Webデザインの旗手は、なぜ事業会社へーーVisional田渕将吾

“制作会社のことを、よく『0を1にするのが得意』もしくは『1を10にするのが得意』と表現します。Visionalに入社して痛感したのが、事業会社は0よりも前のことをしている。そして、10よりも後のことも手掛けている感覚があります。”

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アートディレクター田渕将吾は、転職の“挨拶”をしなかった。

2020年、彼はアートディレクターとして在籍していたAID-DCC Incから、「ビズリーチ」「HRMOS」などを運営するVisionalに移籍。しかし、そのことはSNSでも、自身が運営するWebデザインギャラリー『S5-Style』、ポートフォリオサイト『S5-Studios』でも一切語られてこなかった。

これまで、世界最大級のデザインアワード『A' Design Award & Competition』でのGoldを始め、『Awwwards』『The FWA』『グッドデザイン賞』といった国内外のデザイン賞を受賞してきた田渕。近年は審査員側も務めるなど、第一線で活躍してきた。「制作会社から事業会社へ転身した」というニュースは、大きなインパクトを与えたはず。いったい、なぜ転職を公にしなかったのだろう?

「単純に『転職しました』という短い挨拶だけでは、背景にある僕の考えを汲み取ってもらえず、表層的な反応に終わってしまう気がしたんです。でも、1年を経た今なら、自分が取り組みたい新しい『デザイン』を、実績とともにお伝えできるかもと考えました」

だから、「今日はちょっと少し長い話になるかもしれない」。そんな前置きとともに、田渕の1年越しの“挨拶”は始まった。

デザインの拡張で気づいた「点をつなげる」楽しさ

美しく、使いやすいUIのみならず、アニメーションやサウンドデザイン、インタラクティブな仕掛けなど、田渕が手掛けるWebサイトは見る人を惹きつける。彼が生み出すのは、「情報」のやりとりをするサイトではなく、「情緒」をやり取りする“場”だ。

例えば、洋菓子店『銀の森』。岐阜県・恵那山のふもとにあるこのパティシエのWebサイトを覗くと、まるで青い森の中を彷徨い歩いているような気持ちになる。また、アーティスト『水曜日のカンパネラ』のサイトでは、様々な側面を見せるボーカリスト・コムアイを象徴するように、彼女がInstagramに投稿した写真の色がページに取り込まれる仕組みになっている。

Webのインタラクションやインターフェースのデザイン、動画やイラストを含むアートディレクション、フロントエンドのエンジニアリング。幅広い領域をカバーしながら、多様なアウトプットを生み出してきた田渕は、15年のキャリアを振り返って「点をつなげる作業をずっとしてきた」と表現する。

田渕「デザイナーになったばかりの2005年頃は、Webにおける『デザイン』という言葉を、インターフェースデザインの意味で使うことが多かったと思います。しかし、だんだんと『デザイン』で示される領域が拡大し、依頼される内容も変わっていった。そのとき役立ったのが、自分自身の過去の経験でした。

例えば、部活で吹奏楽をやっていたことがサウンドディレクションをする仕事になり、学生時代プログラミングを学んでいたことが、インタラクションのディレクションをすることに結びついていく。ファッションやヘアメイクの勉強が、アートディレクションやフォトディレクションで活きることもありました。いろんな実践を重ねながら、自分が得てきた『点』同士をつなげる楽しさに気づいていったんです」

つながる点の数が増えるとともに、依頼される仕事の領域を拡大させていった田渕。2010年代後半になると「デザイン」の概念はさらに拡張し、プロジェクトの中の要所で活躍していく。

田渕「2014年から在籍したAID-DCC時代を振り返ると、広告やテクノロジー、インスタレーション、ブランディングなど、デジタルにおける様々な観点で新しい『点』を学んだ時期でした。

今のユーザーは目が肥えているので、表面だけを取り繕った広告は全く受け入れてもらえません。人々に選ばれるためには、商品の特性や顧客のニーズを理解し、何が求められているのかをしっかり見定めなくてはいけないんです。そのために、見た目の美しさやインタラクションの驚きだけでなく、背景にある『ロジック』を徹底的に突き詰めていく必要がある。

そういった状況下での試行錯誤が、結果としていいアウトプットに結びついていったのだと思います。ニューヨークにいた知人から『水曜日のカンパネラ』のWebサイトが現地でも話題になっていたと聞くなど、自分の手の届かない場所でも評判になることが増え、手応えを感じていました」

UIデザインから、インタラクションなどを巻き込んだ総合的な「デザイン」へ。さらに、顧客の視点を重視しつつ、丁寧なロジックのもと組み立てる戦略まで。言葉の拡大に合わせて、田渕は新たな点をつなげながら、自らの仕事の「面」を拡大させていった。

「中の人」として関わるブランドとデザイン

そして2020年。彼が事業会社であるVisionalへの移籍を決めた理由もまた、新たな点を打ち、面を拡大することだったという。

2018年に経済産業省が「デザイン経営」宣⾔を打ち出した影響なども含め、デザイナーの領域は単なる制作のみならず、幅広く認知されるようになってきた。田渕も舞い込むヘッドハンティングの誘いから、デザインに対する新たな可能性を感じていた。

田渕「メガベンチャー・スタートアップなどの、事業会社がリードアートディレクターを探していたり、経営まで担えるCDOを求めていたりしたんです。

もちろん事業会社の人も、デザイン思考を用いてプロダクト開発をしたり、グロースさせたりはできる。しかし、アートディレクションによってブランドを構築したり、デザインの力を組織に浸透させたりしていく部分では、困難を感じている様子でした。そんな領域であれば、自分がチャレンジする可能性もありそうだと考えたんです」

新たな領域のデザインに挑戦する彼にとって、Visionalへの転職は意外ではない。

田中裕一がCDOとして在籍する同社は、デザイン経営の文脈でも先端を歩む企業として知られる。『We DESIGN it.』というデザイン・フィロソフィーを掲げ、約60名(2021年7月時点)のデザイナーが所属する組織には、デザイナーとして新たな境地に挑む田渕を受け止める土壌があった。

CDOとしてリスクを取る。デザインを通した価値創造をするためにーービズリーチ CDO 田中裕一
https://designing.jp/bizreach-tanaka
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では、Visionalに入社した田渕は、いったいどんな仕事をしているのか? 具体的な事例を聞くと、「過去の延長線上にあるもの」と「これまでに経験のないもの」を並行して担う田渕の姿が浮き上がってきた。

「過去の延長線上にあるもの」の一つにあるのは、これまでの経験を活かしたWebサイトの制作。コーポレートサイト新卒採用サイトのなどの要件を整理し、設計、デザインを田渕自身が主導して行なっている。

ただし、制作会社に所属して行なうことと、事業会社に所属して行なうことには大きな違いがあったという。

田渕「これまでは外部からの関わりだったので、クライアントの担当者を通したやり取りが基本でした。しかし、事業会社の中では、自分自身が事業部、マーケティング部、採用部、社長室、経営など、いろいろなステークホルダーと会話をしながら意見を取りまとめていかなければならない。今まで以上に『みんなで』という共創的な感覚があります。

また、これまではアートディレクターとして、クライアントの“独自性を最大化させる”ことに注力していたのですが、現在は自社の“独自性を正しく表現していく”意識に変わりました。現在のVisionalの場合だと、事業や組織も拡大し、公の会社となっていくうえでは、『急成長している会社』を訴えるのではなく『安定して成長を続ける会社』という姿勢を表現しなくてはいけない。これまでの制作とは別の観点で、自分の成長につながっていると思いますね」

そしてWebサイト制作とともに、過去の延長線上の仕事として担っているのがブランディングだ。こちらも田渕にとって得意とする領域。AID-DCC時代に培った経験を基礎にしながら、事業、サービスのブランド開発に取り組んでいる。その基盤づくりとして、『Make Brand』というタグラインやステートメントを策定し、レポートラインを整えた。また、ブランド開発のための組織づくりも半年かけて行なった。

田渕「事業会社の中では、どうしても事業運営に直接関わる事案が優先され、短期的に評価がしづらいブランド形成はどうしても後手に回ってしまう。そこで、自分が中心となってブランディングの必要性を訴えながら、価値認知に取り組んでいます。デザイナーの独りよがりとしてただ見た目を整えるのではなく、事業に必要なものをきちんと開発していくための土壌作りと意識改革をしているんです」

事業会社は「0以前」「10以降」も手掛ける

一方、田渕にとって新たな点となる「これまでに経験のない仕事」。それが、デザイン組織の深化や、組織内コミュニケーションのデザインだ。

例えばVisionalのマーケティングやコーポレートに関わるクリエイティブを担うコミュニケーションデザイン室には、「レビュー会」と呼ばれる、個々のデザイナーのクリエイティブをフォローアップする場がある。デザイナーたちの実力を底上げしようと、会社としてこの会議をよりよく変える試みに田渕も参加し、会そのものの再定義から一緒に行なった。

田渕とメンバーが作ったのは『All for Design』というタグラインと、レビュー会の目的の整理。さらに、レビュアー(評価を行う人)には「ストッパーではなくドライバーであれ」「わくわく・簡潔・再現性」などの、レビュイー(評価をされる人)には「ターゲット・インサイト・ゴールを明確に」「決めるのは自分自身」などの「心得」を制定した。

田渕「とはいえ、明文化したことによってデザイナーたちがそれを『新しい制約』と捉え、作ることが楽しくなくなっては意味がありません。デザインの自由さにいつでも立ち返れるよう、レビュー会の心得とデザイン・フィロソフィーとをアレンジしたポスターも同時に制作しました。固定概念やルールに縛られることなく、デザイナーとして大事にしてほしいことをチームにインストールしていっているんです」

また、社内でのコミュニケーションに対しては、Visionalの基幹事業を担うビズリーチにおける評価や育成の共通認識を図るための「BizReach Management Book」を制作した。

『マネジメントに求められる4つの機能と3つの心得。』と題した130ページほどの教則本を一からデザイン。マネージャー層だけが持てる本であることから、表紙には格式が高く感じられる印刷手法を採用するなど、静的なモノづくり観点でのデザインスキルも発揮した。

田渕「組織内に向けたこれらのデザインワークも、過去やってきた市場に向けてのアウトプットとはかなり異なる体験でした。どんなデザインも“人”を起点にするのが前提とはいえ、市場に向ける場合はどうしても“総体”を相手にする意識が働きます。しかし、社内に向けたアウトプットの場合、『具体的な個人』に目が向きやすい。『この人たちを変えなければいけないんだ』とより強く感じながらデザインを行なうことができました」

世界中の不特定多数に向けた表現ではなく、社内にいる特定少数の人々のためのアウトプット。事業会社の中でそこの経験を重ねることは、田渕にこんな発見をもたらした。

田渕「制作会社のことを、よく『0を1にするのが得意』もしくは『1を10にするのが得意』と表現します。Visionalに入社して痛感したのが、事業会社は0よりも前のことをしている。そして、10よりも後のことも手掛けている感覚があります」

社員の育成や組織づくりといった「0以前」、立ち上がったサービスをより大きく育てていく「10以降」。その双方が、制作会社の中では見えなかった世界として新たな挑戦機会になっている。

「僕の知り得ないデザインの景色」へ

田渕のロジカルな語り口は、新たな仕事に挑むことが、彼にとって必然であったことを強く印象づける。しかし、かつてアートディレクターとしての田渕は、「市場」にいる多くの人々に向けたデザインで輝かしい実績を残してきた人物。得意分野を封印することに、フラストレーションを感じないのだろうか?

田渕「Visionalの中では、たしかに自分が得てきたスキルをそのまま使うような機会は減っています。しかし、過去のアートディレクションやデザインの経験を応用して自分なりのバリューを発揮しているつもりです。

同時に、クラフトマンシップや表現力を強く必要とされるような仕事は、実はVisionalではなく、個人事業として今も変わらず引き受けています。強みを活かした今まで通りのデザインと、強みを応用した新しい分野でのデザインの両者で、うまくバランスを取っている感覚ですね。

Visionalで行なっているような仕事も、クラフトマンシップが求められる従来の仕事も、大局的に見れば同じ道にあるもの。過去のデザインの仕事がVisionalでのアウトプットにつながっているし、Visionalで新しく学んだことが、また次の仕事に交差していく。一見、全く別々のことをやっているように見えるかもしれませんが、僕の中では『デザイン』という同じ道における、異なる事象に過ぎないんです」

「過去の成功体験にこだわる人には、事業会社への転職は向いていないかもしれない」と話す田渕。なぜなら自身もこの1年の間、Visionalという環境によって過去の常識を何度も覆されてきたという。

そこには、Visionalに在籍する60名ほどのデザイナーたちによる刺激が大きい。

マーケットを分析することを得意とするデザイナーやデータから読み解くのが得意なデザイナー、社内外の関係者を巻きこんでプロジェクトを成功に導くデザイナーなど。「デザイン」という言葉の多様性に合わせて、多様な働きをするデザイナーたちが活躍しているからだ。

田渕「特に、新卒デザイナーの活躍には、本当に驚かされました。彼らは誰かに細かく指示されずとも、出稿するオンライン広告に対し、データを分析して、仮説を立てデザインをブラッシュアップするサイクルを組織的に繰り返していた。

一般的に、デザインの価値基準は『美しい』『魅力的』といった定性的なものが主。それゆえデザイナーはアシスタントとして数年間の下積みを経験する必要があると言われる。しかし、データに基づき定量的に答えを導き出せれば、長い下積みがなくとも価値のあるデザインを生み出せるんです」

デザイナーの意識を変えていくこと、組織内のコミュニケーションをデザインしていくこと、新たなデザイナーたちの仕事に触れること。デザイン経営を掲げるVisionalに加わってからの1年で、田渕は早くも自らの「点」を増やし、「面」の拡大を実感しているように見える。

では、彼は今後、いったいどこへ向かって進んでいくのだろうか? そんな疑問を投げかけると、田渕はじっと考えた後にこう答えた。

田渕「一般的に、デザイナーのキャリアは転職しても『同じ道を進み続けていくもの』というイメージが強いかと思います。しかし、僕の場合はクラフトマンシップ、ブランディング、組織内コミュニケーションなど、様々な道を増やして『交わらせていくもの』。だから、目指す先は自分でもわからないし、見えていないんです。

ただ一つ、CDOという役職は、漠然とした目標に入るかもしれません。入社したとき、田中に『僕もCDOになりたい』と話しました。それが何をする役割なのか、実はよくわかっていないのに(笑)。

でもきっと、1,000人以上の社員が属する企業のCDOという立場にいる田中は、僕の知りえない視座で『デザイン』に向き合っているはず。僕の目指す場所は、そんな『デザインの景色が見える場所』なのかもしれないですね」

まだ見ぬデザインの景色に向かって進んでいく中で、Visionalに転職するにあたって考えていたプランをこの日、一つひとつ言葉にしていった田渕。

「やっぱり、ちょっと長くなっちゃいましたね」

Visionalのアートディレクターは最後にそう言って、1年遅れとなった転職の“挨拶”を締めくくった。

Credit
取材・執筆
萩原雄太

1983年生まれ。演出家・フリーライター。サイゾー、CINRA.net 、美術手帖、XD、早稲田ウィークリーなどに寄稿する。『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。

編集
佐々木将史

編集者。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、'17に滋賀へ移住。保育・福祉をベースに、さまざまな領域での情報発信、広報、経営者の専属編集業などを行う。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。関心のあるキーワードは、PR(Public Relations)、ストーリーテリング、家族。保育士で4児(双子×双子)の父。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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