しなやかに、変わり続けよ。デザイナーとして走り続けるためにーーTHE GUILD小玉千陽

「常に時代を読んでいたか?」と問えば首を横に振る。「とにかくデザイナーとして生きることに必死だった」と氏は表現する。しかしその必死さが、社会の一歩先を捉え自ら変化する姿勢へとつながっていた。

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「現代のデザイナーに求められるスキルセットを答えよ」

この問いに明確に答えられる人は、そういないのではないか。

無論、各々の経験から一定のリストは作れるかもしれない。だが、「デザイナー」の職域も「デザイン」という言葉が指す意味も、「デザインする対象」も拡大し続ける中、そのスキルセットは本当に汎用的かと聞けば自信を持って首を縦に振れる人はどれだけいるだろう。

ここ数十年だけを振り返っても、デザインが担う領域は工業製品から、PCの画面の中、スマートフォンの画面の中、考え方、姿勢、経営と広がり続けている。同じ速度、ないしは加速度的にこの変化が続くとすれば、最早「デザイナーのスキルセット」を定義するのは難しいのではないか。

筆者は、そのヒントをTHE GUILD小玉千陽の取材の中に見た。氏はFlashをきっかけにデザインを志し、フィジカル⇔デジタル、デザイン⇔エンジニアリングを横断しながらキャリアを構築。担う領域も、手を動かす分野から体験設計、アートディレクション、経営へと幅を広げ、シフトさせ続けている。

小玉が特徴的なのはその道のほとんどを自ら切り開いていること。そして、外から見れば「変化」に対し渇望しているように動いていることにある。氏の思考や姿勢から、求められるスキルセットを探りたい。

常に「少し早い価値観」を体現し続けてきた

氏の変化の軌跡を追うと、興味深いのは、時代ごと常に「今」と「先」の間に立ちづけてきた点にある。その時代のスタンダードでもないが、早すぎるわけでもない。常に「少し早い」位の場所を自然と選び続けてきた。

小玉がデザイナーという職種と出会ったのは小学生のころ。家のパソコンにはIllustratorのようなクリエイティブ系ソフトウェアに当たり前のように触れられる環境があり、自然とそれに触れて遊ぶような幼少期をおくった。HTML、CSSの手打ちでWeb制作にも没頭し、進学を考える年齢でWebデザイナーという職種を知る。

実践が先にあり、職業が後からついて来た。当時度々心を惹かれたFlashサイトのクレジットには中村勇吾の名があったという話からも、見ていた世界の的確さが伺える。

大学こそ一般大に入るが、デザインの専門学校とダブルスクールをし、デザイン会社でアルバイトを開始。Webデザインといいつつ「デザイン」と「実装」双方の経験を積んでいく。また、Webだけではなくエディトリアルやグラフィックのデザインも経験。デザイン⇔エンジニアリング、Web⇔紙の行き来を、当たり前のものとして捉えていた。

今でこそ「媒体を問わずブランドを構築する姿勢」が重視されたり、「デザインとエンジニアリングの往復」も必要だと言われるが、この価値観も当時はまだ一般的ではない。先人からは「デザイナーになりたいの?エンジニアになりたいの?」「Webがやりたいの?エディトリアルやりたいの?」と幾度も聞かれたという。

小玉千陽/THE GUILD ボードメンバー / ium inc. 代表。東京工業大学で建築を学んだ後、2011年にArt&Mobileに第一号社員として入社。フリーランス、大手広告代理店での活動を経て、2017年8月にデザインスタジオium inc.を設立。アートディレクションやUX/UIのコンサルティングを担い、ユーザー体験を起点とした設計とつくり込みを得意とする。2020年4月よりTHE GUILDのボードメンバー。THE GUILD STUDIO代表。

小玉「両方を同時に手掛ける人が、当時はまだ少なかったのだと思います。ただ私の中には、漠然と両方やった先にやりたいことがある気がしていて。選ぶのは違うという確信めいたものだけがありました」

この背景から、小玉は学生時代から独立を明確に意識した。

小玉「自分がやるべきと思うことは一般的じゃない。組織でやるのは難しいと感じたんです。かつ、私の場合は美大卒ではなく工学系大学出身というのもあり、わかりやすいバックグラウンドもない。であれば、地力をつけ独立してやっていくしかないと考えました」

そこから、SNSでTHE GUILD代表の深津貴之がアルバイトを募集しているのを目にし連絡を取る。当時のTHE GUILDは草創期だが、価値観や姿勢は今に通底する。フリーランス集団という環境に小玉が影響を受けたのは言うまでもない。

実際、独立を見据え新卒で深津の個人会社に入社し、わずか1年でフリーランスとして歩む判断をする。

小玉「深津さんのもとでの経験は刺激的でしたが、自分がその姿に近づくには、デザイナーとしての経験がまだまだ足りない。その足腰を鍛えるためにも、2年目からはフリーランスを選びました」

言うまでもないが、独立を“早い”と捉える人も少なくないはずだ。ただ、氏の価値観に照らし合わせれば、それも必要な変化だった。

フリーランスとして働きづめの日々を数年経験した後、小玉は電通にアートディレクターとして入社する。「なぜ今更?」とも思えるが、これもまた次の時代を捉え、いち早く変化した好例だ。

小玉「当時はファッションブランドのウェブコンテンツと紙の双方を手がけていて、仕事自体は楽しくやっていました。ただ今後のキャリアを考えると、デジタル領域でのUI,UX、またはその上流に携わる経験が必要だと考えていました。そのとき、たまたま電通の人に『うちのエクスペリエンスデザインの部署にこない?』と、声をかけてもいただいたんです」

小玉が入社したのは、広告関連ではなく、新規事業の立ち上げなどに伴走しサービスや事業作りに携わる部署。かつ、米大手デザインコンサル・frog designと協定を結んでおり、協業の中で、海外の最先端手法を学べる環境だった。「ビジネス戦略を描く人材とアートディレクションをする人材が協業する刺激的な環境だった」と当時を振り返る。

ただ、この環境も変化の必要性を感じ1年弱で退職。iumを創業し、THE GUILDのメンバーとしても復帰する。時はちょうど深津がnoteのCXOに就任する直前。デザイン経営の流れがくる前夜とも言えるタイミングだった。

そこから、THE GUILDのメンバーとしてもiumの代表としても、様々な企業の仕事を数多く経験。体験設計とアートディレクションに軸足を置きつつ、上流に食い込む仕事を増やしていった。

「一年経っても同じ」をよしとしない文化

こうしたキャリアを「常に時代を読んでいたか?」と問えば小玉は首を横に振る。

少なくとも、電通に入る前までは「とにかくデザイナーとして生きることに必死だった」と氏は表現する。しかしその必死さが、社会の一歩先を捉え自ら変化する姿勢へとつながっていたともいえる。

それと同時に、“環境”も氏の変化し続ける姿勢において大きなものだった。その最たる要因がTHE GUILDだ。

THE GUILDは、“高い能力のあるフリーランスを集約してスケールメリットを出す”という発想で2011年に創業された。この組成には、「法人格にレピュテーションを貯める」という意図もあるが、「スキル開発を持続的にする」という狙いもあった。各領域のスペシャリストが集う場だからこそ、相互にナレッジや経験を共有し合い、成長し続ける支援ができる。これが「変化し続ける姿勢」の源泉になっている。

小玉「『THE GUILDはフリーランスが死なないための仕組み』と深津さんはよく言っています。フリーランスは、自分を俯瞰できなくなったら成長がとまる。会社は仕組みでカバーしてくれますが、フリーランスは消耗戦になってしまいがち。THE GUILDはそれをみんなで補完し合い、生き残れるようにするという思想があるんです」

ただ、機会や場で人は変われるか?といえばそうではない。小玉が「変化し続ける姿勢」を持てているのは、その“文化”を吸収し体現してきたからにある。

小玉「THE GUILDにおいて『変わらないね』は褒め言葉じゃないんです。一年経って同じことをしてたら、『まだやってるの?』といわれることもある。ストイック過ぎるように聞こえるかもしれませんが、それが良さなんです。そういった人に囲まれていると、自分の中で当たり前になっていきますから」

例えば、代表の深津貴之。Flashコミュニティで活動した後、iOSアプリの制作者として活躍。THE GUILDを創業後は、minneのUI/UX顧問などを経て2017年からはnoteのCXOとして事業成長に寄与している。

例えば、共同創業者の安藤剛。SIer、検索エンジンベンチャーの創業、カレンダーアプリ『Staccal』の開発者を経て、THE GUILDを創業。U-NEXTの技術顧問やYAMAPのCXOを歴任。2021年3月の退任後は、次の挑戦の準備をしている。

この二人を挙げても、その「変化」に対する姿勢の強さが伺える。そのキャリアのほとんどをこうした人々に囲まれてきた小玉だからこそ、変化し続けることが当たり前のものとして染みついているのだろう。

CDOという挑戦環境でも、常に変化を求め続ける

こうした変化し続ける姿勢が結実したのが、2020年から取り組む、D2Cフローリストサービス『LIFFT』を運営するBOTANICのCDO(Chief Design Officer)の役割だろう。

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小玉「取り組んでいるのは、人の心を動かし、行動を促し、事業を伸ばすこと。体験設計とアートディレクションをはじめとするこれまでの経験を総動員しつつ、自分が最も価値発揮できる役割をいただいています」

例えば、氏がCDOに就任してから発行しているLIFFT Journalは、ブランドの世界観を表現しつつ、サブスクリプションサービス『LIFFT定期便』の付加価値向上の役割を担う。顧客のロイヤリティを向上させる意味でも経験が存分に活かされている。

写真提供:BOTANIC

ただ、これもあくまで氏が担っている役割の中で表出する部分でしかないはずだ。それを示すかのように、「これまでの経験」だけにたよらず、新たな変化機会にも身を投じている。昨年はデザイナー向けビジネススクールd.MBAにも参加した。

小玉「コロナの影響で、デザインがコストカットの対象になるシーンを幾度も目にしました。これを、『重要性を理解してない』と嘆くこともできますが、価値を伝えられなかったデザイン側にも責任はある。デザイン側も深く体系的にビジネスを学ぶべきだと考えたんです」

d.MBAは6週間のオンラインプログラム。参加者は世界中から集まり、選考を経て参加者が決定。中にはMBAを経てd.MBAへ入る人もいるという。プログラムでは、実際の企業を例に、リサーチからカスタマーインサイトの抽出、ビジネスモデルの構築、提案などを含む。全編英語、かつ毎回課題が用意されるため「本業の合間でやるには本当に骨が折れた」と苦笑いをする。

小玉「d.MBAは、デザイナー向けにビジネス言語をわかりやすく解説してくれるようなものではありません。デザイナーの持つユーザー視点で事業を作れるよう、自身の視座を上げ、マーケットを見て、マーケットの先の消費者を見ることが求められます。とても大変でしたが、格好の機会になりました」

文化を継ぎ、変化の主体である

氏の変化し続ける姿勢は、クライアントへの提供価値だけにとどまらない。その一端が、2020年4月にボードメンバーにも参画したTHE GUILDの経営だ。

同社は創業からの10年が経ち、メンバーの年齢層も上がり、仕組みも成熟が進んだ。その中で、文化を体現してきた小玉は世代のバトンをつなぐ重責を任された。

小玉「THE GUILDは素晴らしい機能を持った箱です。この箱によってメンバーが各々ステップアップし、優秀な人たちが集まり、箱自体もステップアップしてきた。自分自身、この仕組みがあったからこそ成長できたし、一人よりも絶対に良い影響を得られたと感じています。この仕組みをより良い方向に変化させ続けるのが私の役割です」

その挑戦の第一歩が、氏のボードメンバー入りと同時に組成され、代表にも就任した新組織THE GUILD STUDIOだ。これも文化を継ぐために組成された。

小玉「最近若手の方とお話すると、事業会社に行く人がぐっと増えた印象があるんです。そのキャリアを否定する気はまったくないですが、私たちとしては危機感を覚えなければいけない。選択肢として受託の仕事やフリーランスが魅力的に映っていないともいえるからです。それを乗り越えるためにTHE GUILD STUDIOは存在します」

これまでは、優秀なフリーランスが自然と育ちTHE GUILDに集い続けてきていた。しかし、事業会社が脚光を浴びる中では、徐々にその数も減っていくのではないか。そんな危機感から、中長期でフリーランスや独立を目指す若手に機会を提供する場としてTHE GUILD STUDIOは創業された。

「企業に勤めていた経験も少ないので、育成やマネジメントも探り探りなんですけどね」と小玉は笑う。現状のメンバーは学生時代からアルバイトをしていた新卒が一人。公募こそしていないものの、「その道に興味と覚悟があるならいつでも連絡して欲しい」という。

変化の目的は「走り続けること」にある

こうした変化し続ける姿勢、そしてiumにBOTANIC、THE GUILD, THE GUILD STUDIOと4社の経営に携わる姿を見ると、小玉はストイックな人に映るだろう。筆者もそう思い話を聞いていたが、その中では、いくつか意外に感じる答えも返ってきた。

例えば、iumやTHE GUILD STUDIOをどんな組織にしたいかを問えば「ハードワークで寝ずに働くようなことはしたくない」「ヘルシーに働く中で、しっかり成果を残せるように」と言う。どのように新しい技術や視座を身につけてきたかを問うと「そもそも勉強することが好きなんですよね」と、軽やかな答えが返ってくる。

ただ、ストイックに見える姿勢も、軽やかな答えも、小玉の中では一貫した価値観であるはずだ。これらの両立こそ、冒頭で問いとして投げかけた「デザイナーに求められるスキルセット」ではないかと筆者は考える。

小玉「私は走り続けないと強くなれないと考えています。言い換えるなら、持久力こそが重要になる。最初に独立した時は、デザイナーとして一人前に生きることに必死なあまり、働きづめの日々を送りました。しかし、その間にもTHE GUILDの人たちは学び続け、技術や知見を身に付け次のステージへ歩みを進めていた。その間には大きな差が生まれており、後からすごく反省しました。

そこから“走り続けること”を意識するようになりました。例えば、仕事の受け方や働き方。労働時間はもちろん、続けても先がない仕事は受けません。結局、一番強いのは、積み重ね続けられる人。時には遅くてもいいから、少しでも前へ進んでいく。その姿勢が大事だと考えています」

短期的な成果も、変化すること自体も、ヘルシーに生きることも、それ自体は目的ではない。重要なのは、中長期で成果を出し続けるための「続けること」。そのために、変化し続け、緩急を使い分ける“しなやかさ”のようなものが重要なのだ。

小玉「THE GUILDの人も、みんな顧問やCXOになってあがりではありません。常に先を見ているし、成果を出し続けていますよね。私自身、CxOの先には自分がやりたいサービスを作ったり、創業から関わるといった道もあると思っています。海外ではAirbnbのようにデザイナー兼CEOのような人もたくさんいますから、まだまだ見るべき先は遠いと思い続けています」

いうまでもないが、この話はデザイナーに限った話でもない。第一線で走り続けるために求められるのは、そういった「小手先」のものではないということが、氏の経験や姿勢から感じ取れると嬉しい。

そして、この話も「取材時点」の話でしかない。
小玉は今も変化を続け、しなやかに走り続けている。

Credit
編集
小山和之

designing編集長・事業責任者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサルでの編集ディレクター/PjMを経て独立。2017年designingを創刊。2021年、事業譲渡を経て、事業責任者。

撮影
今井駿介

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。

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