えるものが当然のように捨てられることに疑問を持ち、ゴミに価値を見出してきた。自宅の六畳間には、ゴミ置き場から拾ってきたテレビが3台もあった。「サステナビリティ」という概念が社会に浸透する以前から、太刀川はこの姿勢を一貫して持ち続けてきたのだ。

太刀川「小学校のころは、粗大ゴミの日には早起きして、キャリーカートを引きながらゴミ置き場を回っていました。捨てた人にとってはゴミだったんでしょうけど、自分にはものすごい価値が落ちているように見えたんです。

デザインとは、価値がなかったものに価値を見出すことでもある。そう考えたとき、まだ使えるものを『価値がない』とみなして捨てることは、創造にとって最大の天敵なのです」

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の研究員と合弁で創業した、サーキュラー・エコノミー専門のコンサルティングファーム「ZENLOOP」の名刺。廃棄物にシールを貼るデザインで、資源の循環を訴えかける。

2018年に経産省に提言した「放射性廃棄物最終処分場のためのデザイン戦略提言」や、SPERA水素を活用した次世代エネルギー戦略の立案など、エネルギー資源の問題に直接関わるプロジェクトにも携わってきた。

しかし最近、子どもが生まれたことで、この問題に対する“切実さ”のレベルが変わったという。

太刀川「2歳と0歳の子どもがいるんですが、この子たちの将来を考えたときに、『文明は持続不可能です、21世紀の中頃までしか持ちません』とか言われてしまうと、非常に困るわけです。あと30年しかないことになってしまう。なので、どうにかしてその寿命を伸ばしたい。エネルギー循環型社会へのアップデートは、必ずや向き合わなければいけない問題なんです。

この課題に取り組むため、最近サーキュラー・エコノミーのコンサルティングファームを立ち上げたり、再生可能エネルギー事業会社の役員になったりしました。また環境省や経産省の政策づくりにも協力しています。持続可能性を、どうやってデザインで実現するか。これは僕ら人類皆の課題だと思うので」

真剣に、しかしどこか明るい表情で、太刀川は続ける──「ずっと、そういうものがつくりたいと思っていたんです」。

一人ひとりが創造性を発揮することで、未来は変えられる

もう1つ、太刀川は「創造性教育の確立」と「教育のアップデート」にも熱意を注ぐ。

企業向けイノベーター教育プログラムの提供や、ベネッセの主催する「未来の教育を考える委員会」で座長を務めるなど、長年にわたって教育分野にも携わってきた太刀川。

“変異”と“適応”という生物進化の仕組みと照らし合わせ、創造やイノベーション創出のプロセスを体系化した書籍『進化思考』も、世の中に創造的な人間を増やすべく2021年に刊行したものだ。

背景には、世の中で“創造性”として捉えられているものに対する違和感と想いがある。

太刀川「『自分たちの力で、未来は変えられる』と思える人を、どうにか社会に増やしたいと思っています。そのために、まともな創造性教育をつくる。この世の中に、デザイナーを増やすということでもあるかもしれません。

いま、『自分のことをクリエイティブだと思う』日本人は、わずか8%しかいないと言われています。全世界平均は44%。日本人は特に自分のことを卑下していると思いますが、重要なのは世界平均でもたった44%しかいないということ。

だって、誰もが創造性を持っているはずでしょう。大抵の人は、朝ごはんをつくれますよね。呼吸することや水を飲むことと同じように、創造は僕ら人間の本能であり、能力であるはず。にもかかわらず、そう思えている人は44%しかいない。このズレは教育による側面も大きい。であれば必ず解消できると思うのです」

デザインはデザイナーだけでなく、あらゆる人間に備わっている本能である。そして現代の文明は、人類が何万年にもわたって連綿と積み重ねてきた、無数のデザインによってできている。

多くの人が思っているよりずっと、デザインは自然で普遍的な営みだと太刀川は捉える。

太刀川「人間社会にあるものはすべて、誰かしらが“設計”しているものですよね。それらすべてが実は“デザイン”なのだから、デザインってものすごいことだと思うんです。あらゆるものの背景にはデザイナーがいて、一つひとつの形が決定されていくプロセスによって、この社会が成り立っているわけですから。

文明とは、人類の無数の創造性が、ときにコピーされ、ときに改変されたりしながら、連綿と連なってできたもの。そう考えると、デザインはいま捉えられているよりずっと大きな、生物進化的なものに思えますよね。生態系的でもある。

だから、デザイナーも、そうでない人も、もっと自信を持ってデザインしていいと思うんです。僕がデザインから学んだのは、そういうことでした」

デザインは生物の進化と同じように、変異と適応を繰り返しながら、人間の文明をつくってきた。それは過去の人類の願いを引き受け、未来に祈る行為だ。

無駄な生物などいないように、無駄なデザインなど一つもない。環境に適応できなければ、絶滅してしまうかもしれないが、その変異は必ず次の進化へとつながる。

私たちも、祈りをこめて送り出す。この一本の記事から、未来を変える創造が生まれることを信じて。

Credit
執筆
藤田マリ子

1993年生まれ、京都大学文学部卒業。株式会社KADOKAWAにて海外営業、書籍編集に携わった後、フリーランスを経て、2023年に株式会社Nodesを創業。書籍やウェブ媒体のコンテンツ制作、ブランディング・マーケティング・採用広報支援を手掛ける。代々の家業である日本茶専門店・東京繁田園茶舗(1947年創業)の事業開発も行っている。
趣味は競技ダンス、ボードゲーム、生け花。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。2歳児子育て中。

取材・編集
小池真幸

編集、執筆(自営業)。ウェブメディアから雑誌・単行本まで。PLANETS、designing、CULTIBASE、うにくえ、WIRED.jpなど。

写真
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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